こうなったら馬に頼るしかない!
仕事がないというのは大変辛い。一日中部屋で待機と言われても困ってしまう。
公爵家より用意された部屋には本や刺繍道具、楽器にお菓子、軽食とありとあらゆるものがある。けれど、どれも手を付けたらいけない気がして放置だ。今まで休日は何をしていたかと言えば、ひたすら睡眠を貪るだけだった。それだけ疲れていたのだろう。
だが、賃金が発生している以上、だらだら過ごすわけにもいかなかった。
窓の外を見れば庭師たちがせっせと働いている。溜息を吐けば、綺麗に磨かれた窓が曇った。
――仕事が欲しい。けれど、お仕えすべき相手は仕事に出かけていて不在。
まるで要らない子扱いをされているようで悲しくなる。
二十二年間の人生を振り返ってみると、労働を除けば空っぽな私がいた。お掃除だったらそれなりに自信があるのに、任されたのは人見知り公爵様のお世話係。この先どうすればいいのか。
とりあえず、公爵様の行動を把握しなければならない。
けれど、一体どうすればいいものか。
まるで密偵のように誰にも見つからずに出かけて行く公爵様の行動を追うことは果たして可能なのか。長年仕える執事さえも知らないというのだ。
だが、窓の外に答えはあった。公爵家の広大な敷地を颯爽と駆ける馬。
公爵様は馬を使って移動をしているはず。馬舎で待機をしていれば、公爵様に必ず会えるというわけだ。そうと気付いた私は部屋にあった焼き菓子をささっと布に包み、外に出る。庭師に馬舎の場所を聞き、公爵様の帰りを待つことにした。
公爵様が帰って来たのは日も沈みきった時間帯だった。馬の世話をする人にも迷惑をかけてしまった。彼らは温かい飲み物を持って来てくれたり、夜は冷えるからと肩掛けを貸してくれたりした。
夜も深まれば若干心細くもなる。明るかった馬舎周辺は何かが出そうな雰囲気となっていた。
もしかしたら今日は帰らないのでは? と不安になりかけたが、それからしばらく待たないうちにパカパカという、蹄鉄が地面を叩く音が聞こえた。公爵様は葦毛のお馬さんに跨ってご帰宅をされたので、思わず小さな声で「白馬の王子様か!」と呟いてしまう。
馬舎の近くにある茂みにいた私に公爵様はいち早く気がついたようだ。辺りが暗いので表情は窺えない。恐らく視線が交わっているであろう状態のまま、沈黙が続く。この場の雰囲気に合わせて「恨めしや~」とでも言った方が良かったか。公爵様が軽く咳き込んだので、我に返った。
「お、お帰りなさいませ」
馬から降りた公爵様は微かに頷くような素振りを見せ、早足で馬舎の中へと入って行く。私はあとを追った。今度は馬舎の内部の明かりのおかげでびっくり顔が見えた。明らかに引いている。逃げ場がないか辺りをキョロキョロとしているが、残念ながら隠れる場所はない。
「お風呂になさいますか? お食事になさいますか? それとも――」
おっと、これ庶民の奥さんが旦那さんに聞く言葉、間違った。公爵様相手にとんでもないことを質問しそうになった。
そんな中で、私が一瞬目を離した隙に公爵様は走って逃げ出す。
――こいつ、逃がすものか!
私は公爵様を追い駆ける形で馬舎を出る。突然、全力疾走の追い駆けっこが始まったが、公爵様は予想以上に足が速く、残念なことに途中で見失ってしまう。悔しい気持ちのまま、お屋敷に帰ることになった。
◇ ◇ ◇
公爵様にお仕えするようになってから数日が経ったが、状況は相変わらずなまま。出したお茶や食事は私がいなくなるまで手を付けないし、こちらもまともに見ようともしない。
さらに数日も経てば、公爵様の人として不可解な行動にも慣れてしまう。
そんな私の毎日の動きと言えば、朝早くに馬舎へ行って朝食と昼食を詰めた包みを馬の荷鞍に乗せて、やって来た公爵様に挨拶と見送りをする。時間は日の出前。当然厨房の方々はいないので私の残念手作り弁当となる。料理に自信があるわけではなかったが、公爵家にある食材はどれも素晴らしい。料理の腕など関係なしに美味しいものができてしまう。
引き攣った表情で出かけて行く公爵様の見送りが終われば、しばらくの間おやすみをさせていただく。ここで寝ておかないと体が保たない。お昼からの仕事は、翌日の弁当の仕込みや公爵様の部屋に飾る花を庭にもらいに行ったり、公爵様の情報収集をしたり。
ちなみに公爵様の情報収集の成果はいまいちという結果に終わっている。彼の御方は誰に対しても『鉄壁の人見知り』をしており、素晴らしく平等な態度でいる。古くからお仕えしている召使いが幼少時からこのような性格だったと言うので、暗い過去とかまったくなくて、そういう困った人なのだろう。
しかしながら、身近で世話をする私が近寄るたびに怯えているのは可哀想に思う。私ほど害のない人間はいないだろうに。
どうすれば快適に過ごしてもらえるのかと悩んでいたが、馬舎で働く方々から耳寄りな情報を入手する。『旦那様は愛馬を大変可愛がられている』と。
なんでも、公爵様は毎日出退勤に使っているお馬さんをとても大切にしており、休日は一日中馬舎にいてお世話をすることもあると。それを聞いた私の行動は早かった。部屋に籠り、ある物を作る。
馬舎の方々にもお褒めの言葉をいただいた私の作品、『公爵様の愛馬の被り物』。私はそれを被っていつものように待機している。ちょっと空気が薄くて息がしにくいという難点を覗けば、表情を気にしてなくていいから意外に楽というもの。この姿ならば、公爵様は私を怖がらないだろう。
馬舎勤務の皆に馬の被り物のままで辛くないか心配された。大丈夫、全力疾走出来ますよと走ったら、かなり息苦しくなった。これは改良の余地あり。一旦お屋敷に帰り、空気穴を増やす作業に取りかかった。
夕方になれば馬の被り物で公爵様の帰りを待つ。今日の私は馬も同然。なので、馬舎の入り口で堂々と待機させていただくことにした。公爵様は今日も遅いお帰りとなる。
「お帰りなさいませ!」
薄明かりの状態でよく見えなかったが、ザザッと素早く後ずさる音が聞こえた。いつもより早足で馬房へと歩いていく公爵様。いつもと違う馬面な私を警戒しているのだろうか。
明かりが照らされた馬舎の中へ入る。しっかりと姿を見れば安心をしてくれるはずだと思いながら。
声をかければ、公爵様のハッという息を呑む様子が分かった。そうです、私はあなたの愛馬です、と言おうと思ったのに、いつもと同じように逃げられてしまう。私はスカートを翻しながら公爵様に「待ってください!!」と呼びかけつつ追いかける。
――作戦は大失敗。どうしてこうなった。
馬の被り物改良のお蔭で全力疾走しても息苦しくならなかったのは、唯一の良かった点だろう。