第一章「この繋がりを持てたことを、きっと彼は誇るのだろう」 五話
さて、ファンタジー小説やロールプレイングゲームにおいて勇者が魔王を倒すというのは王道中の王道設定である。
王様や女神様に貴方は勇者ですから頑張って魔王を倒してくださいと言われ、やたら親切にしてくれる村人や最初に四天王最弱のボスを倒し、レベルを上げて最後は魔王を倒すのがお決まりである。
アラムもそういうゲームをした経験がある。が、実際は国がそういう状況になっている時はゲームみたいにはならないらしい。
「また無人の村だ……」
軍を動かせず、たった一人を勇者だ英雄なんだと祭り上げている国に治安の維持ができる筈がない。あの気の良い老夫婦の家を後にして半日、アラムとキレスタールが怪物や山賊に荒らされた後の村々を何度か通り過ぎていた。
半壊した家屋、骨になっている家畜、葉っぱの溜まった井戸、そして背が高い雑草。どの村も長い期間放置されているのが容易に理解できる。
「ここにいた人たちはどうしたんだろう?」
「多くの者は兵士に連れていかれたと思います。強制的な徴兵はそう珍しくはないので」
アラムの独り言にキレスタールが答える。彼女は旅をして長い。こういった村を何度も見てきたのだろう。
「もう人が住んでいる村は数少ないですから……先ほどの村で食糧を分けて頂けたのは幸運でしたね」
「武器や防具の調達もできないし、宿屋も無いとはね。ゲームとは違うなぁ。せめて何か武器になりそうな材料でもあればなんとでもできたんだけど……」
苦笑いを浮かべながら肩を落とすアラム。この先もしかしたら人に会えないかもしれない現実にうんざりしている様子だ。
「出会わない方が私めは良いかと。徴兵をする兵士ならまだ話をつけれますが、勇者崩れの山賊もおりますので」
「ねぇ待って、勇者崩れの山賊って何!」
「この国の王は百人近く多くの実力者を勇者として魔王討伐に行かせましたが、途中で心折れ国に帰れず山賊になった者が多いらしいです。旅の途中、そういう方たちと戦いもしました」
「なんというか……うん。もう何しても悪い方向に転がってるよねこの国」
思わずアラムから文句が漏れた。相手を侮った戦争による国土の疲弊、一発逆転を狙い資源がある自国の魔族領に侵略。あげく少数の武力で魔王を討伐するという作戦を行い、実力者を山賊にする顛末。
「最初の方に白旗上げたらそれで良かったのに……もうこの国終わりじゃない?」
「……ですが、それでも私めは――」
そう言いかけて言葉を切るキレスタール。彼女はいかにして魔王討伐等という役目を負ったのかは不明だが、言葉一つでその役目を放り出すことはしない強固な意思だけは感じられる。
「どうするかなぁ……この子」
アラムは苦悩する。魔王討伐と口にするのは簡単だが、キレスタールと彼だけではそれを実現するのは不可能なのは明白だ。
「僕としては……いや、今これを言ったら多分キレスタールさん怒るかな?」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、キレスタールさんは可愛いなぁって思ってさ」
「そのようなご冗談を」
「いや、美少女だよキレスタールさん! うん、それに胸もまだまだ育ってくれそうだし!」
「……」
「あ、ごめん! なんかその、そういうつもりで言ったんじゃないのよ僕、ね! 嫌だと思ったならごめんって! 顔そらさないでお願いします本当に!」
「……」
「キレスタールさん、聞いてぇ、返事してぇ!」
セクハラまがいの失言をして手を合わし腰を低くして頭を下げるアラム。
まぁ、なんというか。それから数時間キレスタールのただでさえ少ない口数が減ったのは言うまでもないだろう。
「やっちゃいましたよ船長……」
「ああ、やっちゃったなぁ。セクハラかましたなぁ」
星空が燦々と煌めく夜、これが日常に無い者は、大自然の宝石箱に目を奪われて然るべき絶景の中で、アラムはどんよりとした空気を垂れ流しながらファナール船長相手に懺悔室を開いていた。
ちなみにキレスタールはテントの中ですでに就寝しており、アラムは彼女の眠りを邪魔しないように少し冷える外でしくしくと泣いているのだった。
