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第一章「この繋がりを持てたことを、きっと彼は誇るのだろう」 八話



「ああ、国に帰りたい」


 肌寒い夜、森に潜んでいた男が怯えた声でそう言った。

 高い樹に登り、安物の単眼鏡でアラムたちが捕らえられたあの砦を観察しながら、そんな愚痴を零したのである。


「あー、くそ。こんな知らない土地で死ぬなんて嫌だ」


 そう、その言葉通りこの男はこの国の人間ではない。隣国からきた者で、今はあの砦の偵察を仕事としている最中だ。

 何度かこの国の兵から鹵獲した装備であの砦に上官の命で強襲し、何人か殺している。


「くそっくそ!」


 そしてその数日前の戦いで、この男の同僚は全員死んだ。上からの命令であの砦に何度か小競り合いを仕掛け、この前に最後の一名が死んだのだ。

 小競り合いといえど、死傷者は出る。流れ矢が額を貫いた同僚の死体を、敵国の地に埋めるかどうか迷っていると、上官が病気を蔓延させる気かと怒鳴り散らされたのが記憶に新しい。


「くそっ俺たちは物かよ!」


 人が、命が道具のように扱われる。家族の為、兵士へと志願したがその扱いは想像以上に酷いものだった。ここにくるまで見たこともない化け物に隊の三分の一が殺された。そもそもこの作戦は一人の聖女と呼ばれる少女を捕らえる為のものだ。


「回復魔術を使う女がいるとか信憑性の薄い情報の為に、何人上は俺たちを殺せば気が済むんだ」


 悪態は止まらない。普段押しとどめていた不平不満が漏れに漏れる。

 この木の上で一人行う偵察の唯一の利点なのだ。どんなに下で少ない物資を贅沢に使いキャンプ生活を満喫している上官の悪口を言っても良いのだから、こんなに楽しいことはない。


「くそぉ、だがまぁあの娘一人捕らえたら国に帰れるんだ……帰ったら、ああ、あいつの嫁になんて顔して旦那が死んだって伝えりゃいいんだ」


 同僚の家族への報告を考えているのか、悪口だけを言っていた口がとたん、悲し気な声を発する。すると安物の単眼鏡のレンズの視界が白に曇る。


「あ? くそこれだから安物……は」


 いや、白く曇ったのは単眼鏡だけではない。樹の上で男が周囲を見渡すと、徐々に雪が周囲を包み、だんだんと霧の様に視界を奪っているではないか。


「なん……だよ、これ」


 気づけば下にいる兵士たちが騒ぎ始めている。そして、視界が純白に染まった瞬間、こんな声が聞こえた。


「問う、対話か、闘争か?」


 やけに耳に残る低い声の後、誰かが弓を撃ち、剣を何か硬い物にぶつけた金属音が響く。


「承知、それを返答と受け取る」


 何か、得体の知れないものが下にいる仲間を襲っていると判断し、男は下に降りて加勢するか、このままここにいてやり過ごしか悩んだ。

 そしてそのまま体を硬直させる、死にたくないという気持ちが勝ったのだろう。

 だが、それでも運命は変わらない。下から上官の悲鳴が聞こえてきた瞬間、猛烈な上昇気流が樹の上にいた男を天高くへと飛ばしたのだった。





「あの、アラム様、一体どんな魔法を使ったのですか?」

「あはは、いや、必死で説得しただけ、自分でも正直なんでうまくいったのか説明できません」


 満月と星が敷き詰められた夜空の元、少女と青年の心底不思議そうな声が上がる。

 キレスタールとアラムが砦の者に捕らわれてから約十時間後、彼らは再びこの砦の門の前に立っていた。入る時とは違うのは、ザガが砦の門の上からではなく、地に足をついて見送りをしていることだろうか?


「いや、悪かったな聖女さん、童貞のあんちゃんと色々話し合ってな。俺はあんたらに賭けることにしたんだよ」

「あ、僕の呼び方それで決定ですか?」

「別にいいだろ。お前卑屈そうだし、自分でもよく自虐してるんだろ?」

「いや、人に呼ばれるのと自分で自虐するのではダメージが違いますからね!」


 とまぁ、アラムとザガの話し合いが決着し、すぐさま二人は解放されたのだ。

 大なり小なり組織というのは行動に時間が掛かるものだが、このザガという男、行動力の化身で、すぐさま主要な部下と話し合い二人を解放する決定票をもぎ取ってきたのだ。中には納得しない者も多かっただろうに、この男は短い時間で全員を説得したというのだからこの人物の信頼の深さが伺える。

