意志ははっきりと!
依然として、頭の中は混乱状態だった。周囲には騎士たちがたくさんいるというのに、心臓がばくばくと激しい鼓動を打ち、そわそわと落ち着かない気分でいる。なんとなく、意味のなく局長の顔を見上げれば、うっかりと目があってしまう。局長は柔らかな微笑みを浮かべ、背中をぽんぽんと叩いてくれた。それから不思議なもので、じわじわと心の中を支配していた恐怖は薄くなってしまった。きっと魔法を使ったに違いないと思ってお礼を言ってから、またその場でじっと待機をしたが、先ほどとは違って心穏やかな時間を過ごすことができた。
局長と『虹の道化師』は事件の説明するためにお城に行くと言って別れた。私は公爵家の人が迎えに来て回収されていく。屋敷に帰れば、執事より局長の帰りはいつになるか分からないので、ゆっくりしていて下さいと言われた。お言葉に甘えさせていただいく。
今日はなんだか気疲れをしてしまった。けれど、用意してくれた食事も食べられたし、案外図太いものだと安堵する。
翌日もお弁当を持って元気に出勤。
局長は夜明け前に帰宅をしたようだが、疲れている感じは見受けられない。こういう事態にも慣れているのだろう。いつもの薄暗い森の中を通り抜け、山小屋へと到着。空からははらはらと雪が降っていた。被っている馬の口からほうっと白い息が出る。薄手の上着だったので少し寒いと思っていたら、局長が外套を肩にかけてくれた。
「局長が風邪をひきますよ」
そう言ったのに、大丈夫だと示すように首を横に振りながら山小屋の中へと入る。地下の階段を降り、長い廊下もさくさくと進んだ。隠密機動局の施設へ辿り着けば、早く食事にしようと局長を急かした。昨晩から何も食べていないらしい。
「今日は魚の酢漬けをパンに挟んで来たんです。しっとりさっぱりしていて食べやすいと」
「ほう、だったらいただくか」
いきなり前方から声がかかるのと、局長が私の腕を引いてくれたのは同時だった。後ろ歩く局長を気にしながら進んでいたので、危うく目の前の人物に激突しそうになる。
「危ない奴だな。前を見て歩くっつー普通のことができないのか」
「す、すみませんでした」
咄嗟に謝罪を口にしていたが、相手は見知った人物だった。
「申し訳ありませんでした、ジョクラトル様、だろう?」
「あ、はい、そうですね」
なんとなく関わり合いになりたくなかったので、適当な返事をしてしまう。そんな私を訝しげな表情で見ていた。馬の被り物が気になっていたらしい。
あまり絡まれたくなかったので、馬の被り物のことは簡単に説明した。
彼は局長に話があったらしい。了承したとばかりにコクリと頷く局長。貴重な朝の時間がもったいないので、食事をしながらお話をしたらどうかと提案をすれば、食堂に行くことになった。
お弁当は多めに作って来ていたので、『虹の道化師』にあげるのは不本意だが、局長が気を使ったらいけないので仕方ないと思って分けてやる。奥の部屋には厨房もあり、食材も豊富にあった。聞けば、普段は自分たちで適当に作ってお腹を満たしているという。
温かいお茶を用意して食堂に戻れば、ほとんど食事を終えている『虹の道化師』と、まったく食事に手を付けていない局長という対照的な食卓風景があった。
話の内容は意外にもまともなことらしく、真剣な顔で喋っている。
「――前から感じていたことですが、仕事の割り振りがおかしいって思いましてね」
内容は聞いてはいけないと思いつつも、近くに居たら嫌でも耳に入ってしまうわけで。茶器を机の上に置いて少し離れた場所に待機をする私。局長は話を聞きながら顎に手を当て、何かを考えているような仕草をしていた。途中で会話が途切れたので、食堂から出て行った方がいいかと聞いたが、別にいても大丈夫だと局長が言うので、話も堂々と聞かせていただく。
なんでも、この男は巧みな変装技術から街に出向いて街人に紛れつつ行う仕事が多いらしい。だがしかし、一人で行っているので色々と無理が生じる時があるという。
「誰か局内で手伝える人が居ればいい。が、不可能なのが現状じゃないですか。……鉄の淑女(無駄に恐ろしいババア)、|漆黒の石(筋肉おっさん)、|勝利を掴む者(男装の変人)、|小さな王(無駄に男前)。どの人も大衆の中に紛れ込ませるには無理のある人材ばかり」