「ついつい、ね。いつもしてるから口にしてましたよ」
「いやな、こっちにもお前のセクハラ発言があってから女性オペレーターが数名舌打ちしたからな。被害者の会を発足される前にそれ直しておけよ」
「相談聞くフリして追い打ちかけないでくださいよ! 世間様の評価が下がったとか聞きたくないですからね、ぼかぁ!」
「まぁ、そう言うなアラム。私が女の子とろくに話せんお前の為にアドバイザーを用意したから機嫌を直せ」
「え、誰です?」
「お前がその世界に飛ばされて間もない頃私の変わりにお前のオペレーターを指揮し、始末書を大量に書いた色男だよ」
「ああ、あの時の!」
「でだ。まぁ苦情もあったんだが、私がこれから交代でお前との通話をこの者に任せる。私も別の仕事が溜まっていてな」
「まぁそれはいいですけど、なんで苦情?」
「言ったろう。色男だと。女性人口が多いオペレーター職で若く顔と性格のいい男がいたら自然と人気者になる。それがバイトの変人アラムと一緒に仕事をするとなれば女性陣からブーイングの一つや二つ出るさ」
「ねぇねぇ、酷くなーい? おしゃべりするだけでブーイングとか酷くなーい?」
アラムが小さな抗議を申し出るが、今更だろうという感じでスルーされる。なんともぞんざいな扱いに一人通信機片手に拗ねていた。
「まったく、ショクル。貴様がアラムに非は無いと自分一人で始末書を書くと言い出した時はどうかと思ったぞ。お前に酷く当たっていると誤解されて他の女性職員に嫌われるのは私なんだからな?」
「ははは、その件はどうもすみませんでした……」
「では通話を変わる。まずはそうだな。無難に自己紹介だな」
「ええ、了解しました。アラムさん。先日はどうも、オペレーターのショクルです。どうぞよろしくお願いしますね」
通話の相手が切り替わる。あちらからアラムの顔は見えるがアラムからショクルの顔は見えないが、色男というのだから顔は良いのだろう。というよりこの快活な声だけで真っ直ぐな人間性が伝わってきた。
「どうもショクルさん。リア充そうな人間の声で心底羨ましいです! というか恨めしい! さぞご自慢のガルバリン砲の出番も多いんでしょうね!」
「バイトの主砲ほど立派なものでは、というよりあれは未完成のお飾りの主砲なので、その例えだと役立たずのモノに対しての例えになると思うのですが……」
「信じてたのに! なんか優しくしてくれたから密かに僕と同類とか思ってたのに! お友達になれるかなって思ったのに! さぞモテモテなんでしょうね、畜生!」
「え、ではその、友達になります、か?」
「すみません、先ほどの世迷言を撤回させて頂きます。これから末永いお付き合いをお願いしますね。ついでに優しくて稼ぎが良くてちょっとエッチな女性を紹介してくれたら親友です」
プライドをかなぐり捨てた最速の手の平返しだった。ついでに、最後のリクエストを聞いてファナール船長が頭を押さえたのは言うまでもない。
「ま、まぁ仲良く……なれるよなショクル?」
「癖がありそうな方ですが悪い人ではないみたいなので、はい。大丈夫かと」
歯切れ悪くそういうショクル。まぁ、なんだ、なんとかはなるだろう。
「では私は上がらせて貰おう。アラム、僻み妬みもほどほどにな。というかお前ももう寝ろよ。その世界、今は夜なんだろう?」
「あー、そう言えばもうこんな時間なのか、じゃあ寝ます! ショクルさん明日からよろしくお願いしますね」
そうしてアラムは川で洗ったテントの中に入る。隅から静かな寝息が一つ聞こえる。この少女は今までどんな重みを一人で背負ってきたのだろうか。
「……今までは知らないけど、これからは――」
アラムは何かを言いかけて、自分も寝袋に潜った。出会って間もないこの少女に今、果たして青年は何を想っているのか。それはまだ、彼の胸中に仕舞われていたのだった。
「じゃあ、キレスタールさんとワクワクキャッキャッ大作戦を始めますか」
「もう少しマシな作戦名にしませんか?」
「……朝から考えてた作戦名だったんだけど、駄目?」
「わかりました。それでいきましょう。いえ、それしかありません」
魔王城へと向かう道中、通信機片手にアラムはショクルとそんな会話をしていた。
