第一章「この繋がりを持てたことを、きっと彼は誇るのだろう」 十四話
昔、アラムはある本を読んだ。
子供の頃、周囲から孤立していた時期に一冊のマンガと小説の間のような本を読んだ。
誰が書いたのか、手作り感満載のその本を当時少年だった彼は夢中になった。
主人公はただの子供、戦う才など無く道中味方にした強い味方におんぶに抱っこでなんとか旅を続け、周囲に呆れられながら口八丁で困難を乗り越えるも途中、絶望のどん底に落とされる。
仲間が狡猾な王に捕らえられ一人罪人として国を追われる。だが主人公は道中であった少女に助けられ、元気を貰い力を付け再び国へと帰ってきた。
そして発揮される主人公の口八丁、狡猾な王の策を逆に利用し民衆を仲間に付け、国に迫る危機を見事に跳ね除ける。
ただの英雄譚。しかし当時少年は話を読み終え大きな感動と失望を覚えた。ああ、素晴らしい物語だ。なのに続きが無い。
本の最後はめでたしめでたしというお決まりの言葉で締めくくられていた。が、当時少年だった彼はそれに不満を抱いた。
――嫌だ。その続きこそ見たいのだと。
苦難を乗り越えた者が、皆を幸せにした者が、一人の少女を救った少年がその後が知りたくて知りたくて堪らなかったのだ。
「どうしてこうなった。僕は交渉にきただけなのに!」
現実逃避から、思考を遊ばせていた青年はそう嘆く。額から流れ出た汗が滴り落ちるのも、もう何度目だろう。アラムは眼前の光景に悪態を吐かねば気が済まなかったのだろう。
魔王ガウハルから出した条件はこうだ。どんな攻撃でもいいから魔王自ら張った結界を貫け、ただそれだけ、それができればアラムという男を信じてやると、彼は言い切った。
「降参か?」
「いやいや! ここまでトントン拍子できたんですからこれぐらいの逆向乗り越えないと、むしろ安心したぐらいですよ、ええ! でもちょっとぐらい結界の耐久性下げてくれませんかね、本当に。後でお菓子あげるんで、お願いします!」
「ははは! やはり面白いな貴様。うむ、魅惑的な提案だが……断る、手は抜かんぞ」
必死に頭を動かしながらも、減らず口を叩くアラム。
少し血の気が引き青くなった顔を見れば誰もがそれを強がりだろうと判断するだろう。実際いつも不運な彼のこの言葉に嘘偽りは無いのだろう。
(……無理だ、人間如きにあの方に傷を付けれるはずがない)
(――無謀)
そのやり取りを見ながら心の中でそう呟いたのは、魔王ガウハルが認めた三将のアーセファとサルジェだ。魔王ガウハルが今張っている結界はアーセファでは破ることは不可能、サルジェならば全力で攻撃すればなんとか、というぐらいの強度なのだ。
並の魔族ならば決して傷つけること叶わぬその魔王の盾を破れれば、アラムは魔王のみならず晴れて周囲の者にすら認められるだろう。
「ロケランならいけたかもしれないけど……最初あの蛇か鳥かわからない珍妙な化け物倒すのに使っちゃったし、サルジェさんに怪我させた対物ライフルもヒビ入れれたけどすぐ結界は再生したし、ええい、もっと給料が僕に支給されてたらいい武器作ってたのに!」
そう、アラムはすでに最大火力を失っていた。
過去、彼が自分の少ない給料を投資し、ゴミ捨て場から拾い集めたパーツを寄せ集めて作った兵器の中で、最大火力と思われるその二つはすでに残弾がゼロの為、使用不可能だ。
今は取りあえず武器を出して攻撃しながら、何かいい案はないかと頭を悩ましている。
「アラム様……」
祈りながらその様子を見ていたキレスタールが不安そうに彼の名を呼ぶ。
はっきりと言えば、詰んでいた。
惜しみなく煙が上がり、銃声と共に鉛玉が消費されていく。だが魔王ガウハルの張った薄紫色をしたこの半透明の薄い薄い結界を貫けない。最初、時折跳弾してくる弾丸に驚いていたが、今はそんなこと気にも留めていないらしい。
「畜生、なんでだ!」
焦る。脂汗が額から流れる。死の恐怖、責任が背中から肉と骨を軋ませる。胃が捻じれ腹から喉へ吐き気が昇る。青年は後ろにいる自分を信じてくれている少女の顔が見れなかった。
そんなアラムに更に追い打ちがなされる。
「っ!?」
