三十六
二人はお互いの影響範囲から少し離れた所にいた。普通の人間であっても、二人の殺気をを感じられた。
「それに葵さん。貴方の主人は、その人ではないはずです」
「そうだね。でもね、これは姫さまからの勅命だから。力ずくでも純也さんを解放しなくてならないんだよね」
「なぜ、あの方が……。まあいいでしょう。でも、ここでは私のほう有利ですから。無理をしないでお帰りください。これからジュンさんと行かなければならないところがあるんです」
五月はかなり余裕だった。でも、五月と渡り合おうというのだから、葵もかなりの力があるに違いない。能面のような葵の表情からそれを読み取る事は出来ないけれど、たぶん間違いないだろう。
葵も五月と同じなのだ。
サードフレーム。
「だめだよ」
葵が戦闘体勢に突入し、五月もそれを迎え撃つべく気合を入れた。今まさに、一艦隊を全滅出来る力同士がぶつかろうとしているのだ。危険を感じて二人から離れようと思ったとき、座り込んだままの静香を見つけた。静香に気づいて気にはしている様だったが、葵は五月と対峙している為、かまっている余裕は無いみたいだ。
葵は静香に被害が及ばないように、五月に攻撃を仕掛けながら公園の中央に移動した。
隙を見て、静香かかえると、近くのベンチに座らせた。
隣に座っても静香は全く動かなかった。心配して声を掛けてみたけれど、返事が返ってこなかった。
五月たちはしばらく睨み合っていた。まるで術を極めた者同士の戦いだった。こういう場合は下手に動いた方が負けるのだ。
静まり返った公園に、空気を切り裂く小さな音が通り過ぎた。
それを合図に葵が飛び出す。
葵はすでに紫色の光刀を握っていた。
五月はこめかみまで手を上げると、その場で軽くこぶしを握った。
再び開いた彼女の手から、銃弾が転がり落ちる。
葵はその隙を逃すことなく、光刀を五月に向かって突き出した。
それは五月の胸に突き刺さった。
赤い血が、刀の脇から少しだけ噴きだしているのが見えた。
「五月!」
五月が傷を負うなんて、考えてもいなかった。でも、赤い血が流れていると分かったから、少しだけ安心していた。
キサチュウの制服が血で染まる。
目の前の光景があまりにも衝撃的で、座ったまま動けなかった。
誰かが銃を撃ったのだ。
それでも五月はすごかった。
いつのまにか光刀を振り上げていた。
葵の左腕が肩から切り落とされ、ブランコのそばまで転がった。
返り血がまた、制服に飛び散った。
二人とも一度安全圏に離脱したけれど、五月のダメージの方が大きいようで、胸から赤い液体が容赦なく流れ出ている。
助けなければと立ち上がったとき、どこかで見たような黒い服の男に静止された。五月も葵も、囲まれている。
「困りましたね。どうしてこういう時に表れるのでしょう」
五月の息はあがっている。
「自業自得だよね」
葵も少し苦しそうだ。
五月が死ぬなんて考えられない。それ以上
に、弱っている姿は見ていられなかった。
でも今は、他人の心配をしている状況ではなかった。静香は自分で動くことさえ出来ないのだ。
「君たちに恨みはないが、運が悪かったと思って諦めてくれたまえ」
目の前の男が持っているのは拳銃だった。
もう終わったと覚悟した。頭の中に浮かんでくるのは一人でいるときの自分だった。佐友里も五月も出てこなかった。それが何だか悲しくて、心の中で笑ってしまった。
しかしその男は引き金を引くより前に、上半身と下半身の二つに分かれた。そして地面に転がった。
そこには、血だらけの五月が居た。
「五月」
「ごめんなさい。少し油断をしてしまいました。お怪我はありませんか」
公園の中に、もう敵はいなかった。
「大丈夫だよ」
「そうですか、それはよかっ……」
五月は電池が切れたみたいにその場に倒れた。声を掛けても揺さぶっても全く返事が帰ってこない。
この程度で倒れる五月じゃないはずだ。
「悪ふざけもいい加減にしろよ。お前が死ぬなんてそんなこと……」
そこから先は言葉にならなかった。
いつのまにか葵がいた。
「おまえ、どうして五月を!」
葵に掴みかかっていた。
「これは貴方を助ける為なんだけどな」
「余計なお世話なんだよ。僕は五月と――」
「だからそれは」
「そんな事はどうでも良いんだ。なんでお前らは僕たちの邪魔をするんだよ」
葵は表情を変えなかった。
「五月の事が大好きなんだ。ただ、それだけなのに、どうして……」
葵はそれ以上語ることなく、片手で静香を抱き上げると、公園から立ち去った。
残されたのは沢山の死体と、動かなくなった五月と、何も出来ない少年だった。
「なんかひどいやられ方よね」
五月を抱いまま途方にくれていると、聞き覚えのある声がした。
「五月さんともあろうお方がだらしない」
けらけらと笑っていたのは瑞希だった。
「なあ、教えてくれよ。こんな時、僕は一体どうしたら良いんだよ」
「やっぱり、泣くのが良いんじゃない」
頬を伝わった水滴が、五月の額に落ちていった。
「そんじゃ後は任せて、あなたは家に帰りなよ。赤くて鉄分くさい臭いが好みなら、別に止めやしないけどね。ここはすぐに片付けないといけないから」
二つに割れた男の血が、制服にべっとりとついていた。そのまま着ている訳にも行かなかったから、五月のことは瑞希に任せて、彼女の言葉にしたがった。自分が役に立たない事は自分自身が一番正しく理解している。
「ちょっと伊勢くん」
公園を出ようとしたとき瑞希に呼ばれた。
彼女は手のひらを差し出しと、人差し指と中指を額に当てた。
「すべて1なら現実、すべて0なら夢。また会いましょう。あなたと私の夢の世界で」
電撃を受けたような衝撃と、強いめまいに襲われて、そのまま意識を失った
夢を見ていた。
何処までも続く真っ白い世界。
白いワンピースを来た女が一人。
思い出したようににこりと笑った。
彼女は何か言ったけれど、その声は届かなかった。
意識を取り戻した時、一人でベンチに座っていた。
公園は、いつもと同じく静かだった。
「えっと、何していたんだっけ」
どうしてこんな所に一人でいるのか思い出せない。誰かと一緒に家を出たような気もしたけれど、それも確かな記憶じゃなかった。
家に帰ると、母親が一人で紅茶を飲んでいた。それは、佐友里にもらったストロベリーティーだった。
でも……。
「お帰り、早かったね」
「うん」
何かを忘れている気がする。
とても大切な事だと思う。
でもそれがなんなのか思い出すことは出来なかった。