アラムの五メートル前にはターゲットがおり、大声でなければこちらの作戦会議を聞かれることはないだろう。
さて、異性と仲良くしたいという感情は大抵の人間ならば抱く感情である。
極端に人に興味が無い。異性に対して恐怖心を感じる。異性ではなく同性に恋愛感情を抱くなど、特殊な例でなければ持って当然の願望と言っても良い。
「ところでアラムさんは女性と話された経験は?」
「経験豊富だよ、食堂のおばちゃんとなら毎日話してたからね。それ以外は陰口とかで噂されてたし皆に注目されて、それはもう充実した日々を過ごしておりましたとも」
「理解しました。全力でサポートさせて頂きます」
「すみませーん。純真無垢で有害な童貞ですみませーん」
とまぁ、されどその願望があろうとも実行に移せるかどうかは別なのだ。その為の努力、つまりお洒落をしたり会話術を身に付けるのは一部の者。そしてアラムという男は、その努力をしていないし、そもそも知りもしなかった。
されど今はそんなことを言っている場合ではない。付け焼刃でもなんでも良いので少女のご機嫌を取らねばならないのだ。
「さて、女性のご機嫌を取るのに有効なのは甘い物ですが、今は街によりお菓子などと調達できる状況でもありません。話術のみで彼女の好意を勝ち取る必要があるかと」
「でも正直、キレスタールさん仕事人間って感じでそういう話はできそうにないんだよね」
「そうですか、なら仕事の話を主軸に会話を成立させるしかありませんね。アラムさん、偵察機でホログラムの地図を開いて彼女に見せましょう」
「え、なんで?」
「いやいや、その万能偵察機を作ったのはアラムさんあなたでしょう。翻訳、周囲の探索とマッピングや無線通話も可能。技術者としての貴方の魅力を彼女にアピールするんですよ」
「……は、そうか、その手があったか! 僕ってその分野では優秀だったんだ! お給料は悲惨だけど」
アラムに電流走る。普段から周りに変人だの気持ち悪いだの言われている彼にとって自分の長所を褒めてくれる人間は少ない、なので自分の長所を失念していたらしい。
「無論自慢するだけではありません。会話の中で彼女の長所を見つけ逆に褒めるんです。褒められて嬉しくない人間はいませんから」
「うん、それわかる。今僕すっごく嬉しかったからね。生まれてから三番目ぐらいに嬉しかったよ」
「ははは、いやいやそれは大げさかと」
「えっ?」
「……では取りあえず行動です。ファーストコンタクトを取ってください」
一瞬間を作ったショクルに促され、通信機を仕舞ってから、前で足早に歩くキレスタールにだんだんと近づくアラム。三度ぐらい声を掛けようとして、止めるのを繰り返してから勇気を振り絞り、やっとのことで第一声を掛けた。
「キ、キレスタールさんは地図、もっ持ってる? いらない」
「? はい、地図は旅の必需品ですので所持しておりますが」
「……ちょっと待ってね」
「はい」
そしてまた彼女の後方、五メートル後の定位置に戻り通信機の電源を入れるアラム。
「どうしよう、地図持ってるんだって!」
「アラムさん、落ち着いてください。ついでにあの話しかけ方はないですから、もう少し考えましょう!」
「仕方ないでしょう。僕って経験値不足なの、レベル一なの、必然ああなりますよぉ!」
「あくまで自然体です自然体。それに彼女が持っているのは紙の地図でしょう。ホログラムの地図を見せたら普通に関心を示すはずですので」
「そ、そうだね。じゃあもう一度話してくるよ」
そう言い、先ほどと同じ手順を踏み前を歩くキレスタールに接近するアラム。
「キ、キレスタールさん。ぼ、僕も地図持ってるんだ。見る?」
「……えーと?」
「ちょっと待ってね」
「はい」
そしてまたキレスタールから離れるアラム。そしてまた通信機を取り出す。
「メーデーメーデー、救助求む! 無理! ショクルさんすぐこっちに来てお願いします! なんか緊張して自分でもわかるぐらいに気持ち悪い話しかけ方しちゃった!」
「いやいや、救助を送れないから人類を滅ぼそうとしている魔王をお二人で止めに行ってるんじゃないですか」
「そうだけど、そうだけれども!」
