いい加減、心が折れそうです!
公爵様と私の不毛な関係も一ヶ月目となった。初めて支給されたお金に目が飛び出るような思いをして、自分の給料泥棒ぷりに落ち込んでしまう。召使いの方々に私はこれでいいのかと聞いても、どの人も「よくやっている」と言うのだ。そういう優しい言葉をかけて欲しいわけではないのに。
気を許してくれたら職場にも連れて行ってくれるようになるのではと思い、さまざまな作戦に出てみたが、どれも結果は揮わず終い。毎日頭の中は公爵様でいっぱいになり、どうすれば仲良くなれるものかと考える日々を過ごす。
公爵様も私を無視しているわけではない。「行ってらっしゃいませ」や「お帰りなさいませ」などと声をかければ微かに頷くような動きも見せてくれる。ただ、それは机の下など隠れる場所がない場合に限定をするが。
悩んだときは相談だ。私は丁度休憩所で優雅にお茶を啜っていた女中頭さんに声をかけた。
「あの、少しいいですか」
「なんでしょうか?」
私は休憩で忙しいのに、と言わんばかりの冷たい声色が帰ってきた。けれど、図々しい私は隣に座って話を続ける。
「相談なのですが、その、今、とても気になる方が居まして」
なんとなく公爵様の名誉(?)のために詳細は伏せて話をする。
無口で恥ずかしがり屋の方と仲良くなるにはどうすればいいのかと聞けば、「諦めたらどうか」という、なんともあっさりとした反応が返ってきた。だが、給金をもらっている以上、諦めるという選択をするわけにはいかない。
「私、初めてなんです、こんな風にじれったいような、強く焦がれるような、一日中その人のことしか頭にないような、モヤモヤとした感情は」
「それは、それは。おめでとうございます」
私の頭の中がおめでたいことなどとっくの昔に気付いている。なので、何を言われても平気だった。
相談の内容はどんどん一人で盛り上がっていった。
「――私の荒ぶる思いを伝えたいのに、言葉では上手く伝わらなくて!」
「だったら紙に書いて伝えたらどうでしょうか?」
「それだ!!」
どうして今まで思いつかなかったのか。私は女中頭にお礼を言い、休憩所を飛び出す。
ちなみに女中頭の名前はマリリンさんという。とても可愛らしい名前なのに、初日に呼ぶなと言われてしまった。とても残念。眼鏡が素敵な知的美人だ。彼女こそ貫禄ある召使いだと思っている。
それから部屋に戻り、引き出しの中から筆記用具と便箋一式を取り出した。
走り出した万年筆は止まらない。気がつけば五枚もの感動長編手紙となっていた。誤字脱字がないか読み返して見る。うん、長くて読み返す気がおきない。
手紙はなるべく簡潔に。昔、父から習ったことを思い出す。結局、自分の自己紹介と、毎日のお弁当に不満はないかということだけを書き直して封をした。
そして、大変なことに気がつく。私は公爵様のお名前を知らなかったということを。
今更「公爵様のお名前って何でしたっけ~?」などと周囲の方々に聞けるわけがない。結局、公爵様へとだけ書いて渡すことにした。
本日の公爵様はお休みの日。朝から部屋に篭りっぱなしだ。
書斎へ向かい、いつもの通り扉を開けば今日も公爵様を驚かせてしまう。こうしろと言われているから仕方がないが、どうにも自分が悪いことをしているように思えてならない。扉を綺麗に閉めた頃には公爵様の姿は既に見えなかった。机の下で膝を抱えているのは分かっている。
私は公爵様の机の前に膝を突く。
書斎の机は箱をひっくり返したような形状をしており、四つの足に支えられている。地面と机の間に僅かな隙間があったので、そこへ手紙を差し込んだ。
「つまらないものですが」
もちろん返事はない。潜伏先である机の中で、カサリと手紙を手にした音が聞こえる。受け取ってくれたと喜んでいたら、ゴン! と中で公爵様が机の天井で頭を打つような音が聞こえた。
「だ、大丈夫ですか?」
別に痛がるような声も聞こえていないので大丈夫なのだろう。姿でも確認した方がいいのかと立ち上がったが、足元に何かがあることに気がつく。再びしゃがみ込めば私が差し出した手紙があった。
予想をしていなかった行動に戸惑うのも一瞬で、私は負けずに二回目の挿入を行う。
