2.次の目的地
シルバーマップの歩みは速く、日没前には実家から40キロメートルの地点まで移動していた。
宿場町の入り口まで来ると、彼は言った。
『ウマ付きの宿屋は高いから小生は隠れているよ。何かあったら呼んで』
「わかった」
間もなくシルバーマップは、姿かたちもなく消えていた。必要な時に出てきて不要な時にはいなくなり、そのうえ食費もかからないのだから本当に便利な存在だ。アレックスが名門一族の人間でなければ、ありがたがられる能力なのかもしれない。
アレックスは宿場町の中で、普通の宿屋を選んだ。
あまり高すぎる宿屋を選ぶとお金がみるみる減って行ってしまうし、安すぎると不衛生な部屋だったり、寝込みを他の客に襲われたりしそうだからだ。
宿屋の受付に銀貨1枚を渡すと、太ったおかみさんは部屋番号の書かれたカギを出してくれた。宿屋に泊まるのはこれが初めてだが、祖父や父から聞いた通りの場所のようだ。
部屋に入ると、中の広さは祖父風に言うと4畳半くらいで、寝床にはワラが敷き詰められていた。
実家の綿の入ったフカフカの布団と比べれば寝心地は悪そうだが、野営の訓練もたびたびしてきたからとりあえず寝ることはできそうだ。
アレックスはホッと一息つくとワラのベッドに腰掛け、途中で買った料理を出した。
これは、家畜の臓物をトマトソースで煮込んだ料理だ。トリップやトリッパと言われているが、美味しければアレックスとしてはどちらでもよかった。
今回買ったモノはハーブの風味もあり、B級グルメとしては十分な旨味がある。
『宿泊費がニッポンベースで3000円。トリッパの代金が500円ってところかな?』
突然シルバーマップが出てきたので、アレックスはむせかえってしまった。
『ああ、ごめんごめん……驚かしてしまったようだね』
「お前、出るなら出るって言ってくれ」
『小生はオナラじゃないぞ!』
その切り返しに、アレックスは再び吹き出しそうになった。
『ところでアレックス。これからどこを目指すんだい?』
どこ、と聞かれてもアレックスも困ってしまった。実家を出てきたものの、目指す場所もなければアテもないのである。
「……困ったな。何のために僕は旅をすればいいんだろう?」
『小生のビンビンを満たすため』
「それは却下だ!」
臓物のスープを食べ終えても、やはりアレックスはどこを目指せばいいのかわからなかった。
一つだけ言えているのは、なるべく実家からは遠いところがいいということくらいだ。できれば、外国で生活するのが理想的だろう。
「強いて挙げるのなら……生活のために旅をする……かな?」
そう答えると、シルバーマップも納得したようだ。
『生活することということは生きること。生きることということはビンビンとも直結もする。君にしては前向きな答えだと思うよ』
ビンビンはとても気になるが、理解してもらえたようでアレックスも嬉しく思った。
「そうと決まれば、どこを目指すかだね」
『そうだねぇ……』
シルバーマップは耳をピクピクと動かしていたが、やがてピンとしっかりと立ててから同じ方角に向いた。耳寄りな情報でもつかんだのだろうか。
『今、冒険者たちが興味深いことを言っていたよ』
アレックスが頷くとシルバーマップは話を続けた。
『隣国のアゴカン半島に、巨大なクレバスが見つかったそうなんだ。そこにはまだ見ぬ生き物や、火山に飲まれて消えた太古の町も、そのまま眠っているという』
アレックスはその話を興味深いと感じていた。祖父や父が冒険者だから、アレックスもまた遺跡や魔境という言葉に敏感なのかもしれない。
シルバーマップもニヤリと笑っていた。
『どうだい。小生と同じようにビンビンを感じた?』
「ああ、少しだけで君の言うビンビンというモノを理解できたような気がする」
その言葉を聞いたシルバーマップは嬉しそうな顔をした。
『おまけにアゴカン地方は、ここほど宗教勢力が力を持っていないから小生も動きやすい。だから……巨大なクレバスを目指そう。そしてビンビンだ!』
「そうだな。生活のためにもまずはアゴカン半島を目指そう」
頷き合うと、アレックスはシルバーマップの前で革袋を開けた。
中には、金貨18枚に、銀貨19枚、銅貨25枚が入っている。
『金貨1枚が約30000円で……銀貨1枚は3000円。銅貨1枚は100円といったところかな』
「意味のわからないことを言わないでくれ。金貨1枚=銀貨10枚=銅貨300枚だ」
シルバーマップは、意味のわからない単語を使うことがあるけれど、これを祖父が聞いたらメタ台詞というんだろうな。
まあ、何はともあれ目的地もはっきりしたところで、アレックスたちは就寝することにしたが、少しすると宿の入り口の辺りが騒がしくなった。
「先から騒々しいな……どうしたんだろう?」
そう言いながら目を開けたアレックスだったが、シルバーマップの表情がひきつっていることに気が付いた。
「……どうした?」
シルバーマップはそっと耳元でささやいた。
『今、宿の入り口に兵士たちが来ててさ……けっこう嫌なことを言ってるんだ』
コイツが表情を変えるなんて、兵士たちは相当なことを言っているのだろう。なんだか興味が出たアレックスは笑いながら聞いた。
「そこまで言うのだから、一大事なんだろうな?」
『村の近くにバイコーンが出たという噂が流れてる。どうもその姿が……小生とそっくりなんだ』
アレックスは、兵士たちの中には探索系能力に優れる者がいるという話を思い出した。感覚が鋭ければ、アレックスの中にシルバーマップが隠れていることも見抜いてくるかもしれない。
事情を話して兵士の誤解を解くべきだろうか。それとももう一つの選択肢を選ぶべきなのだろうか。アレックスは早くも決断を迫られそうだ。