「で、ではこうしましょう。私も通信機越しに会話に入るので通信機の音量を最大にまで上げてください。それなら緊張も薄れるでしょう」
もはや最終手段である。アラムは心強い仲介を味方につけ、今度こそキレスタールと会話をしようと彼女に近づく。
「すみません」
「はい?」
「……ショクルさん、お願いします」
そしてこの丸投げである。この男、ヘタレる時はとことんヘタレになるらしい。
「え、えーと、初めまして。ショクルと申します。昨日の夜から先任のファナール船長に変わり、アラム船員のサポートをしています。ところで、キレスタールさんと呼んでも構いませんか?」
「はい、初めまして。私めの名前はお好きに読んでくださって結構です」
「ええ、助かります。ところでキレスタールさんがお持ちの地図を見たいのですが宜しいでしょうか?」
「わかりました」
ショクルに言われ、荷物から地図を取り出すキレスタール。するとその瞬間、なんとも言えない独特の臭いがアラムの鼻を突いた。
「おお?」
「どうかされましたか?」
「いや、なんか臭いが……」
「ご容赦を、いかんせん五十年も前の地図ですので」
「ごっ!」
五十年前の地図と言われ驚愕したアラムだったが、ショクルからのアクションは何も無かった。どうやら予測していたらしい。
「やはりですか、そちらの技術力は我々のそれとは違っておりますから」
技術が劣っているとは言わないショクル、相手を不快にさせないテクニックなのだろう。彼のオペレーターとしての優秀さがチラリと伺えた。
「キレスタールさん、朗報が一つ、こちらで最新の地図を用意できます」
「それは……本当ですか。それは大いに助かりますが、いつ地図を入手されたのですか?」
「地図を入手したのではなく新しく作ったんですよ。アラムさん、地図を展開して貰えますか?」
言われアラムは偵察機を手の平に乗せてホログラムで描かれた立体系の地図を浮かび上がらせる。
「……これは、凄いですね。初めて見ますがこの起伏は山を表しているのですか?」
「はい、理解が早くて助かります。この地図の見方なのですが――」
何度も交わされる質問と回答、未知なる技術にあの無口な少女が喋る喋る。
で、まぁなんというか。作戦通りも作戦通り、アラムの作った機械や技術にしっかりと興味を持ってくれたらしい。勉強熱心な彼女にショクルも真摯に対応する。まぁ一つ問題が有るとすれば、アラムはそれをずっと聞いているだけだったのだが……。
「僕ってさ。一対一で話す時は割とお喋りなんだけど複数の人が喋ると黙っちゃうんだよね」
「すみません。本当にすみません。途中アラムさんのことが頭から抜けてました」
ワクワクキャッキャッ大作戦が終了し、彼らは昼休憩を利用して反省会等を行っていた。無論ターゲットであるキレスタールには聞こえない位置でだ。
一日のほとんどが歩き詰めの唯一の昼の休憩時間なのだが、アラムの表情は悲痛そのもので、愚痴が次から次へと口から漏れだしていた。
「いや、いいんだよ。多分キレスタールさんの中でショクルさんの好感度、あの短い時間で僕のより抜いてると思うけどいいんだよぉ! 本当いいんだよぉ!」
「大変、申し訳ありません」
「いやいいんだよ別に、ね。うん……うん、うーん。いいんだけどさぁ……うん」
そしてこの面倒臭い拗ね方である。別にいいと言いながらかまってちゃんオーラを出しているのだ。それに辛抱強く付き合うショクルはなんとも人間ができていた。
「どうせぼかぁ、他の男子が女の子と仲良くなる為の踏み台なんだよ。子供の頃も友達になったと思ったら数日後には『あいつキモいよねー』って友達だった奴が女子と会話してんだよ。いやだったじゃないな、友達と思ってたのは僕だけだったんだ!」
「あの、その、そういうつもりは……」
「いや、わかってるショクルさんに悪意が無いのは、でも、昔のこと思い出すとブルーになっちゃんだよ……彼女が、欲しいです」
「最終的にそこに集約されるんですね……」
「そういえばショクルさんって彼女欲しいとか思わないんです? 恋バナしよ、話題変えましょ、正直自分でさっきの絡みウザいと思ってたから変えますよ? これ以上僕に自己嫌悪をさせないで」
