第五章「死んだ彼女に想いを告げ続ける」 二十一話
こんなに足が軽い、と思ったのは、ギャレンは人生で初めてだった。
遮蔽物が存在しない平坦な紫の荒野をただただ、駆ける。標的は遠くに見える天にそびえる二足歩行の竜。世界に終焉をもたらすという伝説の邪竜だ。
「はっは、は!」
荒れる手前の呼吸は一律で規則正しい、随分と走ったが、それでもギャレンにはまだ余裕があった。
まだ、彼に最終決戦が始まったという自覚は薄い。合図も無く、知らぬ間に戦いが始まっており、知らぬ間に作戦が変わっており、知らぬ間に自分の役割が決められていた。
正直、この男はその目まぐるしい変化に付いていけていない。世界の命運を握る戦いで、自分が先陣を切り、その後を何万もの人が付いてきているなど信じられず、まるで夢の中にいる現実感の無さが彼の体を軽くさせているのだろう。
「ガウハル殿、愚生はもう少し速度は上げれるが、いかがか!」
「現時点の速さで良い! 後続との差を考えれば今が最良ゆえ維持せよ!」
「助かる! 愚生には全体を見通し考える頭が無いゆえ、間違えたなら言ってくれ!」
「ふははは、正直な男よ! 栗毛もそれも考え貴様に我を付けたのであろうよ! あれは育ての親と似て適材適所に人材を置く能力が高い!」
自身の横をぴったりと飛んでついてきている魔王にそう言われ、ギャレンは数分前の青年の働きを思い出す。
あのバルバット王に物おじせずに意見を言っていた。あの青年は普段の言動こそ頼りないが、ひったぱくした状況となればよく動く。
そして自分にガウハルを付けたのも、理由は知る由もないが、きっと最善手なのだろうとギャレンは確信していた。何しろあの天才が賢い男と称したのだ。それだけでギャレンにとって背中を任せる理由に足るえる。
――瞬間、何かが後ろから放たれた。音など無い。ただただか細い光の線が終焉の竜目掛けて飛んでいき、もう一度似たような線が飛んだ。合計三回の射撃だ。
魔術ではない。では何か? きっとあの青年が何かをしたのだ。とギャレンはすぐさま自分の中で結論づけた。
「栗毛、何をした!?」
と、気が付けば黒い物体もガウハルと同じように超速度で付いてきていた。間違いなくアラムの偵察機と呼ばれるあの便利アイテムである。
「発信機を仕込みました! それともう一つは……いやそれより戦いに集中してください。こんなの僕たちが敗れた時の保険にしかならない弾なので!」
「そうなのか、しかしなぜ三回も撃った? 全て当たっていたであろう!」
「え? いや普通にお高い銃弾なので一発と二発しか無くて、まずは安い弾で結界があるか確認して――」
「攻撃、くるぞ!」
いきなり、ガウハルはアラムとの通信越しの会話を中断しそう叫ぶ。
見れば天を覆い隠す黒雲の中で、何かが光を放つ。雷、ではない……赤い色をした何かだ。だが遠い、この距離ならばこちらに飛んでくるまで時間が掛かると、ギャレンは思考して――。
「っつう!」
――その超高速の線を頬をかすめながらも回避した。
「ふはは! 奴め、恐ろしい真似をする! 栗毛よ。貴様の狙撃が真似されたぞ!」
「うっそぉ! 銃の原理を僕の狙撃で理解したんですぅ!?」
「高圧縮した土魔術だな。どう高速で撃ちだしたかは知らぬが……」
いつの間にか、何かの小さい塊を手にして笑う魔王、まさか先ほどの攻撃を受け止めたというのだろうか? いや、ガウハルならばやりかねない。そしてその“線”の狙撃を紙一重で避けるしかなくて冷や汗を流す白竜公。そして終焉の竜の学習能力に驚くアラム。
たった今、終焉の竜から放たれたそれは間違いなく狙撃であった。超高速での魔術攻撃、細工はあるだろうがどういう原理なのかなど、今この場にいる誰にもわからない。
「と、新手だぞ大男!」
またも高速飛行中に忠告をする魔王。どうやって発動前の魔術を察知しているのだろうかと疑問に思ったが、この大男ではその答えにたどり着けないだろう。
前方を確認すれば地面から無数の手と頭が生えてきているところであった。その出で立ちはまさにゾンビ、腐りかけの……いや、完全に腐っていた。