はっと、青年の息が詰まる音がした。
火山だ。先ほどまでたまに地響きを起こし火口で爆発を起こしていた火山が、今までとは比べ物にならないほどの轟音と共に赤き大地の血潮を噴き出した。
噴火が、人類を焼く業火が放たれた。幾つもの魔界の地に掘られた巨大な溝をなぞり人の住む大地へと送られていく。
「時間切れか……」
「……まだ、まだだ、まだなんだ!」
「いや、諦めるがいい。もうすでに――」
「そんなの、そんなの諦められる訳ないだろうがぁ!」
それは、爆発だった。アラムの感情の箱の蓋が爆ぜ開き口から言葉の濁流が吐き出される。
「命だぞ、簡単に諦められるか! 死んだら全部そこで終わりなんだよ。僕は、僕はもう命が失われようとしている時に、何もしないで震えてるなんてごめんなんだ!」
「……」
叫ぶ、命の価値を。叫ぶ、過去の懺悔を。
そして青年らしからぬ決死の形相で、魔王ガウハルの結界に走り寄り、弾を吐き出し鈍器となった銃を無意味と承知で魔王ガウハルの結界に叩きつけながら彼は叫び続ける。
「妹みたいに思っていたナキも! 親友だったナドバもいつもからかってきたカタルも、カリーザも……アインも! 止めれなかった。死なないでって言えなかった!」
初めて聞く名前。されどキレスタールにはそれが誰なのか理解できた。
ファナール船長から聞いたアラムの過去。彼が幼少の頃過ごした世界で彼と共に生き最後、銃で自らの頭を撃ち抜き死んでいった子供たち。きっとその子たちの名前なのだろう。
十年経っても、未だに、彼の中からその名が消えていないのだ。
「僕は! 僕は、僕は……」
「……折れたか」
何もできず、ただ結界を叩き続けながらも膝から崩れ落ちそうな青年をつまらなそうに眺めながら、ガウハルはそう判断する。だが、その目は徐々に疑問の色に染められていった。
――結界を叩き続ける腕が止まらない。諦めていない訳ではないのだ。確かに青年は絶望の淵に落ちながらもその腕を止めない。よく見れば目に光は無い、気力などとうに尽きているだろう。なのにこの青年は壊れた機械のように同じ動作を繰り返す。
「――貴様」
「まだだ……」
声に力など無い。まるで死に際の老父の如き気力の無さだ。されど燃えカスはいつまでたってもその小さな灯を絶やすことはない。
そうだ。アラムは心が折れてなおも無意識的に前へと進もうと足掻き続けている。それは彼の人生が常に絶望に染められていたからだ。英雄などには程遠い平凡さで、ただ積み上げた知識と化学が武器の青年は元々、人間として壊れても止まられないという壊れ方をしていたのだ。
「物理攻撃が駄目なら魔力の供給を防げ! いや駄目だその手は無いさっきも三回ぐらい考えたろ、無駄だ! 思い出せ、何かこの世界の物理法則について僕は聞いている可能性があるはずだろうが!」
ブツブツと青年は何度も何度も結界に銃をぶつけながら思考を回し続ける。
魔王ガウハルもこれは想像したことすらない。絶望に打ちひしがれる弱者も、決して苦難に心折れぬ勇者も見てきた、だが、これはなんだと驚愕していた。
執念の極致か、いや、そんな褒められたものではない。気持ちが悪いと称するか? 否、確かにそうだがこれはそんな罵倒一つで片づけられない。痛々しいと憐れむか? 違う。壊死した足で走り回るこの男に憐れなどという感情は湧かない。
悍ましい。ああそうだ。これはその言葉こそ相応しい。人間の強さ、それも神話に書かれる英雄のような気高いものではなく狂気を孕んだ異常な強さだ。
「驚いたぞ人間、いや、人を見る目は養っていたと思っていたがなかなかどうして。貴様、追い込まれてから化けの皮を剥がす狂人か。折れぬ心ではなく折れてもなお進もうとするか!」
思考に溺れる青年の耳に届かぬのが承知で、魔王が賛辞を贈る。
「だが、それでも――」
努力や情熱が実を結ぶことなど少ない。どれほど身を粉にしようと人の身一つで解決できることなど僅かなのだ。
「エネルギー、熱。そうだなんで今まで思い出せなかった! 言ってたじゃないかこの世界の結界は熱や溶解液による融解に弱いって。熱! 火、火炎だ!」
