人生山あり谷ありなんです
本日は朝から昨日案内された怪しい建物へと向かう。
旦那様は足場が悪い道だからと手を差し出してくれた。慌てながら上げた手には毒針付きの指輪があったので逆方向に回って右の手をそろそろと出すとぎゅっと握りしめてくれる。
――これは『お仕事』。あくまでも事務的に、個人的な感情を伴わせることなく遂行しなければならない事案である。そんなことを呪文のように心の中で繰り返しながら、先へと進んだ。
悪徳商会の隠れ家の前には、昨日の片言男が外で私達を待ち構えていた。手揉みを繰り返しながら、怪しい質問をいくつかぶつけてくる。
「ソウ言エバ! アナタ方、帝国語、分カリマス?」
いやいや全く分かりませんと首を横に振る旦那様と私。言葉が分からない設定の方
が情報を聞き出しやすいからと、事前に作戦として決めていた。
通された部屋には恰幅のいい男がどっかりと長椅子に腰かけていた。見た感じは身なりも良く、下っ端のような雰囲気もない。
「デハ、ドウゾ、オ座リニ」
机の上には数枚の書類があり、片言男が一枚一枚どんな書類かと説明して行く。途中で帽子を取ってくれと言われたので、指示に従った。
目の前の男達は顔が露わになった私を見て明らかに落胆の表情を見せ、旦那様を見れば目が輝くのが分かった。なんという失礼な奴らだと思ったが、顔面偏差値については相手の反応通りなので仕方がない。
「ア~、奥サンハ、何カ得意ナコト、ナイ?」
顔が大したことがないから何か特別な能力がないかと聞き出して付加価値を付けようと言う意図が見え見えだった。呆れてしまう。得意としていることと言えば掃除くらいだ。あと裁縫とか。
「ハア、掃除に裁縫?」
さらに落胆を見せる片言男。掃除が得意なことを馬鹿にするとは。だが、もう片方の男は私を顎で差し、異国語で何か言っていた。
こちらを見て、何かを言いながら下卑た笑いを浮かべる二人にムッとしていたら、急に部屋の空気がピリッとしたような、謎の息苦しさを感じる。ふと隣を見れば、一瞬だけ怒りの形相を見せる旦那様。商人達の視線が戻ればすぐににこやかな表情に戻ったので、ひやひやしながら様子を窺う。
最後にさらさらと書類に偽名を書き綴り、笑顔で差し出す旦那様。ちょっと目が笑っていないよと指摘したかったが、多分分かるのは私だけだろうと思って放っておいた。
契約が交わされたら身柄は馬車で運ばれるようだ。悪徳商会の連中は従業員用の宿舎に連れて行くと言っているが、乗れと言われたのは屋根も無いような藁を積んでいるおんぼろの荷馬車。それに加え、小汚い外套を着てくれと渡して来る。宿屋の荷物は後で配送を依頼するのでとにかく乗り込んでくれと、あまり大きくない荷台に押し込まれてしまった。
どう見ても市場に売られていく家畜のような扱いだ。私はともかくとして、高貴な生まれである旦那様を藁まみれにしてくれて、どうもありがとうございましたと言いたい。
馬車はガタゴトと壊れそうなくらいに軋みながら進み、あっという間に街から離れて行く。砂の平原を抜け、連行されたのは川の傍にある大きな家がある場所。
片言男はここが住処と説明して、毎朝迎えの馬車がやって来るとか適当なことを言っている。
「オ部屋、案内シマショウ。マリア!」
片言男に呼ばれて出て来たのは二十代後半くらいの若い女性。「奥サンニハ、台所ヲ案内シマショウ」と言って家の方を指差している。こちらの言葉を喋れるのはあの男だけではないらしい。旦那様の顔を見上げれば、頷くのでそのままあとをついて行く。
――まあ、なんというか、結果的に私はある部屋に閉じ込められてしまった。
だが、こうなることは分かっていてついて行ったので、予定通りと言ったらいいのか。
窓もない、薄暗い部屋の中には私と同じくらいの若い娘が五人ほど。皆、騙されて連れて来られてしまったらしい。ぽつんと置かれた蝋燭の灯りが不安を掻き立てていた。私の仕事はここで大人しく待機をすること。そんな風に言い聞かせながら、旦那様の迎えを静かに待つ。
閉じ込められた娘さんたちは今から売られていくことに気付いているようだ。皆、悲壮な顔をしている。だからと言って旦那様が助けてくれるから大丈夫ですよ! なんてことは言えないので、私も部屋の隅で、皆と同じように悲愴感漂う表情で膝を抱えていた。
しかしながら、途中で部屋の暗い雰囲気に耐え切れなくなり、途中にあった商店で買った缶入りの飴があったので配って回った。私も一ついただく。ただの甘いだけの塊であったが、それでも何かを食べると心は落ち着くもので。部屋の重たい空気もいくぶんかマシになる。
しばらく待機をしていれば、奥から大騒ぎをするような声が聞こえてきた。乱闘騒ぎが起きているような、そんな物音も聞こえる。
その音はだんだんとこちらへと近づき、女性達は部屋の隅に集まり、身を寄せて恐怖と戦っていた。
私も、今まで経験したことのない状況に慄き、手や膝が震えている。
旦那様は大丈夫だと言っていた。だから、心配はいらない。そう自らを励ましていれば、バンと部屋の扉が乱暴に開かれた。入って来たのは救助に来てくれた旦那様――ではなくて、下卑た笑みを浮かべる見知らぬ男だった。手には血濡れた剣を握っている。
女性達は悲鳴をあげ、逃げようとした。そんな状況の中で、私は一人足が竦み、男と対面する形になる。
血が滴る剣を振り上げた瞬間、私は瞼をぎゅっと閉じた。
来ると思っていた衝撃は――やってこない。
恐る恐る目を開けば、そこには旦那様がいた。危害を加えようとしていた男は地面に伏した状態になっている。どうやら、危機一髪で助けてもらったようだ。
膝から力が抜け、その場にぺたりと座り込む。そんな私の背中を、旦那様は優しく撫でてくれた。
騒ぎから一時間経った。そろそろ事件解決の段階に入っているのかもしれない。囚われの身となった女性達を助けてくれたのは帝国騎士の方々だった。
悪徳商会の構成員は全員拘束されたらしい。これから事情聴取をして、売り払ってしまった異国人の身柄の調査をするという。
このまま国と国との間に入って解決のために尽力するかと思いきや、これ以降のことについては帝国在住の担当者に任せると言って、あっさり帰国の途に着くことに。
このようにして、私と旦那様の帝国潜入任務は終わりを告げた。




