第六章「親と子は歩み寄る」 十三話
「うん……こなたは大丈夫だって……うん。そっちも気を付けて……だから大丈夫、いや、そりゃあ大変なことにはなってるけど……そっちも場合によっては危ないんだから、うん。じゃあ皆にはうまく伝えといて……あー、うん、帰ったら何か奢るから、じゃあ」
そう言ってからプライベートの携帯端末の通信を切ったのはカーインだった。相手はあの青髪の魔女か赤髪の狂犬辺りなのだろう。今回実家の厄介ごとに巻き込まれたことを伝え、そして兄の助言通り自分のエスコートたちを待機させたのだろう。
「そっちの電話も終わりました?」
「うん、アラム君も終わった? で、船長さんはなんて言ってるのかな?」
「カーインさんと離れず、逐一情報を寄越せと……この言い方から残念ながら僕らが持ってる情報以上のものは持ってないかと」
「今おばばがあの人に接触して話し合いの場を設けてるはずだから……それまで情報は入ってこないかな」
そこは、古い古い木造校舎の廊下だった。もう何年も前に破棄された校舎らしいのだが、床の腐敗一つ無いのはなんらかの魔術により保存状態が良いからという話だった。
アラムはふと薄暗い廊下を歩きながら横にある部屋を見ていく。教室、教室、教室、教室……同じような部屋がただただコピー品の如く続いてはいるが、よく見ると差異は多かった。
黒板への誰かの落書き、机の傷、椅子の高さに後ろにある掲示物も違う。きっと、気が遠くなるほどの昔、ここを巣立っていった者たちが悪戯に残した自分たちを記録する証拠なのだろう。
「いやぁ、それにしても校舎の電源が生きてて良かったよ」
状況報告の一仕事終え、長い長い廊下の壁に背を預けながらクールダウンしている二人。そんな折にポツリとそんな言葉を漏らしたのはアラムだった。
外を見れば月明かりの様な薄い光に満ちていた。あの赤武者がこの自然公園の偽の青空を映す天井を壊したが、まだ生き残っている部分が疑似的な月夜を作り出しているらしい。
なので学校の外は薄暗い……だが木造校舎の電源までは壊れていなかったので、教室の灯りはつけられる。それを青年はありがたがった。
なにしろ古い木造校舎は雰囲気がある。ホラーが苦手な彼ではこの場所の暗闇には耐えられなかっただろう。
「ここ、ハニーンさんの家なんだってね」
「まったく、僕が昔に言ったことでも覚えてたのかね」
「ん? 何を言ったの」
しまった、とぼんやりとしたアラムの表情が変わる。どうも口を滑らしたらしい。
それを見てニマニマと笑うのはカーインだ。彼女の僅かにある嗜虐心を突っついてしまったらしい。
「えっと、つまらないよ」
「それはこなたが判断することかなぁ~」
興味津々と言わんばかりに目線を逸らすアラムに小鳥の様なステップで近づいてその顔を覗き込むカーイン。これは逃げられないなと青年は観念したのか唸り声を上げてからこんなことを言いだした。
「まだハニーンと暮らしてた時、彼女に質問されたんだよ……あなたは行きたい場所は無いのかってね。毎日毎日出かけてた彼女からすれば、ずっと部屋で機械弄りに勤しむ僕を憐れんだのか呆れたのか、いや、今思えば彼女なりに外に誘おうとしたんだろうけど」
「うむうむ、つまりデートのお誘いと」
二人は歩きながらそんな会話をする。ガウハルやキレスタールが寝床に使う教室はまだ遠い。なぜそんな遠くにこの二人がわざわざ足を運んだのかというと、この船の秘境とも呼べる自然公園の中、通信機の電波を探しに一時間ほど歩いたからであった。
「いやぁ、そんなんじゃないよ。あちらから気にかけてくれたんだろうけど、当時から彼女は僕のことは家族であって恋愛対象とは見てなかったよ。まぁ、それはさておき彼女の質問に、僕は学校に行きたいって答えたんだよ」
カーインに茶々を入れられても淡々とそんな説明を行うアラム。この反応から当時、アラムとハニーンの関係は思った以上にドライなものだったのかもしれない。
