第六章「親と子は歩み寄る」 十八話
コトンと、机の上にホログラムの視界を映すスコープが置かれる。
これは純血主義の王たる彼の部下が造った物で、少し重かった。よくできてはいるが、使用者の負担をあまり考えておらず、赤獅子の様な男は目が疲れたのか眉間にしわを作りながら目頭を押さえた。
「――やっと話し合いが終わったらしい。当代の純血主義を統べる王はなんとも仕事熱心なことだよ」
そんな純血主義の王に、声が掛けられる。ここはこの王の自室で、虫一匹立ち入ることができない聖域だ。幾重もの厳重なセキュリティーとガードマンに守られたこの船で一番堅牢な城の玉座のはずだが、そこに招かれざれる客が二名、その部屋にいた。女だ。いや、片方は女かどうかも不明な奇抜な体をしているが、体のラインからぎりぎり女性と割り出せた。
この壁を全て本棚にしたその二つの部屋の壁を撤去されて作られたような長細い部屋にはこの王の娘と息子すら立ち入ったことのない仕事部屋だったのだが……一応、来客用のソファーと机はあるらしく、そこにある人影を見てぼそりとこの部屋の主は呟いた。
「……予定通り釣れたか」
一人はただ黙って扉の前に立ち、一人はあまり使われていないであろう横に長い来客用のソファーを占領するように座っている。だがその侵入者に対し、王は対して驚かず、あまつさえペンを持ち書類仕事まで始めたのだから、侵入者の方が驚きを隠せなかったようだ。
「ほほう、私を釣ったと? いや、丘釣りに引っ掛かった覚えは無いのだがね?」
「無駄な会話など求めてはいない。お前に問うのは一つだけだ。その技術で死者の模倣品を作ることは可能か?」
「言いたいことは多々あるが、まずは無断で忍び込んだ身だ。謝罪としてその問いに答えるとしよう。可能ではあるが無意味だよ、精巧に作れば作るほど荒というものは目立つだろう?」
「弟子と同じ返答か……アラム、あの男の師とはお前のことだな? 予言者ターレブ」
「おや、そっちの名前を知っているかね。もう古くから純血主義内部は腐りに腐っていたはずだが……当代の純血主義の長はなかなか侮れないらしい。まぁ、あの娘と子息を見ればわかり切っていたことだがね。優秀な子に恵まれたな、ザイーム・ヴァンクロード?」
ザイーム。それがラウフとカーインの父の名前らしい。名を呼ばれ赤獅子の様な髪と髭を持つ男はペンを止め、目を細めた。
「息子も私の名前など知っていないはずだが?」
「ああ、私も調べていてその徹底ぶりに呆れを通り越して感心したよ。まさか家族にもその名を明かさず、自分の情報を秘匿しながらただただ純血主義という血族をこの船の裏で存続させているとはね。君、自分の年齢をこの場で言えるかね?」
「そんなものは忘却した。そして無意味な情報だ。で、どこで私の名前を知った?」
「随分と熱心に聞いてくるじゃないか。問いは一つでは?」
「……ではそちらの要件を聞こう。そこにいる連れと黙ってこの部屋を出ていくというならばそれでも良いが?」
探るような話し合いを切り上げ、純血主義の王、ザイームは書類仕事を再開して急かすようにターレブ女医にそう訊ねる。
「まさか、ここに来るのには苦労したのだよ。顔だけ見て出ていくなど徒労に過ぎる。まぁ、主に骨を折ったのはそこの扉近くにいる彼女だがね。で、本題に戻るとして要件を言わせてもらうとだ。まぁ、私がここに来た理由は馬鹿弟子の監督責任を果たしに――」
「先の話し合いでアラム戦闘員の技術提供を持って本人と周辺の人物を害することは決定した」
だから話はこれで終わりだと言いたげなザイーム氏、それに透明の体を持つ女医は「はっ!」と吐き捨てるように笑ってみせた。
「だが、それは正式な決定ではないだろう?」
「何が言いたい? こちらが約定破りをするとでも?」
「するだろう? 君ではなく君の部下がね。後で知らないと言われてもと思ってね。君の数少ない資料からその行動パターンを組み上げたら、思いもよらぬ結果が出たのだよ」
