21.性別反転の呪いを解くために
コウモリは夜空を飛び続けるとハーブ園を越え、その先にある洞窟へと入っていった。
洞窟の奥には、もちろん以前に現れた見張り役の男と、その布の向こう側にはジェネラルと呼ばれる何かがおり、コウモリは言葉でも話すように声を上げていた。
「……ジェネラル。どうやら指揮官であるゴブリンナイトが倒されたようです」
「そうですか。ガルーダの戦力をだいぶ削ったのですし良しとしましょう」
「まさか、ゴブリンナイト1匹で……ここまでゴブリンたちが結束するとは、ジェネラル殿の本質を見極める目……恐れ入りまする」
「ふふふ……私は魔の12将で一番の小者ですからね。これくらいのことができなければ先輩や優秀な後輩たちに申し訳が立たないというもの」
「そんな……ご謙遜を……」
少し間を開けてから、ジェネラルと呼ばれる何かは言った。
「しかし気になりますね。ゴブリンナイトを倒したのはどの中隊長でしょう?」
「…………」
見張りの男は、コウモリと耳慣れない言葉で話していたが、コウモリはすぐに女悪魔へと姿を変えた。
「だ、誰かと思えば貴殿は……」
「久しぶりねジェネラルにミスターデス。魔の12将……序列11番目の女リリィよ」
見張り役の男は、表情を曇らせていた。
「もう少しきちんとした服装をして欲しいが、まあ、下着を履くようになっただけでも進歩だな」
その言葉を聞いた布の間の先にいる何かは、浮かなそうに言った。
「そうでもありませんよ。その下着や首輪は禁術を用いた反動です……伝説の勇者の孫を食べるとこれほどの制約をうけるのですね」
そう言われると、悪魔リリィは不敵に笑った。
「さすがはジェネラル……いいえ、12将の序列2位。シッポンの闇麒麟と言った方がいいかしら」
ふわりと布が盛り上がると、何かが遂に正体を現した。
真っ白な毛並みと青い瞳が見え、90センチメートルほどある角は乳白色に輝いている。そして風がなびくと黄金のたてがみが光を放ちながらたなびいた。
「ああ……なんと美しい殿方でしょう。男嫌いな妾に美しいと思わせるなんて……骨の髄まで愛でてしまいたい」
「おやめなさい。闇に近しい存在もまた……清く美しく見えてしまうものです。しかし、その本質は全く異なるもの」
「そうだったわね。異世界……という場所での家畜たちの恨みつらみ……」
その言葉を聞いた闇麒麟は、にっこりと笑った。
「そうです。生きたいのに命を奪われた者。走りたくないのに走らされた者。大切なものを壊された者。行きたくもない戦争に行かされた者。そして見捨てられた者。行き場のなくなった彼らの負の感情は……どこかに集まり凝縮するものです」
「シッポンも日本も大陸の端……つまり、エネルギーが集まりやすい場所にある……というのは出来過ぎた偶然」
悪魔リリィと闇麒麟は、不気味な笑い声をあげた。
「まあ、私から一つ警告をするなら……勇者の末裔を女性に変えたことのリスクを甘く見ないことです。貴女が本当に愛する男悪魔が現れても、その3つの枷が貴女を縛り続ける」
「大丈夫よ麒麟の将軍さま。最初から童は男を嫌っているから」
間もなく、アレックスは飛び起きると額の汗を腕で拭った。
どんな夢を見ていたのかはよく思い出せないが、物凄く不気味で挑発的だった気がする。
鏡に映っている自分は大きく呼吸を乱した少女そのものだ。ゆっくりと立ち上がってみても元の身長から12センチほど縮んでおり、今のアレックスは158センチメートルとなってしまっている。
「シルバーマップ……これ、治すことできないのかな?」
そう質問すると、シルバーマップはアレックスの後ろに姿を見せた。
『どうしてこうなったのか、小生にもさっぱりわからないよ。フォームチェンジをしてみたけど……やっぱり牝馬のままだった』
「この様子だと、クレバスに乗り込むしかない……ということか」
そこまで考えると、アレックスは険しい顔をしていた。
あのクレバスには未知の部分が多く、特に深淵と呼ばれる場所にはどんな生き物にも死を与える悪魔が住んでいるという。
確かにシルバーマップは、どうしてアレックス如きの分身が、これほど優秀な奴なのかは謎なくらいだ。
「勝てそうか? 例の悪魔に」
