第五章「死んだ彼女に想いを告げ続ける」 二十三話
それが生まれたのは人という生物がまだ少なかった時代だった。
おおよそ人の親指ほどの大きさで生まれてきたそれは、生物として一番重要である機能が欠落していた。繁殖機能である。
そも、この世にそれと同じ命は存在せず、ゆえに交わる相手など初めからいないのだ。それは突然変異であり、絶対的な孤独だった。
弱く、どうあっても捕食される側。普通備わっているはずの鱗、爪は無く、それどころか目も口も、脚すら存在しない。おまけに心臓は露出していた。そして芋虫の様に体をくねらす前に、卵が生みつけられた岸壁から落ち、自分より大きなトカゲに捕食された。
――その数時間後、それはそのトカゲを腹を食い破って這い出てきた。
そしてそれには、無かったはずの口ができていた。数分後に黒い点が二つ、薄ピンクの頭に形成されていた。目である。光しか感じ取れないほどのその目は、一夜を経て色の識別を可能にした。
生物が形成されるにあたり、初期段階といえる段階のものがある。胚、もしくは胚子と呼ばれるものだ。それは最初は丸い塊に過ぎないが、幾度となく細胞分裂を繰り返し生誕に耐えられる生物と成っていく。
そしてそれは、生物になってもその性質を失うことなく保持し続けていた。だが、どれだけ肉体を変化させ、強くしていっても、露出した心臓だけは隠せないでいた。まるで神がこれが一秒でも早く殺されるようにと呪いをかけたかのように……。
だが、それは人が地に満ちる現在となっても生き長らえた。“永続する胚”とも呼べるそれは、後に人間が地に満ちた時に彼らにこう、呼ばれることとなる。
――終焉の竜、と。
「ふははははははははははははははははは!」
轟く、魔王の高らかな笑い声が。
埋め尽くす、邪竜から産み落とされた怪物の飛翔音が。
――まさにそこは地獄と呼ぶに相応しい死地であった。
「ガウハルさん! もうじき――」
宙を飛び無数の黒いそれから逃げ回るガウハルに言葉を発しようとした偵察機が粉々になる。原因は牙、黒いそれがガウハルの横を飛ぶ透明になっている偵察機に気が付き噛み砕いたのだ。
「――援護魔術が飛んできます! 準備を!」
そして砕かれた偵察機の変わりに、また別の偵察機が飛んできて青年の言葉を魔王に最後まで届けた。
「ふははは! 直前でなんとかする! 今、思考を割く余裕が無い! それと軍勢の司令塔に伝えろ。できるだけ“火炎の魔術”しか使用するな! この怪物は急激に耐性付ける、とな!」
そう言いたいことを最短にまとめて返すガウハル。
ニヤリと獰猛な笑みを顔に張り付けて、襲ってくるそれの攻撃を紙一重でかわし防いで逸らす魔王。そう、先ほどの会話中、三回爪と牙と尾に襲われた。
それをなんと例えようか。蜂の大群、ではない。海中で巨大魚に化ける小魚の群れ、ではない。空を埋め尽くす渡り鳥の群れ、ではない。
もはや生き物が作り出す群れ、というレベルではなかった。渦だ。それが適切でなければ竜巻と呼ぶべきであろう。
一万、いや二万か。それは終焉の竜を中心に旋回しする。昆虫の様な薄羽にヒトデの姿をした肉塊の怪物、先ほどキレスタールの方に一匹だけ向かったそれに、ここは埋め尽くされていた。
そして魔王ガウハルはその中を高速でジグザグに飛行しながら全ての攻撃を避け、時に魔術で撃退しながら下で走っているギャレンの足場を作っていた
そう、足場である。
怪物の飛翔音と距離で無論、声など届かない距離。地面からガウハルによって作り出された土の橋がまるでジェットコースターの様な軌道を描きつつ、それはギャレンを終焉の竜のある部分へと続いていた。