「……話は手短にした方が好印象だと思わないか?」
「ああ、それは私もそうは思うがね。それでも星の数ほど言葉を吐き尽くさねば本当の意味も、思いも伝わらないし風化していくものこともあるのだよ」
そんな詩的なことで話を煙に巻いてみせるターレブ女医、するとこの部屋で一人沈黙を貫いていた者が苛立ちと共に口を開いた。
「いつになったら私の番は回ってくるのかしら? あの子の師というからここに忍び込むまで協力してあげたけど……いつ手下連中がこの扉を蹴り破るとも知れないのよ? のんびりお話をされても困るのだけれど? 時間は貴重よ?」
長い黒髪の女が話を急かす。その女にザイームは見覚えでもあったのか、机の上にあった資料を一枚手に取り、そこにある顔写真とそこで怒っている現物を見比べた。
「なるほど、そういう女か」
「何?」
「ルアネ シュバルツ、お前の恋人が先ほど難しい話は追々会いにくるであろうお前としてくれと頼まれていただけだ。それと時間は気にしなくてもいい。時間は希少ではあるのは同意するが、この部屋は荒らされたくない。ゆえに私は誰も呼ぶことはない」
「そう、私はあなたを脅しにきたのに随分と余裕なのね?」
「現段階でのお前の来訪は想定外ではあるが、いつか接触はしてくるとは予測はしていた。それにお前の恋人のように言葉が通じない人物ではあるのは調査済みだ。問題は無い」
「……ちょっと待って、ギャレンの奴が何をしたの? 私、謝るべき?」
「不必要だ。あれを不快などとは感じない。少し人形を師と呼ぶ奇行に走っただけだ」
「あいつぅー……ま、まぁいいわ。それより調査済みって? カーインの実家ってなんていうか極まっているのね。あの子が家出してる理由もなんとなく理解できたわ」
呆れてその長い黒髪を揺らしながらルアネは扉から離れる。どうやら見張りがここにやってこないという言葉を信じていいものと判断したらしい。
「それはそうと、予測と言ったかねザイーム氏? ならば、可能性は低かったがそういうことかね? どうやら君も私と同じらしい。ならばこの後、君の部下がどう動くなど手を取るようにわかるのでは?」
「このあと第一研究所所長が独断によりアラムの所有しているハニーンという機体と接触を図る。その手段は直接的ではなく、荒事を予見しそれに適した駒を使うだろう」
それを聞いて扉の前に戻るルアネ。やっぱりこいつ信用できない人物と判断したのか、射抜く様にザイーム氏を睨む。
「待ちなさい。部下の暴走を予見しているのにあなたはなんでここで書類仕事をしているの? 仮にも口約束とはいえ安全を保障するとアラムに言ったんでしょ? なのに部下が勝手にアラムを襲うなんてことになったら……他の者から舐められるでしょうに」
「そうなれば後から調整するだけだ」
「調整って……」
筆を滑らしつつ書類を片付けながら、ザイームはルアネをその一言で黙らせる。ルアネは困惑しながらソファーを陣取る女医を見る。説明を求められて、やれやれといった感じでターレブ女医は眉を吊り上げた。
「これがその男の厄介な性質でね。実質、その男は純血主義の奴隷だよ」
奴隷、それは王から一番遠い身分のはずだ。だがこの男は純血主義の王であるはず、それは間違いない真実だろう。
「奴隷? さっきあなたは純血主義の長と言ってたじゃない?」
「それも正しい表現だ。家の格と能力だけで言えば頂点に位置しているだろう。政治的手腕、経済的知見、そしてなにより私と同じ予知能力と間違われているであろう予測能力を有しているのだからね」
「予知能力と間違われるほどの予測? それは魔術での予言ではないの?」
「ああ、私も昔から予測は得意でね。何がどうなってそうなるのか説明はできないくせに結果だけが頭に導き出されるんだよ。別に魔術的秘儀や神秘的予言ではなく、純然たる脳の処理だけでね。まだこの船でも科学的に解明しきれていない領分だが、たまに世紀の天才と呼ばれる者にそういう能力が備わっていたよ」