 案外国を亡ぼしたら、次にザガが収めれば豊かな国にでもなるのではないかとアラムが冗談めかして言うと、本人は大層嫌そうに眉間にしわを作り、首を横に振ったのだった。


「俺が言うのもなんだが、魔王に会いに行くなら時間がねぇ。タイムリミットは後三日ほど、すぐにここを出て魔王城を目指せ……正直、あんたらを足止めした詫びで、筋通すなら俺が命に変えてもあんたらを魔王城に届けねぇとならねぇんだが、すまん」

「いえ、理解しております。貴方はここの首領、ここにいる者を指揮し守る責務がございましょう。ザガ様、私めは必ず魔王を倒しましょう」

「倒す? いやぁ……それなんだが、おい童貞のあんちゃん、おめぇの考え聖女さんに言ってねぇのかよ。俺はてっきりもう――」

「怒られるかと思って……」

「おいおい頼むぜ本当、あんたらに命運賭けた俺たちが馬鹿みたいじゃねぇか、まぁ時間が惜しい、魔王城に向かう途中で話すんだな」


 疑問符を頭に浮かべているキレスタールを尻目に、男二人がひそひそと話しあっていた。


「親方ぁ、何を内緒話してるんですかぁ」

「もしかしてその聖女様に惚れたとか言うんじゃないんでしょうね?」


 と、その様子を見てザガの部下たちが茶々を入れる。するとザガは大変不服そうな顔をしてこう言い放ったのだ。


「ばっきゃろぉおめぇ、俺はなぁ、死んだ嫁一筋だ! 覚えとけ」

「うわ出た、惚気」

「いやでも夫婦一緒にいた時は尻に敷かれてたって俺聞いたぜ」

「うっそだろ! ザガさん嫁の尻に敷かれてたんですか!」


 それを皮切りに周囲がどっと沸く。自分たちのリーダーの弱みが露見し、お祭り騒ぎでザガの部下はいい年して顔を赤くしているおっさんを煽りまくっていた。


「うん、この人たちなら生き残れるよね」

「はい、私めもそう思います」


 彼らは家族だ。その身に流す血も、生まれた地も関係無く彼らは手と手を取り合い生きている。

 復讐で一つの場所に集まった集団であっても、それでも彼らは人間なのだ。


「うん、じゃあそろそろ行こうか」


 彼らも、数日前に会った老夫婦を思い浮かべながらアラムは足を進めようとし、ザガの背後から近寄る男に気が付いた。


「ザガさ――」

「わあってる、童貞のあんちゃん」


 ザガの目が一瞬で人殺しのそれに変わる。手が剣の柄に掛けられかけ――。


「おいおい、おめぇら過保護すぎだろ」


 後方から短剣でザガの背を刺そうとしたグリズを、周囲の人間が一斉に剣や槍を抜き、暗殺者をさも当然のように静止させた。

 不意打ちを実行したグリズは目を見開く。きっと彼の予定ではザガの背中には今頃、自分の短剣が刺さっていたのだろう。


「おお、尻尾出したか。グリズ、この糞野郎。俺が聖女さん逃がすって決めたから焦ったか?」

「てめぇザガァ、何を勝手してやがる、その女は利用価値があるんだよ!」

「そりゃてめぇには相談無しで勝手すらぁ、お前も勝手してるんだからなぁ……蝙蝠が」

「ああ!?」

「仲間にする奴の身元を洗うのは当然だろう。てめぇが今戦争してる隣の国の将校と吊るんでその聖女さんを売り渡そうとしてんのは筒抜けよぉ」

「な……」


 冷めた目でグリズの冷や汗を流す顔を見下すザガ。そして話についていけず固まっているアラムとキレスタール。


「ここ一ヶ月、この砦を襲撃してきた兵士、ありゃあこの国の連中じゃねぇ。装備なんかは戦争で鹵獲していた物だが、使ってた矢の鏃の形があっちの国の狩猟民族が使う物が交じってた。兵士の中にそこ出身の奴がいたんだろう」

「全部知ってて俺を仲間にしてたのか!」

「お前の思惑に乗ってでも聖女さんの力には魅力があった…て判断したんだが、まぁこの通り、それに対して不満を持ってた連中もまぁいてなぁ。今回聖女さんを逃がすって言ったら、おめぇ悔しい顔が見れるって大体が喜んでたぜ」


