目の前に――馬
瞼を開けば煌びやかな水晶細工の照明器具が見えた。一粒でどのくらいの値段が付いているのだろうかと気になってしまう。
体が沈むような敷き布団に柔らかで、手触りの良い毛布、ふわふわなかけ布団の中身は鳥の羽なのか。慣れない寝具一式に違和感を覚え、身じろぎをすればズキリと頭が痛む。そっと額に手を添えたら、包帯が巻かれていた。
――私は、一体?
そんな風に思って首を少しだけ動かし、周囲を見渡せば、すぐ傍に不思議なものが在った。
それは、馬の頭部を被り、かつ、その頭を抱えている男の姿。
「あ、あの~」
こちらが声をかければバッと顔を上げる馬男。この人は、ここで何をしていたのだろうか。
「――あ、うわ! ユー、さ、だ、大丈夫で、すか?」
馬男は立ち上がってわたわたと動揺を見せていた。慌て過ぎていて何を言っているのかまったく分からなかったが、安心させるために大丈夫だと言って聞かせる。
「す、すべて、悪いのは、私で」
「はあ、左様で」
どうどうと言って馬男を落ち着かせたまでは良かったが、今度は別の疑問が出てくる。
目の前で挙動不審な動きを見せている男は私のことを知っている様子だが、私はこの男のことを
――何も知らない。
すべて悪いのは私? どういう意味なのか。そんなことよりも、大変な事実に気が付く。
自分の名前すら分からないということを。その事実を馬男へと伝えた。
「な、え? き、記憶が、ない?」
「ええ、どうやらそのようです」
馬男はしばらくの間言葉を失っていた。よく見れば体が震えているようにも見える。
一度落ち着けと腕をポンポンと叩けばハッとなり、再び謝り始めたので、そんなことはいいからこちらの質問に答えてくれと急かした。とりあえず、私についての情報をざっと教えてもらう。
私の名前はユードラ。二十二歳。昨晩、壁で額を強打して記憶がなくなってしまった模様。
「それで、あなたは?」
「私は、ただの、つまらない男です」
「いや、馬の頭部を被っている地点でかなり面白いと思うのですが」
またまたご謙遜をと言って肩を叩く。そんな馬の頭部を被っている男の名はレグルス・ユースティティア。恐ろしく陰気な雰囲気の人物で、素性は謎。
「それで、あなたと私の関係は?」
「か、関係!?」
反応を見るからに間違っても恋人や夫婦ではなさそうだ。けれど、枕元で看病をしてくれたくらいだから、近しい存在ではあると思われる。
「すみません、レグルスさん、でしたよね? あなただけが頼りで……。よろしかったら教えていただきたいのですが」
どこの誰かも分からないというのはちょっと困る。何が困るかも分からないが、なんとなく焦燥感を覚えていた。
「……私は、ユードラさんを慕う者の一人です」
「え?」
さきほどからぼそぼそと小さな声で喋るので、話がよく聞き取れない。馬の被り物を取ってくれないかと言えば、ふるふると首を横に振ってそれはできないと言った。
「これは、以前、ユードラさんにいただいたものなので、その、外せません」
記憶を失う前の私はこの人に馬の頭部を被っておくように強要をしたというのか。ますます関係性が分からなくなる。
「私はこの家の者ではありませんよね?」
だって、布団にも、豪華な調度品にも親しみなんか一切なくて、先ほどから違和感ばかり。きっと私はとんでもなく場違いなところで怪我をしたのだろう。
「申し訳ないのですが、家の者と連絡を取りたくって」
「ち、違います!」
「ん?」
「あなたは、あなたは――」
「私は、なんでしょうか?」
「こ、ここの家のお嬢様で、私はあなたの下僕です!」
「え、本当ですか?」
だったらこの落ち着かない感じは一体? と思ったけれど、記憶がないのでどうしてかは分からなかった。こうして空っぽになってしまった私は、下僕(?)である馬男ことレグルスさんと共に記憶を取り戻すための活動を始めることになった。