手紙はまたしても帰って来てしまった。この野郎、私の書いた手紙を受け取らないとは。
それから数回手紙の行ってらっしゃいとお帰りなさいを繰り返し、私はついに手紙を受け取ってもらうことを諦めたのだった。
私は腹を立てていた。公爵様の他人を拒む徹底的な行為に。私は厨房の火の中に手紙をぶち込もうと手を掲げたが、何者かによってその行為を阻まれる。
「やめなさい!」
振り返れば女中頭が怖い顔でこちらを見ていた。
私が手紙を一生懸命書いたことを知っていたのだろうか。冷たそうな顔をしているが、実は優しい人なのかも……と思ったのに、違った。
「それは燃えるゴミです。厨房の火で処分しないで下さい」
マリリン酷い。渾身の手紙をゴミだなんて。私は涙を零してしまう。
「何を泣いているのですか、いい年をして」
「だって、酷いことを言うから~~」
「何が酷いことですか! ゴミの分別を守るのは人として当然のことです!」
「ゴミではありません! これは、公爵様への思いを書き綴ったお手紙で~~」
「大旦那様に、お手紙を?」
「へ?」
大旦那様とは公爵様のお父様。王弟でもあるという尊いお方だ。その方がどうしたのかと聞き返せば、公爵様宛の手紙は地方へ送らなければならないとマリリンは言う。
「地方? どういう、ことでしょう?」
「まさか、あなたは旦那様が現公爵だと思っていたのですか?」
「え?」
「現在の公爵は旦那様の父君であるアルゲオ様です」
あらまあ、なんという勘違い。
『公爵様へ』と書いてあったから手紙を受け取ってくれなかったのか。そういえば確かに、最初に『局長』と呼べと言われていたような気がする。
十年前に爵位は大旦那様のご子息である公爵様が継いでいた。が、仕事が急に忙しくなったとかで爵位は大旦那様に戻っていたらしい。
少し前まで公爵様が公爵をしていたというので、仕事を紹介してくれた上司は爵位が動いていることを知らなかったのかもしれない。私は呆れ顔のマリリンにお礼を言って手紙を握り締める。
そして、走った。公爵様改め、局長の元に。
私は遠慮なしに部屋を開く。局長は先ほど持って行った紅茶を口に含んだ瞬間だったようで、私の登場に驚いて思いっきり噎せていた。
失礼しますと言って部屋に入り、扉をゆっくり閉めて振り返れば局長の姿はなかった。既に机の下の住人になっているに違いない。局長は机の下でゲホゲホと咳き込んでいた。お労しいものである。
私が「あの」と声を発すればゲホゲホと咳き込んでいた音が途絶えた。話を聞いてくれる意思はあるらしい。けれど、一ヶ月間の経験から言って返事が返ってこないことは分かりきっている。
なので、別の作戦に出た。
握り締めていた手紙をゴミ箱の中へ投げ捨て、代わりに捨ててあった紙をゴミ箱から取り出し、あることを書き込んだ。
――私の名前はユードラ・プリマロロです。局長のお世話係に任命されました。怪しい者ではありません。
走り書きとなってしまったその文章の記された紙とをそっと机の隙間に差し、何か書くものも必要かと思ってあとから万年筆もコロコロと転がした。
神に祈るような気持ちで反応を待つ。これで駄目だったら、とかは考えない。無視したら泣かせてやると、そんな物騒なことを心の中で思っていた。
しかしながら、紙はあっさりと返って来た。局長の返信付きで。
――はじめまして、レグルス・ユースティティアと申します。
出会って一ヶ月ちょっと経っていたが、やっとの思いで言葉を交わすことに成功した。それに加えて、見たこともないような綺麗な字にも感動してしまう。反応があったことを信じられないような気分でいた。そして、昂ぶった感情がそのまま声となって口から出てしまう。
「局長、私、嬉しいです! まさか、反応を頂けるなんて!」
当然返事はなかった。私一人だけ興奮状態で、机の下に居る局長は黙り込んだまま。少しだけ恥かしくなったので大人しくすることにした。
ガツガツしてはいけない。少しずつ、慣れていってもらおうと考えていた。
これ以上休日の邪魔をしてはいけないと思い、「何かご用がありましたら鐘を鳴らして下さい」と言って部屋を出たのだった。