第四章「男は女の愛を知る」 十九話
青年にとって決戦の場というものは城であった。ガウハルと初対面時に退治したあの魔王の間、それと撹拌現象で戦時技術のバランスが崩壊したあの島での籠城戦の二か所だ。
あの時は彼は外に飛び出して王子救出に向かったが、それでも守るべき人間が多くいたのはあの城であり、やはり城を決戦の場として認識していた。
それが今、塗り替わるほどの衝撃を青年は受けている。
「ここが、この大陸の終わり……」
荘厳であった。そこは海岸であった。遮蔽物の無い細かい堆積した薄紫の砂の大地と、そして目の前の海を覆うほどの流木が地平線に届くかと思るほど敷き詰められた景色……それが青年の心を圧倒した。
――この旅の果て地に青年は、一種の感動を覚えていた。
「ルアネ様。ここに終焉の竜が?」
「ええ、アケル王国の宮廷魔術師が言うには来ればわかるって話なんだけど……」
翌日、万全の体調で決戦の場にたどり着いた彼らが、大自然はあっても禍々しい邪竜の姿は確認できず呆気に取られていた。
何も無い。だが皆が皆、妙な胸騒ぎを覚えてかその表情は硬いままだ。
特に青年は酷かった。汗が止まらないに体温が下がりっきりで、身震いが止まらない。
「大丈夫ですか、アラム様?」
「うん、でもなんだろう。怖くてたまらないんだ」
危機意識の強い本能が成せる業か、臆病な人間の卓越した理性からの警鐘か。とにかく一番弱い青年が最も危機を敏感に感じて、見えない敵を恐れていた。
「何か、来るぞ!」
だが異変にいち早く気が付いたのはギャレンであった。地響きだ。一回、わずかだが足を伝い大地が揺れたのを感じ取り、ギャレンが構える。
段階的に地響きは大きくなっていく。一度は僅かに、二度は小さく、三度は不気味に、四度は確信的に、五度目でどうしようもない大きな揺れへと変わる。
そして、六度目は揺れではなく、海が爆発した。爆発だ。海を覆っていた流木が上空へと打ち上げられ、その下から巨大な竜の顔が現れる。
一つでは無い。三又の長く大木の様に太い首が海上へと現れたのだ。
間違いなく、これこそが終焉の名を冠する竜であろう。
「で……か……すぎる」
アラムもこんな巨大な生物を目の当たりにしたのはあの堕ちた女神がディザスターとなって世界を滅ぼしにいた時以来であった。いや、大きさで言えばこの終焉の竜の方が大きいかもしれない。
――なにせ、まだ首しか現れていないのだから全貌などわかるはずもない。
「キレスタール! 手はず通りここでアラムを守って、ギャレン、着いてきなさい!」
決戦の狼煙は海を爆発させて流木ごと派手に上げられた。すでに戦いは始まっている。ギャレンは走り、ルアネは空を飛行して終焉の竜目掛けて接近していく。
途中、終焉の竜がジロリと向かってくる二人ではなく、アラムを見た。
「ひっ」
それだけで青年の心臓が止まりそうになる。これはそういう魔術なのかもしれないと感じていると、その視線を少女が遮った。
「アラム様、大丈夫です。私めがこの命に変えても」
「……いや、二人で協力しよう。僕は君より年上なんだから、しっかりしないとね」
されど、流石に年下に守られる自分を良しとするほどにこの青年は腑抜けていなかった。窮地であるほどその本領を発揮するのがアラムという青年である。そしてあの眼で見られて時点で、彼は覚悟を決めた。
「キレスタールさん、手はず通りに!」
「はい!」
前線を押し込んでいく二人の背を見ながら、遅れながら戦闘態勢を取るアラム。瞬間、終焉の竜が三つの頭全てを使い吠えた。
「――――ォオオオオオオッ!」
鈍い、巨大な金属が軋むような叫びであった。声はアケル王国にも届きゆるほどの重低音、耳をやられ掛けたがぎりぎり鼓膜は破けなかった。
だが、彼らはすぐさまこれの本当の恐ろしさを思い知ることとなる。
「……! ギャレン!」
耳など機能していない。それでもギャレンは口の動きでたった今ルアネに注意されたことを理解し、目の前の光景でそれを確信へと変える。
「魔術か!?」
先ほどの鳴き声は威嚇や雄たけびではない。呪詛であり、詠唱であった。見れば、終焉の竜の顔の横、空に無数の魔術陣が展開されており、火が“溜められ”ていた。
そう、溜めているのだ。あろうことか、この世で人間にとって最大の怨敵は、人間が竜に対抗する為の武器を、それ以上の練度で使用できるらしい。
「キレスタールさん!」
「反射結界いきます!」
アラムの怒号に似た声よりも早く、キレスタールは杖を構えて無数の砲門に向けてカウンター魔術を用意する。最速で、最短で、最高の効率で火を溜めている魔術陣、その前に反射結界を設置した。
狙いは暴発、発射されて速度が乗る前の魔術による自滅狙いだ。タイミングも完ぺき、対処されないように発射寸前を見計らっての設置、完璧の一言につきる業である。