されど、何度も挑戦し、研鑽を重ねることでしか人は大事を成せないのだ。
青年の瞳に光が戻る。何度も思考を回し、過去の情報を整理し続けた結果、光明を見出し、折れた心を無理やり直し魔王を睨む。
「コード、フレイムフリンガ―!」
フレイムフリンガ―、つまり火炎放射器の召喚を試みるアラム。だが彼の前に光が発生しバチバチと電気を走らせた後そこには何も現れない。
「……なんでだよ。コード! フレイムフリンガ―!」
再度火炎放射器の召喚を試みるアラム、だが今度は何も起きない。
「……(最悪だ、故障!? このタイミングで)」
その不運を青年は呪った。彼は常に不幸な部類だが、まさかここで頼みの綱(召喚装置の回線)が切れるなど思いもしなかったのだろう。
「考えろ、考えろ考えろ!」
再度頭を回す。突破口は見えた。火だ。熱エネルギー、しかも強力な力が必要だろう。
何かないかと周囲を見る。壁に掛けてあるかがり火、あんな物では火力が足りない。どうにかして外の溶岩を持ってこれないかと窓の外を見るが、非現実的だし何より時間が無い。
「なんでもいい、武器じゃなくてもいいから取りあえず火……」
そこで何か、アラムの脳裏で何かが引っかかった。
ある。武器ではないがあの魔王の張る結界を破る道具が――。
「……ある!」
一時停止していたアラムはすぐさまキレスタールの元に走る。
「アラム様!?」
「キレスタールさん僕の荷物を!」
リュックだ。この旅を始める前、バイトから持ってきた彼の荷物。
そこに何を入れた? テント、充電式のライト、そして、作りかけの「ヒートカッター」だ。
「ぁあああああ!」
奇声を上げドタバタと走りながら、造りかけのヒートカッターの電源を入れて魔王が展開する薄紫の結界に荒々しくぶつけた。
まるで灼熱に溶けた鉄の粒が飛散するように、結界を溶解していく。効果覿面だ。だがそれはその飛散した熱を帯びた魔力の残滓がアラムに襲い掛かっていることも示していた。
「あが、ぁああああああ!」
皮膚に穴を開ける火の粒に襲われながらも、アラムはヒートカッターを手放さない。通常これを使う時は耐熱性が高い防護服を身に纏うのだが、着替える時間も、そもそもそんな物ここには無い。
ゆえに捨て身、いや、ここにきて己の身に気を使えるほどアラムという青年には余裕が無かっただけだろう。だから、決死の覚悟をしたのは皮膚を焼く痛みを受けてから、彼は跳んでくる火の粒から眼球を守る為、目を閉じながらまるで祈るように。
そんな彼を見守るキレスタールも神に祈る。細い腕を上げ、目蓋を強く締めて彼女は生まれてから一番強く祈りを捧げる。
「……ああ」
二人を見て、魔王ガウハルは小さな、とても小さな吐息を漏らした。
それは感動か。まるで昔日に得られなかった答えを訓えられたような――。
「いーったい熱い、熱い熱い!」
すでに結界はほとんど溶け、穴が開くのは時間の問題。周囲の者が目を見開き、息を飲みその光景を見る中、更なる不幸が青年を襲う。
唐突にヒートカッターはブツンと音を立てて、その灼熱の刃が赤から黒へと変わって(冷めて)いく。
壊れた、そもそも出力調整もできない未完成品、ここまで魔王の結界を損傷できただけでも驚愕すべきことだ。
「……惜しか――」
「ああああああああああああ!」
瞬間、やけくそな叫び声と共に、熱でドロドロに溶けた結界に細腕が突っ込まれる。
「――」
その行為にここにいる全ての者が言葉を失った。魔王ガウハルでさえ目を丸く見開き自らの眼前に迫ったその手を見ることしかできなかった。
彼が今したことは焼けただれた鉄に手を突っ込むのと同義だ。一度対物ライフルで傷を付けた時、結界の修復は速かった。少しでも腕を突っ込むことを戸惑えばこうはならなかっただろう。
そう、彼はその行為を、躊躇なく行ったのだ。
皮膚が黒く焼けると同時に、アラムの脳は警報を鳴らし反射的に腕は結界から引き抜かれる。だが瞬きの間とはいえただの凡人であるアラムが魔王の結界を貫いたのだ。
――そう、魔王ガウハルは敗れた。アラムの執念が勝利したのだ。
「アラム様!」