「ルアネさんを確認できたのに近づけない……もうなんだこの気持ち悪い化け物! 終焉の竜の皮膚を“食い破って”どんどん増えてるんですけどぉ!」
思わず青年の悪態が偵察機越しに漏れる。終焉の竜に近づき、その姿をようやく視認できた。
心臓部、薄緑色の光の中に、長い黒髪の女を青年は偵察機を使い捕えていた。なぜ心臓部という急所がああも露出しているのかは不明だが、今はその考察に思考を割く時間は無い。あそこからルアネを奪還する。今はそれのみに全神経を集中させる他ない。
「土地に染みつかせた術式を破壊され死者を行使できないと判断し、体内で兵隊を生成し始めたというところか、栗毛! 手はあるか!?」
「ありまぁす!」
「なんだあるのか! 聞いてみるものだな!」
と、その直後遠方から空気を切る高い音と共に大量の火炎魔術が雨の様に結界を張ったガウハルごと巻き込んで怪物を焼き払う。だがそれでも怪物を根絶やしにはできない。数は減ったがすぐさま補充されるだろう。
「無事ですか!」
「無論、それより打てる手を話せ!」
「銃の掃射によるあの怪物の引き付けが数分の準備で可能です! それと事前に話してた切り札の二枚のカードがありますけど……例の切り札はあの数には対応できませんから今ある三枚の内、効果的なのは銃の掃射による誘導作戦の一枚だけです!」
「銃の掃射だと! 他は聞いていたが。栗毛、誰に撃たせる? まず間違いなく引き付け役は死ぬぞ?」
「戦闘が始まる前に仕込んでいたあの“箱”です! あの中に銃を撃つロボットを仕込んでいますので! 調整が間に合うかわからないんで黙ってたんですが役に立ちました! あと黙っててごめんなさい!」
「ほほう、確かに何かしていたな! 流石は栗毛だ! では頼む。その箱の人形が動くまで我はギャレンの援護よ!」
――鈍い銀の煌めきが黒い影が噴出する天に、一筋の光を作る。
ああ、確かに敵は終焉の名を冠する世界終末をもたらす生物であろう。されど、ここにいるは正真正銘の“魔王”なのだ。一個体のみで、人類の敵として認定される存在だ。
瞬間、化け物の体が裂かれ、血と肉が舞う。鉄をも両断せし斬撃であった。
魔王は上半身の鎧を巨剣に変え、“守り”を捨てた。
「白竜公よ! 疾駆せよ!」
魔術で音量を上げまくったその一声は、確かに下の方でガウハルが造りし土の道を走り進むギャレンの耳に届いた。
今、彼は肉の壁に阻まれて速度を落としている。いくらガウハルが敵の少ないルートで道を造ろうが、終焉の竜に近づけば、そこから発生する肉の壁は厚くなるばかりなのだ。
一の拳で十を倒せば百、十の拳で百を倒せば五百、五十の拳で五百を倒せば千になってそのジェットコースターの様な軌道を描くその道を阻む。
苦戦、焦り、そんな中で聞こえたガウハルの声。
彼が苦戦している敵を音速の剣技で処理しながら、それは急降下し、ギャレンのすぐ傍までやってくる。
「この怪物の特性が把握できた! 子細は省くが長期戦は不利と判断する! よってここで攻勢に打って出る!」
「――おう!」
ほぼすれ違いざまの必要最低限の会話、だがこれで充分であった。
今、千の肉の壁が彼らの目の前にある。それを――。
「怪物共、我は魔術より剣技が得意ゆえ、剣を持った今、先ほどより手ごわいぞ!」
魔王の剣技で穴が開けられ、不愉快な臭いがする肉と血が飛び散る。
何も、全てを切り伏せる必要はない。道を塞ぐ肉壁に二人分の突破口さえ開ければいいのだ。その穴を通る時、牙と爪をもって通行料が取られるだけのこと。
ギャレンは最高硬度と超即再生を持ってほぼ無事にその穴を通り抜けられる。が、上半身の鎧を剣に変え裸体に等しいガウハルは別である。
