第七章「希望はきっと打ちあがる」 四話
――齢を重ねた男がいた。
寡黙で、揺らがず、ただ淡々と己が任務をこなす白髪交じりの男であった。生物というより、腰に佩いたそれ同様、一振りの刀を思わせるその男は今日も“鉄笠”を頭に被り日課である見回りに精を出していた。
だが、この見回りに意味など無い。もう、随分とここら辺を潜む野党など存在しないからだ。何年も前にこの男が全て殺し尽くした。
だというのに男はこの習慣を止めることはない。この世は油断した者から命を奪われるということを、この男は熟知している。
この黒い長雨で腐り脆くなっているはずの木々を蹴り飛びながら男は周囲を注意深く観察していく。昨日まで生えている果物、花、茸の位置までもこの男は記憶している。だからこそ、洞窟に住む恐ろしい主のことも熟知していた。
呪いに侵された大熊は、ここら近辺で一番の危険だ。この男にかかれば仕留めることも可能ではあったが、あえて野放しにすることにより他の脅威を寄せ受けない抑止となるので、時折様子を伺い、自分に害が無いか確認しにきてた。
「……何事か」
だが、その熊は住処の洞窟の前で骨となっていた。足跡から食い荒らしたのはここらにたまにやって来る同じく呪いに侵された狼の群れだろうと男はすぐに判断できたが、この大熊にあの狼共は歯が立たないはずだ。
だが寿命で死ぬほど老いておらず、病の兆候も無かった。
「人の痕跡、か」
柔らかくぬかるんだ地面の上、空から降り注ぐ黒雨で少し消えかかっていたが足跡と何か棒を突き刺している後を男が見つけるのにそう時間は掛からなかった。
跡が消えないうちに、男は隼の如き動きで木々の間を飛び捜索を開始する。
「密偵となれば殺すしかあるまいが……隠密に通じるものならば見つけるのは困難……わざを痕跡を残し、掛かった者を何かしらの罠である可能性もあるが……いや、捨て置けぬな」
そんな物騒なことを口にする男。だが、足跡の主は拍子抜けするほど簡単に見つかった。ものの数分離れた開けた道の真ん中に倒れていたのだ。
最初は警戒した。倒れているその青年を見つけてもすぐに近づかず、石を投げ、次に顔すれすれに刃物を投げ反応を伺うも、本当に気絶しているのかピクリともしない。
数分後、刀を抜き忍び足でその青年に近づく白髪交じりの男、そしてその刀の切っ先で青年の右腕を突いてみせた。
「面妖な……鋼の義手とは。しかしこれは……誰にこんな雑な治療を施されたのか」
「……カー……イン」
と、青年が何かを言うと、すぐさまそこから半歩飛びのき刀を構える男。だが先ほど言葉はうわ言か何かであるとすぐに男には理解できた。
一瞬、白髪交じりの男は青年の首に刀の切っ先を向けた。介錯をするつもりだったのだろうか?
「ぁあ……た……す」
だがその言葉を聞いた瞬間、白髪交じりの男の顔が僅かに緩んだ。ほんの、誰かが見てもそして数分、悩んでから刀を鞘に納めた。
そして、そのまま意識を失っているアラムを肩に担いで黒い雨の中を風の様に駆けていったのだった。
雨音が少し遠くに感じられた。
「……屋根だ」
アラムは目が覚めてから早々、この世界に来て初めて見た人工物に大きな感動を覚えた。助けられたという安堵、だがすぐさま自分の体調に絶望することとなる。
重くはあるが風邪の症状だろう。だがこの菌は十中八九、船で感染したものではない。ならば抗体を持っている可能性が低いこの世界の菌がアラムの体を蝕んでいた。
「ぁ……」
ふと、自分が死ぬ可能性が脳裏をよぎり不安と絶望に顔を染めるも、現状を把握しようと布団に寝たまま首だけ動かし周囲を見る。
しかし灯りが一切無く何も見えず、青年は闇の中で苦悶の表情を浮かべながら必死に周囲を探る。その瞬間、一つの小さな火がついた。
「生きているか?」
落ち着き払った男の声であった。
ぼんやりとした小さな光を灯す皿に、その首元を照らされた男がそう目を覚ましたアラムに質問する。よく見ると、その男はボロの着物を着ていたが不思議とみすぼらしさは感じなかった。
「……多分、生きています」
変な質問をする男、助けたアラムを幽霊か何かと思ったのだろうか?
