第二章「彼ら彼女らの日常は騒がしい」 十五話
赤毛の女剣士の負傷後、試合は一時中断されていた。
まるで葬式のように静まり返った会場で、十分ほどの時が流れた。慌ただしく動く会場スタッフは右から左へと走り、なにやら忙しそうにしている。
「え、ええ……と、カーインチーム……棄権はしないようで、はい……で、では試合を続行します!」
辛うじて実況がなんとか言葉を絞り出す。このまま試合続行をしていいのか結論が出たので、盛り上げるべき観客を置き去りにして試合を進行させるつもりなのだろう。
「カーインさん。やっぱりあれをやります」
試合が今まさに再開されようとする時、アラムはカーインにそう宣言した。それをカーインは苦しそうな表情で小刻みに首を振って否定する。
「駄目、こなたがその役をやるからアラム君はここにいて! 死んじゃう!」
「いや、カーインさんがやられたら負けちゃうんですよ? 一応、戦闘員扱いである僕が行きます。それに、これは元をたどれば僕の戦いなんですから。キレスタールさん、短期決戦で行きますので……ターゲットの足止めを頼みます!」
青年が珍しく強情にそう決める。唯一の前衛職が欠け、もはやこれ以上の戦闘は破綻している。されど、青年は未だ勝負を捨てていないのだ。
いや違う。あの審判に言い寄られた時、彼はそれを捨てかけた。残されたマァとこの少女を案じて敗北を受け入れようとした。
それでも青年は僅かな勝ちの可能性を頭の中で探ってはいたのだ。この青年は、心が折れたところで止まりはしない。その無謀を、仲間に強いようとはしなかっただけのこと――。
それが、この他者から人ではない者として扱われてきたキレスタールにはどれほど眩しいか。自分の命が大事だと吠えながらも身勝手になれず、他者を重んじる。矛盾していて、それでも本当に人間らしいその在り方に少女は戦う勇気を見いだせるのだ。
魔王の結界を破った時も、落ちた女神に挑んだ後ろ姿を見ていたのだから、最初から少女の答えなど決まっていた。
「それでは両者、いいですか……試合、再開!」
試合再開の合図が成される。だが姫騎士からは仕掛けてこない。余裕の表情だ。唯一の前衛職は戦闘不能、もはやこれは後衛狩りの消化試合としか考えていないのだろう。
「ですがキレスタールさん、危ないと思ったら迷わず棄権してください。ここは命を捨てる場面では無いですからね!」
試合開始直後、アラムがキレスタールにそう語りかける。
それに、少女はこう返答した。
「ご安心を、私めはあたなの守り人ですから、破られません」
一歩、修道女が歩みを進める。
「それにアラム様は、私めを助けてくれました」
二歩、少女はその足を前に出す。
「だから、その恩に報います。その道行を照らします! その為にこの船に乗ったのです。私めは、キレスタールは貴方様の盾なれば! ならば、遠慮せずお使いください!」
三歩、宝石の髪の守り人はその脚で目の前にいる強敵へと駆けだした。
それを愚かな行為として姫騎士は鼻で笑い見下す。力無き者がいかに努力しても届かぬ高みがあることをこの女は知っていた。かつて、自分がそうであったように、否、今も世界を崩す怪物を倒すに足りない自らの力を呪っているからこそ、その姿が滑稽に見えた。
「はぁあ!」
圧の無い雄叫びと細い腕で掲げられる魔術の杖、根っからの前衛役であったショーラがいなくなった今、付け焼刃のこの前衛など文字通り一吹きで観客席まで吹き飛ばせるだろう。
事実、その頭に浮かんだ光景を現実のものと変えるべく暴風が鞘から放たれる。風の鞭が空気をはねのけながら少女に迫り、その華奢な体に襲い掛かった。
「!?」
――果たして、驚きはどちらのものだったか、確かに風の鞭は少女を吹き飛ばし、いとも簡単にその両脚を地面から離させる。が、それ以上吹き飛ばない。
彼女は吹き飛ばされない様に背中に結界を張り、吐血しながら風の暴力に耐えつつ、姫騎士を睨んでいたのだ。
「……はぁ」
だが、そんなもの“くだらない”と姫騎士はため息をこれ見よがしに吐いてみせた。無駄に足掻き、この試合を無為に伸ばしている少女を鼻で笑う。