――だが、それでも、終焉の竜はそれを嘲笑うかのように発射の直前で、その出力を上げた。
少女が堪らず目を見開く。溜められていた火の魔術、それに岩魔術が追加され隕石として発射されたのだ。隕石は耐久力が低い反射魔術を粉々にして打ち出された。
「次! 防御結界!」
「はい!」
一瞬愕然としてしまったが、アラムの指示で我を取り戻した少女はすぐさま耐久性のある通常の結界魔術で防御に出る。だがそれでも展開が間に合わず半分ほどしか防げなかった。
巨大な竜の顔の横から隕石の様に降り注ぐ火炎弾。半分は光の壁に阻まれ海に落ち、半分はすり抜けた。
だが、前衛に出ている二人にとってはそれで充分である。なにせ最高峰の冒険者二名、この程度の攻撃幾度となく潜り抜けてきている。
「ギャレン、撃ち返しなさい!」
「おう!」
無茶とも言えるそのオーダーに、ギャレンはひるむことなく気持ちよくそう答える。打ち返せ、上空から無数に降りそそぐ火山岩の如き暴力を打ち返せとルアネは言ったのだ。
そして何の疑いも無く四人に降り注ぐ数個の衝撃波の塊に拳を打ち付け――男はそれを終焉の竜に返還する。
落下エネルギー以上の力で落ちてきた火山岩の如き暴力を倍返し(特大大砲)にして終焉の竜へのカウンター攻撃、流石にこれにはかの邪竜も対処できず三又の内、中央の顔をそれで肉片へと変えられる。
「やった!」
まずは一つのめ首、残りは二つ。アラムもキレスタールも、そう思った。だが、その希望は簡単に打ち砕かれる。
まるで巻き戻しであった。巻き戻しの様に終焉の竜の中央の首が強引とも呼べる速さで復活した。報告書にあった驚異的な再生力である。
「……は?」
あんなのを、どうして、どうやって倒せばいいのか。アラムには理解できなかった。
「げ、現状戦力じゃこんなの無理じゃ……」
「次がくるぞ!」
と、アラムが思考を走らせているとギャレンから大声で注意が飛ぶ。何とか回復した鼓膜で青年がそれを聞くと同時に、空一杯に別の魔術陣が展開される。先ほどの炎ではない。黄色く、もっと鋭い何かがくる。青年は直感的にそれが何なのか察した。
「雷がきます!」
根拠など無かった。いや、根拠など無かったが、言葉が終わる前にその魔術陣から小さな電気が走ったので直感が正しいのだと確信はしたのだが、それでも間に合わない。
瞬間、地面に電気の膜が広がった。逃げ場など無い。空を飛べなければ回避不能の範囲攻撃、それをキレスタールは一人守った。とっさの判断でアラムだけをである。自分へと張る結界を後回しにして、最小で人一人だけ入れる結界を最短で展開して見事主を攻撃から守ったのだ。
次に助かったのは空を飛んでいたルアネである。足元で体をのけぞらせるギャレンを助けようとしたが、その光景はすでに攻撃が終わっていた時のもので、膝を付いた彼の兜からは黒い煙が上がっているところであった。
――負けだ。事実上の負けであった。実質戦力の三名の内二名の脱落、アラムはそう判断し、そしてこう叫んだ。
「撤退しましょう!」
叫んだ。そう叫んだはずだった。なのに青年の足は動かない。そうだろう。いったいあれからどう逃れるというのか?
あれからすれば自分たちは虫ケラと同等。蟻が人間から逃げられないように、巨竜と人間の歩幅の差は絶望的である。
「なんとか倒す手は……撃退でもいい。いっそあれを召喚、いや、倒しきれないけれど、でももしかしたら――」
すでに思考は逃走から撃退しかないと切り替わっていた。と、青年が思考に没頭していると重そうにギャレンを担ぎながら宙を飛んでいたルアネがふわふわとアラムの元に寄ってきた。
憔悴した顔で語りかけてきたルアネを見上げる青年に、彼女は苦笑した。
「なんて顔してんのよ、あんた」
出てきたのは、そんな心配の声だった。この絶望的な状況でルアネは青年にそんな優しさを見せたのだった。
「ルアネさん……」
「アラム……お願いがあるの」
「聞きます」
「うん。やっぱりあんたは賢い奴よ。最後まで希望にすがって頭動かしてる奴ってのは愚者じゃない。そんな風に呼んじゃいけないんだから」
一陣の風が彼女らをさらい、美しい黒髪は風に撫でられ黒く細長い魚の様に躍る。ここから、ここからがこの旅の最果てにある全てだ。
「あんたの偵察機で私の分身を作って、それも沢山。前にできるって言ってたわよね? それと可能なら相手の動きを少しでも止めて」
「了解!」
最後の希望を託して青年は黒い女を見送る。景色を全て線にしてルアネは魔術で飛行に似た走りでただまっすぐ、終焉の名を冠する竜へと挑む。
「全武器展開!」
その言葉と共に終焉の竜を囲むように空を埋めるほどの数えきれない武器が現れた。それは星の光が届くことの無いこの土地の星となり、流星となった。