「家族はいるのか、それとも仲間は?」
と、次の質問に、少しアラムは戸惑う。そこはまず名前とかを聞くべきではないのかと思ったのだろう。だが、弱り切っている青年はそんなことを口にできずただ正直に質問に答えるしかなかった。
「えぇっと、仲間とはぐれました。生きているかは……不明です。宝石みたいな髪の毛の女の子と、長い黒髪の女性でして……見かけませんでしたか?」
「いや、見ていない」
と、明かりを灯した皿が上がると同時に、男の顔を青年は確認した。
白髪交じりの頭に傷みたいな深いしわがあるのだが、その男の顔から老いなど感じなかった。若さも感じないが、滲み出る生物として強さがこの男が現役の戦う者だと証明していた。
「ここに来た目的は?」
「目的……人を、知人を助けにやってきまして。はぐれた仲間とは別に、ここら辺で行方不明になった白く若い女の子と、あと口が悪い赤髪の――」
「そうか、あの娘らの……」
その白髪交じりの男の言葉に、アラムは少し活力を取り戻した。
「知って……いるんですか」
「ああ、今は“城”に捕らわれている。死んではいないだろうが……あまりいい扱いはされていないだろう」
「他に情報は?」
「無い……それと腕だが……」
「はい?」
「その腕、少し弄らせてもらった。知らぬ技法と素材であったが理解できる範囲で改善させてもらった。あと、傷口の処置が甘かったので薬草を塗りこんでおいた。今頭にある熱も雑なことをして体力を消耗したからだろう。寝ている間に薬も処方した」
「どうも……あなたは義手に精通してるんですか?」
「付け焼刃だ。だが手先は器用な方だ……この身には必要ないが……昔、死んだ仲間にせがまれて試行錯誤で作ったことがある……その時の杵柄だ」
「あの、今更ですけど助けてくださいましてありがとうござ、ごほ! おぅ、おぇ!」
「吐き気か?」
「あぇ、なんか、いきなり気持ち悪く……」
「ならば寝ろ、体がまだ無理をさせんのだろう。それに……目覚めたばかりで解せぬだろうが今は夜更けだ。話は朝日が昇ってからでいいか?」
「あ、はい。あの、深夜に起こしてしまってすみません」
「いい、寝ろ」
それだけ言って、白髪の男は油が入った皿の火を噴き消した。
「……(なんだろう。知らない人なのになんだか傍にいて安心する人だな)」
そんな感想を抱きながらアラムは焦る気持ちを抑えながら体力回復に努める。そして、数分もしない内に深い眠りに落ちたのであった。
刃を研ぐ音でアラムは目を覚ました。
時刻は早朝、だが雨の為外は薄暗く気持ちも良い朝とは言えなかった。
そもそもこの青年は今は病人だ。そんなものは望めないだろう。
「……おはようございます」
「辛いなら寝ていろ。それでも話はできる」
恩人であろう人物に挨拶をするも、気だるさを隠しきれない青年に白髪交じりの男はそう言う。ぶっきら棒な言い方ではあるが、刺々しさは感じない。人と話すこと自体が面倒と感じる人物なのかとアラムは面食らっていたが、昨晩の会話を思い出せば必要な情報を簡潔に伝えてはくれている。ただただ、そういう話し方が身についているのだろう。
「腹は?」
と、刃物を研ぐ作業を止めずに白髪の男はそう聞いてくる。
「あ、自分で用意でき……」
反射的に答えしまったとアラムが言葉を止めた。確かに自分で用意はできるが召喚システムでインスタント食品を出さなければならない。そんな場面をこの人に見られたらどう思われるのかと考えたのだろう。
「どうした」
「いえ……」
「待っていろ」