「無駄な努力をしてくれる」
「私めは、あの方を守るのです」
「まだ言うか。貴様では私に勝て――」
「私めは! あの方を守ると誓ったのです!」
やがて暴風が止まり、結界に貼り付けにされていた少女はすぐさま突進する。
正方形の結界を杖の先端に付けた鈍器で彼女の頭を狙うも、簡単に姫騎士の鞘に弾かれた。
だが、それがどうしたとキレスタールは空気中に複数の棘状の結界を発動させ、姫騎士に打ち込むも、その身にまとった風に阻害されかき消される。
こんな石ころ同様の攻撃、姫騎士ならば避けれた・だが避けるまでもなかった為に彼女の攻撃を避けなかっただけ。それに微かな苛立ちを覚え、姫騎士は少女に警告を発する。
「肉ぐらいは抉り取られる覚悟しておけ」
「舐めないでください! たとえ骨が折れようと諦めません!」
険しい表情で、決死であるとそんな姫騎士の忠告をかき消しその言葉と共に再び杖で殴りつけようとその杖を振るう。
おおよそ、剣術の指南を受けていない初心者丸出しの技に舌打ちをしてから、姫騎士は風を纏った鞘で打ち返そうとしたその瞬間――。
「リフレクト!」
少女により反射魔術が瞬時展開する。ただただ敵を侮っていた姫騎士は、己の攻撃に再び吹き飛ばされていた。それを隙と見てマァの水弾が姫騎士に飛んでくる。それを吹き飛ばされつつ姫騎士は冷静に腕を振って起こした暴風で相殺し、会場を再び雨で濡らした。
そして、その雨に濡れた金の髪の隙間から、自らを敵として睨む少女と鋭い視線を交差させた。その目は確かに見開かれていた。
「お、おい。あの子、一発入れたぞ」
「キ、キレスタール選手、奮闘! なんと、結界術者が前衛の本職に一撃を浴びせましたぁ!」
観客がざわつき、実況も驚く。だが一番驚いたのは、リフレクトで吹き飛ばされたマレカ本人であった。
「――なぜだ?」
吹き飛ばされ床に転がったままで、その言葉を最初に口にしたのはマレカであった。それは質問にすらならないほど小さな声だったが、少女にはその声が聞こえたのか、答えが返ってきた。
「単純に、私めだけでは足りえないのです。本当に遺憾ですが、この先アラム様を守るにはあの魔王めが必須。ラウフ様にはあなたのような強い方がいますが、こちらは私め一人ですので」
「何を言うかと思えば……ここで負け、魔王を手放してもすぐに死ぬわけでは無し――」
「今すぐであれば良い訳が無いのです。私めたちの仕事は死亡率が高いと聞きました。ならば近い未来で、あの魔王めの存在でいつか生死を分かつ時もくるでしょう……主の命が掛かっているならば、高潔たる獅子に挑む覚悟ぐらいはします」
キレスタールの攻撃は全てこの姫騎士には通じない。だが他でもない彼女自身の攻撃ならば通じる。戦える術はある。闘志もある。実力差など最初から承知。少女はただただ守り人としてそこに立っていた。
「――ああ、そうか……は、なぜだと? 私は何を言った。いつから阿呆になった?」
奮闘に沸いていた会場も次第に静かになり、なぜここまで必死に? と、そんな疑問が会場を埋め尽くされる。それはアラムの隣にいるカーインとて例外ではない。青年とこの少女の物語を知るものはこの船において数少ない。
されど、絶対に勝てない強者に挑むその少女の姿は、敵である姫騎士の心までも響かせた。彼女は自らをあの青年の守り人であるとよく口にする。その役はこの姫騎士も同じ、彼女もまたラウフの守り人なのだ。
「私は愚かだ。この少女を嗤うことはつまり――しかも、同じ理由で戦っている」
姫騎士が、己を嘲笑した。
魔王一人のアラムと違い、あの陽光の王には過剰なほどの戦力が備わっている。しかしラウフが目指すは災厄の打破。ならば余分な戦力など存在しない。ディザスターを打ち倒すにはあの魔王の力はラウフにも必須なのだ。
双方、譲れない。両者、主の為に立ち敵を倒さんとする者――あの少女を笑うことは、自らを笑うも等しいと姫騎士は気が付いたらしい。
「失礼、礼を欠いた」
短く、床に倒れていた体を起こしながら、謝罪の言葉を口にする姫騎士。
たとえ格下であれ、己と同じ志を持つ相手をどうして軽んじれようか?
