第百一話『冒険者、まかり通る』
職人街の一地区であるベイカー街を、毛色の変わった男が歩いていた。
街の兵士とも違う。
薄汚れた茶色い外套を羽織り、肩や腰の辺りの膨らみから鎧、しかも軽装の革鎧だろう、を着込み、柄の短い剣か何かを佩いているのが判る。あからさまに目つきの悪い男だ。
この辺を縄張りにしている地回りのヤクザなら、大抵は顔見知り。
そうでない者が、何の用事も無いかにぶらり歩いている。しかも、二度三度と同じ通りを往復するのだ。
それだけで、街の職人たちはそっと窓や扉を閉め、内側から閂をかけた。
二階の窓から、そっと表を覗く者。
耳を塞ぎ、家屋の奥で震える者。
嫌な予感しか無い。
「お母ちゃん……?」
「しっ……」
無垢な子供は突然の事に、親を見上げて問いかけるが、ただ静かにじっと安全な場所に身を潜めるしか無い。ただひたすらに嵐が吹き終わるのを待つ。それが平民の処世術というもの。
何しろ曰く付きの土地に、家が忽然と建ったのだ。
「これだから、よそ者が!」
悪態を付く者。
「オウマイガッ!」
神に祈る者。
災厄が己が身の上に降り注がぬ事を、ただひたすら祈った。
潮が引く様に人通りが無くなり、感の鈍い者も流石に細い通りからぞろぞろと物々しい連中が姿を現すと、慌てて逃げ去った。
「へへっ、臆病者が」
「まあ、そう言うなって」
「おい。裏に三人回れ」
「うちが……」
すうっと三人が離れた。表には十人が残る。
フードで口元を隠し、マントの下ですらり剣を抜く。鞘を滑る音が、まるで硬質なさざ波の様に、この通りに響いた。
「ベイカー街A201」
「間違いない」
ピタリ。建物に貼り付く者が二人。右と左、通りの向こうの様子を伺う。
「おい、早くしろ」
「わ~ってるって」
そう答えた者が進み出ると、マントの下からごつごつとした木の杖を差し出す。
「……アンロック」
カタリ、カラカラカラ……
扉の向こうで、閂が外れ、床に落ちて転がる音がやけに大きく響く。と同時に、マントの集団は一気にその扉へと雪崩れ込んだ。
一階で起きた物々しい気配に、二階であんにゅいな空気に浸っていたミカヅキは、ハッと尻尾を立てた。
薄暗がりの中、砂のベッドで老婆はすやすやと寝息を発てている。それを確認し、ミカヅキは即座に傍らの道中差しを手に起き上がり、戸口から階下を伺う。
「上だ! 上!」
ドヤドヤガチャガチャと駆け込む集団の足音に、ずるりミカヅキは静かに這い後退。ゆっくりと壁と壁の合わせ目に身体を押し付け、ずるずると天井へと這い上がった。
「暗いぞ!」
「窓開けてけ!」
「どこだ!? 男はどこだ!?」
……男? ハル殿の事で御座ろうか?
逆さになって、天井に張り付くミカヅキは、獲物がかかるのをじっと待つ。しゅるり、舌先を伸ばし、熱を感じ取る。
駆けあがって来る気配と、その感覚で頭数をつぶさに把握。下の階にニ三人? 駆け上って来るのが八人。別れた。
更に上の階へ四人……
パチリ。道中差しの鯉口を切る。
「おっ!? 誰か居るぞ!」
横たわる老婆の影を見たか。飛び込んで来た男を、背後から襲った。
「ぐはっ!?」
右の肩口から、体重をかけて左の臀部へと革鎧ごと切り裂き、暖かな血潮を存分に浴び、即座に振り向いては床を這った。
来る!
男の悲鳴を聞きつけてか、この部屋へと向かい来る足音と熱源。
その慌てた足取りに、にやりと頬を緩め、ミカヅキは人では考えられない程の低姿勢で最初の気配へと迫った。
廊下へ出る出会い頭、駆け込まんとする獲物の足の腱を切り裂いてはすり抜け、横転するそれを蹴り飛ばす様に更に次の獲物へと跳ねた。
「シュー!」
「なっ!?」
壁をクッションに更に跳ね、ガキンと火花を散らす。剣戟を受け止められたままに、人の体重の三倍はある自重をそのまま乗せて、ひねりを加えて押し倒す。ガツンと頭蓋が床に打ち付けられた音と手応え。
「ぐあっ!」
「けはっ!」
ミカヅキは喜色を帯びた息を漏らし、濃い暗がりの中を滑る。滑る。滑る。
「な、何か居る!!」
「ちょっと待ってろ!!」
「せ、精霊よ!」
「遅いで御座る!!」
階下と三階からの気配が迫る中、たたらを踏む最後の一人に文字通り飛び掛かる。咄嗟に相手が構えた杖のまま、ミカヅキはその自重と勢いを武器に、喰い込む刃もものともせず一気に押し倒した。
「きゃう?」
「女っ!?」
「ミランダ!? よくもっ!!」
階段を一気に駆け下って、跳び上がった気配に、ミカヅキはそのまま体を入れ替える。
ザッシュと肉を断つ気配。のしかかる重さに、喰い込む刃。
「あああああ……」
「う、嘘だっ! そんなあっ!」
「匹夫!!」
悲鳴と吐息。貫いた男と貫かれた女。二人まとめて、ミカヅキは階下に投げ捨てた。それは階段を駆け上る二人を巻き込み、ずだだだんと転げ落ち強かに叩き付ける。
「ぬおおおおおっ!!」
「おおおおっ!!」
「……」
続き三階から駆け下る三つの気配。
それを馬鹿正直に受け止めるミカヅキでは無い。
飛来する白刃からするりと抜けて、そはカチンと床を穿つ。
高さ、重さとはそれ自体が武器である。ならば、それを最も有効的に使える相手とは……
既にミカヅキの身体は宙を舞っていた。
その勢い、階下の踊り場に横たわる四人の男女。もつれ合う様に呻くそれらに、勢い乗せて三倍の自重を叩き付けた。
「「「「がぐっ!?」」」」
くぐもった声と、めきめきと骨のひしゃげる悲鳴。
続く背後に迫る三つの気配。
あと三つ……
まともに戦える相手は、残り三つ。だが、油断は出来ない。