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第五章「死んだ彼女に想いを告げ続ける」 十九話

 俺は、強欲の――!


 ――不明。



 あれから一日が過ぎた。

 結論から言うと最強種は撤退した。殺人的な臭いで、である。


「過去……番の最強種を倒したのは英雄ドラゴノスのみ。撃退したという話も無い……間違いなく偉業……偉業なのだが……あの臭いはどうにかならなかったのか? お前たちに続いた本隊にいる全ての者が吐き気と頭痛を訴えたんだぞ?」

「ず、ずみまぜん……」


 ついでにアラムもそうで、声が少し変だった。ゲホゲホと咳をして、正常な声に戻すが、なんとも気持ち悪そうにしている。


「一応はそういう物を使用するかもしれないと事前には知っていたが、強烈な匂いを放つ兵器という一文の報告内容であんな規模のものは想像できなかったぞ……」


 竜車にもたれ掛かりながら、レルドルト皇太子はアラムにお小言を言う。

 しかし青年の判断は間違いではなかった。むしろ最適解とも言える。人的被害を最小で番の最強種を追い払うなどそうできるものではない。

 が、その結果体調不良者がかなり出た。つまり、臭すぎたのだ。


「それはそのー……実は使用はあれが初めてでして、僕もあんな凄い効果になるとは……」

「試し打ちをしていなかったのか……一度はするべき……いや、あんな物、人の生活圏からかなり離れなければ試し打ちなど不可能か。しかし、あんな物をいつ作ったんだ?」

「もう……二年前に深夜テンションと怒りで造った物でして、はい」

「怒り? まぁとにかく見方を巻き込む物は極力使わないでくれ」


 死んだ目でそう答える青年。しかし言えない……船の廊下である日、あるカップルが横を通った時に「あいつ臭くない?」「異臭するよね?」なんて言われて本物の異臭を浴びせてやろうかという負の念で生み出した一応は合法だが非人道的な兵器であるなどと……。

 まぁ、作るだけで満足したのか……彼の良心が働いて実用には至らなかった。何しろ作るのはギリギリ法に掠る程度だが、無差別に死にかけるほどの異臭を放つのはテロ行為だ。なので捕まる……訂正しよう。働いたのは良心ではなくただの公的治安組織に捕まらない為の理性であったのであろう。


「まぁ、何にせよ俺は君たちとは仲良くしたい。だが皇太子であり群を率いる総大将として注意はしなければならないんだ。理解してくれるな?」

「それはまぁー、僕たちがへそを曲げて今からやっぱ怖いので荷物纏めて帰りますと言い出したら困るでしょうけど……」


 と、そんなことを言われてレルドルト皇太子は数秒、フリーズした。だが青年が何か失礼なことを行ってしまったのかと焦り出す前に、すぐさま破顔して噴き出した。


「ああ、そうだな。それは困る。何しろ君たちは我が連合軍の最大戦力だからな」

「僕たち、というよりギャレンさんとガウハルさんの二人が、ですからね。キレスタールさんの治癒魔術は有用でしょうけど、僕も彼女もさほど強くはありませんから」

「いや、アラム。君も侮れない。俺の父が褒めていた。かの魔王をよくぞ保身に走らず我が帝国に送ってくれたと。あの魔王を従え黄金砂漠に行けば、自身の身だけは確実に安全だったはずなのに」

「いや、そりゃあ誰だってそう考えますよ。僕らも最終目的が終焉の竜を討伐することですから、戦力としてドラゴノス帝国は残さないといけないですし、更に終焉の竜がいる地から一番近い大きな国が帝国なんですから、そこさえ守ればこれ以上敵の戦力がこの大陸に広まりません。ガウハルさんを僕の護衛ではなく要に送るのは不思議なことじゃ――」

「そうじゃない……父は君の思考を褒めたのではない。君の言う通り、それは冷静ならば誰でも思い至るだろう。だが自らの安全を天秤にかけてその通り行動できる人間は少ない。その勇気と思慮深さを、俺の父は評価したんだ」