――今、少女の前にいるのはかつてこの船に来たばかりの亡国の姫だ。背後にいる陽光の王に誓いを立て、敵をせん滅すると誓ったあの日の非力な小娘だ。そして、目が覚めたと言わんばかり清々しい表情で少女を見すえる。
「そういえば、本当に今更なのだが――」
「はい?」
「決闘の前の名乗りを上げていなかった。我が名はマレカ、この船を統べるべきお方であるラウフ様に仕える、一振りの剣なり!」
「……キレスタール。アラム様の盾であり守り人です!」
「なれば盾よ。この剣から命に代えても主を守ってみせよ!」
「言われなくとも!」
その瞬間、これが見たかったとばかりにその口上に会場が沸いき、ラウフの口元に笑みが作られる。
それを真の開戦の合図とした剣は風の槍となり少女めがけて飛んでいく。それを少女はリフレクターで躊躇なく跳ね返した。
そう、カウンターでの封殺。それこそが今キレスタールにできる唯一の攻撃方法、されど――。
「読んでいたぞ!」
先程と同じ、己が攻撃で吹き飛ばされたはずの姫騎士が風の塊を背後に作り出し、その場に留まる。
そしてそのまま二度目の攻撃を放った。鞘を軸とした刺突は二度目の風の鞭は少女の反射結界を粉々に砕いた。先ほどのキレスタールの戦法の模倣である。
結界が砕け散り、我て宙を舞うステンドグラスの破片を思わせるその中で、少女は決死の表情のまま新たな結界を作り出す。今度は反射結界では無い。耐久力を重視した通常の結界だ。
反射結界は強力だが、欠点としての耐久力にやや難がある。あの姫騎士を二度、受け止めるには強度が足りないのだ。
ゆえに少女は攻勢から得意の防御へと戦術を切り替える。普通ならばそこでジリ貧、攻撃手段が無くなった瞬間勝負がつく、が、こちらはなにもキレスタール一人が戦っているのではない。
「マァ様!」
通常の結界で姫騎士の連撃を止めた瞬間、少女の一声で先ほど振った雨によりできた水溜まりから水弾が発射される。たとえ粉砕されても液体なのだから蒸発しない限り再度攻撃に利用できるということらしい。
この勝負は初めから多対一。客席からは僅かにブーイングが飛んだが、卑怯と罵る道理は無い。
「く、仕込みか!」
思わぬトラップに結界に激突したままの姫騎士が足元からの水弾に再び風をぶつけて相殺するも、一つだけ防ぎきれずその肩を水弾が命中、だがこの姫騎士は二重の鎧を纏っていた。
身を包む鉄の鎧、そして風魔術による防壁、その風の鎧を貫通し威力を落として肩の鎧部分に命中しても大した威力にならない。
「濡れたわね!」
だがそれでいい。それを確認した瞬間、マァは指を鳴らすと、瞬く間に姫騎士の肩は凍てついた。
「何!?」
「あんた、風魔術が最強とか思ってない? 水魔術だって氷魔術と組み合わせればこういうこともできるんだからね! 第一ねぇ、魔術の扱いが本職であるアタシに敵う訳ないで、しょ、う、が!」
一瞬、右肩を凍らされ思考を中断した姫騎士に水弾による追撃がなされる。そのほとんどは姫騎士の一つ目の鎧を通さずに無力化されるが、足に一発、同に一発貫通し鎧を凍らせ続ける。
「致命傷ではない、が! 早々に後衛狩りをせねばならないか!」