確かに、民草の中へ紛れ込ませるには無理がありそうな人ばかりだ。
「それでですね、彼女を、ユードラ・プリマロロをお貸しいただけないかな、と思いまして」
なんだって? 『虹の道化師』は言う。隠密機動局の人材に平平凡凡な私の協力があれば助かる、と。局長と『虹の道化師』は揃って私の方を見た。
「いいでしょう? 危険なことは何もさせないので」
『虹の道化師』はぬけぬけと「ちゃんと守ってやるから心配するなよ」と上から目線な物言いをする。この男と手と手を組んで仲良くお仕事だと!? 昨日の騒ぎの記憶を蘇らせた後に冗談ではない、と思ってしまう。
「せっかくのお誘いですが、お断りいたします。私は局長のお役に立つためにここに来ました。国の、隠密機動局の発展のためではありません」
「何を言っているんだよ。お前が協力をすれば隠密機動局の局長であるユースティティア様も喜ぶだろうが!」
「無理です。私は自分の身を守る術を知りません。私が足を引っ張って任務に支障をきたしたら、それは局長の顔に泥を塗る事態となりますから」
「だから、お前の身は俺が守るって言っているだろう!?」
「信用出来ませんので」
私なりに頭を使っていろいろと考えた結果だ。任務に首を突っ込んではいけないと。
「まあ、局長がどうしてもと言うのなら、考えますが」
これも考え出した答えの一つ。私の忠誠は局長個人にあると気付いたからだ。
「局長、頼みますよ!!」
即座に首を横に振る局長と驚いて目を見開く『虹の道化師』。そんな二人を前にして、私は局長の決定に安堵していた。
「局長にはがっかりしました」
とんでもない戯言を言う軽薄道化男を睨みつける。
「職場に女を連れ込むわ、決定に私情を挟み込むわで散々ですよ。一応尊敬もしていたのに」
こいつは何を言っているのか! 失礼にもほどがある。ぶるぶると震えるほどに怒りを覚えていたが、私はただの下働きであり、仕事の実績もないので口を挟む権利はない。……でも、悔しい。
局長は毎日寝る間も惜しんで働いているというのに、それを分かっていないとは。
「局長~、何か言って下さいよ。それとも得意のだんまりですか?」
言われっぱなしの局長を見れば、特に感情は顔に出ていなかった。無表情で話を聞き入れている。
「納得するような弁解を聞かせて下さいよ、さもないと――」
目の前の男が拳で机を叩いても、反応はない。しばらく沈黙の中で過ごしたのちに、局長は静かな声で語りだす。
「陛下は、均等に仕事を振っています。あなたが大変だと思っている仕事と同じような内容を、他の人も行っているのです」
そりゃそうだ。別に大変な思いをしているのは彼だけでなく、皆、それぞれ四苦八苦しながら任務の遂行をしているのだと、局長は話した。『虹の道化師』は自らの過ちに気がついたからか、黙り込む。私は心の中で「謝れ! 謝れ! この、道化野郎が!」と罵倒していたが、残念ながら伝わるわけもなく。『虹の道化師』は舌打ちを残して部屋から去って行った。私はそんな彼が荒らした食卓を綺麗にする。淹れたお茶もすっかり冷えきっていたが、局長はこれでいいと言った。
局長が二個あるうちのパンを一個分けてくれたので私も朝食にありつくことができた。それから、気になっていることがあったので質問をする。
「あの、可能ならば、なのですが、今後、こちらの厨房で食事を作りたいと思っていまして」
執務部屋から出ないでくれとは言われていたが、やっぱり食事は温かいものが美味しい。なので、どうにか許可をいただけないものかと頼み込んでみた。
「あ、局長がいる時だけで構わないのです。その、やっぱり出来立ては美味しいですし、温かいものを食べて欲しいと思って」
ちらりと局長の顔を見れば、目が合った瞬間にさっと逸らされてしまった。やっぱり駄目なのか。
「すみません、差し出がましいことを言ってしまって」
「い、いえ、そんなことは」
再び顔を上げて視線が交わったが、またしてもさっと逸らされてしまう。恥ずかしがり屋さんにもほどがあるだろうと、心の中で指摘をする。局長は私と目も合わせない状態で「嬉しいです」とだけ言ってくれた。いや、嬉しいですとか、個人的な感情はどうでもいいので、許可をするのかしないのかをはっきり言ってくれと、これもやっぱり心の中で指摘をしてしまった。