「それはつまり、ただ単に恐ろしく勘がいいってことかしら?」
「まぁ、乱暴に言い表したらそうなるかね。しかし、そんな能力を持っているにも関わらずこの男は代々から続く純血主義の者が起こす暴挙を止めない。事後処理は……まぁ、十全にしているようだがね? 要は後始末をする係だよ。その予測能力の高さゆえ言ったことが的中し、その荘厳な態度ゆえに恐れられているのだろうが、まぁ実際ザイーム氏を裏で舐めていなければ表立った汚職などできんだろうさ。そら、この男は純血主義の奴隷であるといった方が適切だとは思わないかね?」
「……なんでその能力を善政に使わないのよ?」
「先ほどから質問ばかりだな。そこにいる本人に聞きたまえよ。私も昔は教職だったこともあり喋るのは得意だが、流石に全部説明させられるのは疲れる」
そう言いつつ、いつの間にか懐から出した電子タバコで一服を始める女医。と、なればルアネはこの純血主義の事後処理係をしているという男を睨む。
「なぜ部下を止めないの?」
「そう育った。私がヴァンクロード家の長として親に求められたのは純血主義の存続であって改革ではない。それだけだ」
「それだけ? あなたに正義は無いの?」
「正義とは、随分と稚拙な言葉を使う」
「そうかしら? 貴族には貴族の責務があるものよ?」
「そもそもこの船とお前の生まれた世界は違う。ノブレスオブリージュなどこの複雑化した船では無用の長物だ。この船においてお前の語る貴族という職は政治家、裁判官、そして刑事組織へと三分割されて久しい。それぞれが違う思惑で社会秩序の維持という一つの目的に動くのみだ。誇りや大義によりその在り方を損なえば社会などうまく回せない」
「話がすり替わっているわよ。私はあなたの正義を問うたの、なんの見返りもなく同族の後処理をし続けているあなたの大義、正義は何?」
言われ、書類仕事の筆を止めずザイーム氏は無言でそのまま一枚の書類を書き上げる。
長くか、短くか。無言のまま時間が過ぎ去る。だがザイーム氏は無視をした訳ではなかったらしく、唐突にこう語り始めた。
「正義はある。私にとっての正義とは天秤だ。国家、もしくはそれに類似する大規模な共同体における幸福の正当な配当、調節にこそ発生しうるものだ。その天秤を均等にするならばいかなる悪行も必要と判断し実行する」
「それは……どういう?」
思いの他、難しい表現が出てきて少し考えこむルアネ。無理もない。いくら天才と呼ばれる彼女でもそれは魔術面での話。頭は良いが流石に自分の知らない文明基準で生まれたものを瞬時に理解し飲み下せるほどのものではないのだ。
つまりこの男は正義とは幸福というものを皆で正しく分配することこそが正義だと言いたいのだろう。
「ほう、それは社会主義かね?」
と、その発言を代わりにターレブ女医が拾い上げる。先ほどの発言は喋りつかれた彼女から言葉を出させるほど興味深かったようだ。
「違う。物資の分配の公平性などにより貧困の差を無くす為の社会的構造を言っているのではない。そういったイデオロギーめいた話とは違う」
「いや、しかし幸福とはね……君のような人間からそんな言葉が出てくるとはいささか胡散臭さを感じることを禁じ得ないのだが?」
「なんとでも言うが良い。正義とは、各々に正当な報酬を分配されるべきシステムであるべきだ。それは社会的貢献度による見返りを指し、有益な物には投資が成されることこそ我らを存続させる循環だ。自由な研究、高水準の教育、活発化する市場こそ我々の未来を創造し存続させる」
「イデオロギーではないと言われたが、それは資本主義とは違うのかね?」