――無事か、などという無粋な言葉は出ない。この魔王がこの手が最良と判断したならば、今のこれが最善手なのだ。
そんな中、そういえばとギャレンは気がつく、先ほどより怪物の数が減ってないかと。この二人の見えていない位置でアラムが銃の掃射による囮役というカードを切ったからだ。
「ふははははははははははははは! 随分と群れが薄くなったなぁ!」
最高戦力による一点突破。怪物たちは焦り、明らかに動きが変わった。言葉が無くとも伝わる。なぜこのたった二体が止められないのかと明らかに動揺したのだ。
「なんだ。随分と浅い底だな怪物! 貴様らが正真正銘の怪物であるならばその“思考”を人なんぞに気取られるな! 怪物とは理解不能でなければ畏れられぬぞ!」
その言葉と共に出た魔王の笑み、それは獰猛な笑みであった。どちらが怪物であるのかという抗議の攻撃により魔王の肩と背を、その爪で裂く。
そう爪だ。肉のスライムにいつの間にか爪が生えていた。こいつらは現在進行形でその姿を変えていっている。
だが元より避ける気も守る気すら無いのか、甘んじてそれを受け、相打ちの絶技にて怪物の命を確かに刈り取っていく。致命傷、にはならない。確かに重症ではあるが魔王の戦力は落ちない。むしろ勢いが増していく。
「あと、少し!」
目前に、心臓部が迫った。長い旅路の様であったが、攻勢に転じた瞬間、それはいつの間にかギャレンの前にあった。中で両の手を肉の鎖で何かで繋がれた女が見える。
髪が乱雑に伸び切ってはいるが、その女をこの男が見間違える訳がない。
「ルアネェエエエ!」
その男の呼ぶ声で、目が合った。確かに視線が交差した。
心臓部の結界は驚くほど脆そうだった。今のギャレンが手を届けば心臓部の薄い結界などすぐさま割れるはず。だが、それを――。
「滅びろ、滅せよ! 滅びろぉ! 滅せよ! 滅びろアケルゥウ!」
――寸前で、怪物と融合した白き“怨念”が肉の壁から現れ、己が末裔に襲いかかった。
「っ!」
血まみれのガウハルが驚きに目を見開きながらも、斬撃が飛ばす。頭を切断し脳が零れ落ちた。間違いなく致命傷、のはず。だがギャレンの頭を噛むそれは魔術でそれを治しながら彼を噛んだままジェットコースターの様な軌道を描く土の橋から自身諸共落ちていく。
「ええい! 頭を斬られたならば死なぬか!」
地面に落ちゆくそれとギャレン、それを二度目の斬撃で確実に分離される。
「ぎゃぁあああああああ!」
痛覚はあるのか、叫び声を上げながらそれは怪物たちの渦の中へと消えていった。
――そしてギャレンを空中で抱え、ガウハルは撤退を始める。
「もう少しで――!」
「――死ぬ!」
すでにガウハルは剣を鎧に変えていた。引き際を間違えれば死ぬ。その判断は残酷なほど正しく。ただただ、悲痛であった。
満身創痍で二人がキレスタールの元まで辿り着いたのはそれから暫く後のことであった。
いや、正確には満身創痍は一人、なにしろギャレンはほぼ無傷だ。だがガウハルは違う。双角の魔王がフラフラと彼女の元まで来てから上半身の鎧を脱ぐと、血まみれなのはもちろん、切り傷、貫通していない肉の穴まであった。
あれは普通、人ならば死ぬ。誰もがそう思った。だがガウハルは無表情のまま慌てて駆け寄ってきたキレスタールの治療を受けながら、特に慌てることなくこう言った。
「うむ、して、次の策なのだが――」
「……待ってくれ」
ガウハルの言葉を遮ったのはバルバット国王であった。脇を見れば不機嫌そうな乗竜から振り落とされそうになっているアラムがいた。どうやら後陣からここまで竜に乗りやって来たらしい。