 なるほど、キレスタールを逃がす話が急遽決めれた最大の要因はそれだったらしい。なんとも皮肉な話だ。


「グリズ、この屑野郎。お前はここで捕縛だ。牢屋にぶち込――」


 遮った。ザガの声が腹に響く爆発音で遮られた。

 爆発の位置は百メートル先、砦から離れた森の中で空を汚す黒炎が立ち昇った。


「は、ははは! あーあーあーあーあー! お前ら全員終わりだよ! 明日、ここを襲ってそこの女を連れ去る予定だったがお前らの動きを察知して予定を早めたんだろうさ!」


 誰が予定を早めたのか、言うまでもない。ここを襲撃していた敵国の兵だろう。すでに両腕を掴まれ身動きが取れないグリズが、それを見て壊れたように笑う。


「今までの戦力把握の小競り合いじゃない。本気でここを落としにくる! てめぇら全員お終いだ。残念だったなぁ!」

「馬鹿言えよ……」

「は?」

「爆発を起こす利点が無いだろ。誘導、囮、一番可能性があるのは森の焼き討ちか? いや、爆発で森に火を付けるのは非効率だ。そもそもそんなことをすれば化け物をおびき寄せちまうかもしれない。それがわからねぇほど相手は馬鹿なのかよ? そんな訳ねぇだろ」

「いや、あれは俺を助けにきた――」


 今度はグリズの声が爆発音に押しつぶされる。いや、今度の音は爆発音ではない、暴風だ。


「違う……この湿った風は、俺は知っている。知っているんだよ……サルジェ!」


 ――肌を擦り減らしていくやすりの如き風がここにいる全員に襲い掛かった。数秒後、粉雪の大波が砦を飲み込む。満月の明かりを遮り、一気に視認性を奪う。

 濃い霧とは違う。喉さえも冷気で犯し呼吸を阻害する、きっと凍てついた地獄の大気とはこういうものなのだろうと皆が思っただろう。


「門を閉めろぉお、怪物がくるぞぉおお!」


 吹雪で一メートル先も満足にわからない中、ザガは声を張り上げた。

 くるべき悪魔か死神に備え、彼はいち早く決断を下したのだ。


「童貞のあんちゃん、聖女さん、あんたら奥に下がれ! おい、誰かこの二人を逃がせ、避難用の通路まで連れていけ!」

「いや、僕たちも手伝います!」

「下がれ!」


 短い怒号が飛ぶ、ザガは問答の時間すら惜しいといった感じだ。皆、彼の姿を見て動揺が広がる。まだ敵の姿さえ見ていないのに、何をそんなに恐れているのかと。だが、その考えは数秒後、簡単に塗り替えられることとなった。

 何か、声が聞こえてきた。何かの叫び声だ。だがおかしい、叫び声だけなのに小さいのだ。そしてその声は叫び声らしく段々と大きくなっていき――。


「ぁぁぁああああああああ!」


 ぐしゃりと、肉が潰れた音と共に甲冑を纏った何かが空から落ちてきた。吹雪の中、よく姿の見えなかったそれを見せる為、偶然か、それともこの雪には悪魔でも宿っているのか、一瞬だけ切れ目を作り降ってきた何かを衆目の目に晒す。