「違う、断じてだ。これは中身の話だ。このシステムさえ機能していればイデオロギーという殻などどうでもいい。卵は殻ではなく中身こそ大事だ。第一に社会全体の秩序、第二に企業などの小さな集団的利益、そして第三として個人における幸福の権利が適切に守られることこそ、正義と呼ぶに相応しいものであるべきものだ」
「はっ! まるで減らず口な哲学者みたいだよ。君」
「似てはいる。哲学とはどう生きるかを探究したものだ。そして私の語ったものはどうあるべきかだ」
白熱する討論。ザイーム氏は一見、合理主義の極みで血など流れていない悪人かと思えば、しっかりとした倫理観と芯を持っていたらしい。
ルアネはなんとか二人の会話に食らいつきながらも混乱させ目をぱちくりさせる。アラムを陥れた連中の親玉にして、あのカーインが恐れ嫌う父親がこんなことを言うなどとは思いもしなかったのだろう。
「なるほど、虫唾が走るほど素晴らしい。まさかあの純血主義のトップがこんな高説を垂れるとはね。だが口だけではなく行動でも示してほしいものだよ」
声を弾ませながらターレブ女医はそんな嫌味を口にする。だがそんなもの気にすることなくザイーム氏は言葉を続けて――。
「ああ、だからこそ貴様の弟子であるあの子供には不適切な対応をしたと思っている」
「そうかね? 偵察機に関しては君たちはよくやったと思っているよ。そも、あれに商才など無い。ファナールが身内贔屓で助ければどうにかなるとは思うがまぁ、あれはそんなことをしないだろう。よって、君たちが取り上げなければこれほど社会に広がらなかっただろう。そう判断したからこそ私も君の前に出てこなかったのだよ」
「それは自覚している。だが、我々はアラムという男を過小評価していた。未だあれは投資を受けるべき才覚を――」
「その発言はあれへの侮蔑だ。即、撤回したまえ」
そのギロチンの落下の様な冷え切った声により、会話を中断させた。
「あれは間違いなく、どうしようもないほど、残酷なほどに非才だよ。才能にはありとあらゆる形、種類があるがね。今現在、あの青年には才能と呼ばれるそのどれにも該当する能力は無い。昔は熱意だけはあったのだがね……あれは既に枯れている」
「だが、あれは成果を出した」
「ああ、だからこそ才能があるなどという言葉は侮蔑にしかならんのだよ。あれの何を見てそんな言葉が出てきたのかは知らんがね? あれは非才の身で天才がその生涯を使って出せる成果を一つを短期間で叩き出した正真正銘の“狂人”だよ。言っておくが偵察機のことではないぞ?」
「……クリサリスの討伐のことか」
「ああ無論、運……いや、悪運かね? そういったものが天文学的な数字を弾き出したのもあるのだろうがね? 運などというものはそも、勝負しない者にはそもそも転がってこないものだよ。そしてあれは戦い、勝った。この船において間違いなく歴史に名を残せる偉業を成して」
「……」
「失礼、話が逸れたよ。ああいや、逸れてはいないか。そもそも私はあの馬鹿弟子の監督責任を果たしにきたのだったしね。ならば長話はここまでにして本来の目標を果たすとしよう」
そう言いつつ、古びた数枚の紙を持ってザイーム氏の仕事机までやってくるターレブ女医。
「交渉材料か?」
「ああ、私のとっておきだ。とっても過去の失敗作なので恥じて隠しておいた物だ。後世の発展の為、現物は片づけずにいたが……今はこれが必要だろう?」
「……なるほど、あれは貴様が作ったという訳か」
「おや、もう少し驚いてくれると面白いのだが? これでも長い期間、隠し通してきたものなのだがね?」
「私にそのような反応は期待するな。で? 見返りは?」
なんらかの設計図を机に仕舞いながら、ザイーム氏はターレブ女医にそう問う。
「アラム、我が馬鹿弟子への正当な報酬だよ。あれに仕事を覚えさせた手前、二度も社会的成果を出したのに割だけ食らい続けるのは流石に見過ごせないのでね。君の息子、ラウフといったか……あれを自由にさせておくだけで結構だ。それだけで後はドミノ倒しのように私と馬鹿弟子の恩恵をもたらすように船は人員は動く、そうだろう?」