自分の彼女として作り出してみたはいいものの、当時引きこもりの子供だったアラムの対人スキルはどう考えても低いだろう。ならば恋人らしいやり取りは不可能だったはずだ。結果、必要最低限の事務的な会話が毎日やり取りされていたのは想像に難くない。
「へぇ、アラム君は学校に行きたかったんだ」
遠い遠い、廊下の先にある皆がいる教室の灯りを見ながら、カーインはそんな会話を続ける為の質問を投げかける。
「……まぁ、それで、では学校を買い取りそこで暮らせばいいのでは? なんて極端なことを言われてね……それができれば楽しそうだ、なんて適当に返答したんだけど……まさかハニーンが学校で暮らしているとはね。友人も教師もいないなら、たった一人でこんな所に住んでも寂しいだけだろうに」
学校、その単語をアラムの口から聞いてカーインは思い出す。彼は学校には行けたはずだ。ただ虐めがあり、転入してきた彼は早々にクラスから消えた。きっと彼を覚えているクラスメイトなどほとんどがいないだろう。
「――そういえばなんでアラム君は学校からいなくなったのかな?」
自然な流れで、ただ話題を繋げるようにカーインはそれを口にする。だがきっと、それは前々から用意していた質問なのだろう。虫の声しか聞こえない暗がりで、少しだけ長い沈黙を経てもカーインが話題を変えようとしなかったのが証拠だった。
アラムは当時、学校に行きたいと思っていたらしい。ならなぜすぐにその学校から消えたのか? 酷い虐めがあったらしいと噂になったのはカーインも記憶している。その真相を聞くチャンスが巡ってきたので、迷わずそのチャンスをものにしたのだろう。この白い娘はそういう強かな一面も持っているのだ。
「知ってる? こなたとアラム君、同じクラスだったんだよ?」
「それは知ってるけど……いつの日に部屋に届いた卒業アルバムに君が載っているのを見たからね」
「そうなんだ。あ、じゃあ卒業まで学校には在籍してたんだ……でも不登校と、なんでかな?」
「どう転んでもつまらない話にしかならないよ。不幸自慢なんてどうやっても退屈でしょうに。僕にそれを面白くするトークスキルは無いんでね。むしろ面白い話でもつまらなくする自信があるぐらいだよ」
「答え合わせをしたいだけだよ。当時、アラム君とは同じクラスだったんだから。昔、来たばかりの転入生がすぐに消えたのは記憶してたから、こなたも気にはなってたんだよ」
「僕が君と同じ学校に行ったのは短期間だし、君とは接点は無かったのに?」
「昔はどうだったかより今が大事かなぁ。今はアラム君とこなた、同業者で浅い仲じゃないと思うなぁー? それとも、アラム君にとって……こなたはそこまでの存在じゃないのかな?」
彼女らしからぬ意地悪な質問の仕方だった。いや、もしかしたらこれが本来のカーインらしいやり口なのかもしれない。情に訴え、逃げ道を無くし、理論的に相手を追い込む……このお嬢様はバカなふりをしているだけで賢い方なのは、アラムも知ってはいた。
「いや……ずるい聞き方するね? どこでそんな悪い癖を身に付けたの?」
「そんなの元々だよ。ルアネさん、かな。あの人、元はお貴族様なのかな? ああいう賢い人と話すと、ちょっと思考が実家モードになるのですよ」
「あぁ……ルアネさんか、あの人は警戒心強いし……そういうことね」
「ん? 仲はいいよ。そりゃあ、今日出会ったばっかりだけどこなたとルアネさんとは気は合いそうなのですよ?」
「自分と気が合う相手だからこそ、ルアネさんは警戒してるんだよ」
「ははぁー、そう言われるとなんにも言い返せませんなぁー」
こりゃ一本取られたとカーインはぺろりと舌を出してお道化てみせる。だがすぐに真剣な顔になり、青年の言葉を待っていた。
「……まぁいいや、聞きたいっていうなら別に……まぁ簡単に説明すると、いじめをしてたグループがやりすぎて、僕もやりすぎちゃったんだよ」
白状してしまえば、そんな簡単なことだった。加害者と被害者がいたが、ある日どちらが被害者なのか判別できない事件が起きてしまったという話であった。