 そう言われ、アケル王国で対峙したでっぷり太ったあの王様のことを思い出すアラム。保身のみ考え、強引にアラムたちを自分の護衛にしようとしたあの王だ。

 実のところ青年はあの王様にさほど嫌悪感を抱いていない。というのも彼は正真正銘、臆病であるからだ。死にたくない、その気持ちは彼も理解はできる。


「正直、俺は君を多少珍しいスキルを持つルアネとギャレンの臆病な腰ぎんちゃくぐらいとしか見てなかったが……次期皇帝ともあろうものが、君の資質を見抜けなかった」

「いえ、せっかく褒められましたがね……その通りですよ。ぼかぁ、勇気なんてものと無縁の人間ですよ。現に今も頭のどこかで逃げたいと考えてますし、ここまでくればガウハルさんとギャレンさんがなんとかしてくれるだろうという無責任な気持ちもあるんです」


 彼らしい自嘲した物言いで、本心を吐露する青年。


「まぁ、でも……世界が終わるというなら抗いますし、ルアネさんも助ける気でいます。まぁ、この局面で僕ができることはたかが知れてますが、やれるだけはやりますよ」


 そしてもう一つの本心も、さらけ出した。その表情にレルドルト皇太子は言葉を失った。歴戦の戦士の様な凄みなど無いはずなのに、恐怖を感じたのだ。

 よく見れば、青年の目元には大きな隈ができていた。元々最初に帝国に来た時にも小さな隈はあったが、今は目から生気すら感じない、まるで石像か何かを前にしている錯覚に皇太子は陥った。一言で言うと、不気味なのだ。

 今まで世界を救う戦いを前に緊張からか青年の異常に気づけなかったが……いや、青年が誤魔化すのが上手かったのだろう。そうでなければ青年の身を常に気にかけているキレスタール辺りが騒いでいるはずだろう。


「……何日、寝ていない?」

「仮眠なら一応してますよ。ああ、安心してください。ドラゴノス帝国を出る前に“特殊な薬”を服用しましたから三日は眠らずに動けますんで」


 さらりとそんなことを言う青年。それに言葉を失っていると、ふと青年の目線がレルドルト皇太子の腰に向けられる。


「国を出る時にも気になったんですが、その剣、国宝か何かでしょうに、持ってきて大丈夫なんですか?」

「ん、あ、ああ。ドラゴノスの宝剣か。かの英雄は生前、終焉の竜を倒す時にこの宝剣を持て、さすれば力を貸そうと言葉を残したんだ」

「死者がどうやって力を貸すんですか?」

「父上にも同じようなことを言われ置いていけと言われたが……少なくとも勇気はもらえると説き伏せ持ってきた。もう俺は偉大なあの英雄の後ろを追うだけの子供ではないと改心したが、それでも尊敬の念が無くなった訳ではない。この剣と共にあれば、恥ずかしい姿は晒せない。ドラゴノスに笑われぬようにと、この身も引き締まる」


 剣の柄を強く握りしめながら、レルドルト皇太子はそう語る。まぁ、世界が終わるかどうかの瀬戸際で、国宝だから大切に保管するべきだなんていうのも変な話なのかもしれない。世界が終われば皆死ぬのだから――。


「ええ、僕もドラゴノスさんに失笑されないように気を付けますよ」


 そう言い、青年はこれから向かう方向を見る。すでに北の果て地である証拠の荒地に周囲はなりかけている。


「さて、ここからは戦意を無くさせる魔術はあるけど……」


 一度この場所に来た時、彼はその魔術にかかった。終焉の竜を倒そうとする者を無意識化で思考を妨害する高度な魔術だ。もちろん事前情報として兵士全員にこの魔術のことは伝えてはいる。ルアネは種さえわかれば効果は無くなるはずなどとあの時に言っていたが、本当にそうなのだろうか?