「――いや、ならん。あれは政界にてその能力を十全に使える駒だ。これからはあれは表舞台に出さず、異世界渡りなどさせん」
「ほほう、まさか子が心配かね?」
「あれは替えの効かん部品だ。この交渉材料だけではその願いは聞き入れられない。妹の方を代役にはできないのか? あれならば好きに使うがいい」
「カーイン嬢か……いや、どのルートを通っても無理だな。あの娘では人を焚きつけるカリスマ性が足りない」
「そうか。だが、この設計図はこの目で見た以上、返還する訳にはいかない。こんな物を隠し持っていたこと事態が大罪だ。死罪でもおかしくはない、が今回は私の独断で見逃す……このまま大人しく帰れ」
「やはりそうなるか……ではこうするとしよう。ルアネ君、こちらに来たまえ」
と、ターレブ女医がルアネを呼ぶ。それが意外だったのか不機嫌そうに片眉を吊り上げながら、絶世の美女が不機嫌そうにやってきた。
「へぇ、忘れられてると思ってたわよ」
「まさか、私はこういう流れになった時の為に君を誘ったのだよ」
「はいはい、で? 力尽くなら乗らないけど」
「まさか。単なる頭脳労働だよ。そして君の忌憚のない意見を所望するだけだ」
そう言ってザイーム氏の仕事机から書類を勝手に探して、ルアネに渡すターレブ女医。文句を言いたそうにザイーム氏は睨むが、この女人には何を言っても無駄だと判断したのか、書類仕事を再開する。
「何よ、これ?」
「この船の人員表の様なものだと思ってもらえればいい。ついでにこのファイルはその人員の能力が書かれている。参考にして好きに弄るといい」
「個々の能力なんて……実物を見ないとわからないものでしょうに」
「いや、この船も存外面倒くさくてね。それなりの役職に就くにはそれ相応の学部を出ないといけないのだよ」
「あー、要するに箔を付けた人間しか使えないの?」
「ああ、そういうことだ。君は話が早くて実に助かる。あの馬鹿弟子にも見習ってほしいものだ」
「そんなの私の世界でも同じだけよ……へぇー、この船ってこうなってんの」
「ああ、言うまでもないがどれも機密事項だろうから、口を滑らしてくれるなよ」
「はいはい、口は堅い方よ。というかこんな厄ネタ、別に覚える気も無いわよ」
とんでもない事後承諾をそんな軽い返事で流すルアネ。と、ブツブツと言いながら資料に目を通し始めた。
「あー無理、複雑すぎるわ。ねぇ、紙とペンを頂戴な?」
「良いかね?」
そうザイーム氏に確認を取るも、既に仕事机の上にあったペンと手持ちのメモ用紙を渡すターレブ女医。なんとも自分勝手な御仁だ。
「……予言者?」
「その古名は嫌いという訳ではないが落ち着かないな、今はただの女医だよ。で?」
「一つ、聞くべきことがあった。医者と自称するならばお前は記憶喪失を治せるか? それも特異な能力を残したまま、影響無くだ」
「記憶喪失? 誰がかね」
「目の前だ。起床時、記憶の大半を失う」
「何を……いや、そうか。だから私にも馬鹿弟子にも死人の複製などというものを……いや、本気で驚いたぞ。そういうことかね。いや、失礼した。私は君を自分と同じだと言ったがどうやら誤りだったらしい。ははは、君は文句のつけようがない化け物だよ。ヴァンクロードの完成品!」
一人納得して高笑いするターレブ女医。となれば気になるのが人の性で、ルアネは資料片手にむずからしい顔をしながらクレームを入れた。
「何? 頭を使ってる時に横で叫ばないでほしいのだけれど?」
「無理を言わないで貰いたい。いやぁー、やはりこの船は複雑怪奇だ! この私の予測がこうも外れるとはいい日だよ! くくく、良いかね? 乱雑に言えば、この男は毎日死んでいるのだよ。肉体的にではなく精神的にリセットされるらしい! 珍しい症例だが過去に同じような者を診たよ」
「は? いや、そんなの生活できないじゃないの。寝たら記憶を失うんでしょ?」