半分ほどがその場で崩れ落ち、半分ほどがノロノロと歩き出すのみで、あれでは戦力として役に立たないだろう。
「終焉の竜の使者ってあんな風に生成されてたんですね……いや、でも何か様子おかしくないです?」
「うむ、さきほど栗毛の足場を作る時にこの土地の霊脈に弄っておいたのが功を奏したようだ。使者の生成が上手くいっておらぬらしい」
そう言いつつ、火炎魔術で正面の敵を焼き払うガウハル。戦闘というより作業に近い動作だ。そのまま炎の塊は二つの道筋となり、左右を守る壁となり、自分たちが通る場所を作る。
「流石、抜け目のない……」
味方であるはずの有能な魔王に青年が恐れおののく、ギャレンから見ればアラムも同じぐらいには有能なのだが……とはいえこれは行幸である。
主演の竜討伐においての懸念事項として一番大きかったのは終焉の竜の使者による挟み撃ちである。
こと戦争において囲まれるという事態は避けなければならない。勝つことも無論、重要ではあるのだが退路の確保というのは常に意識しておかなければならないものだ。
退路さえ確保できていれば、負けても犠牲を払いつつ逃げおおせまた準備をし敵に挑める。それに退路は、そのまま補給路にも使えるからだ。
しかし、終焉の竜の使者はどういった原理で生み出されるか不明。場合によっては気づかないうちに囲まれていた、なんてこともありえたのだ。
「たとえ強大な敵であろうと数を封じ込めれば優勢よ。栗毛よ、これはボーナスとやらに色を付けて支給されてもいい働きではないか?」
「いや、それを決めるのは僕ではないので、まぁ報告書にはいつもガウハルさん大活躍でしたって書いてますから評価は高いでしょうけどね? というかディザスターを倒してから僕らと合流したんでしょ? 僕がどうこうしなくても大金が転がり込んできますよ」
こんな時にさえ軽口を叩く二人とそれに付いていけていないギャレン。だがそれでも二人はただ走っている彼よりも多くの仕事をこなしているので不平を口にするどころか不満すら湧かない。
「ああ、ガウハルさん。ゾンビ集団の中で一体元気なのがいます。そっちに拘束で接近。あと十秒後にかち合うかと」
と、またも青年が仕事をする。どうやら動きが俊敏な敵が接近しているらしい。ギャレンはその報告に身構える。
「大男、任せよ。貴様は終焉の竜と接敵するまで体力を温存せよ」
だがそれに気が付いたガウハルがそう言った瞬間、敵が現れた。
「おらぁ死ねぇ!」
その男に、ギャレンは驚いた。ガウハルの造った炎の壁を突き破り、その刺々しい黒一色の鎧が彼の眼に映し出される。それ鎧に、彼は見覚えがあったのだ。
「破壊手の、シュバルツ!」
アケル王国でアラムたちを苦しめた白(女)と黒(男)の片割れにして、ルアネの先祖。
「はっはー! なんだ俺も有名人だな! 肖像画なんて後世に残ってたのか? じゃあここで死――」
炎の壁を突き破っての奇襲、それにより一歩踏み出せば接触できる至近距離での接敵だ。確か破壊手はあらゆるものを削り取る魔術を使用できる。接近を許すこと即ち死を意味する相手だ。しかも今は走っている途中、すでにギャレンの脳内は回避の信号を出しているが間に合うかどうか……。
だがその手がギャレンに振り下ろされる瞬間、その目の前にある黒い鎧があっさりと両断された。
「はぁああぁぁ――!」
驚愕と共に胴体が泣き別れし、そのまま二人の後ろをゴロゴロと転がっている破壊手。ギャレンの横から凄まじい一閃が放たれたのだ。
「うむ、後は後続に任せていくぞ」
それを振り向きざまに確認しつつも、ギャレンは足を止めない。しかし驚いてはいた。ああもあっさりと、あの人物を倒されてしまうとは予想もしなかったのだろう。
横を見れば、ガウハルが上半身の鎧を自らの能力で巨大な剣に変えていた。そしてその大剣はすぐさま元の鎧に戻されるところであった。
「凄まじいな……異界の魔王というのは」
「何を言うか。貴様も今ではあれぐらいの敵、あっさりと捌けるであろうに」
言われ、ギャレンは目をパチクリさせた。確かにアケル王国にいた時に比べ、一皮も二皮も向けた自覚はある。先ほどは備えが足りなかったゆえに反応が遅れたが、今ならばいかに伝説として語り継がれる二大貴族の始祖が相手でも、後れは取るまい。