激痛により勝利の喜びなど感じる余裕がないアラムは、絶叫を上げながら床の上で転げ回っているとキレスタールが素早く彼の治療に施す。腕は焼け焦げた黒に変色した皮膚と赤い血の二色しか見当たらなかったが、すぐさま回復魔術により元の姿に修復されていく。
「……は、はは、ははは、ふはははははははは!」
「ガウハル様、お怪我は!」
「無い。それよりアーセファ、見たか。抜いたぞ! 只人が、凡骨が、凡夫がなぁ! 我が結界を、ふははははははは! 破ったぞ。愉快、ああ快挙だ! 実に痛快よ。まっこと快事、ははははは!」
魔王ガウハルの豪笑が響く。
敗者であるはずの者が高笑いをあげ、勝者であるはずの者が床に転がっている。とてもアラムが勝者であると言える状況ではないが、それでも勝ちは勝ちだ。魔王ガウハルは勢いよく玉座から立ち上がり、窓より火口から溶岩を垂れ流す火山を見やり手をかざす。
「では、約定は守らねばなぁ!」
するとどうだ。瞬く間に地響きが起き、勢いよく流れている火山の流れが滞ってきた。
「はぁー、はぁ……キレスタールさん。どうなってるの? もう僕、痛みでなんか頭が回らないんだけど、ていうか涙止まらない。あと漏らした……」
「そ、その、私めもよくわかりませんが、地震と共に溶岩の流れが止まったのでしょうか?」
腕が治っても脳が痛みを覚えてしまっているのか、泣きながら必死に腕をさすっているアラムがキレスタールに確認を行う。それを見て魔王ガウハルはやけに自慢げな顔でこう言い放った。
「報酬は払ったぞ栗毛、我が力で地形を動かし溶岩流をせき止めたのだ。まぁ少しばかり溶岩が人界に落ちたやもしれんがまぁ死人は出ていないだろうよ。魔界との境界に住まう人などいないだろうからな、そこは許せよ栗毛」
「地形を……動かした?」
「そうとも栗毛、我はガウハル、全ての物質を意のままに操る魔王よ。魔術は……まぁ、部下の模範でな。得手ではない、が、さきほど張っていた結界も必死で得た技の一つ……だが敗れる者はそういない。そして、そこに転がっている男はそれを壊した」
まるで周囲に言い聞かせるようにガウハルは身振り手振りでキレスタールに介抱されているアラムを指差し大仰な言葉を発する。
「同胞を殺し我らが土地を犯した人は憎い。我も同じだが、されどこ奴は示した。執念をもって我が試練を超えた。なれば我は認めなければならん。聞こう、異論はあるか? こ奴の示した大勇を、魔王ガウハルを相手に引かなかった蛮勇を下らぬと蔑む者はいるか!」
反論など出なかった。ここにいるほとんどの魔族は人間を憎み恨んでいるだろう。だが、さきほど彼が見せた捨て身の行動は彼らの心の奥底を震えさせた。弱者が強者に挑みそれを下す。それは太古から怪物退治を成し民を救った英雄と呼ばれるに相応しい行為だ。
いささか物語にするには格好がつかないが、それでも自分の腕を焼け焦がしてまで自分の意見を貫こうとした者を目の当たりにしそれを鼻で笑うものなどいない。
「うむ、よかろう。ああよかろうて! では我ら魔族一同、この者の口車に乗ろうか! なに、騙されたのならば我を責めよ。全て事が上々に進めば自らの運を誇れ! ここに魔王ガウハルの名の元に、アラムという男を我らが救世主と認める!」
魔王ガウハルはそう高らかに宣言する。かくしてアラムは見事魔王ガウハルに己を認めさせたのだ。深く息を吐き出すサルジェ、そして一筋の涙を零すキレスタール。だがそれを成したとうの本人はポカンとして、周囲に説明を求める様に見渡していた。
「……キレスタールさん、僕さ、痛みで頭が馬鹿になってるのか思考がまとまらないんだけど、僕はやったの? なんか魔王さんテンションおかしいのはわかるんだけどさ」
「はい、はい! はい! アラム様は成し遂げました! 成し遂げました……ありがとうございます! ありがとう、本当にありがとうございます」
「ああ……うん、それは良かったよ本当に――うん、良かったよ」
少女に強く抱きしめられたことにより、初めて自分の成功を知りアラムはゆっくりと瞳を閉じる。
それはまるで何もかも成し遂げ死にゆく戦士の様に、青年は穏やかな夢に沈んでいくのだった。