「むう、栗毛の接近にも気づかぬとは、我ながら周りが見えておらぬな」
「死にかけているのですよ! 周囲のことが見えなくなるのは当たり前でしょう!」
と、魔王の呟きに彼の治療をしている少女の語気が荒くなる。どうやら魔王本人の認識より、その容体は死の淵に近いらしい。
「……ガウハル殿、ギャレン殿。どうか、どうか、どうか……諦めてほしい」
諦めてほしい。そう言ったのはバルバット王だった。何を諦めるのか、言わずともそんなもの一つに決まっている。一人の女の命だ。
かの王はおもむろに後ろを見る。人、人、人。その大多数が赤い髪、黄色い髪をしているドラゴノス帝国とサハラジェ連合国の戦士たちだ。
「子、親、思い人……この者たちにも帰りを待つ者がいる。分岐点はここだ。ここで目的を救出から討伐に切り替えなければならない」
バルバット王は自分たちが陣取っていた海岸沿いの小山は、あの怪物たちが群がっている。そして今も尚アラムの設置した箱から出てきた人形が銃を撃っている。あれが今も尚囮になっているが、あれが無くなれば怪物の群れが後ろから襲ってくる。
「両国はあなた方に恩義がある。実力もあった。だが、運が無かった。だから女一人の救出を支えるのはここで終わりだ。頼む、諦めてくれ……」
残酷だ、などと言う者はいない。それは王として当然の責務であり、称賛すべき采配だ。
本当にここだ。あの終焉の竜が世界が滅ぼされるかそうでないかの、許容範囲。それをバルバット王は見極めただけなのだ。
「……アラム、あんたからもどうか言葉を、俺では……ギャレンには届かん。世界の命運を、お前が決めてくれ」
そう言われ、竜から振り落とされて地面に尻餅をついているアラムが神妙な顔で立ち上がる。お尻を払い土煙を出しながら、ゆっくりとギャレンに近づいていく。
「……」
「……」
そんななんでもない動作とは裏腹に、青年の表情は険しい。きっと、その遅い歩みは答えを出すまでの時間を少しでも長くする為の青年なりの時間稼ぎだったのであろう。
だが、そのわざとらしくこの場に相応しくないゆったりとした動きが、間が周囲を静かにし意図せず彼に注目を集めることとなってしまった。
アラムの目が乾くのか瞬きを何度もして、喉からうまく声が出せないのか口の形をいくつも変え、言葉など出せず彼は周囲を見渡した――何度もだ。何度もこういう選択が迫られるのではないか。幾度と頭の中で繰り返された最悪の決断が、今現実となったのだ。
「……僕は」
「……」
目の前で膝を付いて座り込んでいる男を見る。こんなに小さかったか? そう思えるほど今のギャレンは弱弱しい。
目の焦点があっていない。現実に絶望している顔だ。あの顔は何度も見た。間違えようがない。鏡の中で、コップの中で罵声と怒声に揺れる水の中で、自分と同じ檻に閉じ込められた子供たちと同じ顔。幾度と青年が見てきたあの顔がそこにあった。
きっと、今青年が世界と自分たちを救ってと頼めば、もしくは命じれば今のギャレンは……折れる。
「その……僕は、死ぬのは怖いです。死にたくありません」
「皆そうだ。だからギャレ――」
「それで、決めていいなら言いますけど、この世界の部外者として、正直ついでに言いますが……なんであんな怪物を今まで放置してたのかと文句を言いたいです」
「……アラム?」
バルバット王の言葉を遮り、アラムは言葉を続ける。
「だってあれ、いや、どう考えても手に負えないレベルにまで育ってるじゃないですか? 大昔から人類の脅威として認知されてたのに、ルアネさんみたいにその時代に強い人を勇者とか何とか言って祭り上げて相打ちの生贄にして、問題を先延ばしにして! その責任を他人押し付けてお前が決めろとか、ギャレンさんに何とかしろって言わないでください! 倒すのは協力しますし尊重とかしますけど、お前から何か言えってなんですか、流石にねぇ、判断丸投げとかキレますからね僕!」
