32.墜ちたる麒麟
アレックスは、体中から冷や汗を流していた。
目の前にいるというか幻のように存在している一角獣は、じっとこちらの様子を伺っている。コイツは先ほど、アレックスに向かって伴侶になれと言った。
予想だにしていなかった一言に、アレックスの脳内は混乱した。
「何を言っているのか……よくわからないな」
『何も難しく考える必要はありません。伴侶とはともに連れ立っていく仲間……つまり私の連れになって欲しいと言っているのです』
アレックスはやっと正気を取り戻すと、一角獣を眺めた。
「それは……急に答えることはできないな。僕はまず君が何者で、どんなことをしたいのかがわからない」
一角獣は意外そうな顔をしながらアレックスを眺めていた。
『久しぶりです……私の誘いに乗らなかった方は……』
アレックスは「え……?」という言葉を思わず口にしていた。すると、一角獣はすぐに笑顔になって答えた。
『普通なら、私の目を見ただけで我を失って付いて行ってしまうものなのです。ところがあなたは、私に伴侶になれと言われてもなお、自らの意思を失わなかった』
その言葉を聞いたアレックスはすぐに身構えた。
神々しい見た目とは違い、この一角獣には恐ろしい何かが渦巻いている。少しでも気を抜けば呑み込まれてしまうほどの力を秘めている存在だ。
そう直感したときアレックスの姿は一瞬で蒸発し、一角獣は目を細めてつぶやいた。
『今のは、ギフト系スキルによるもの……? さすがは勇者の孫……いえ、伝説の勇者の再来というべきでしょうね』
一角獣は目を細めると、再びつぶやいた。
『……今日のところは引き下がるとしましょう』
シルバーマップの元に戻ったアレックスは、全身から冷や汗を流しながら呼吸を乱していた。あの得体の知れない一角獣が脳裏から離れない。シルバーマップもまた険しい顔をしていた。
『厄介な奴がいたね』
アレックスは頷くのが精いっぱいだった。
『千代……』
「なんでしょう?」
『残念な話だけど、ここにいるというユニコーン……君が期待しているものよりも、ずっと危険な存在かもしれない』
ショックだろうなと思いながらアレックスは千代のことを見たが、彼女は意外にも冷静な表情のまま頷いた。
「それでも、千代はユニコーンを探し続けます。ヒミナ様はいるとだけ仰いました……1頭だけとは限りません」
さすがは千代だとアレックスは感心していた。
直接は会わなかったとはいえ、彼女の立場から見れば悲願と言えるユニコーンが、悪しきものである可能性が高まったのだ。それでも希望を失わずに合理的にものを考えることなんて、そうそうできるものではない。
この巨大なクレバスの中に、せめて別の本者がいて欲しい。それもできれば、こんな場所は居心地が悪くてすぐにでも引っ越したいと思っている一角獣がいい。
『アレク』
ん、と思いながらシルバーマップを見ると、ニヤニヤと笑っていた。
「な、なんだよ?」
『ユニコーンなら、ここにいるよ』
そう言ってかっこつけているのだが、尻尾の辺りに目をやるとフリフリとして落ち着きがない。こいつまさか……牝馬になっても盛っているんじゃないだろうな。
ここはズバッと言ってやるとするか。
「お前はもう少し、霊力を上げる努力をしろ……このスケベ馬」
『自己紹介オツ!』
頭にきたアレックスは、シルバーマップの耳を引っ張った。
とにかく、最優先でやらなければならないことは、霊木を探してマナツルにクラスチェンジを行うことだ。アレックス一行は警戒しつつも、しっかりと休息をとって翌日に備え、体力の大半を温存したままクレバス探索も3日目に突入した。
「ここから先は、未知の領域か……」
そういうと、千代やマナツルは緊張した様子で森の奥を睨んだが、シルバーマップは視線すら変えなかった。
『ここに踏み込んだばかりの頃と同じ……ともいえるよ。むしろ、本来は危険でも慣れてしまうことの方が問題かもしれない』
「一理あるな……」
隊列を整えて森を進んでいくと、いよいよアレックスたちの前に絶壁が姿を現した。その裂け目の奥底は肉眼だけで見渡すことはできず、真っ暗な闇が広がっている。
それだけでなく風が吹き荒れると膨大な量の瘴気が舞い上がった。おぞましくなるほどの量と濃度だが、これもクレバス全体から見た、ほんのひと掬いに過ぎないのが恐ろしい。
『これから、絶壁の道を通ることになるけど……うかつに瘴気を吸わないようにね。意識を失えば、このまま谷底に真っ逆さまだ』
そういえばシルバーマップは、葦毛のペガサスフォームに姿を変えていた。これは自分自身が落ちたときはもちろん、体の軽い味方が落ちたときにフォローするつもりなのだろうか。
『特にアドハ。君は体重が重いから小生では担げない……足元にも気を付けて』
「わ、わかった!」
アレックス隊は隊列を組みなおすと、先頭をハヤト、中心にスカーレット、最後尾はシルバーマップという陣形で進んだ。しかし、瘴気付きの突風は凄まじく、目を瞑っていても頭がクラクラするほどだった。
それだけでなく、アドハは白目を剥いたままバランスを崩していた。気を付けろと言われて防げるほど、瘴気の風は易しい代物ではない。
慌ててスカーレットが植物を操って、アドハの足に絡みつかせたため落下を免れたが、漆黒の闇を間近で見たアドハは青ざめていた。