そんな突拍子もなく発覚した事実に、手を止め目を見張り驚くルアネ。そんな人間が普通の生活など送れる訳がないはずだ。
「だが、この男はそれを卓越した予測能力で補っているのだよ! 目覚めた瞬間、その目に入ってくる情報を元に自分がどのような人生を送り、どういう人間か再認識し、また眠るまで純血主義の王としての演目を見事演じ切ってるのだろう? ははははは、君。だから自分の年齢がわからないのだろう?」
「ありとあらゆる記録に記載は無いからな。で、治療は可能か?」
「ああ、幸い治療は可能だが……君、なぜそれを今までなぜ治さなかったのかね?」
「この一日間での記憶喪失を代償に私がこの予測能力を得ているならば、現状維持が最適だと判断した。いや、判断してきたのだろう」
「あの馬鹿弟子も狂っているが君も中々だよ! ああ、では治療と引き換えに私の条件を飲んでくれると?」
「善処はするが、確約はできない」
「なんとも、政治家らしい便利な言葉を使うじゃないかね」
「私が治療されればあれを暫く表舞台に出し続けていても良い余裕が生まれる。だが、もうあれの活動に成果など期待できない。お前が持ってきた設計図の物を作り上げても厄災を再び倒すなど到底無理だろう……お前の弟子はともかくお前の望みは叶わないだろう」
「ほう?」
「弟子の監督責任と言いながらここに来た目的はそれか?」
「そう責めてくれるな……ではこれではどうかな?」
そういい、ちらりとルアネを流し見るターレブ女医。
「はいはい、そんな急かさないでよ。言っとくけど粗削りな人員改革よ。私はこの船に乗って間もないんだから」
そう言いつつ、ルアネは持ってきた資料と髪をザイーム氏の仕事机に放り込む。
「……ほぅ」
「何?」
「かなり粗いな」
「だから初めからそう言ってるでしょう?」
「だが、私では出てこない人員配置と業務分担だ。なるほど、これを捻りださせる為に予言者はお前を連れてきたのか……ルアネ シュバルツ。お前は政治家になる気はあるか? 興味があるならば必要な物は用意するが?」
「無いわよ。政治なんてどこでも男のものでしょうに」
「貴様の世界ほどではないだろう。女性の社会進出はもう何百年前から叫ばれて久しい。事実、この船は女流政治家は多い」
「その女流政治家って奴、男勝りに気性が荒くて棘のある言葉しか使わない連中のこと? いい、ああいうのは思考を何割か男にしてる人間よ? 男性用に用意された戦場に適応した女しか台頭できないなら、それは男女平等とは言えないのよ」
「そうか。まぁ、これがあればラウフがおらずとも十年は奴を抜けた確実に穴を埋めれる。なるほど、ならばお前は男に生まれるべきだったな」
「昔、母親だった女に似たようなことを言われたわよ。お前が女に生まれなければ労せず上手い汁を死ぬまで吸い続けれたとかなんとか」
「そうか。ではこれの報酬だ……だが、お前の要件を聞いていなかったな」
言われ、キョトンとするルアネ。まさか素直に謝礼を自分にくれるとは思わなかったのだろう。
「別に、私の連れを面倒なことに巻き込むなと言いにきただけよ」
「なるほど、あの魔王と同じか」
「魔王? ガウハル……と面識があるの?」
「ああ、随分と前にそこの予言者をおびき寄せる為に鍵を開けていた扉から単身現れ、栗毛には手を出すな。ついでに我は貴様のような世を先に進ませる能力があるのに保守という現状維持に費やす政をする男は好かんなどと、わざわざ言いにきたらしい。この机に仕舞ってあるメモにそう書いてある」
「それだけ言いに? あの魔王様は……恐いもの知らずねぇー」
仲間である魔王の行動力に呆れるルアネ女史、とはいえ彼女も今現在同じことをしているのだから人のことは言えないだろう。
「で、要求はそれだけか? 鍵は開けていたといってもここに来るのには随分と苦労しただろうに」