「い、今はそんなことを言っている場合ではないだろう!」
「いや言ってやらぁ、ぼかぁねぇ、そこら辺にいる凡人なんですよ! そりゃあ、あなた方からすれば未知の技術を持っているかもしれませんが、それはもう弱い人間なんですよ。今だってできることならとっとと誰かに押し付けて今すぐ帰ってベッドの中で何もかも忘れて眠りたいぐらいですよ!」
それは……この場にいる兵卒の皆が思っていることだろう。最初こそ世界を救う正義感を持ち、高揚した気分で戦っていたが、今目の前にいる肉塊の怪物と雲を突き破るほどのあの天災を前に後悔の念で一杯だ。それを、アラムが最初に口にした。
「別にこの場に限った話ではありません。そりゃあもう、大体いつもそうですよ! 仕事ってほら、基本辛いですし、やりがいとか人の為になるとかいう言葉でぼかぁ……自分を誤魔化せられるほど器用でもありませんから。でも、でもさ、流されてここまで来た訳じゃないんです! 自分で決めてここまで来たんですよ。だからそこに文句は言えませんって! 自分より“頑張っている人”がいたら、そんな泣き言を飲み込もうと思って、ここに今、僕はいるんです!」
それは愚痴とか、泣き言とかに分類される情けない言葉であるのだろう。この人類の存亡をかけた最終決戦の場に似つかわしくない言葉だろう。でもだからこそ、疑う余地も無く青年の本心であることはどれほど疑り深い人間であっても理解する。
「何してるんですかギャレンさん! ほら、立ってください! ぼかぁ、あなたとルアネさんと終焉の竜の討伐の手助けする条件であなた方を仲間にするって契約をしたんです! それで死ぬ思いでここまで頑張ってたんですからね! いや、まぁそりゃあルアネさんは自分が死んだ時はなんとかこうたらって言われた気がしますけどねぇ、忘れました! それにあの人まだおっちんでないんでしょう!? ここまで来たら二人とも連れて帰りますからね! はい、立って!」
もう自棄っぱちだった。だが筋は通っている。アラムはこの世界にとって部外者、そんな人間に世界の命運を決めろと言うべきではなかっただろう。
「ふはははは! い、痛っ……いや、いやな待て、栗毛! 貴様、我を笑い殺させる気か! 一応は重傷を負ってるのだがな!」
「いや、こっちは真剣ですから……というか冷静になって考えても、今ギャレンさんにルアネさん見捨てて終焉の竜倒せって言ってもこの人を漫然に動かせる訳ないんですよ。ガウハルさんの怪我が酷いですから、現状は決定打になるのこの人にでしょ? で、ギャレンさん世界よりルアネさんの方が大事ってすでに公言してますし!」
アケル王国を逃げてすぐ、確かに魔王ガウハルに問われてギャレンはそう答えている。
「無理やりここで見捨てる選択肢を選んでも、途中で頭の中で整理ついて、やっぱり無理とか言われても困りますから! ルアネさんごと世界を救うって話でなんの憂いなく最大限のパフォーマンスを出してもらった方がいいでしょ? ね? はい、そういうことです! だから具体的にどうするか決めましょう。時間がありません!」
そう力説するアラム。
そも、少数を犠牲にして大多数を救うのが正しいと言い切るのは倫理観的には難しいのだ。生存戦略という観念から見れば正解だろう。政治、という点から見てもまぁ正解に近くはあるのだろう。必要な犠牲は確実にはある。