「物を隠されるのも別に平気だったし、不意に後ろから小突かれるのもまぁ別にどうでも良かったんだ。僕が元いた場所に比べれば、この船は天国だったからね……でも大体そういうのはエスカレートするものでしょ? 大人に相談しても厄介ごとなんて誰も受け持ちたくないから君が悪い部分もあるのでは? なんて言い返されて、気が付けば複数人からリンチされる事態に発展していたんだよ」
その大人、というのは誰だったのだろうか? 順当に考えれば担任の教師だろうが……。
「こう、複数人で囲まれて、僕が倒れた体勢で後頭部と股間を押さえて丸まって耐えていると、一人が刃物を持ち出してね……ハサミとかまぁ、そういう凶器を取り出したからこれは拙いと隙を見てそれを奪ってそのグループの頭を脅したんだ。で、そのまま相手が呆気に取られている間に全力で逃走したんだよ」
最後に恥ずかしげも無く逃げ去ったと語るところは、なんともこの青年らしい。
「多人数に一人でそこまで立ち回れたの?」
「まぁー、今では無理だろうね。数の有利っていうのは簡単に埋めれないし、大人に囲まれたら僕なんてすぐに袋叩きで半殺しにされるよ」
自分はへなちょこですよとあっけらかんと青年は語る。謙遜ではなく、事実だ。この青年はそういう部分はとことんリアリストなのだ。漫画やアニメみたいに一騎当千の活躍など夢想しない。不利ならば逃げ一択、どうしても突入しなければならなければそれは“戦闘準備”が完了している時のみ……そう、カーインとの初仕事で、黄金の太陽であったあの王子を助けた時がそうだ。
「でも、当時は全員が子供で筋力にそれほど差は無かったし、殺傷するんじゃなくて脅すだけならまぁ簡単だよ。それに僕は……あんまり言いたくはなかったけど殺しの訓練を受けていたんだ。主に銃器を扱う訓練が多かったけど刃物も使えるようにされてたから“抵抗”が無かったんだけど……この船で生まれ育った人たちは違うでしょ? だから問題になった。あぁいや、だからこそ大人も黙認していた問題を問題として表ざたにせざるおえなかったと言った方が正しいのか」
「それは……不公平だよ」
「まぁ、そんな不公平で成り立つのが人間、いや、動物が作る社会システムなんだよ。相手はお金持ちの家なんだ。そっちからクレームがあれば教員は対処しなくちゃならない。そもそも、天才少年なんて触れ込みでエリートコースを歩む子供が沢山在籍する学校に入っちゃったのが運の尽きだったのさ……そりゃあ変に目立つし、遅かれ早かれこういう問題は起こったと思うよ。カーインさんも知ってるでしょ? なんで僕なんかがお嬢様であるあなたと同じ学校に入れたのかをね」
「……当時、一時期マスコミを騒がした新規の製造方法でアンドロイドを自作した天才少年。大手の報道機関は倫理的配慮から名前を伏せたけど、それでも芸能人などのスキャンダルで稼いでいる小さな報道屋やネットはその少年の実名と顔を公開した。それが、アラム君……そしてその少年を、将来活躍すると見込み特例として私が通ってた上流の学院に在籍させた……」
「メディアが変に祭り上げたからねぇ……おかげで分不相応な待遇を受けたもんだよ。まぁ、暫くしてアンドロイドの恋人を作った変態キッズとして世間様には散々叩かれましたけどね?」
だから上流階級でもトップの血筋と財力を有するカーインと、この船に乗って間もないアラムが同じ教室に入れたのだ。
だが二人共、共通した問題があった。賢すぎて実の父から疎まれた白い娘は、普通ならばランクを下げられることなくもっと最上位の教育機関に入れられていたはずだ。
そして普通ならば孤児院にでも入れられるのが普通だったアラムは、彼を拾った女性は現場からのたたき上げで、将来船長職になるかもといわれるほどの逸材でありその義理の息子も驚くべき成果を出してくれるだろうという未来を期待されたのだ。
簡単に話、その学校に“場違い”な二人がいたのだ。だからこそ二人は子供の頃に出会え、今こうして顔と顔を突き合わせて会話している。