「したわよ! 魔術で警備を潜り抜け覚えて間もないテレポートまで使わされてしんどいったらありゃしないわよ。じゃあ、お言葉に甘えて……父親としてカーインをどうにかしないさいな」
「それは意味があるのか? あれは私を畏怖し遠ざけている。幼少の頃からそう躾けられているから当然だが」
「あのね。それ、虐待って言うのよ」
「ああ、だからこそ、もうあれの人生に私が介入しないことこそ、この私ができる最大限の行動だろう」
「……自分の娘でしょうに、それでいいの?」
「あれもこれも、自分の子だという感覚は私には無い。おそらくあちらにもだ。ならばもう、接触しないことが一番だろう」
「それでも父親な……ああ、記憶がリセットされるからか……でも本当に気にはならないの? こう、本能的にとかあるんじゃない?」
「無い」
「じゃあ、貴方に望みは無いの? この船にただひたすらに奉仕し続けるあなたは何も欲しくないの? それじゃあまるで、人形か何かじゃない」
と、その言葉を聞いてザイーム氏が黙りこくった。いや、これは狼狽か。何かを言われれば今まで機械の様に言葉を詰まらせることなく話していた男とは思えないほど、人間味のある表情を作ったのだ。
「無い……いや、ある。ただ一つ、許されるのならば――」
それは……告解に似ていた。罪ではないはずだ。なのに、それを口にする男は、ただただ目を細め、言葉を繋げる。
「……私はヴァンクロード家の、純血主義を存続させる為だけの人間だ。そう生きてきたからこそ、毎朝一時間掛けこれまでの人生を演算し、今後の人生すらどうなるか把握できていた」
――それは、本当に人間の生き方なのだろうか? ただただ純血主義という一族をこの船の頂点に縫い付けておくだけの装置を、人と呼んでいいのだろうか?
まだアンドロイドの方が人間らしいだろう。
「ある日、私の子供の寿命を延ばす為にエルフの血を希釈した女を異界から持ってきた。古く、純血主義の血族の血を異界へと一滴垂らし、その子孫である女だった。そしてその女は用を果し死んだ。その時から私の演算にいくつかのエラーが出始めた」
自分たちの血を絶やさない為に、純血主義はそこまでしているのかとターレブ女医は呆れる。そしてその女性とは、カーインとラウフの母のことなのだろう。
「自らの血を混ぜた別の血を別の世界で培養していたのか……純血主義はいつからか近親交配を繰り返し、己たちの血を濃くすることに固執しているのは知っていたが、そこまでか……なるほど、で、君の代でこの船にある地では子孫を遺伝子異常を抑えるのは限界だったのかね?」
「どういうことよ?」
「生物というものは、血が近い者を子を作るとなんらかの障害を負うリスクが高まるのだよ。純血主義も遺伝子が近い者同士が結婚し、子を作る。あのアルピノの娘……カーインの色素がほとんど無いのもそれが原因だろう。まぁ、この船の医療ならばある程度の誤魔化しはできるが……何事にも限界はあるものだ」
「そう、綺麗な娘だとは思ってたけど、あの肉体の透明感は肉体の異常だったの……もしかして、この男の記憶障害も?」
科学も、魔術も、文明も、教育も、法律も、ありとあらゆるものを発展させ、理想郷を手に入れたのがこの船だ。人間と人間との戦争も無く、今日も今日とて当たり前となって揺るぎない平和を多くの船員は甘受する。
例えそれがこのザイームの非人道的な合理性を突き詰めた政治統制下であっても……ただ、その理想郷を維持する男は痛みなど感じるはずのない鉄のを心のまま、ある疑問を口にする。
「ただの道具だったはずだ。ただ、遺伝子の異常を正す為の贄だったはず……だが、私と血を混ぜた女との出会いから別れまで、なぜか私は正常に演算できないのだ。残された情報と私の演算が符合しない」
目に瞬きなど無い。ただただ虚無を見つめながら人形の様な生気を感じさせない顔で、この船の部品である男はただただその疑問を口にし続ける。