 皆の時間一瞬だけ止まる。もう人間ではない首の折れたそれが眼に焼き付けられた。


「門を閉めろぉおお!」


 時の止まった世界で、再び響いたザガの命令をすぐに実行しようと、制止した世界が再び動き出す。門の施錠は恐怖に駆られた者たちにより迅速に行われた。


「親方、門を閉めました!」

「足りねぇ、バリケードだ! なんでもいいからバリケードにして門を塞げぇ!」


 何かが詰まった樽、木材に大きな石、門近くにあった重い物が次々と運ばれ、乱雑に詰まれ即席のバリケードが構築されていく。すると、門の外から何か、声が聞こえてきた。


「た、助けてくれぇえ。ば、化け物に追われてんだ!」


 バリケードが作りかけられた門の外から、必死の声が響く。恐らくは人間だ。この吹雪を生み出した何者かに襲われてここまで逃げてきたのだろう。


「お、親方!」

「いや! 開けるな、絶対に開けるな!」


 部下に助けるかどうか目で尋ねられ、ザガはそう即答する。今からバリケードを撤去し門を開ければここにいる人間は化け物に襲われることとなる。


「助けてくれぇええ。死にたくなぃんだぁ!」

「絶対に開けるなぁあ!」

「く、国に帰ったら嫁と娘がいるんだよぉお! まだ死ねねぇんだ!」

「っく!」


 どうやら門の外で助けを乞っているのは隣国の兵士らしい。十中八九グリズが裏で手を組んでいた者だろう。

 見捨てるべきだ。だが妻子がいるという言葉はザガに響いたらしい。壮年の男は自分の歯を砕かんばかりに顎に力を入れ、眉間の皺を深くする。


「助けてくれ! 助けて、助けて助けて、なんでもしますから、お願いします、死に、死にたくない! 死にたくないんです!」

「……開けるなぁああ! 間に合わん!」


 だが、自分を剣で刺し殺したいほどの衝動に耐え、男は再度叫ぶ。

 部下がキレスタールとアラムが固唾を飲む。そして門の外から助けを乞う声は何かを見つけ、絶望を孕んだ絶叫を上げた。


「あああ、あああああああああ!」


 ザガの判断は正しかった。部下を守る為非情に徹した彼の判断は司令塔として実に正しい。

 だが、正しいだけで最初から彼らのあがき等、意味をなさなかったのだ。

 簡単に、あっさりとだ。絶叫と共に、巨大な剣と共に化け物が門を食い破ってきたのだった。バリケードを積み上げた門など、あの怪物の前では紙切れ同然だったらしい。


「サル、ジェ」


 唯一のこの怪物の容姿を知っていたザガが、それを前に言葉を漏らすことができた。

 五メートルの巨体、そして下半身は紅い鱗を纏った馬、上半身は純白の鎧を纏った屈強な老人のそれはまさに人外の怪物と呼ばれるに相応しい風貌だ。

 そしてその太く長い両腕には長槍と同等の長さの剣が二本、片方には先ほどまで叫んでいた男の身体が突き刺さっている。あの剣で門を突破したのだろう。


「問う。対話か、闘争か?」


 だが、その怪物はあろうことか、獰猛な獣の雄叫びではなく、人の言葉でそう問いを投げかけたのだ。絶対的な死をもたらす怪物が人の言葉を話すなど、何かの冗談ではないかと。

 なにより、その声色は人のものとは思えない程美しかった。いかなる境地か、この怪物の大気を震わせんとするほど重低音の声には、武人として尊厳が感じ取れた。まるで人間が下等な生物であると言わんばかりに。


「いやぁああああああ!」


 そして、そんな怪物に挑む剣士が一人。


「馬鹿、止めろ!」


 砦にいた若い男の剣士が怪物の足を狙い、その背に刺していた自慢の剣を大きく降り斬りかかったのである。だがそれは勇猛からくる攻撃ではなかった。

 その証拠にガチガチと歯を鳴らし、恐怖に染まった表情で、岩をも両断する自らの技で傷一つ付けられない怪物の足に眼を見開き凝視しているだけだったのだから。


「承知、それを返答と受け取る」

「畜生がぁあ!」


 ザガが吼えた。ただ怪物の足の傍で突っ立っていた若い剣士に怪物の一太刀が浴びせられる前に蹴り飛ばし、間一髪のところで彼を救う。


「もう、もう仲間は殺させねぇぞ、化け物!」


 着地からすぐさま起き上がり剣先を相手の腹に構えるザガ。元より余裕などない。まるでこの歴戦の戦士は、初めて下級の怪物に挑む新人剣士の如く恐怖と焦りを交えた表情で、怪物と対峙する。


「……その無様が、貴様か?」


 だからだろうか。怪物がそんな問いを投げかけたのだ。

 言われ、ザガはポカンとする。違う、違う。確かに彼は愚かな選択もした。守れない者の方が多かっただろう。だがだからこそ、彼の人間としての深みがある。


「違う。俺は……そうじゃねぇ」


 息が整えられる。眼力も鋭く張り替えられ、構えに揺れがなくなった。

 そこに佇むのは紛れもなく、若い頃、国一番と恐れられた最強の男よりも強き漢だった。


「見事、人の身でよくぞそこまで練り上げた」

「野郎共、命令だ、死ぬな。この怪物を倒せとは言わん。せめて、追い返すぞ!」


 怪物は一人の戦士に、戦士は無数の仲間に話しかけた。

 そして、決死の撃退戦が幕を開けたのだった。



次回、一月十三日、朝六時に更新予定です。

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