流石に氷漬けはまずいと判断し、姫騎士は空間に風の壁をいくつも作り出しそれを蹴り跳ねながら、鳥の様な速さでマァへと迫る。体を完全に凍らされる前に魔女を仕留める腹積もりらしい。。
「ちょ、バカ! 本当にゴリ押し姫じゃない! そんなの反則でしょう!」
魔女は水弾の弾幕を展開し迫りくる脅威に抵抗するも、風を使い弾幕を感知し全てを空中で攻撃を躱しきる姫騎士。そして慌てふためくマァの頭蓋を的確に狙った鞘の一振りを当て――。
「なんてね。バーカ♡」
殺生禁止のルールを忘れ、頭を砕いた瞬間、自らを小馬鹿にする魔女の言葉と共に大量の水が姫騎士に浴びせられた。どうやらその全力の一撃の為、瞬間的に風の鎧を作る魔力をもその一振りに回したらしく、姫騎士は完全にずぶ濡れとなった。
「――く!? これは水で造った分身か!」
これは水魔術で造った水の人形、精巧にマァに似せたそれを姫騎士は鞘で叩き切ったのだ。
いつから? そんなもの決まっている。この姫騎士がいくら油断していても主であるラウフが常に戦況を見ているはずだ。その主が彼女に知っていて忠告をしない訳もない。ならば、この“試合が始まる前から水の分身は本体と入れ替わっていた”のだろう。
「よっしゃ、引っかったぁわよ!」
気づけばマァが興奮してガッツポーズを決めつつ、カーインを守る為に彼女の前に立っていた。
今までどこにいたのかという疑問は、すぐさま術の解除が間に合わず彼女の足が光の屈折により消えている現象を確認して晴れる。これも水魔術、ガウハルの訓練で指摘された対接近戦用の切り札であった。
「く……魔女め。これが最初から狙いか!」
一杯食わされたことに顔を歪ますも、姫騎士は念の為と言わんばかりに至近距離で崩れ去る水の分身から放たれる水弾を風の鎧で防ぎながら、氷漬けで動かぬ肉体で眼球を動かし、状況を確認する。
姫騎士の脳裏に、一つの疑問が生まれたからだ。そう言えば……あの青年はどこにいった?
「――狙いはラウフ様か!」
「のわぁああああああ! バレたぁ!」
姫騎士が自らを認識したと気が付き、こそこそと会場の隅を移動していたアラムが駆けだす。これがアラムの作戦だった。この試合は存在感を消すことに徹すると彼は言っていたが、どうやらバレずにラウフに近づき一気にチェックメイトを決めるらしい。
「よし! これであのセクハラ男がカーインのお兄さんをボコれば!」
「……妹君様、もしかして、知らないのですか? 自らの兄がどういうお方か?」
と、流石に至近距離の水弾は捌ききれなかったのか、すでに頭意外が凍り付いている姫騎士が心底不思議そうにカーインにそう問いかける。
「ラウフ様のチームで最弱は確かに私、魔王を戦闘させない条件で最弱の私をこの場に引きずり出した。それはあの軟弱者の策だった。そう、最弱は私……その最弱という評価は“あの方を含めて”の評価だとなぜ思わなか――」
パキパキと顔を半分凍らせたところで、姫騎士の言葉が途切れた。
「へ?」
一瞬、頭の理解が追い付けず呆けるカーイン。だがこの言葉に謎でもなんでもなく、ただストレートに意味を解釈すれば自ずと姫騎士が言いたいことなど理解できるはずだ。
つまりそれは、この姫騎士よりもラウフの方が強い、という意味ではないか?