「アラムさんは自虐が激しいですね。そうですねぇ……私は、仕事一筋ですかね。アラムさんだってこれから新しい環境で忙しくなって、そんな余裕は無くなるのではないでしょうか?」
「いやいやぁー、僕は小さい頃から他の子供と同じ必須教育を受けてなくて、機械弄りばかりしてたからそういうのお腹いっぱいでさぁ~」
「そうなのですか。ですが技術開発など相当勉強しなくてはなれないものかと」
「ははは、まぁ馬鹿の一つ覚えですよ。それに、やりすぎちゃったし……」
そこに、この青年の卑屈さの原因があるのだろう。努力しの果てに結果を出したのだ。だがそれが原因で責められ彼は職を追いやられたのだから……。
「……そう言えば、何かの本で読んだのですが、女性は香りを褒められると嬉しいと書いてましたね。リベンジしましょうアラムさん。全力でサポートします。先を見据えましょう」
無理やり話の流れを変え、いや、最後の一言は彼へのエールだったのだろう。ショクルはキレスタールへのリベンジの手助けを誓ったのであった。
翌日の正午、アラムとキレスタールは変わらず魔王城を徒歩で目指していた。
アラムが名前を呼べば振り向くし、彼が疲れてきたら、その歩みの速度を少しだが落とし気遣いもしてくれてはいるが、相も変わらずキレスタールからアラムに話しかけることはない。
「……嫌われてるよねぇ。僕」
沈黙に耐え切れずアラムの顔が悲痛に歪む。どうも無視や悪口を言われ慣れている彼にとって気遣いはしてくれるものの、距離を置かれるという曖昧な対応には慣れていないらしい。
「もうはっきりと嫌いって言ってくれた方が楽だよ僕……根が優しい子に気を使われてるのに耐えられない。生きててごめんなさい」
「案外繊細な方なんですねアラムさん。なのになぜセクハラやらをする度胸はあるんですか」
「いやぁ、昔に色々あってね。癖になっちゃったんだよねぇー。具体的に言うと女の子と仲良くしようとして失敗した感じ?」
「そりゃセクハラでは失敗しますよ」
とまぁ、男二人でそんな会話をしてると、通信機に聞き慣れた女性の声が割り込んできた。
「なんでこんな男に育ってしまったんだか」
不機嫌なファナール船長の声が無線機から漏れる。
まぁ、朝起きてきて今日も一日仕事がだるいなぁっと鬱屈している時に、養子が純真無垢な修道女の女の子にセクハラをしたと聞けば当然の反応だろう。
「しかしアラムさんも苦手分野で精一杯やろうとしているのは伝わりますから、どうでしょう。ここは我々が彼女について色々と聞き出しては?」
「うむ、確かに彼女に関して我々にとって不明な点が多いな。少し切り込んで話して彼女について知る機会を作るべきだろう。その意見には賛同する……早速今夜やってみよう。ショクル、任せられるか?」
「人員が足りなければ喜んでやらせていただきますが、同性の方がした方が彼女も安心するのではないでしょうか?」
「いや、報告書には目を通したぞ。アラムの馬鹿が女子と親密に話せないから助け船を出したそうじゃないか、失敗には終わったが、ショクルとは気を許しよく話していたそうだな。ならば現段階ではお前が適任だ。まぁ、私も後ろにいて話は聞くが」
「わかりました」
淡々とアラム抜きでこれからの方針が決まっていく。まぁ彼は下っ端であちらはバイトの代表なのだ。当然と言えば当然なのだが、それでも自分の意見が無視されるのは誰だって面白くない。加えナチュナルに自分への罵声も聞こえていたのだから、この男が黙っていられるはずもない。
「ねぇねぇ酷くなーい?」
「なんだ。何か意見があるのか?」
「意見というか、人をディスるの止めて頂けませんかね?」
「む? そんなこと言ったか? まぁ無意識だ、許せ」
いやはや、どうやらファナール船長は無自覚でアラムのことを馬鹿と言っていたらしい。
「無意識なのは余計に悪いかと、駄目だこの船長、だから結婚できないんだ」
「おいアラム、帰ってきたら覚えとけよ」
「あ、無意識でーす。許してくださーい」
「こ、の、野郎!」
いつものじゃれ合いが開始されようとする。アラムからは確認できないが、きっとファナール船長の隣では自分に飛び火がこないかとショクルが冷や汗の一つや二つ流しているに違いない。
するとそんな彼に、近寄る影が一つ。
「アラム様」
