第百三十九話『在るという事は、いつか失うという事』
「ああぁぁぁぁ……神様ぁぁぁぁ~~~……」
お婆ちゃんの涙で濡れた瞳は、先ほどまでの白濁したそれでは無く、海の如き美しい青を湛えていた。
これにはシュルルとお婆ちゃんのやり取りを、心配そうに見つめていたちびっ子たちは超びっくり!
「あああっ!!? お婆ちゃんの目、全然違う!!」
「うっそ~!?」
「ホントだ!!」
「何で!?」
「……」
「すっげーっ!! まるで魔法じゃん!!」
あ、いや、魔法なんだけどね?
小躍りするちびっ子たちに囲まれて、苦笑するしかないわ。
まあ、目に見えて判る変化だしね。みんな、この変化に大喜び。この辺の素直さは微笑ましいわね。見習っても良いのよ、ミカちゃん、ジャスミン。
そんな事を思って、後ろの二尾をチラ見するんだけど、なんかぽか~んとしてる。んんん~、もしかして何でちびっ子たちが喜んでるのか、判ってらっしゃらない?
ま、まあいいわ。
「さあ、お婆ちゃん。これでどうかしら? 何か出来そっ!?」
「ありがとうございます! ありがとうございます!! 嘘みたいにはっきり見えて、もう何てお礼を言って良いのやら!」
不覚にも、ぎゅっと抱きつかれてびっくり。まあ悪い気はしないわよね。
「あらあら、どういたしまして」
そう耳元で囁き、こちら側からも彼女の背中に手を回し、そっと手を置く。
細い骨と薄い肉を感じる。年老いた親を背負ったら、あまりの軽さに涙するというお話があるけれど、軽いわ~。軽い。スカスカよね。ちょっと力を入れたらバキボキいっちゃいそう。
これが老い……
いつかは私たちも力を失い、自らの力で餌も採れなくなり死んでいく。一尾、また一尾と荒野の中へ消えて行くのだろう。
それが荒野の節理。
弱肉強食の世界なのだから。
そう。世界は常に新しい生命の息吹に満ちている。腹黒さんみたいなエルフなんかは違うのだろうけど、大多数は生まれ、死に、入れ替わっていく。
『街』というものは、これだけ同種が集まって生きているのに、あのおっちゃんと言い、このお婆ちゃんと言い、ここにいるちびっ子たちと言い、どうしてこうも……
彼女の背に回した腕から、全身を使って内部を透かし見る。魔力の投射と反射。そこから導き出される答えは……
本当、上半身は私たちラミアとほとんど変わらない構造をしてるのよね。不思議……
背骨や肋骨の数から、内臓の配置まで良く似てる。でも、ところどころ微妙に違っているのが興味深いところだけど、それにしてもやっぱりスカスカだわ。厚みが無い。
そっと身を離して、涙目のお婆ちゃんを眺める。
「あなた、もうちょっと肉を付けた方が良いわね。骨もすかすかだし、当面の仕事は食べる事かな?」
「え?」
「若い頃は何をしてたの? 家事? 育児? 内職は? もし教える事が出来る技能があるなら、この子らにも教えてあげて貰えると助かるんだけど」
そう言って、お婆ちゃん指先を温める様に揉みしだく。食べてないから、末端の血管が先細ってる感じ。暖かな砂のベッドで寝かせていたから、体温や脈拍は大分イイ感じに安定している気がするけれど、総体的に弱弱しい。
そのしわしわの唇が、震える様にか細い声を漏れ伝えた。
「旦那が海へ出てる間、家の事を全部やってましたわ」
お婆ちゃん、そこで深々とため息をつく。まるで、胸の内にある重いものを、ゆっくりと吐き出す様に。
「子供も三人……みんな、海に出て帰って来ませなんだ……」
「そう……」
ほんの短い言の葉に、どれだけの時と、想いが込められているのだろう。
どれだけの孤独を、この『街』で……
「内職で針子のお仕事をして食べつないで来たんですけどねえ……女の子が居れば、誰か家に残って……こんな暮らしにゃ……はぁ~……」
嗚呼、男手はみんな海を目指したんですね。
その愁いを浮かべる眼差しは、遠くどこかを見つめている様に思えました。
荒野で一尾、孤独を過ごした数年は、姉妹という束縛からの解放だった。
明日という未来を想う思考の時だった。
胸には希望しか無かった。
それは、振り向けばそこに誰かが居るから。
隣のなわばりに。
姉妹が。
愛した相手が、誰も居なくなってしまったんですね……
そうか~……
お芝居や本で描かれている、愛って奴は、何万と同族が群れ集うこの『街』にあっても、番の相手への愛、産み育てた子らへの愛、勿論隣人への愛とかもあるだろうけれど、みんなど真ん中にどーんってある愛があるんだろうな。
その相手が、み~んないなくなっちゃったら、やっぱり……
ふと、窓の外を、その青い空の向こうを見た。
最後の一尾になったら、辛いだろうな……
心底、そう想った。