「アラム君!」
「よくぞ、私の麗しの姫騎士を打倒した。素晴らしい……君は本当に素晴らしいが私の保険に気が付かなかった君の敗北だよアラム君。そう、一対三ではなく二対五と言った私の思惑に気がつかなかった君の落ち度だ」
「は?」
そう、青年は再びこの陽光の王に嵌められていたのだ。決死に足を動かしラウフに届く位置まで来た瞬間、何か熱い光が青年に飛んできて――。
「アラム様!」
少女の結界により、火球は青年に届かず弾き返された。
リフレクトだ。少年を殺せば失格する為、威力を落とした魔術は反射結界に跳ね返されるも、すぐさまラウフが作り出した氷塊に相殺される。
彼の師をこの船において最高峰であるモアッレム・アルセルフ。ゆえにたった数年で純粋な接近戦という条件を除き、マレカを倒せるほどの優秀な魔術師と成っていた。
ひとえに、ディザスターを倒すという一念のみで魔術師の究極にその脚を踏み入れていた才能の塊がこの陽光の王。凡人がラウフを打倒するなどありえない、ありえないのだが――。
「それがどうした! 今しかない!」
敵を計り違えたのはラウフも同じである。彼は凡夫ではなく正しく狂人であった。
かの魔王ガウハルさえ認めた諦めの悪さがここに来て発動する。恐怖で心が叫んでも尚、彼は前に動く。
ならば、今から飛び込む場所が地獄だと知ったところでその足は止めまい。たとえ、火の玉の後に飛ばされた氷の矢に腹を貫かれたとしても!
「っ、正気か!」
――いや、狂気だ。追い込まれたこの青年はかの双角の魔王の思惑すら凌駕するのだ。知恵はいらない。ただ痛みに耐え進むだけならば容易いと青年は笑みを顔に貼り付け、驚くラウフの両手首を掴んだ。
「な、なななんと! なんの役にも立たないと思われたアラム選手がラウフ様に肉薄ぅ!」
実況もこれには驚き、観客も今まで存在感を殺していた青年にくぎ付けになる。今この時、アラムはキングを打倒せんとするジョーカーへと成り代わった。
「よっしゃ、合法的にイケメンをボコれるぞぉ!」
両者立ったまま肉薄している状態。ここにきてそんなことに歓喜しているアラムは、アドレナリンに脳内を満たされハイになっている狂人となっていた。
もし、彼がまともに強ければ、ラウフが手加減して攻撃を放つことはなかった。いっそあそこの姫騎士と同じくアラムを氷漬けにしてしまえば、こんな事態にならなかっただろう。
その実力差に青年が助けられたのだ。殺生禁止のルールがここに来てラウフの枷となり、青年の追い風となる。そして、アラムは頭をのけぞらせ、ふさがった両手の代わりに頭突きを食らわせようとして――。
「甘い!」
ラウフが宙に作り出した氷の塊に思いっき青年はり頭を打ち付けた。ご丁寧に棘だらけの氷塊に頭突きをして青年は頭から赤い血が噴出するが、これだけではこの青年は怯まない。
人間、立ったまま頭を突き出せば足が後ろに上がる。ならば次は蹴り、しかし一度蹴ったぐらいで人間はダウンしない。非力な青年ならば尚更だ。だが“アラムは男でありラウフもまた、男である”のだ。弱点がある。
「食らえ下克上ぉ!」
メリッと、いや、ミシッか? そんな嫌な音が確かに会場の全員の耳に届いた。陽光の王の体は微かに宙に浮いていた――そう、アラムに男の弱点を蹴り上げられていたのだ。
その瞬間、会場が静まり返る。あんの馬鹿はなんてことをしてくれたんだと誰もが思っただろう。なにやら遠くからあのガウハルの豪快な笑い声が聞こえてきたのは、果たして青年の幻聴だったのだろうか?
