第百五話『異国渡りの品』
かくしてベイカー街の攻防は、ひとまず終着を迎えた。
ハックはまあいいかと、何かやってるナザレの事は放っておく。すると。
「あ、あの……これ」
「おう、あんがとよ」
この辺に住む男だろう。ほとんど下着姿、薄汚れたシャツとパンツ姿でのそりと差し出されたそれは、さっきミラと名乗った女が振り回してたろう剣の柄だった。
それを受け取り、ハックは辺りを見渡した。
「おい、他に何か落ちてねぇか?」
「あっ! ここになんか落ちてるよ!」
緋色のスカートに白い前掛けといった、如何にもその辺にいそうなおばちゃんが。ハックは小走りにそこへと近付き、その指差す先を覗き込む。そして、それをそっと拾った。
「ほお~。さっきの折れた剣の刀身かな? 珍しいな、この形」
「なんだろうねえ?」
「包丁じゃないのかい?」
その刃渡り足の裏二つ分くらいの片刃の刀身は、不思議な波の様な文様が浮かんでいた。普通の剣ではあまり見られないものだ。
その光沢を陽光に幾度もさらし、ハックは一つの答えを導き出す。
「こいつあ~異国渡りの品だな」
「へえ~」
「ほお~」
「間違いねぇ。海賊どもが良く使ってらあな。はて。こいつあ、出所が妖しくなって来たぞ~。おっと、いけねえ。今の話は他言無用に願うぜ。判ってんな?」
「「「「は、はい」」」」
集まった街の人たちをじろり見渡すと、ハックは懐から布を取り出し、その折れた刀身をくるくると巻き、さっさと懐に戻す。
「忘れな!」
「「「「はい」」」」
判で押した様な答えに今一信用できないが、今はそれでよしとする。そうするしかない。
「さてと……」
振り向けば、まだ奴が居る。
「ちっ、さっさと帰れってーの」
まだ、扉に向かってぶつぶつ言ってるナザレの背中に悪態をつきつつ、ハックはやおら目の前の建物を見上げた。
何か変だ。だが、何が引っかかってるのかピンと来ない。
異種族のハックから見ても、ミラという女は魅力的に思えた。あくまで漠然とした印象なのだが、こんな職人街には不釣り合いな美女。どちらかと言うと、怪しげな裏の酒場や色街に居そうなものだが、ああいう所の住人が持つ退廃的なものとはまた違った、すらりとした鋭利な気配を身にまとっている。
「さあ、どう崩して行こうかねぇ?」
一人ごちながら二階の窓を見る。一つが半開きになっていた。
開かれた窓の向こう、薄暗い影がこちらを覗いている。
あの鋭さ、人を殺した事もあるかも知れない。いつもなら、大概の奴は底が知れるというものだが、この時ばかりは漠然としており明確な答えを出せずにいた。
普段の勘働きに霞がかかったかの様に、何ともぼやけた印象なのだ。
こいつあ、下手に手を出しゃ殺されるかもな? さあ~て……
ぺろり。唇を舐めた。
「ふむ……」
ハックは取り合えず周囲を見渡すと、いまだたむろっている人たちを。
「あ~、ちょっとその辺、退いてくれよ」
ちょいちょいと手を振って開けさせると、すたすたとそこへ歩み寄り、例の建物から逆に離れて見せた。
街の人たちも、一体何をするのかとハックの動きを目で追う。
そんな注目を浴びながら、ハックはゆるゆると手にした棍を両手で絞り、その先端を低く構えた。僅かに身体を上下にゆらし、リズムをとる。そして、徐に建物へ向かって走り出した。
「「「「あああっ!?」」」」
人々の驚く目の前で、ハックの身体はいきなりぽ~んと宙高く舞い上がる。
棍を石畳に突き立ててはその勢いで自分の身体を、はるか人の背より高い位置へと、軽々持ち上げて見せたのだ。
そして、その描いた弧の頂点に達する前に、ひょいと脚でその末端に乗り、窓辺の端へ取り付くと、そのまま開いた窓から中へとずるずる。棍も両足で挟んで一緒に中へと入って行った。