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第七章「希望はきっと打ちあがる」 三話



 蛇か、それとも芋虫と形容すべきか。

 長雨の影響なのか、やたらぬかるんだ地面を這って生まれた一本の線は引かれていた。

 アラムだ。腕を無くしたと同時にバランス感覚も失って立ち上がることさえできなかった彼は、切断された右腕に止血剤と抗菌剤を投与し安全な場所へと地面を這いずり移動していた。

 泣いて、喚いて、激痛に意識を失いかけながらも切断した腕をベルトの様な物で縛りつけ止血。そして偵察機を飛ばし、少し離れた場所に洞窟を見つけたのだ。そこから普通に歩いて約二十分、それを一時間弱ほどの時間を掛け、嗚咽を漏らしながら張ってなんとかその洞窟が見える位置にまでたどり着いていた。

 黒雨の中を這いずると、地面のどす黒い水たまりに赤い液体が混ざるが、すぐに激しい雨により元の黒色に染め上げられる。


「ぁあああああああああああああああ!」


 這いずりながら気合を入れる為に叫ぶ。苦悶の表情で、痛みを誤魔化す為に一つ一つの動作が大きくなっていた。そして、やっとのことで雨風を凌げる洞窟の入口に着くと、岩肌に背中を預けて一息付けた。

 すると、少しだけ気が抜けたのかアラムの目が胡乱になり意識を飛びかける。だが、激痛により意識が無理やり覚醒される。拷問みたいなこの状況に息が荒くなり、苦痛に表情を歪ませるながらなんとか落ち着こうとし、削ぐ目の前を通しすぎる小さな虫を苦しそうな顔のまま目で追っていた。

 そしてその三十分後に涙だと鼻水と血を流しながら、荒れていた息をなんとか収められた。


「しけ、止血剤打ったのに出血が……いや、普通は大量出血で死ぬか……というかショック死しなかったのは、悪運が良かったからか……ああぁ、いや、そんなこと、考えてる場合じゃ」


 洞窟の入口でブツブツと中身の無い言葉を呟きながら、素人知識で無くなった腕の治療を行うアラム。

 雨から逃れても未だ命の危機は過ぎ去っていない。低体温症で体の震えは止まらず、唇は紫色で顔面蒼白で震えて鳴ければ死人と変わらない見た目をしていた。

 血と栄養、そして熱がまず足りないが、食事をする気力はすでに無い。ただでさえ貧弱な青年が片腕を失いここまで這ってたどり着いたことさえ奇跡なのだ。


「呪い……呪いの雨、一応装備は呪いから身を守ってくれる魔術はかけて貰ってきたけど、どこまで軽減されるかは未知数って説明されて、あぁ、いったい。痛い! 思考が上手くできない! くそぉ……」


 叫んでみて痛みを紛らわす。もはや顔から垂れる大粒の雫は雨なんか脂汗なのか不明だ。


「痛い、痛い、痛い! 痛い! いたぁ……いた……キレス……カー……イ……」


 そして、そのままアラムは意識を落とす。激痛よりも疲労が打ち勝った瞬間、電池が切れた様にそのまま眠る様に気絶したのだった。





 激痛により中々気絶できなかった青年を叩き起こしたのはまたも激痛であった。

 だが場所が違う、腕ではなく足に激痛を感じて青年の意識は強制的に覚醒したのだ。


「あぁ、ああああああああああああ!」


 あまりにも情けない男の悲鳴が上がる。だがそれはやはり無理からぬことだ。何かが足に刺さり、骨に到達する感触というものを青年は生まれて初めて経験したのだから誰が責められよう。