「くっこのぉ!」
されど陽光の王も意地を見せる。冷や汗を流しながら後ろに倒れながらも、アラムを自身に攻撃した同じ位置に。カウンターを食らわせてみせたのだ。かつて、こんな最低なクロスカウンターが歴史上にあっただろうか?
「ぐぉお!」
これにはたまらずアラムも脂汗を額に流す。まさにあの魔王を手に入れようとする信念が成した技であった。そしてお互い金的を決め、地面でのたうち回るアラムとは違い、ラウフはその優雅さを辛うじて残し、苦しみながらも四つん這いになり、最終的に立ち上がる。その折れぬ姿に会場が沸いた。勝者はやはり彼であると讃えかけ――。
「アラム君に、何すんじゃあああ!」
そんな、彼女の声を聞いた。
脳が危機と判断し、ラウフの時がゆっくりとしたものに切り替わる。彼の身を案じ一直線に自分に飛んできた我が妹に、その兵器とも呼べる手の平を向ける。半泣きで、荒れた白い髪が更に乱しながら走り来る彼女は、ラウフとの距離をぐんぐんと詰める。
構わず手の平を前に突き出す。ラウフとは違いカーインも青年同様に普通の人間だ。だが先ほどの失態を繰り返す訳にはいかない。徹底的にやらねば手痛い反撃を食らうことはすでに学習した。
火の玉でその綺麗な顔を焼くか、氷の矢で青年同様に腹を貫くか、はたまた別の魔術で死なない程度に痛みつけるか。ディザスターを倒す為ならば、なんでもする。
顔を知らぬ母の故郷を滅ぼしたあの怪物を、姫騎士の故郷を滅ぼしたあの怪物を倒す為ならば、この命ささげる覚悟などすでに誓い尽くした。
だから、妹に何をどう浴びせようかラウフは迷って、攻撃をすること自体に迷っていることにこんなところで気が付いてしまった――。
「ああ……お母さん。どうやら、私も人の子みたいだ」
――そんな台詞を吐いて、大人しく妹が掲げていた木剣を頭で受け止め、大の字で床に背中から倒れた。
「こんのぉお!」
「いや、カーイン、手加減。この兄に、ぐ、手加減を、だね?」
「アラム君になんてことを!」
「いや、それには私も、抗議したい……先に、金的! をしか、けたのは、あちらだ。というか、待ちたまえ! 躊躇なく、木剣で、無抵抗の兄を、ぶたないでくれないか?」
「兄さまが、負けを、認めるまでぇ! やめ、ない! からねぇ!」
「ああ、わかった。認める。私のぉ! 負けだ、カーイン、だから、その手を止めて、くれ」
その瞬間、先ほどまで兄を滅多打ちにしていたカーインの木剣が振り上げられた状態でピタリと止まり……なぜか最後の一回、ダメ押しで兄に思いっきり最後木剣で頭を叩いた。
「……最後のは何かな?」
「えっと……お兄様、なんて」
「君とアラム君の勝ちだ……まったく、こんなおかしな(愛おしい)妹を持ったのが私の運の尽きだった訳かな。カーイン……」
そう手を伸ばし、妹の頬を撫でてから目を瞑るラウフ。気は失っていない。そもそも非力な妹が振るう木刀にポカポカ叩かれても、痣が一つできたぐらいですんでいた。けれど、兄は敗北したのだ。
「……し、試合終了ぉ! しょ、勝者なんと、カーインチーム!」
騒然、怒り、笑い。様々な感情が会場で交じり合い、大穴を狙わず堅実なラウフに賭けられた賭け券が会場に舞った。まさに大どんでん返し、奇跡の大勝利であった。
「ア、アラム様! お気を確かに!」
「ぐおおおおぉ!」
まぁ、そんな大勝利が決定した瞬間、肝心のこの青年は喜ぶ余裕など一切存在せず。あたふたとしている少女に心配されながら、股間を押さえて地面で悶絶していた……本当に、どこまでも恰好が付かないのが、この青年なのであった。
次回更新は明日の朝六時の予定です。