「なぜ私は花を買いあれに送った? なぜ私はあれを延命させようとした? 用済みであるはずの余命がわずかだったあの年若かった女を、なぜ生かそうとした? それが今の私にはまるで理解ができない。お前たちには理解できるのか?」
アラムにカーインをあてがおうとした時、それも嫌な顔はすまいなどと言っていたのだからそういう感情があることは理解しているはずだ。だというのに、自分にそれが生じるなどと思いもしていないのだろう。
――二人から、言葉は無かった。その痛々しさに愕然として同情したのか。いや、それを通り越して君の悪さも感じたのかもしれない。
ただ、その悲鳴ではない悲鳴を聞きながら、ルアネとターレブ女医は先ほどまで政治の怪物だと思っていた男に、憐れむような視線を送るだけだった。
当たり前だ。その行動を聞けば、この男の探し求める答えなど……誰でもわかる。
ただ、それがわからないことこそ、この男が純血主義の王として完璧である証拠なのだろう。
「模造でもいい、造花でも構わないのだ……私はもう一度その女と出会い。何をこの胸に抱いたのか、この不可解な穴を埋める物を私は思い出したい。それが、個として私が抱くただ一つの望みだ」
抑揚の無い声で疑問を口にする男は壊れたレコーダーみたいで、ひどく痛々しかった。それが皆に知られずに時代に消えた愛の歌を不協和音にして垂れ流しているのが一層悲壮感を漂わせている。だが、本人はその悲劇に気が付かない。その機能は、ついぞこの齢まで得られなかったのだから。
――もし、ヴァンクロードという家が存在せず、別の家に生を受けていれば。
――もし、この男の伴侶が生きているまでにその演算能力を捨てる覚悟で治療を望んでいれば。
――もし、愛した女がこの男と同様に年老いれたのならば。
だが、現実はこれだ。歯車は最悪の結果を生み出す形で噛み合ったのだ。
なぜこの機械の様な男が執拗にアラムを純血主義の傘下へと入れようとしたのか……それはきっと、もう一度その女と会いたかったから、ただそれだけの理由だったのだろう。
「申し訳ないがね。君のその穴は……ヴァンクロードの業は……もう、誰にも埋められんよ」
電子タバコの煙を蒸し、天井を見ながら古く、予言者と呼ばれた女はそう宣告する。
――この男の人生の全てを変えたかもしれないたった一度のその出会いはもう、意味など失ったのだから。
――昔々、あるところに一人の男と女が生まれました。
男は生まれてから記憶を断続的に無くし続けるも、その人間離れした予測能力で人間のふりを続けます。
女は生まれた時から体が弱かったが、持ち前の明るさと健気さで生を呪いませんませんでした。
そして二人は出会い、女は男を人へと変えました。
しかしそれも長くは続きません。女の命の火はどうしても永えらさせなかったのですから。
女は自分のいた国から連れてきた老魔導士に子を託し、死にました
そしてその女が死ねば再び男は機械に戻るしかなかったのです。その女を見る度人間らしさを会得していた男は、もう二度とその女に会えなくなったのですから。
男の両親はこう言い続けます。
働け。私たちの食事の為に、私たちの娯楽の為に。お前はその為に生んだのだ。
そして、両親は贅沢三昧をして肥えて肥えて、それが原因で死んでしまいました。
結果、男は今日も世界の幸福を分配するという仕事を全うします。死んだ父と母の言いつけ通り、仕事を続けます。
くる日も、くる日も、くる日も、くる日もくる日もくる日もくる日も。
今日も今日とて、人知れず、我が侭な親戚の尻拭いをしながら人々を豊かにします。
それがこの男の親がこの男に望まれた役目だったのですから。
そうしてほとんどの人々は幸福な笑顔を浮かべ、この幸福を作る誰かも知らず、感謝もせず、疑問にも思わず怠惰に傲慢に我が侭に、毎日毎日、生を謳歌するのです。
僅かに人間性を忘却仕損じたその肉で作られた機械のおかげで。
めでたしめでたし。