 今までも酷い怪我は何度かしてきたが、今回のそれはやたら“ゆっくり”だったのだ。その生々しい痛みと恐怖心で取り乱すのは人間なれば当然である。


「ひっ」


 力いっぱい叫んで、青年は目の前にいるものを確認すると、声を引きつらせた。

 熊だった。頭のあちこちから黒い触手を生やした熊みたいな何かがアラムの足を噛んでいたのだ。

 ――それを確認した瞬間、青年は洞窟の外へと人間フリスビーみたいに回転しながら飛ばされる。熊がその首の力だけで咥えたアラムを外へと放り投げたのだ。

 土砂降りの中で青年は首から着地し、首の骨がゴギギギと小爆発したような音を聞く。生まれて初めて聞くような異音であった。


「コード、コード! ハンドガン!」


 混乱し、死に物狂いで青年は拳銃を召喚する。片腕なのだから拳銃を出すのは悪い選択肢ではない……だがそれは相手が人間の話であればだ。

 必死に引き金を何度も引いて頭に拳銃を当てるも弾があの熊の皮膚を貫かない。選択肢を誤ったと後悔した時、熊はすでにこちらに猛スピードで迫る。


「なぁん、がぁああぎゃあああああ!」


 普通の叫び声というより悲鳴に近い大声で気合を捻りだして、青年は普通の足とつぶれた片足を使い一瞬立ち上がり、思いっきり横へと飛びその熊の突進を避けた。


「コード、ショットガァン!」


 アラムはそう言って散弾銃を出す。大きさは彼の腕と同様、それを足で挟んで照準を合わせて熊へ発砲すると、巨大な獣は初めて悲鳴を上げた。


「っつう!」


 スライドアクション式だった為に、ハンドグリップを太ももに挟んだまま前後するのに苦戦するアラム。足に挟んで片手で銃を撃ったことなど初めてのことだから手間取ったのだろう。

 だがそれをこれ幸いと見て、熊は急アクセルを踏んだ車みたいに距離を詰めてくる。口からやたら粘性のある涎を垂らし、アラムを食い殺そうと迫る。

 しかしそれも遅かった。もう一度変な体勢のまま青年の散弾銃が火を噴く。熊は頭から触手を暴れさせながら前のめりに倒れるも、すぐさま立ち上がろうとする。


「あぁ! ああああ! わぁああああ!」


 一度でコツをつかんだのか、何度も、何度も、何度も青年は威嚇らしき大声を出しながら散弾銃を発砲、排莢を繰り返す。そして、全ての弾を吐き切った後、ただ雨音のみが世界を包み込んだ。


「……はぁ、はぁー、はぁーあ! はっ! はぁ! はぁ……はぁーぁー」


 大きく息を吸い、大きく息を吐く。緊張状態から解放された青年はその場で大の字に伸びるも、すぐさま熊が吐血しながら唸っているのを聞いて、恐怖に駆られて新しい銃を召喚し再び発砲し続け止めをさした。


「……竜ほどじゃないけど、これが大型生物。生命力が……高すぎる」


 と、アラムが獣の生命力に驚嘆していると今度は熊の頭から出ていた触手がうねうねと動き、目や口から数匹の蛇の様にくねくねと体を動かしどこかに逃げていく。


「嘘だろ……あの気持ち悪いの寄生虫なのか……じゃあ僕の噛まれたけど足……」


 急いで確認すると、青年の足にヒルの様な小さな生物が傷口に引っ付いていた。アラムはぞわりとした顔となり、これは大変だと洞窟へと這って帰るとすぐさまそのヒルをライターみたいな物をポケットから出して火で炙り、召喚した何かの機械で自分の体を念入りに調べ始めた。


「体の奥に入り込まなかったのも幸運だし、肉を食い破るタイプじゃなくて良かった……あんな気持ち悪いのに奇声されるなんて大金詰まれても嫌だよ」


 念入りにもう一度、そしてもう一度スキャンして安全を確認した後に、消毒、緊急用の医療アンプルを取り出し、自分で何度も注射をしていく。


「これは……足も大変だけど、これだけ打てばまぁなんとかなるとして……あとは腕、腕が無いと、カーインさんどころか自分の命すら守れない。今は……アドレナリンでなんとか意識保ててるけど……アドレナリン……が出てて傷が塞がってない今の内なら……」


 その一言で、青年が止まった。


「…………仕方ない、仕方ない、仕方ないんだ、くそぉ! コード、ナイフ!」


 そんな、諦めと心底嫌だという感情が混ざった眼で、青年は自嘲気味に笑う。


「ああ、一からハニーンを作ったんだ! 古いけど材料もあるし人工知能の助けを借りながらやれば形ぐらいには整えられるはず……くそぉ、我ながらなんでこんなこと思いつくんだよ。痛いの嫌だ、嫌だ、あぁ嫌だ! あはは、くそ!」


