ああ、麗しのフロース姫
私と局長の前に佇むのは、公爵家の麗しの姫君・フロース様だった。そのお姿は太陽の光の下でも美しい。世界の美の結晶を集めたかのような存在に目が眩みそうになる。
フロース様は庶民風の服に、エプロンをかけバケツとはさみを持つ謎の姿で現れた。それはまるで庭師のようで。
「もう、見飽きたかしら?」
またしてもフロース様に見惚れてしまった。なんて失礼なことを、と思い頭を下げる。
そんな私をフロース様は厳しい声で追及してきた。
「一体あなたたちはなんなの?」
「……決して、怪しいものではありません!」
「はあ?」
馬の頭部を被って公爵家の庭園をうろつく二人組。駄目だ、怪しすぎて説得力がない。
どうしようかと振り返れば、局長は体を硬くした状態で立ち尽くしていた。あれは緊張が最高潮に達した時の恰好だ。局長は身内であるフロース様でさえ恐れているというのか。気の毒過ぎる。
今回は見逃してもらおうと思い、フロース様に懇願をした。
「あ、あの、私達は通りすがりの馬です! どうか、お見逃し下さい!」
そう。私と局長などきわめてつまらない存在であり、フロース様みたいな偉大なるお方が気になさるのは時間の無駄であると必死になって主張する。
「でも、怪しいわ」
「そうは言っても、どこにでも居る普通の二人ですので」
依然として、フロース様の「この不審者が!!」という厳しい視線は突き刺さったまま。
「ねえ、お兄様がこんなわけの分からないことをしろと言ったのかしら?」
フロース様は立ちはだかる私を押し退けてから、局長に接近をする、っていうか、正体バレてた! ……いや、局長ほどの背の高い人はお屋敷に居ないので、一目で誰か分かってしまうのは当たり前のことなのか。慌てて局長を振り返れば、いつもより二倍早い動きでどこか隠れる場所はないかと右往左往していた。そんなにもフロース様が怖いのか。慌てふためく馬の傍に駆け寄って、どうどうと落ち着くよう説得を試みる。
そんな中で局長を猛追するフロース様。局長は思いもよらない行動に出る。
なんと、薔薇が生い茂る中へ突っ込んで行こうとしたのだ。
「だ、駄目です局長!! そっちは茨の道!! ……違うか。なんだろう。あ、道なき道です!!」
局長の背中を掴んでぐいぐいと引っ張り、なんとか薔薇の棘だらけの草木に逃げ込もうとするのを食い止める。なんとか局長を宥め、その場に蹲らせることに成功。
私達の不審な行動を誤魔化すために、フロース様にお声をかける。
「フロース様はここで何を?」
「見て分からないの?」
「えーっと」
エプロンにはさみ、バケツ。庭師のような恰好なので、もしかして薔薇のお世話をしているのか。
「そうよ。あの薔薇も、そっちの薔薇も、私がお世話をしているの」
お姫様の趣味は薔薇の手入れだなんて意外だ。
「おかしいかしら?」
「いえ、とても素敵です」
ここに来るまでに見た薔薇の話をすれば、今まで険しい顔をしていたフロース様の表情が和らいだ。本当に薔薇の花が好きなのだろう。
「ここは、素晴らしい庭園です」
「そうかしら。でも、お兄様のおかげなの」
フロース様のお話を聞いて驚愕してしまう。なんとまあ、かのお姫様は薔薇の育成方法が分からないから教えて欲しいと言って、局長に勉強をするようにお願いをしたらしい。
「お兄様の方が勉強は得意だし、教えるのも上手なのよ」
「はあ、左様でございましたか」
薔薇の苗の近くで膝を抱きかかえている局長を見れば、世界の絶望を背負い込んでいるような、そんな悲愴感で溢れていた。なんとなく、二人の関係を察する。
自由奔放な妹と、言いなりになってしまう兄。それとなく二人の関係を察し、同情してしまった。
「邪魔してしまったわね」
「いえいえ、とんでもないことでございます」
私と局長には無限の時間があるので問題ないと答える。
「そうだわ」
フロース様は薔薇の花に近づき、茎にパチリとはさみを入れていた。
「これを、あなたにあげるわ。お近づきのしるしに」
なんということだろうか! フロース様は大切に育てた薔薇の花を私にくれると言ってくれる。手の平ほどの大輪を持つ花で、一輪だけでも迫力がある真紅の薔薇だ。
「あ、ありがとう、ございます。嬉しいです!」
「そう。良かったわ」
馬の口を開けて香りを楽しむ。とてもいい匂いがした。薔薇の花を握り締めたままで深々と頭を下げる。籠の中に花を入れようとすれば、クッキーを持って来ていることを思い出した。
そのまま立ち去ろうとしていたフロース様を引き止める。
「これ、よろしかったら」
「まあ、何かしら?」
下町の市場で買った材料で作った庶民クッキーです、とは言えない。贈り物とは渡した相手に喜んで欲しいという気持ちが大事だ。中身は問題ではないと言い聞かせながら、二袋持っていたうちの一袋を差し出す。
フロース様はにっこりと微笑みながら、お礼を言ってクッキーを受け取ってくれる。
「それでは、ごきげんよう」
「は、はい!」
私はすっかり局長の存在を忘れたまま、公爵家のお姫様の去り行く姿をうっとりと眺めていた。