すっと、耳に染み込むような声で彼の名が呼ばれた。
キレスタールは相も変わらず無表情の人形みたいな顔のまま、アラムの目をじっと見つめる。その眼力に思わずアラムは目を逸らして咳払いなどしたが、彼女は構わず言葉を続けた。
「申し訳ありませんが、昨日見せて頂いた地図を確認したいのですが宜しいでしょうか?」
「そりゃあ勿論、いいよいいよぉー」
「ありがとうございます」
「えーと、その、キレスタールさん怒ってる?」
「いえ、怒ってはおりませんが」
「うん、はい、その、はい、すみません」
相も変わらず氷みたいに全ての行動を事務的に行う彼女に、アラムはすっかり苦手意識を抱いてしまっているらしく口ごもってしまうが、少し表情を固めたまま彼は思案する。
そういえばと、この前ショクルから何かアドバイスされたようなと――。
「ごほん、キレスタールさん」
「なんでしょうか?」
彼女の目を真っ直ぐ、真剣に見つめるアラム。それにキレスタールはその鉄仮面を少し緩めかけた瞬間――。
「キレスタールさんは、いい匂い、しますね!」
「……」
この男は何か、とんでもないことを口走ったのだった。
「申し訳ありませんこちらファナール船長です。キレスタールさん。ちょっとこいつに説教する時間を頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
「……は、はぁ」
「アラム船員、即刻キレスタールさんから半径五メートル外に駆け! これは命令である。繰り返す、これは命令である!」
ファナール船長の切羽詰まった命令にアラムは反射的に従う。言葉の中に含まれた怒気を感じ取ったのだろう。そして五メートル離れた所で無線機から第一声が放たれた。
「お前最低だな」
「え、いやあの」
「お前最低だよな」
「いやぁー、これは、昨日、その」
「お前最低だわ!」
「泣きたい!」
「私が泣きたいわ! 私、一応戸籍上はお前の母親なんだからな、お前からはこっち確認できないだろうが、今恥ずかしくて顔が真っ赤なんだよ!」
なんというか、盛大な空回りだった。
「ファナール船長。一応彼の弁護をしますと先日私が女性の香りを褒めると言ってしまったので、アラム船員はそれを実践してした……んですよね?」
「言葉足らずにも程があるだろう! な、なんか、あるだろう! 何か前フリが、こう香水でも使っているんですか? いい匂いですねとかそういう言い方いくらでもあったろうに、あれじゃあただの変質者だぞ!」
そして健気にも彼の考えを汲み、弁護をしようとしたショクルに船長の怒声が鳴り響く。
「緊張して……その」
「アラム船員、土下座だ。土下座して謝ってこい、今すぐに!」
「イエス、マァム!」
そして船長命令で実行される謝罪の最終兵器、土下座。
アラムは勢いよくキレスタールの前まで走って行きズサーッとスピードを殺しきれず土下座のポーズのまま地面を滑る。変質者であることには変わりなかった。
「先ほどは、誠に、申し訳ありませんでしたぁー!」
「……あの、それよりも地図を見たいのですが」
「はい、いくらでも見てください!」
とまぁ、彼の渾身の謝罪が彼女にどう受け入れられたは不明のまま、彼女の前に投影されるホログラムの地図。その間アラムはずっと土下座のポーズだった。
「やはり……アラム様、これを見てください」
「すみませんでした!」
「ここにある崖を背にした大きな建築物が理解できますでしょうか?」
「僕たちが助かったあかつきには高級なお菓子でお詫び……え、何?」
言われ、そそくさと立ち上がりキレスタールが指差す場所をまじまじと見つめるアラム。確かに地図の上に、なにやら巨大な人工物と思わしきものがあった。
「これまで見てきた廃村じゃあない……これ、要塞か何かですかね?」
「はい、崖を背にして安易に攻め込まれないようにしております。予測ですが、この建造物に隠れて洞窟か何かあるのではないでしょうか?」
地形からこの建物の用途を予測するキレスタール。なるほど、確かにどこからどうみてもこれは“要塞”としか思えないだろう。
「アラム様、ここで仲間を募りましょう」
それは相談なのか、はたまた決定事項なのか。キレスタールはそうアラムにそう告げる。