 もし、泣き言を喚きながら作っているその笑みを他の誰かが見れば、ただ一言“狂っていると”評しただろう。

 そして青年は壮絶な覚悟と共に、荷物から取り出したタオルを口に巻いたのだった。





 それは、地獄の刑とでも呼ぶべき所業であった。

 召喚した水を飲み、食糧を食べ、足の怪我に成分もよく理解できない強烈な治療薬を投与し、青年はこの洞窟で何度目かの夜を乗り越えた。

 無論、ただ生きる為だけの行為を繰り返していた訳ではない。アラムは失った右腕を作っていたのだ。

 ――麻酔など無い。いや、あっても使えない。痛みで青年はその行為の手ごたえを探るしかなかったからだ。傷口を召喚したライターで火で熱したナイフで掘り返し、神経を探し出し、鉄を自らの肉に食い込ませる。激痛に泣きながら、噛んだタオル越しに叫びながら幾度も気絶し、覚醒してその作業を繰り返して数日が過ぎていたのだ。

 右腕の傷口が塞がる前に、いや、塞がっていれば“切り開いて”昔作ってそのままにしていたハニーン腕のスペアを自分の神経と結合させる。無論、アラムに医療知識やその技術など無い。人工知能の指示や勘じみた意見を見てその鉄の腕を完成させていた。

 ――今、憔悴した青年の右には骨みたいに細い銀の腕が生えていた。

元々ハニーン、つまり女性用アンドロイドの部品だがこれは人間の腕に近づける前に作った試作の腕なのだろう。あまりにも細く、むき出しで、なんとも頼りない新しい青年の腕だった。


「……」


 疲れ果てた顔で右の接合部を左手で握りつぶすように掴みながら、アラムはただじっとしていた。新しい痛みで狂気じみた手術の代償を消し去ろうとしたがその程度でその代償は消えてくれない。

 炎症は勿論、時間が経てば膿ができ蛆虫でも集るだろう……馬鹿になった鼻でもわかる異臭の中、アラムは冷めきった表情で洞窟の外を見た。

 熊の数時間で死骸は骨だけになっていた。アラムが鉄の腕を接合している時、犬に似た生物の群れが食い散らかしたのだ。

 無論、憔悴して頬がこけたアラムも弱っている獲物と判断されじりじりと距離を詰められたが恐がらず冷静に銃を何度か発砲して追い払った。適切な行動ができたのはきっと、あの熊との死闘を経験していたからだろう。

 その後鳥がやって来て、よくわからない小さな生き物がやってきて、熊はほとんど骨に変えられたのだ。まだ骨についている破片みたいな肉は腐ってから腐肉食の微生物や虫が片づけ、いつかはあの骨も無くなるのだろう。


「腕……腐らないかこれ……いや、もう考えるの疲れた……疲れた」


 そう言って細身にしてはやたら重く感じる右腕をゆっくりと持ち上げ、ぎこちなく指を曲げていくアラム。


「生きてはいるんだ……生きてるんだ。生きてるなら、まだ――行動しないと」


 そして、立ち上がろうとする青年。しかしうまく起き上がれない。足の怪我、片腕が鉄になった重みによるバランス感覚の崩壊、そして単純な肉体と精神の疲弊。

 考えられる原因など、いくらでも思いつける。だが、それでも青年は諦めず、一時間ぐらい奮闘し、なんとか立ち上がった。

 休憩するという発想など、あの熊に襲われた時点で頭から消えうせた。そして杖変わりのパイプを召喚し、当てのない移動を開始した。

 常人ならばすでに絶望で動けなくなっているであろう。アラムとてすでに心は折れかけている。だが、青年はそれでもバイトが事前調査で得ていた情報と数日前から飛ばしていた偵察機を飛ばし調べていた周辺地図を確認しながら、行動する。


「一番近くに小屋があるのか……助けを、求めよう」


 地獄の苦しみの中、青年は一歩、また一歩と歩みを進める――全ては、あの白い娘を助ける為に。



以上、転送失敗の幸運例(生存してるから)

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