番外編 公爵家であった本当に怖い話
ある日の午後、ゆり籠を揺らしつつ、優雅に紅茶を啜っていると、マリリンが報告をしてくる。
「奥様、大奥様がお帰りになられたそうです」
義母ラウルスさんがお仕事から帰ってきたようだ。
ゆり籠の中の赤子――ユークリッドを抱き上げ、玄関に向かう。
「だう、ままう~」
「はいはい、お母さん、帰ってきたからもうすぐですよ~」
腕の中に抱いている美しい赤子の名は、ユークリッド。
義両親の子どもで、長男嫁である私から見たら――ええい、関係性がめんどくさい。
私は暇さえあれば、ユークリッドの面倒を見ている。
ユークリッドが乳離れをしたので、ラウルスさんは隠密機動局のお仕事に復帰したのだ。
長期の任務は命じられないみたいだけれど、それでも物騒な事件の解決に一役買っているようで、日々心配をしたりしている。それに関しては、レグルスさんも同じだけれど。
途中で、マリリンさんがユークリッドを寝かせる乳母車を持って来てくれた。
室内で乳母車って……と最初は思ったが、公爵家は広すぎるので、赤子を連れ回っていれば筋肉痛になってしまうのだ。
ユークリッドを寝かせ、マリリンが押しながら進んでくれる。
やっとのことで玄関に辿り着く。すると、そこにはラウルスさんの姿があり――
「ああ、ユードラではないか!」
そう言いながら接近して、私の体をぎゅっと抱きしめてくれる。
そして、低く良い声で囁くのだ。
「いい子にしていたかい?」
「ええ、おかげさまで」
「そうか」
最後、頬にキスをしてくれた。
この恥ずかしい挨拶を義母は毎日行う。
最初の頃は照れて大変だったけれど、今はもう慣れてしまった。
それから、マリリンが連れてきた愛息に気付き、かけ寄る。
「ユーリ! ただいま帰った」
ラウルスさんはユークリッドを抱き上げ、愛おしそうに頬ずりをする。
二人は本当にそっくり。
ユークリッドは男の子なので、将来女性にモテて大変そうだなと思った。
公爵家の血から引き継いでいるのは輝く銀髪くらいか。
もう、キラッキラしている美形親子を前に、目がチカチカしてしまう。
いつまで経っても再会を喜んでいるので、居間に移動してお茶でも飲みましょうと誘った。
元いた場所に戻れば、私が一人でお茶を楽しんでいた形跡はなく、新たに用意されたお茶と茶菓子が用意されていた。
「ユーリ、今日はユードラと一緒で良かったな」
「あう~」
「そうか。楽しかったか」
ラウルスさんはごくごく真面目な様子でユークリッドとお喋りしていた。
「ユードラ、いつもありがとう」
「何がですか?」
「ユークリッドと共に過ごしてくれて」
「ああ、そのことですか」
私は仕事(※隠密機動秘書)が休みの時は、なるべくユークリッドと過ごすようにしている。もちろん、乳母に協力してもらう時もあるけれど。
「お礼をしなければならないな」
「いえ、お礼なんて――」
何かと思えば、ラウルスさんは焼きたてのスコーンを半分に割り、木苺のジャムとクロテッドクリームを載せていた。
それを私の口元へと差し出して、「あ~ん」と言う。
なんというか、こういう恥ずかしいことを自然体で出来るのが、彼女の凄いところだろう。
お断りする理由もなかったので、口を開いて食べさせてもらう。
「どうかな?」
「おいひいです」
もぐもぐと食べ、紅茶を飲みつつ答える。
今度は無花果のジャムを塗り、私の口に持って来てくれる。
いただこうかと口を開いた刹那、居間の扉が開いた。
「――!?」
現れたのはレグルスさん。
どうしてか一瞬で涙目になり、そのまま膝から床に崩れ落ちる。
頭を抱え、小刻みに震えているように見えたので、声をかけてみる。
「どうしたんですか、レグルスさん?」
「ラ、ラウルス君に、ささ、先を越された……」
「何を越されたのですか?」
「ユードラさんと過ごす時間を」
「いや、そんな気にするほどのことでも」
「気にします!! だって、ラウルス君は王都で一番の人誑しだから!!」
「……」
確かに、それは否定できない。
帰宅後の抱擁から頬に口付け、お菓子あ~んなどなど、誑しのフルコースだと思った。
その様子を見て、焦ったラウルスさんは立ち上り、レグルスさんの元へかけ寄る。
「レグルス、すまなかった!」
「ラウルス君、酷い……」
「ユードラが可愛くて、つい、抱きしめたり、キスをしたり、お菓子を食べさせたりしてしまった!」
見事な墓穴を掘るラウルスさん。言わなかったらバレなかったのに。
それを聞いたレグルスさんはしずしずと泣き始める。
「って、泣くほどのものじゃ……」
「うっ……ううっ……」
「すまない、本当に、すまない」
なんだろう、この地獄絵図。
止めて、私のために争わないで!! と叫べばいいものか。
いや、なんか激しく違う気がする。
この時ほど、フロースさんかお義父様、戻って来てと願ったことはないだろう。
しようもない騒ぎを起こしてくれた夫と義母の姿を見ない振りをして、私はユークリッドをあやしに行くことにした。




