もう我慢も限界なんです!
局長と仲良くならなければ仕事にならない。最低限、普通に顔を合わせて会話をするくらい親密になりたいものだが、なかなか難しいもので。
時間さえあれば私達は向き合って過ごす。ただし、机を挟んでだが。
一度庭でも散策をしようと提案して外に出れば、ただの追い駆けっことなってしまったこともあった。
――駄目だ、こいつ。
これが、私の出した答えだった。
だらだらと進まない関係を続けるのは不毛なこと。さっさと伝えて現状からの脱出を試みる。
「局長、やっぱり無理です」
さっそく私が降参宣言をすれば、「そこをなんとか」と書かれたカードがさっと机の下から出てくる。
「面目ない」「どうにかしたいとは思っている」と続け様に出て来る書き綴られた言葉。だが、どのカードも攻撃力は低い。私の心には届かなかった。
私が怖いのかと聞けば、そんなことはないというカードが返ってくる。だったらどうして心を開いてくれないのかと、責めるように言ってしまった。反応がないので、最後に別れの言葉を口にする。
「短い間でしたがお世話になりました。良い経験をさせていただき、感謝をしております」
局長は見ていなかったが、机に向かって頭を下げる。
――さようなら、局長。
局長は人見知りが激しくて、酷い挙動不審だし、目が合ったら毎回涙目になるけれど、顔は史上最高水準の素敵さだったので目の保養でした。二度と、あなたのような男前には出会えないでしょう。
それから、召使いの皆さんは、突然やって来た私にとても優しかった。
振り返ってみれば、本当に公爵家の方々は良くしてくれた。私みたいな礼儀も何もなっていない給料泥棒に。気が短いばかりに恩を仇で返すことになってしまったので、申し訳ないと思っている。
もう一度、感謝の気持ちを込めて頭を下げよう。そう思って振り返ったら、目の前には局長の姿が。
気配なく近づいて来ていたようで。
悲鳴をあげて局長を驚かせてはいけないと思い、咄嗟に口元を手で覆う。なんの用だと問いかけたら、局長はカードを数枚手渡してきた。
書かれていた言葉は「待って下さい」「もう少しだけ時間を下さい」「ごめんなさい」「辞めないで下さい」の四枚。相変わらず綺麗な字を書くのに速筆だった。
「このままお傍にいることはできません。私は、きっと酷い言葉をぶつけてしまうから」
私は局長との身分差も弁えない無作法者。そもそも、そんな高貴な御方のお世話係や秘書なんか最初から務まるわけがなかった。
局長はさらさらとカードに何かを書いて、すぐさま私に手渡してくる。
――言葉は胸に突き刺ささりましたが、否定は出来ません。私は人と話すことは苦手で、どうにか
他人との接触を避けて生きていければとも思っていました。
三十二年間ずっとかと聞けば、コクリと頷く。悲しい人だと呟けば、肩を落とすような素振りを見せていた。「ここでは働けません」と言っても、諦めない局長はさらにカードに何かを書いていた。
――人と話をしたくないし、目を合わせるのも苦手、長年そう思っていましたが、ここ一ヶ月半で考えが変わりつつあります。
それは一体どういう意味で? と問いかければ彫像のように動かなくなってしまう。
「あ、机の下に入っても大丈夫ですよ。どうせ暇なので、お話を聞きますから」
隠れてもいいと勧めたが、ふるふると首を振って否定する。まだ頑張るつもりらしい。
局長は時間をかけて一枚のカードいっぱいに文字を書き綴った。そして、完成したカードを見つめたまま動かなくなったので、図々しいとは思ったが早くよこせと手を伸ばす。
凄いことが書かれてあると思いきや、そこにあったことはなんてことのない、人として真っ当な感情だった。
局長は、私が挨拶をしたり、帰りを待ち構えていたり、こうしてカードに言葉を書いて行う交流を進んでしてくれたことが嬉しかったと。もう少しで私に慣れるかもしれないとも書かれている。
なんとなくではあるが、局長が言いたいことは分かった。だがしかし、分からないこともある。
「事情は、理解しました。けれど、どうして、そのように他人を恐れるのかと」
過去に何かあったのならば、同じような過ちを繰り返さないためにも聞いておかなければならない。しかしながら、書かれてあった言葉は、私の想像を斜め上に行くとんでもないものだった。
――私は、自分に自信がないのです。だから、他の人の前に出るのが恥ずかしい。
「は、はあ!?」
理解不能の主張を前に、私は眩暈を覚えたような感覚となった。
「局長は何を言っているのでしょうか!? 自信がない!? あなたが!?」
毎日朝から晩まで頑張って働いている人のどこに恥かしいところがあるというのだろうか。まったく理解出来ない。それに、公爵家という高貴な生まれで、容姿にもこの上なく恵まれているというのに。意味不明だ。
「私は、局長ほど毎日一生懸命に働いている貴族を知りません。お屋敷に帰って来ても夜遅くまで働いているというお話は、執事さんから聞いたことがあります」
局長は私の言葉に反論するかのように何かを書いて渡す。
――毎日あくせく働いているのは私の能力が至らないだけです。父ならば、もっと効率良く仕事を行うでしょう。それに貴族とは民の見本となるべき存在です。労働は義務とも言えるでしょう。
カードの内容を読み、この、控えめで慎ましいお貴族様が! と言いたくなるのをぐっと堪える。
公爵家のような大貴族は、莫大な資産と領地を持っているので、何もしなくても不労収入が入ってくるのだ。基本的に働かなくても生きていける。
王宮でも出勤はしているのに、だらだらと机で遊んでいる貴族を何人も目の当たりにしてきた。
そう、貴族と言っても最上等から最下等まで。皆が志高く生きているわけではない。
局長は色々と変わっているけれど、どこまでも真面目で、貴族としての定めをまっとうしようとしている稀な人だ。そんな方の願いを、無下にするわけにはいかないと考えを改める。
それに、このままの状態ではきっと寂しい人生を送ることになるのではと思ってしまう。この先、他人と接することによって感じる楽しいことや嬉しいことを知ってもらうためにも、私は協力をすべきなのではと考えた。
「分かりました。もう少しだけ、局長のお傍で仕えさせていただきます」
どこまでも上から目線だと、自分のことながら呆れてしまう。
だが、そんな失礼な態度な私に向かって局長は「ありがとう」と書かれた紙を手渡し、深く頭を下げてくれた。どうか頭を上げてくださいとお願いをしたことは、言うまでもない。
こうして、私はもう少しだけ公爵家でのお仕事を続けることになった。