第百四話『帰れ!』
「待て待てぇ~っ!!」
「待てぇ~っ!!」
「待ちなさ~い!!」
街中をパタパタと全力疾走する謎の襲撃者と兵士たちは、次々とうねる横路地に飛び込んでいく。それを見送り、分隊長の丘小人のハックは早々に追いかけるのを止めた。
ふうっとため息一つ。それから思いっきり息を吸った。
「うお~い!! がんばれよ~!! へへへ……」
もう部下たちの姿は見えなくなっている。
無責任にはっぱをかけたハックは、鼻歌混じりにきびすを返し、雑然とした空気が戻りつつあるベイカー街をてくてくと戻っていく。己の投げた棍が突き立つ場所へと。
その向こうに、ナザレの姿を認めた。例の女を頑張って口説いてるらしい。それだけで、肩にずっしりと変な重しがのしかかって来る感じがして、深く深くため息をついた。
「はあ~~~~~、やれやれだぜ」
めんどくさい奴の後に付いて来たら、何かめんどくさい事に遭遇してしまった。
事件があったら職務上仕事をせにゃならん。
はっきり言って、あいつは邪魔だ。
「おい、そこの垂れ目!」
そう言葉を投げつけながら、ぐいっと棍を引き抜いた。
返事が無い。ナンパに忙しいらしい。
「おいこら! 非番なんだろ!? 帰れよ!」
それをしっしと手で追い払う仕草のナザレ。
その目線は、ひたすらにミカヅキの瞳を見据えている。
「あああ、どうか私に貴方を護衛する任をお命じ下さい。美しくもお強いお嬢さん」
「い、いえ……」
そう告げながら、剣を持つミカヅキの手を己の掌で覆い包む様に重ね、僅かに頷いてみせる。そして、彼女の手から剣を受け取ると己の鞘に戻す。
傍からハックが見てる分には、どう考えても女が嫌がってる風にしか見えないのだが。
ナザレは女の手に小さな青い花を持たせ、その甲に口づけを。
「ひっ……」
うわあとハックは内心声を上げた。明かにもっと嫌そうな顔だ。
だが、ナザレはそれに気付く様子も無く、積極的にアプローチをかけていき、その手を緩める素振りを微塵も見せないのだ。
「すごいな……」
その光景に、ハックは思わず口に出していた。
「あああ、どうかそんな悲しい顔をなさらないで下さい。さあ、先ずはお宅に戻りましょう。少し落ち着いてから、何が起きたのかこのナザレめに話して聞かせて下さい」
「おい」
取り合えず、ハックはナザレのケツを棍で突いてみた。
「おうっ!?」
「帰れ」
「何をするこのチビ太!!」
顔真っ赤にして振り向いたナザレは、ハックにつかみかからんばかりに喰ってかかるのだが、その胸をハックの棍がぐいぐいと追いやった。
「こっちの当番の事件だ! 部外者は帰れ! 帰れっ!!」
「私は一人の騎士としてだな!」
「捜査の邪魔だ! 帰れ帰れ!」
「くう~。だが、こちらのお嬢さんは、今日、我が騎士団を訪ねる事になっている筈! いわば、関係者だ! そうですよね? 美しくもお強いお嬢さん」
「それは姉のシュルルの事では?」
「なっ!?」
ミカヅキは、なるはやに退散して貰いたく、よそ行きの口調ですっとぼけて見せる。何しろ独特のしゃべり方だ。即、正体がバレてしまうだろう。せっかく別人だと勘違いしてくれてる様だから、このままお引き取り願いたいもの。
そしてその狙い通りか、サッと顔色を変えたナザレは明かに動じてしまう。まさかの人違い? いや、姉妹なら目の前の彼女を見れば噂の相手の容姿も想像がつこうというものだ。がしかし、目の前の女性は戸惑いつつも己に好意を寄せており、あと数押しでなんだかいけそうな気がしてならない。このまま去るには明かに惜しい。
「そ、それでは、そのお姉さんとやらは?」
「もうとっくにスープを持って……」
「なんと!? では、お嬢さん。貴方のお名前は?」
「ミカヅ……ミラです」
思わず嘘を吐く。御座る言葉も封印だ。だが敵はくねくねしつこい。
「あああ、ミラさん。ミラさん。ああ、ミラさん。どうか愚かな私をお赦し下さい」
「ごたくは良いから、さっさと帰れよ。邪魔なんだよ。他所の騎士団の邪魔してんじゃねえよ。副騎士団長だろ~? 規律乱してんじゃねーっつーの」
何という白馬の騎士か? 横合いから棍でコンコン突っついて、追っ払いにかかってくれる。ありがたやありがたや。
ミカヅキは内心手を合わせて拝んだ。この小さな小さな騎士に。
だが、ナザレも流石に副騎士団長で、しかも男爵だ。意地もプライドも欲もある。こんなこっぱ平民に論破されて、すごすご引き下がれる筈も無い。
ひとまず目の前の女を口説くのは置いといて、しつこく突いて来る棍の先を剣の柄で払いながら向き直る。
「だったらお前も他の兵隊どもと一緒に、犯人追えばいいだろが!?」
「俺は脚が短いの! 大きい人にはどうあがいたって追い付かねえって! だから適材適所。俺は現場の調査と聞き込み。さ、判ったらそこの女をこっちに渡して、お貴族様はさっさとお帰りあそばされてくださいませませって奴だ」
「だまれ、平民!」
「うるせえ! 貴族だろうが何だろうが、知ったこっちゃねえ! あんたら貴族が決めた割り振りだ! 当番じゃねえんだ、帰れってんだよ!」
うん。これは無理。
この言い争いの傍らに居て、ミカヅキは次第に人の衆目が集まる最中、二人からそおっと離れてみる。よし、今だ!
「危ないところをありがとうございました! それでは!」
「あああ、ミラさん!?」
一礼からぴゅんと家に飛び込み、パタン。扉を閉めた。
観衆は、そのあまりにも鮮やかな一連の動作に、おおっとどよめいて。
これには流石に泡食ったナザレ。そんなおたおたした様を、ハックは実にご満悦だ。
「ざまあ~」
「てめえっ!」
「へっ、お里が知れるぜ~」
「あああ、ミラさん! ミラさん! ここを開けて下さい!」
一睨み返し、ナザレは扉に取り付くのだが、中から閂がかかった様で人の力ではびくともしない。ダンダンダンと叩くのだが、麗しのボンキュッボンなミラはそれに応える事は無かった。