『勝算あり……なんて現時点では言えないよね。来世紀の救世主にしか倒せないような存在と言われるくらいだから』
「例の71年後のなんちゃらか……」
そんなことを考えていると、有翼人マナツルがやってきた。
「隊長~ アレックス隊長!」
「どうしたんだい?」
「ギルドの援軍が来たよ!」
ガルーダの微笑みからは、ギルド長をはじめとして5部隊32名ほどが到着した。
彼らは戦いの爪痕が残る村を険しい顔で眺め、そして出迎えるアレックスを見て大いに驚き、すぐに申し訳なさそうな顔をした。
「肝心な時に居てやれなくてすまない」
すぐにルドルフは言葉を返した。
「何を言うアーノルド! 君たちが来てくれて……これほど心強いことはない!」
アレックスやシルバーマップも、その通りと思いながら頷いていた。
ギルド長は、伐採の進んだ場所を睨みながら言った。
「敵の本拠地があるのは……あのあたりか」
「その通りです」
アレックスが答えると、ギルド長はしっかりと彼を見た。
「アレックス。君は敵大将を討ち取っただけでなく、傷ついた村の人々を治療してくれたと聞いている。次の掃討戦はぜひ……村の人々と共に居て、安心を提供してほしい」
アレックス一行はしっかりと敬礼した。
「わかりました!」
ギルド長アーノルド率いるゴブリン討伐隊は、村の自警団員に案内されながら、それぞれの巣穴に突入して大規模な掃討戦を開始した。
ガルーダの精鋭と、一般のゴブリンでは文字通り大人と子供ほどの戦闘力差があり、突入した部隊は次々と巣穴を制圧し、翌日の夕方にはすべてのゴブリンの巣穴を制圧し、村人たちの手によって埋め立ても完了した。
「ありがとうございました。ガルーダの微笑みの皆さん」
村長がお礼を言うと、ギルド長のアーノルドも恥ずかしそうに答えた。
「本来なら最初の1回目でゴブリンの戦力を正確に把握すべきでした。まだまだギルド一同、腕を磨く必要がありそうです」
アーノルドの言葉を聞き、村長も恥ずかしそうに言った。
「我々も無計画に森林を伐採するのは止め、山林をもっと大切にしようと思います。これからは積極的に植林を行い、ゴブリンが凶暴化することが無いように努めるつもりです」
2人が握手を交わすと、村人たちとギルド員たちは拍手を送った。
その後、村人たちはささやかながら宴を催した。
ガルーダの微笑みのギルド員と村人たちは、お互いに肩を組み合って酒を飲んだり、子供たちに自慢話をせがまれたりと、まるで同じ出身者たちのように見えるやり取りが行われている。
アレックス隊で一番人気者なのは、やはり象族の戦士アドハだった。気の良い彼の周りには子供たちが何人も集まっていじられているのだから微笑ましい。
翌日、ガルーダの微笑みの隊員たちは、予定より早くギルドへと帰還した。
ルドルフ隊もまた、中隊長室に戻るとルドルフ中隊長は心配そうにアレックスを見た。
「アレックス。体の具合は……大丈夫か?」
「とりあえず、体そのものは健康です……性別が変わってしまったことを除いては……」
ルドルフだけでなく、Bチーム隊長のリカオンやEチームの隊長アニクも困り顔になった。
「難儀な話だな。一角獣の力でも何ともならないということは……並みの医者ではダメだろう」
「教会に相談してみたらどうだ?」
アニクの言葉を聞いたルドルフは、腕を組んで考え込んだ。
「相談には乗ってくれるかもしれんが、病気が病気だからな……それこそ隣国のツーノッパにある大聖堂にでも行かなければ……」
それは却下だとアレックスは強く感じた。
あそこには、あまり近づきたくない実家があるし、勇者の子孫が不手際によって女になったなんてことが知れ渡れば、どんな噂を立てられるかわからないし、教会から悪魔認定される恐れもある。冒険どころではなくなってしまうだろう。
「それは嫌ですね。僕自身……いろいろありまして……」
「そうか。我ながらいい考えだと思ったのだがな……」
アレックスは大いに悩んだ。自分としてはリリィという悪魔を倒しに行きたい。
しかし、奴が潜んでいる場所はあの巨大クレバスの奥地である。部隊を率いるのなら仲間を巻き込むことになるし、千代以外のメンバーにだって都合がある。
あの女悪魔が言った通り、女として静かに暮らしていくのが賢いのではないだろうか?