「最後まで対抗策が思いつかなかったけど、大丈夫かなぁ……まぁなんとでもなれだ」


 青年は不安げな顔で、終焉の竜がいる地の果てをただただ見ているのだった。





「……」


 やけに湿気ている謎の空間で、その長い黒髪が肉の地に付いていた。


「……」


 薄暗い肉の牢の中で、元より長い髪が終焉の竜と戦ったあの日から切られずに伸びた結果だ。あの日から、女は囚われていた。四肢を肉の鎖に繋がれ、ただただ力なく項垂れている。

 最初こそ魔術を使い脱出を試みようとした。だが、すぐさま不可能だと悟った。ここでは自分は魔術を使えないらしい。

 その間に、自分から知識が抜かれていると気が付いた。確証などない。ただ、感覚でそう理解した。

 死のうとした。その抜かれている知識が終焉の竜の糧となっていることに、恐怖を感じ舌を噛み切り、窒息死を測ろうとした。

 だが、死ねなかった。噛み切った舌は瞬く間に再生し、喉に詰まった舌の肉により血中酸素濃度が低下しても、死ねなかった。人が数度死ぬ時間の末、苦しさから女は噛み切った舌の肉を体の防衛反応からか、吐き出してしまった。

 ――その瞬間、絶望が女の体を突き抜けた。肉の牢は常に回復魔術に満たされていた。これがいかなる方法でも彼女に死ぬことすら許さないのだ。空腹も無し、自壊しそうな精神さえ生かす、禁術の域にある魔術なのだろう。


「ごきげんよう」


 ふと、囚われの女の前に白い鎧を纏った人物が立っていた。これも女、だが黒い虜囚に対して白い女であった。


「……」

「聞きたいことがあるのですが……よろしいですよね?」

「……」

「やれやれ」


 無視を決め込む虜囚に、鎧の女は魔術で造った光の剣を腹部に躊躇なく刺す。それに虜囚は苦痛に顔を歪めるも、声を漏らすことは無かった。


「シュバルツの末裔だけあって、我慢強いこと、耐久性はあの男の少ない長所ですから」


 白い女の兜の奥から愉快そうな声が聞こえる。どうやらサディストであるらしい。


「……」

「しかし、喜ばしいことに私の末裔も優秀らしく……いえ、憎らしいというべきでしょうか。どうやってかアケルに放たれた私たちの分身を倒したようです」


 その言葉に、ゆっくりと虜囚が顔を上げる。黒竜姫、ルアネ シュバルツがそこで確かに生きていた。


「……ギャレン?」

「ああ、そういう名前なのですか……ところで、そのギャレンとかいう私の末裔、魔術の才能はあるので?」

「……はは」


 小さく、ルアネが笑った。まさかあのギャレンに魔術の才能があるかどうかなど、聞かれる日がくるとは思えないかったからだろう。


「――無いわ」


 瞬間、白い女がルアネの腹に刺した光の剣をねじり回す。


「ぁ……」


 それに小さな声を漏らすルアネ。それに女、ヴァイスは疑いの目を向けたまま、ルアネを睨みつけた。


「なら仲間の誰か? 終焉の竜がこの地に染み込ませた戦意弱体の呪い、それをどれだけ強めようと効果が表れないのですよ?」

「あの呪いは自覚してれば、無効化できる程度でしょうに……」

「まさか、強まった呪いなら自覚していても人ならば原因不明の恐怖から、怯え、逃げかえるでしょうに……しかしそれが効かない。限りなく無臭に近い呪詛を鼻から取り込ませ、嗅覚から人の精神を狂わせる呪いです。おいそれと解明できる呪いではありません」


 確かに、青年はそんな呪いの解明などできない。ここに来る時に仕方なくぶちまけた異臭爆弾のせいで、兵士全員の嗅覚を奪ってしまっただけだ。

 青年は偶然とはいえ大金星をあげていたらしい。人生、気合を入れて仕上げた仕事より、小さな労力で成した仕事の方が成果を出すなど、よくあることではある。


「知ら、ないわよ……ここにずっと囚われてるんだから……誰かが呪いを無効化したという事実が確認できたなら、その子細を解明したところで何になるのよ? 無益よ」


 そう語るルアネだったが、あの青年だろうと確信していた。魔術を極めたと言っていいルアネだが、あの青年の技術は全く別系統、未知数だ。まぁ、実際にあの青年の仕業ではあるが、流石にそれが偶発的なミラクルであるとまでは思い至らなかったが……。


