馬、帰宅
レグルスさんは夕方には帰って来た。マリリンさんが話をしてくれていたようで、すぐに部屋を訪問してくれた。
「お帰りなさい、レグルスさん」
「あ、はい。ただいま、帰りました」
何故か照れたように言うレグルスさん。馬の被り物をしているのにこういうことが分かってしまうので、私の観察眼は相当なもののように思える。
「これ、今日作ったんです」
私は今日作ったクッキーをレグルスさんに差し出した。
「これは、私に?」
「ええ。色々と、ご迷惑をかけてしまいましたから」
「いえ、迷惑だなんて」
クッキーを渡してせっかく喜んでいたのに、私の言い方が悪かったのか、ず~んと暗くなってしまうお馬さん。仕方がないなあと手の中にクッキーの箱を押し付け、被り物の頭部に生えている鬣を軽く撫でてやった。
「感謝の気持ちをたった今込めました。よろしかったら召し上がって下さい」
最初からレグルスさんを思って作った品ではないので、一応申告しておく。
「箱の中身はクッキーです」
先ほどの暗い空気は一気に消え去り、パッと嬉しそうに私の顔を見上げるレグルスさん。マリリンさんの言っていたことは本当だったようだ。箱を開けてもいいかと聞いてくるのでどうぞと言う。綺麗な包装を丁寧に外し、箱を開けば出てきたのは歪な形をしたクッキーが出てくる。レグルスさんはしばらく眺めてから、弾んだ声でお礼を言ってくれた。
「今、戴いてもいいですか?」
「別に構いませんが」
とりあえず粉っぽい所とちょっと硬い所とお口の中の水分が奪われる旨を説明した。念のために棚の中にあった果実汁も用意する。
「あ、すみません」
「いいえ、お気になさらず」
果実汁を差し出す私にお礼を言ってから、レグルスさんはクッキーを一つ掴んで目と同じ高さまでに上げて眺め始める。
「恥ずかしいので早く食べて下さい」
「そ、そんなことはないですよ。クッキーをいただけたことが本当に、嬉しくて」
そんな会話をしながら、そう言えばと思いだす。レグルスさんが毎日のように持って来てくれたお菓子はどれも高級そうなものばかりで、私の作ったような素朴な風味のあるお菓子は一つもなかったと。素朴な味を好むのに、買ってくるのは高級品。身なりも良かった。もしかして、レグルスさんは召使いではないのでは、という疑惑が浮かんでくる。けれど、それを本人に聞く気は起きなかった。私が素性を探ることによって、落ち込んだり、暗くなったりしたら気の毒だと思ったからだ。
ふと、レグルスさんを見てみれば、クッキーを馬の口元へと持って行き、微動だにせずに固まっていた。もしかして、被り物が邪魔で食べられないというのか。
「馬の頭部、脱がないんですか?」
ぎゅっと被り物の首元を掴み、断固脱ぐことはしないと態度で主張する馬男。そんなに顔に自信がないのかと呆れてしまった。
「馬の口から食べたらいいじゃないですか」
そういうことを言えば、「え?」と言って更に固まるレグルスさん。前から思っていたが、この人は育ちの良いお坊ちゃんなのかもしれない。酷い挙動不審者ではあるが、物腰は柔らかいし、雰囲気も上品な感じがする。こちらがどれだけ勧めても被り物は脱がないし、クッキーも食べないので、最後の手段に出る。
「仕方がないですね」
私はレグルスさんの方へ回り込み、手に持ったままになっていたクッキーを取った。
問答無用でレグルスさんの馬の口を開き、クッキーをぽいっと放り込む。少しだけ口元を上に傾ければ、クッキーはするっと滑って行くはずだ。
無事にレグルスさんの口に届いたようで、粉っぽいクッキーに軽く噎せていた。
「果実汁は飲みますか?」
必要ないと首を振るレグルスさん。まあ、さすがに飲み物は被り物を脱がないと口に含めないので、無理な話だったかと諦める。
「ユードラさん、お、美味しいです」
――本当かい。
心の中で突っ込みを入れる。まだ声が震えていたので背中をさすった。
そんなことをしていれば、またしても記憶の欠片が思い浮かんでくる。
「あ!」
「ど、どうかしましたか?」
「これ、以前にも、こんなことをしていませんでしたか?」
うっすらと頭の中に思い浮かぶ光景。レグルスさんと馬の頭部を被ってからクッキーを食べて、仲良く噎せたという残念な記憶。どうなんだと聞けば、確かに二人で馬の姿となり、クッキーを食べたことがあると話してくれた。
「やっぱり。あ、でも、この話は前に聞いた気がします」
記憶がなくなったと自覚した時にいろいろ話を提供してもらい、クッキーの一件は聞かせてもらったことがあったと今になって思い出した。
「やっぱり、実際に体験しないと記憶は蘇らないんでしょうか」
「どうでしょう?」
「まあ、それはそうとして」
私も馬の口からクッキーを一枚食べて、考える。
「何か?」
「いえ、やっぱり、私とレグルスさんは、『ただならぬ関係』だったのではと思いまして」
二枚目のクッキーを噛み砕いている途中だったレグルスさんは盛大に咳き込みだす。私はまたしても背中を摩りながら「大丈夫だ、落ち付け!」と叫ぶこととなった。