だがアラムは今までのふざけた顔つきから神妙なものへと変わっていた。
「いや、正直僕は気乗りしないです。これ、どう考えても山賊か何かの拠点でしょう?」
「承知の上です。山賊の中ならば腕利きの方がいるかもしれません。それに、ここの方たちは元勇者の方もいらっしゃるかもしれませんし」
そう、それだ。彼女が前話していた勇者崩れの山賊の話がアラムの頭に浮かんだのだ。
「元は勇者、説得すれば今一度魔王討伐に奮起してくださる可能性もあるやもしれません。無論賛同してくださる方は少ないかもしれませんが、現状戦力を考えると必須かと」
そう、彼女のこの申し出は単なる理想論ではない。きちんと現状を見て下された堅実な判断なのだ。現状の戦力、つまりアラムとキレスタールだけでは魔王討伐など不可能に近い。なので山賊と関わるという多少のリスクを冒してでも仲間を募りたいのはアラムとて同じだった。
だがそれでも、アラムは唸ったまま彼女の意見には賛同しなかった。
「アラムさん、彼女の意見に僕も賛同しますよ。二人だけで魔王討伐は不可能、ならばここで仲間を――」
「いや、ショクルさん。その考えは理解できるんだけど僕が山賊ならこう考えますからね? 魔王を倒すなんて大博打より、ノコノコやってきた人質を捕まえて国に国外に逃げる交渉材料にすれば一番自分たちが助かる可能性が高い、とね」
相手ならどう考えるか、相手の望むべきことは何か、相手の最善手は何か。それを割り出せる情報をすでにアラムは手に入れていた。
あの老夫婦の夫から聞いた話、まだ本人から聞いていないがキレスタールがかつての仲間から受けていたであろう仕打ち、そしてここまでにくるまで見てきた廃村の数々。
「あと一週間でこの国は終わる。彼らに捕まって国に脅迫文が送られるのに数日、もう時間的に僕たちは解放しても国はあっさり僕たちを見捨てる可能性が高いでしょう。ならば国境沿いに行き上の判断を仰ぐ間もなく、警備兵にキレスタールさんを殺すと脅せば……ってところですかね。ただでさえ人間は女子供が殺されるのに嫌悪感を抱くものですから」
「それでも……」
「わかってます。キレスタールさんの考えには僕も賛同してます。だからって考え無しに行動しちゃあいけないんですよ。今、交渉が決別した場合どうやって逃げれるかを考えてから乗り込まないと……でも」
「でも?」
「何も思いつきません。どうしましょう! 皆考えて一緒に、ね!」
先程までショクルとキレスタールまでもがアラムの話に聞き入っていたのに、当の本人はこの有様だった。すると通信機から長いため息が聞こえてきた。
「はぁー、そんなところだろうと思ったよアラム、貴様の思考回路は熟知している。鋭いが機械弄りしか得意分野が無い貴様だからな。こういうのは苦手だろうさ」
「すみませーん馬鹿で、ファナール船長いい案考えてください、元現場の先鋭の意見を!」
「まぁ、この場合定石は二つある。一つは門前交渉だ。要塞に入ってしまえば抜け出すのは不可能、要塞の門前での交渉が必須だ。次に相手に対する報酬だが、一緒に魔王討伐をして助かりましょうというだけでは交渉材料になり得ない。魔王討伐の後富豪をキレスタールさんに口添えしてもらう約束は……」
「正直それ無理でしょう。今この国戦争に負けそうなんだよ。そんな国と約束なんて無理無理、信用なんて皆無でしょうし」
「言ってみただけだ。はぁーこれだから敗戦間近の国ってのは厄介なんだ。人間追い込まれたら何するかわからんからな……アラム隊員正直に言おう、交渉材料が不安しかない。危ない橋だが、現状で魔王城に突入するよりかはマシだ。私を恨んで行ってこい」
「はいはい了解、生きてまた嫌味言ってやりますよ、船長殿」
「まったくもって可愛くない奴だ……死ぬなよ馬鹿者」
「まぁ手土産の入手は是が非でもしないといけないですしね」
「手土産? なんだそれ、私に何かくれるのか?」
「まぁ忙しい我が最愛の船長の為、仕事を増やしてやりますよ」
「おい、仕事を増やそうとするな馬鹿者!」
虎穴に入らずんば虎児を得ず。さて、危険を冒してまで投げられた賽はどんな目を出すのだろうか。
次回、1月10日12時に更新します。