「だが……流石は世界を崩落せんとする怪物になりかけているだけのことはあるか」
瞬間、夜中だというのに世界が昼になったのかと思うほど明るくなった。
見れば、また黒雲の上で何かが強烈な光を放っているらしい。それも今回は一瞬ではなく継続的にだ。随分と近くにまで迫った終焉の竜の巨体を鮮明に見られるほどにだ。
「奴め、雲の上に頭を突っ込んでいるくせに我らの場所を把握しておるぞ!」
黒雲が、大岩を落とした水面の様に荒れたのだ。そして直後、光で透けた黒雲の中から炎と岩の塊が落ちてきた。とにかく大きいが、巨大すぎて脳の認識しきれず詳細なサイズは不明、そしてその落下地点は丁度ガウハルとギャレンがいる位置と予測される。
土魔術による超巨大な岩と火魔術によるコーティング、雲の上からの超高高度落下。
流石に宇宙からの墜落と同等の落下エネルギーは内包していないが、規模が大きい。一見ゆっくりと落下してきているように見えるが、大きさゆえに遠近感が異常をきたしているだけで、その実とんでもない速度での落下なのであろう。
あれはまさしく、疑似的な隕石だ。あんな物を落とされては、浸りどころか海岸沿いにいるアラムでさえ衝撃で死ぬと簡単に予測できる。
「大男よ、我でもあれは少し骨が折れる。念の為、離れ――」
「ならば俺がやろう」
「何を――」
するつもりか? そう言いかけた魔王の言葉を待たず、ギャレンが構える。
「下がっていてくれ。拳を打つ反動を殺せるほど愚生は器用ではない」
「待て。修道女ほどではないが我も結界術は使え――」
「いや! 下がっていてくれ」
魔王の言葉を遮り、そう頼むギャレン。それに薄い笑みを浮かべてから、ガウハルが後ろ向きのまま後方に素早く飛んでいった。
「――臨界!」
その瞬間、終焉の竜が一歩引く。その巨躯が、目の前にいた人間に恐れたかのように右足を半歩、確かに下げたのだ。
「はぁああああああああああ……」
白い魔力がその男の中でうねり、集約されていく。超圧縮された魔力が、白き電流の様に男の体を駆け巡った。
そして気が付けば、いつの間にか何かを放っていた。魔王ガウハルの目に映らぬほどの速さだ。気が付けば、白竜公は神速で拳を天に突き上げていた。
「む?」
気のせいだろうかとガウハルが天を見上げ目を細めた。頭上の疑似隕石が一瞬、揺らめいたようにガウハルには見えたのだ。
「はぁああああああ!」
瞬間、拳圧で嵐が起きた。いや、嵐というほど規模の大きいものではないが、それは嵐と呼ぶにふさわしい迫力ではあったのだ。
高速による拳の連打、それによる空気砲。ギャレンは天高く落ちてくる大岩の塊を、己が拳が作り出した拳圧で攻撃し始めたのだ。
馬鹿げている。だが天に輝く星屑は、確かに軌道を変え、削がれ、砕かれ、最終的には消し飛ばされていく。
「………………」
これにはさすがの魔王でさえ言葉を失った。
気が付けば、白竜公の足元は小さなクレーターとなっていた。あの数百に及ぶ空気砲の反動で造られたへこみなのだろう。
ギャレンは大量の汗を流しながら、自身に掛けた魔術を解き、ガウハルにこれからどうするのかと目で問うていた。
「いや、凄まじいな……異界の勇者は」
その後ろ姿に近づいていき、先ほどギャレンが口にした言葉を返すガウハル。
「俺は勇者ではない。それに、凄まじいのお互い様だ」
「……ふは、ふははは、そうか! いや、そうだな。ならば、ここにその凄まじい二人が並び立っているのだ。怖いものなどあるまい?」
「ああ、ガウハル殿が隣にいれば、終焉の竜とて怖くない」
「ほう、よくぞ言った。ならばこの我が、異界の魔王がそなたを真の英雄と認めよう!」
眼前にそびえ立つ竜の塔を前に、男二人が不敵な笑みを浮かべる。世界に終焉をもたらす竜、それを前にしても恐れなど感じさせぬ小さき者たちの背がそこにはあった。
「行くぞ、白竜公よ!」
「おう!」
――ここに、両雄ならび立つ。
実際、理論上は空気を殴って空気砲って作れるものなんですかね?