だが、今この状況、倫理観的に強い人間は苦難を押し付けられて、皆を助ける義務があるなどとは誰もが胸を張って言えない。最初、青年はこの終焉の竜から延命する為に行われたそれを話の頭に持ってきて、無理やり倫理観的観念を周囲の主観にした。
「……あー、くそ、ミスった」
だからバルバット王はやられた、と内心思った。青年にそんな高等話術があるのか、と言えば間違いなく無い。だが暴発するようにさらけ出した本心がそうなった。現に先ほどの言葉に否定的な意見をいう者はいない。青年に筋が通っていると納得してしまっている。
だがはっきり言ってアラムは間違っている。バルバット王の言う通り今はそんなことを言っている場合ではない。世界を救う偉業を前に、その確率を上げるならば一人の命など容易く捨てるべきなのだ。だが勢いで両方を成すことが今、この場で正になった。
かの王は間違えた。それは青年に決定権を委ねたことだ。バルバット王の中で青年がルアネを助ける、などという選択を取るなど思いもしなかった。過大評価だ。彼は別世界の得体のしれぬ価値観をもっており、更に臆病な男だ。冷徹に、合理的に、自分と同じ選択をする確信があったのに、裏切られた。
――ゆえにバルバット王の行動を起こした。
腰から短剣を抜き鬼気迫る表情で魔王ガウハルの治療を行っているキレスタールに向かう。この少女を人質にして一を犠牲にしてこの世界を救える確率を上げる。
彼らに大恩あり、それに案外二回目の作戦でルアネを救えるやもしれない。だが、それでも、この戦いの後に処断され歴史に汚名を刻んで極刑となろうとも、この選択を正しいと信じて非道に走る。
アラムも、ギャレンもその姿を見てもすぐに反応などできなかった。何が起こったのか脳で処理しきれず、ガウハルのみが顔つきを変え魔術を発動させようとして――。
「俺は、この世界を――!」
「止めとけってぇ、あのぉ……なよっとした奴の筋は通ってる。お前、俺の子孫の癖に真面目過ぎるだろ。いやぁ、どっちかっていうとサハラジェの王族の血か?」
それを、バルバット国王の腕を掴む形でレルドルト皇太子が止めていた。だが、何か口調が変だ。腰の宝剣を抜きながら、ため息を吐いてアラムを見る。
「それと……栗毛だったか? まぁいいや、栗! お前も筋は通ってるだけで間違ってる。そこまで言うなら案の一つや二つ提示しろ! 人の生き死にで無策とか馬鹿過ぎるだろ!」
と、いきなり正論で説教されて硬直するアラム。無論反論は無い。その通りなので泣きそうな顔で口をへの字にするしかなかった。
「で、だ……。おい、そこのでかい……筋肉!」
「む……」
恐怖で気が触れたのか? 人が変わったかのようにふるまうレルドルト皇太子がずかずか地に膝を付いているギャレンに歩いていく。
「お前、何も言ってねぇだろ。そこの栗の言う通りだ。決定権はあいつを唯一倒せるであろうお前にある。お前が放り出すってんなら世界は滅びるし、あの外道竜を殺すってんなら世界は救われる。で、どっちだ。てめぇで決めろ。人の意思で自分の生き方を決めんな!」
「……愚生は」
「ああ、なんだ!」
「正直、世界のことなどどうでもいい。ルアネを見捨てて世界を救っても自刃するだろう」
「お、おう。それは……お前、流石に重くねぇか?」
「自分で言わせておいて、困惑するのは止めてほしい」
「いやぁ、そこまではっきり言うかって思ってな! だが……気に入った!」
と、レルドルト皇太子、いや、その男が天を見上げる。
目線の先には終焉の竜から生まれ出る怪物たち、黒い竜巻を造りながらそれは迫る。
――と、ギャレンの目の前に火の粉が舞った。