「……まぁ、いいでしょう。あなたの言い分にも一理あります」

「ぁあ!」

「では有益なことをしましょうか」


 そう言って、ルアネから腹部から勢いよく光の剣を引き抜くヴァイス。それに声を上げた後、再びルアネは力なく項垂れた。


「アケルアケル、アケル! 憎い、憎い憎い憎い! 忌々しい愚鈍な裏切者共め!」


 白い女は狂っていた。ヴァイスは光剣でルアネを斬りつけ刺し始め、目を、喉を、心臓を、人の急所をなぶり裂いていく。

 八つ当たりだ。この女はアケルへの憎しみをただルアネにぶつけていた。癒し手のヴァイス、聖者と伝わる彼女は既に悪鬼と化していた。

 ――それを諫めるつもりなのか、黒い鎧の手が光剣を持つ彼女の腕を後ろから掴む。


「……あら、自分の子孫が可愛いのですか? シュバルツ」

「馬鹿を言え、惚れた女が生んだ子であろうと敵とならば躊躇なく殺す。だが、捕虜を痛みつけるのは英雄の業ではない」


 黒い鎧を纏う男。その兜の奥から確かに怒気に似た感情を発していた。英雄としてあること、それがこの黒き男の信条らしい。


「英雄……英雄ですか?」

「俺はアケルを滅ぼし、真のアケル伝説を後世に伝える。俺は俺の名誉の為に終焉の竜に協力しているにすぎん。お前もそうだろう? 虚偽の伝説を下地に栄えるあの王国が許せないから、死んでからも嫌いな俺と組んでるんじゃなかったのか? あの日、俺とお前は英雄として生き、生涯をその名誉の為に戦うと誓っただろう?」

「あなたと相棒になった日のことですか? 懐かしいですね……まぁ良いでしょう。ここでこの小娘を嬲ったところで憂さしか晴れません。私が晴らしたいのは積年の無念ですから」


 そう言って、黒い男と白い女は踵を返す。アケル王国二大貴族、白竜家の初代当主と黒竜家の初代当主。

 肉の牢の外に出ようとして……最後、ヴァイスはこう言った。


「ギャレンでしたか、貴女の為に随分と頑張っているようですが、終焉の竜は殺せません。私たち以上の才能を持つあなたがそうであったように……あは、あははははははは!」


 そんなやけに耳に残る笑い声を最後に、二人は消えていく。


「……ギャレン。なんで来たのよ」


 孤独になった瞬間、ルアネの胸に飛来したのは後悔の念であった。


「神様、なんで私を殺してくれなかったのよ」


 終焉の竜をこの身と引き換えに殺すはずだった。なのに、生き残ってしまった。真実は現アケル王国の愚王が金をケチったという馬鹿みたいな理由だが、そんなことルアネは知るよしもない。


「神様……私は、穢れました」


 自爆する瞬間、もっと生きたいと思ってしまった。初めてできた同性の友人(少女)と、あの臆病だが賢い弟分(青年)と、そして、最後まで自分を好いていてくれた白い片割れと、もっと一緒いにいたいと願ってしまった。だから、自爆の出力を無意識に押さえてしまったのではないか? だから、今こうして罰を受けているのではないか。

 ――女は、後悔し、血の涙を静かに流す。

 終焉の竜に今まで培った自分の魔術を奪われ、今も尚強くしてしまっている。その罪悪感が、彼女の心を圧し潰す。


「お願いします……お願いします。我らが神よ……どうか、どうか、この穢れ切った私を見下し……殺してください」


 悲鳴の変わりに、消え入りそうな小さな声でそう、ルアネはつぶやくのであった。



――女は望む、死による償いを。

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