そう言われ、部屋を眺めながら大人しく待つアラム。
昨夜は暗闇で見えなかったが、ここは小屋で、中にはずらりと武器が壁にかけられていた。炉と金床、他にも鉄を鍛える為の槌や熱した鉄を挟む道具やら冷やす為の水槽やらアラムでも名前のわからない物が沢山あった。
「鍛冶屋を営んでいるのですか?」
「いや……使う側だ」
こんな所に住んでいるのに鍛冶屋ではないのかとアラムが訝しんだが、どうやら自分で使う道具は自分で作る人物らしい。そういえば昨夜、手先が器用な方だと言っていたことを思い出し青年はそれ以上何も言わなかった。
「草粥だ」
「あ、ありがとうございます」
アラムの目に見えない場所で炊飯を行う場所があるのか、小屋の奥から随分と質素な物を持ってくる白髪交じりの男。
「……(不味いとかじゃなくて味がしない)」
ドロドロにした茶色い米に何か緑の物が交じったそれを飲む様に食すアラム。だが口に合わなかったのか感想を言葉にしまいとするも、その眉をひそめた顔に感想が出ていた。
「不味いだろうが我慢しろ。体にはいい」
「あ、いえ。大変美味しゅうございます」
「……そうか」
取って付けた青年のお世辞に妙な顔をしながら白髪交じりの男はそう返す。気を使ったつもりが逆に気を使われたみたいだ。
「あの、それでそろそろお名前を……ああ、僕はアラムと言います」
「この身に名は無い。ただの無銘の一振りだ」
「え、あの」
「名は無い。珍しいのか? だがそういうものだ」
「ナイさん?」
「違う」
名前が無い。そんな人間と初めて会いどうしていいのかと少し混乱するアラム。
「おい、お前とでも呼べばいい」
「いやそれは流石に失礼なので……ではその、一振りさんとでも呼びます」
「……好きにしろ。それより体調は?」
聞かれ、自分のおでこを触ってみるアラム。
「まだ、熱があるとは思います……」
「なら無理をせず横になれ、回復するまでここで療養するといい」
「その、厄介になっても?」
「今更だろう」
今更、そう言われ返す言葉もなくアラムはぺこりと頭を下げて布団に潜る。
カーインを助けに異界へと飛び、最初に出会ったこの名無しの男はそれを見てから再び刃を研ぎ始めるのであった
――あれから十日ほどが時間が流れた。
カーインをすぐ助けなければならないという焦る気持ちはあったが、病にかかっている青年が外に飛び出す訳にはいかない。むしろできることなど寝ながらやれることしかなかったのだから、彼は大人しくするしかなかった。
まずは突貫工事で作った右腕を思い通りに動かすリハビリが青年の日課となった。十日経った今では付けたばかりの頃よりスムーズに動いている。自分の神経と機械に無理やりつないだその腕は思いの外、出来が良かったらしい。
「まぁ、一振りさんが改良してくれたおかげってのが大きいんだろうけど」
そう言いつつ右腕の具合を確かめるアラム。この青年に科学技術はあれど医療知識はほぼ皆無だ。なのにこれほどまでに動かせるようになっているのはやはり、アラムの言う通りあの自分のことを一振りの刀などと自称する男の技術あってこそなのだろう。
その証拠としてアラムが自分の腕を見ると知らない傷が綺麗に糸で閉じられていた。ここに運び込まれ気絶している間に神経と機械の接合をやり直してくれたのだろうことが理解できた。
「しかし、なんでもできるな……あの人」
ここ数日でわかったことは、あの人物が鍛冶から始まり薬学に医術、棚に仕舞ってある書物から兵法、多くの武術にも精通しているらしいことである。