「待て、火では奴らは殺しきれん。すでに火炎への耐性を奴らは――」
「黙ってろぉ角! てめぇはその可愛い子の治療されとけ羨ましい!」
見れば、その男の口から火の粉が舞っていた。口の中で火炎を貯めているのだ。こんな魔術、あの皇太子にできようはずがない。すでにその男が“皇太子ではない”と看破したガウハルが注意を促すもそれをその男はそれをいらぬと断言する。
「よぉ終焉トカゲ! てめぇ、俺が“生きてた頃”はほとんど海に引っ込みやがってたくせに、俺が帝国を留守にした時によくも襲ってきやがったな! あの時、我が宝を奪い去った貴様にわざわざ報復に出てきてやったぞ!」
「うわ、あっつ!」
アラムが顔を焼く熱に耐えられず皆と共に逃げていく。ただギャレンのみがその場から動かず、その姿をしっかりとその目に焼き付けた。
「――ブレス!」
言葉と共にドラゴノスの口から放たれたのは扇状で放たれる天変地異であった。
範囲が尋常ではない。地を飲み込み大津波の如く大地を焼いていく。それだけであの肉塊の怪物が解け、落ちていく。それでも残ったものはこちらにやってくる。
あの正真正銘の怪物を止める為と、怪物が自分以上の存在に終焉の竜を守る為に前へ前へと進む。
が、それも己が一寸先で己が数秒先の死期を悟る。
「がぁ!」
すると男の口から扇状に広がった炎の海が狭まっていく。赤、橙、黄、緑、そして青、それは次第に束ねられ線となる。最初から周囲の雑魚ではなく終焉の竜を狙った一撃であるかのように、そして。
――大地が揺れた。叫び声でだ。その放たれた青炎の線は終焉の竜をも貫いたのだ。
歓声が沸く。絶望に染められていた兵士たちが終焉の竜腹部に開いたその穴に、希望を見出し喚起した。
「ちぃ! 紫までいかねぇ! こいつ俺の子孫のくせして弱いな! 耐久性が無さすぎるし魔力量もねぇ、それに口ん中、火傷したぞ! 普通“火を吐いたぐらい”でしねぇだろ!」
なぜその程度で済んでいるのかと言いたくなる言葉を捨てて、ギャレンが問おうと口を開く。だがそれよりも前に、その男から問いが飛んできた。
「そういやお前、名前は?」
「……ギャレン、アケル王国で生まれたギャレン……だが」
「そうか、俺と同郷の国か。よくぞ、よくぞ我が妃を救ってくれた。俺も世界なんぞ今を生きてる奴らがどうにかしろと言いたいが……返礼としてこの最強たる俺が、お前の助けとなってやろう! まぁそれと、お前の名前は覚えといてやる。生前、息子以外の男の名前なんてただの一度も覚えなかったこの俺がだぞ? おら、喜べ」
「あなたは……もしや」
もはやこの男がレルドルト皇太子の体を借りた誰かであることは明白。そしてその手には最強の英雄たる魂が宿ると言われた宝剣。ギャレンが言う前に、駆け寄ってきた帝国の戦士たちがそれを口にする。
「も、もしやドラゴノスの宝剣の伝説は真か!」
「竜帝だ! かの大英雄が蘇ったぞ!」
と、その言葉に明らかに不機嫌になる男。誉め言葉として受け取っていないらしい。
「おい、俺を竜帝と呼ぶな、周りに助けられなければ何も成せなかった男だ。俺を英雄と呼ぶな、自分の嫁を一人……守り切れなかった情けない男だ。だからこう呼べ、お前ら! この名だけはな、俺は死んでも捨ててねぇからなぁ!」
嫁を一人、それは黄金砂漠で激闘を繰り広げた隻腕の妃のことなのだろう。
ならば、この人物に該当する人間はただ一人。この竜と魔術の世界において、最強の英傑と語り継がれし帝国の祖。その名を――。
「――俺は、強欲の、ドラゴノスだぁ!」
――竜帝、大英雄、そして強欲と呼ばれしドラゴノス。
簡単に勝てる相手は大体の生物。
そして天敵は、嫁全員。