ルドルフは、アレックスの様子をしばらく眺めていたが、やがて言った。
「行くにしても留まるにしても、どちらが間違っているという訳ではない。すべては君が決めること……」
アレックスはしっかりとルドルフを見た。彼は中隊長として、常に部下たちのことを見てくれている。ならば、自分もまたそのようにありたいと思えてきた。
このまま女として生きよう。そう思ったときドアが開いて、千代が入ってきた。
「ルドルフ隊長。討伐で倒したゴブリンの頭は、ゴブリンナイトであることがわかりました」
「そうか。ゴブリンの統率者というのも厄介なものだ」
ゴブリンナイトという言葉を耳にしたアレックスは、左手で頭を押さえていた。
あの見覚えのあるコウモリが、どこかの洞窟に入って行って何者かと密談していたことが記憶の中からよみがえったのである。
そして、ある危険性が脳内で警鐘を鳴らした。
――あの女悪魔を捨て置けば、次の犠牲者が出る
そうだった。自分が大人しく引き下がったからと言って、女悪魔が引き下がるわけがない。
それどころか、勇者の末裔でも自分の敵ではないと考え、増長するに危険性もあり得る。
「…………」
確かに、僕が……アレックスがどんなに足掻いたとしても、相手は悪魔だ。返り討ちに遭う可能性は高い。
だけど、アレックスだって勇者の一族の端くれだ。勝てないまでも代償があるということだけでも解らせないと、これからもっと酷いことが始まると直感した。
「3か月以内に、僕はあのリリィという悪魔を倒します」
そう伝えると、ルドルフ中隊長は険しい顔をした。
彼は内心では、危ないことをして欲しくはないのだろう。少しの間、沈黙した後にしっかりとアレックスを見た。
「わかった。アレックス……君とアレックス隊をCチームへ昇格しよう。私にできることはこれくらいだが、きちんと仕事をこなしてさえくれれば、私としては自由行動をしてもかまわん」
その言葉を聞いたアレックスはルドルフに感謝した。
そうと決まれば、善は急げだ。
アレックスはそう思いながら、4月の残りをハーブ園の薬を輸送することに当て、報酬の受け取りを5月とすることにした。こうすることで、5月が始まった段階で金貨35枚分の売り上げを回収することができ、月末まで有利な状況を作り出すことができる。
そして5月1日の夕方。アレックス一行はギルドの事務所へと向かった。
「お疲れ様ですアレックス隊長」
「ゾーイさん。クレバスを探索する仕事はありますか?」
ゾーイはいくつか依頼状を出すと、その中の一つを選び取った。
「レッドマロンの回収……という依頼があります。これを引き受けてはいかがでしょう?」
「見せてください」
ゾーイから受け取ると、依頼状にはイラスト付きで説明が書かれていた。
どうやらレッドマロンはクレバスの中でしか手に入らない代物で、高級食材というだけでなく、手足がけいれんしてしまう病を和らげる効果もあるようだ。
レッドマロンを3キログラム回収して依頼人に渡すことが、今回の任務の概要だ。
「わかりました。明日にでも出発します」
エルフのスカーレットも上機嫌に頷いた。
「報酬自体にそれほど旨味はないけど、癒し手や薬剤師とお近づきになれるところが魅力ね」
「では、明日に受注の話をしておきますので、今日はゆっくりと休んでください」
「よろしくお願いします」
こうしてアレックスは、クレバスの中に踏み込むことになった。
広く深いクレバスのどこにリリィという悪魔は待ち受けているのだろう。アレックスは鏡を睨むと、そこには性別の反転した自分の姿が映っていた。