その本人はというと今は留守だ。毎日、昼ぐらいになるとアラムに昼食を置いてふらりと出て夕方ぐらいには帰ってくるのだ。何をしているのかと聞いてみると見回りらしい。
なのでアラムも美しい長い黒髪を持つ自信たっぷりな女性と宝石みたいな髪を持つ女の子がいないかとあの一振りさんに頼んでいた。
「まぁ……自分でも探してるんだけど」
家主の留守中、偵察機を飛ばしここらあたりの地形の把握と二人の捜索をしていたのだ。
その結果わかったのはここら近辺の地形はほとんどが山であること、そして遠くに一振りが話しに出た例のカーインが連れ去られた城が本当にあるということだけだった。
特に変わった場所など無い。だが洞窟など雨風を凌げそうな場所を徹底的に洗い出し、偵察機を使い調査を続けるアラム。すでにここら周辺に大小含め三十近い洞窟を発見したがそのどこにも人の痕跡はない。
だが時間の許す限りその洞窟にルアネかキレスタールがいないか何度も何度も調べてしまう。この行為に大きな意味など無いことは理解しているのだが、こうして何か小さな希望が転がっていないかとつい同じ作業をしてしまうのだろう。
焦りが積もり、嫌な予感が胸を焦がし、二人の死体が頭の中で形作られる。自分の命が助かったと実感できてから余裕ができて、青年は心配に押しつぶされそうになっていた。その証拠にストレスから青年は無言で吐き気を堪えていた。
だが、いやだからこそ安静になどしていられず捜索活動を止められないらしい。しかし皮肉と言うべきかそんな無駄な作業のおかげで彼の鉄の腕は精密な機械操作をできるように短期間で鍛えられていた。今では偵察機のデバイスを問題なく操作できている。
しかし顔色が悪く、ついにストレスで胃が収縮し吐き気を我慢できずにえずく始末だ。
「おっ――げほぉ! ぁあ……くっそ、きっついなぁ。はぁ、一旦落ち着こう……しかし、この雨止まないなぁ」
無理やり意識を行方不明の二人から逸らす為に、外で少し弱まったがパラパラと振る黒い雨を窓から眺めるアラム。呪いの雨ということらしいが、どういう理屈で振っているのか……青年がここに来てからこの雨が弱まることはあっても止むことはなかった。
「ん? 何あれ」
曇天の空を青年がボケっと見ていると何かがその中をのたうち回るように空を移動していた。よく観察してみるものの、正体まではわからず青年は群れをつくる鳥か何かだと判断し、布団に寝転がった。
「……カーインさん、それにキレスタールさんとルアネさんも無事だといいんだけど」
意識を逸らそうと外を眺めるも、やはり二人のことが頭から離れなかったらしくそんなことを口にする。無力感と焦燥感に襲われ青年が頭を抱えて布団の上で悶え始める。
すると、小屋の戸が開いた。雨天でわかりにくかったが夕方に近い時間だったらしく家主が戻ってきたらしい。
「おかえりなさい」
「ああ……」
アラムが体を起こし戻ってきた一振りを迎える。この雨だが濡れてはいない。この人物は出かける時それはもう大きな鉄の笠を頭に被って外に出るのだ。一度アラムが頼んで持たせてもらったがかなり重く、こんな物をよく頭に被って歩けるなと感心したほどだ。
「大事無いか?」
「ええ、今日は特に調子がいいです。熱も前から下がってますし」
「そうか、それと土産話がある」
そう前置きをし、鉄笠を入口の壁に掛けて一振りは確かにこう言った。
「お前の仲間らしき女人を見つけた」
アラム君はこの歳なのにストレスにより胃がやられております。皆さんも無茶しすぎるとこうなるよ!