剣、槍、槌に盾、全てがルアネの魔術で強化され改良されたミサイルとなりうる魔術武器、それの同時全弾発射、黒い女のとっておきである。
――それは、終焉の竜は三つの頭による同時での咆哮で撃ち落とす。それは太古に滅んだとされる今のこの世界の人類にとって未知である魔術無効の技であった。
流星となり終焉の竜へと向かっていた無数の武器は、その速度を落としほとんどが海に、竜の体に刺さったのは約百ほどだ。それに一瞬愕然とするもすぐさま端正な顔へと戻るルアネ、まだ切れるカードがあるからだ。
「アラム!」
彼女の一声で無数の偵察機のステルスが解除される。大量のフラッシュを放つ。ミューカスドラゴンの時と同じものだ。
単純な目くらましだが百もの偵察機での強烈なフラッシュに三又あったうちに二つの終焉の竜の首が苦しそうに目を閉じる。
そして、止めとばかりにルアネの投影が映し出される。光の虚像に残された終焉の竜はその目を見開く、なんだこれはと。
太古に滅んだ魔術でも、現在の最先端の魔術でも、予測される未来の魔術でもないこれを、終焉の竜はそれを見て硬直した。実際この驚嘆こそが終焉の竜の動きを一番抑えたものだった。
「これで終わらせる!」
ゆえに、終焉の竜は懐までもぐりこんでいた本物のルアネの接敵に気づけずにいた。急ぎ、電撃の魔術を展開する。自分の体ごとルアネの感電を狙ったもの、だからこそ出力を押さえ、たった一つしか展開していない。だがそれがあだとなった。
またも驚嘆する終焉の竜、ニヤリと笑うルアネ。さきほど使った無効魔術を自分なりにアレンジしてルアネが使ってきたからだ。人から失われた太古の技術をたった一度の目視で再現するなど、なんたる才能と技術力か。
「……ごめんアラム。ごめん、ギャレン」
最後、黒い女がそう呟き、終焉の竜の眼前まで近づいて、銀色の剣を腰から抜き――。
――大爆発を起こした。
「うわ!」
熱い風が頬と髪を撫でさらう。巨大なエネルギーの余波は大気と大地を存分に揺らしルアネの幻影を作っていた偵察機が一斉に吹き飛び、そのうちの一つが辛うじて青年の頭をかすめるだけに至った。
そして、煙が薄れて見えたのは終焉の竜の死体であった。頭が吹き飛ばされて三又の首は全て途中から無くなっている。焼け焦げた断面、再生する気配は無い。
「やった……やったんだ! ル――」
彼女の名前を呼びかけ、アラムはふと一つの疑問に至った。さきほどの爆発はとてつもなく強力だ。あんな爆発ではたして、人間が生きていられるだろうか?
その問いに答えてくれる人間なんていない。長い沈黙と共に茫然としていた青年は、あれが自爆攻撃だと思い至り……答えを知りたくて昨日貰った遺書を思い出して、自分の荷物を漁った。
『皆へ、この手紙を読んでいるということは……いや、最初に謝っておきましょう。ごめんなさい。王から送られたあの腰にあった銀の剣は自爆する剣って言ったらいいのかしら。魔力を込めて抜くと大爆発を起こすのよ。アケル王国から排出される勇者は代々これで終焉の竜を倒してきたのよ。そして例に漏れず私も……黙っててごめんなさいね。』
思わず、思わず吐きそうになりながらそんなまさかと、アラムは力強く口を閉めた。呼吸ができない。だが、これは最後まで読まなければならないものだ。
『アラム、キレスタール、あなたたちとの旅、短かったけど楽しかったわよ。お父様、この二人が国に帰った時は色々と融通してください。別の手紙でも書きましたが報酬を与えると約束をしたのです。親不孝な娘からの最後のお願いです……ギャレン、こんな嘘つきの酷い女じゃなくて、もっといい女を見つけなさい。あー、それとさ、一つぐらいは何かかっこいい技名考えなさいよ? あんた殴るだけだけど、仮にも私の相棒だったんだから必殺技とかそういうのあった方が良かったのに……ま、今更だけどね。ああ、うん。まぁ、あんたはもう実家に帰れないから色々と厳しいだろうけど、一応は世界を救った英雄として扱われるんだから、大丈夫よね? アラムの言ってた船に乗るんでしょ? 元気にね。ああそれと、最後だから白状するけど私、あんたのことまぁまぁ好きだったわよ』
それだけ、遺書は謝罪とそれぞれに言葉を残していた。
「ルア……ネ」
青年が気が付けば、ギャレンが後ろからその手紙を覗き込んでいた。彼が目を覚ましたのにアラムは気が付けなかったらしい。それほどの衝撃を彼は受けていた。
だが、それ以上のショックをギャレンは――。
「ああ、あああ! ああああああああああああああああああ!」
天に慟哭が吸い込まれていく。
今日この日、世界が救われた日、最後に残された遺書により――男は女の愛を知る。
終わり
次回更新は未定です。