「あの時、船長も……ああいや、昔は船長じゃなかったけど若いながらに船長候補として名が挙がっていたから、色々とこの事件を利用されたらしいんだ。ほら、あのアンドロイド人権活動家の……まぁそれはいいや、船長云々は後々、師匠から聞いた話だから信用できる情報だと保証はできないしね」
「……師匠って?」
「あー……まだカーインさんには紹介してなかったっけ……僕に色々と教えていた偏屈な女医がご丁寧にそんなことまで教えてくれたんだよ。これからは君も養母の迷惑にならないように耐えるだけではなく処世術を学んでおくべきだとか言って、取りあえず手始めに理不尽には大声で喚く癖をつけろってね。まぁ、それで世間の期待とか今のボッチで何かと煩い僕が完成したって訳さ」
そこで話はお終い、と言わんばかりに手を軽く二回叩くアラム。だがカーインはまだこの話題を続けたいのか、少し悲しげなその表情のまま薄暗い闇の中で、青年の言葉を待っていた。
「……そりゃあ、まぁ、嫌な思いもしたし嫌なことも盛り沢山で……ちょっと前までトラウマの一つでもあったけど、最近は悪夢のレパートリーからも外れて昔あった出来事の一つになったよ。ああいや、ばったりどこかであの連中に会って隣に綺麗な恋人を連れてたら破局しろぐらいには思うだろうけど」
「それ、いじめとか関係なく君は僻むでしょ?」
「いや、そこはほら、重い空気を誤魔化すジョークだったんだけど……まぁでも、本当にそれほど恨んではないんだよ……ただただ、怖かっただけさ、うん、恐怖心の方が大きい。そもそも短期間だったし、別に人生を滅茶苦茶にされた訳じゃない。ただただ元々僕は人より頑張らなくちゃならなかったのが、そのままになっただけなんだから」
「でも、そこまでされたら普通は――」
普通はと、そう言いかけてカーインは口を噤んだ。この青年は普通の人生を歩んできたかといえば、そうではないのだから。
「うん、そう、そうだね。普通じゃないんだよ、僕は……元から僕は普通じゃなかったし……なれない。白状するとね……あの件で僕が引きづっていることは一つだけ、船長に“君は普通じゃない”と言われたことだけなんだよ。信頼してた人からそんなことをいわれたもんだからショックだったんだよ……」
「船長さんが? そんなことを言う人じゃ――」
「いや、確かに言ったんだ。でも当然かな、人を殺す訓練をして、友人の自殺を黙って眺めることしかできなくて、それに友を……生き残る為に撃ったこともある子供がどうあがいても、普通にはなれないし、なっちゃならないんだよ。カーインさん」
声が、僅かに震えていた。学校でのいじめなんて、本当に粗雑なことだと言わんばかりに、青年はそれ以上の地獄を口から吐き出した。
「それは……それは――でも」
それが、カーインには本当だと理解できる。嘘ではない……彼女の幼少より嘘の見ぬき方を教え込まれているのだから、だからこそカーインは、青年にかける言葉を捻りだせないでいた。
「カーインさん、僕はね。ただの人間の不良品なんだよ」
それだけ言って、逃げる様に去るアラム。そんなこと、青年は告げたくはなかっただろうし、この娘も聞きたくはなかっただろう。
だが彼女が踏み込み、彼はそれに応えた、ただそれだけだ。
「……あーあ」
残された娘の胸に、重い何かが飛来する。それがカーインの足を重くさせ、手を痺れさせ、頭に霧を掛けた。
「なーんであそこで何も言えないかな。こなたは」
この古き学び舎で、娘は薄暗い外を見ながらそう呟く。
取り返しのつかない失敗してしまった。一人置いてきぼりにされたカーインはそんな予感と共に一人、その赤い瞳の目を伏せたのだった。
世の中で言う「普通」という基準を満たしている人間はどれだけいるのだろうか?
約半分か、それとも想像より多いのか、はたまたやはり一握りなのか。
青年は吐露する、僕は人間の不良品だと。
欠けて、壊れて、否定された彼は、世の中に対して強烈なコンプレックスを抱き生きている。ただその身を壊しかねない努力を麻酔にしながら、その世に氾濫しているはずの苦しみを誰とも分かち合えないままに。
次回、赤き武者の宣戦布告。




