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サードフレーム・五月(2006)  作者: 瑞城弥生
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三十四

 待合わせの時間をだいぶ過ぎて到着した公園で見たものは、仲通の路地で五月に再会した時と同じ光景だった。黒ずくめの男が数人公園の地面に転がっている。彼らはみなぴくりとも動かなかった。五月は傍にあるベンチに座って一人で本を読んでいた。今回は上着を着ていたから、返り血はそれほど目立ってなかったけれど、ワイシャツは、やっぱり真っ赤に染まっていた。


「ずいぶん遅かったんですね」


 怒っている様には見えなかったけど、少し口調が厳しかった。


「あまりにも遅いので、彼らに見つかってしまいました」


 公園の地面に転がっている黒服たちを見ながら五月は笑った。


「こいつら、何者?」

「定期的にわたし達を消す為に、遠くの国からやってくる兵隊ですよ。特殊な訓練を受けているのでとても強いんです。手加減しても良いんですけれど、それではこの方たちに悪いと思いまして」

「でも、殺す事は無いだろう」

「この方たちは、わたし達を消すためにだけ存在しているのです。いいえ、こうなっししまった以上、もう人間と呼ぶべきではないでしょうね。その目的以外のこと出来ない体になってしまっているのですから。そして死ぬまで向かってくるのです。とてもかわいそうな人たちです。だから早く天国に返してあげることにしているんですよ」


 五月の話の内容は、かなり現実離れしていてまったくどうにも理解できない。他の国の誰かが、五月や瑞希を殺しに来る事は分かった。世の中には知らない方が良い事も沢山ある。だからそれ以上は聞かなかった。


「では、行きましょうか」


 何事も無かったかのように歩き出そうとする五月の腕を捕まえた。


「その格好で行くのかい」

「何か問題がありましたか」


 五月は自分の服が大量の血で染まっている事をすっかり忘れている様だった。


「そんな血だらけの服で街には出れないよ」

「あら、そうですね。どうしましょうか」

「家に寄っていきなよ」

「よろしいのですか?」

「ああ、着替えぐらいあるはずだからさ」


 五月を家につれて帰り、まずはシャワーを浴びさせた。着替えを探してクローゼットのある部屋で母親の服をあさっていると、いつのまにか起きて来ていた母親に丸めた新聞紙でひっぱたかれた。


「あんた何やってるのよ」

「あれ、仕事は?」

「今日は休みだし」


 母親は看護士をしているから勤務時間が不規則だった。それもみんなが嫌がる夜勤を中心にシフトを組んでいるものだから、家で会う事はほとんど無かった。最近では何時休みなのかさえわからなかった。


「友達?」

「うん。服を汚しちゃってさ、なんか着替えが無いかと思って」

「女の子なの?」

「まあね」


 隠したとしてもすぐにばれるから正直に答える事にした。母親は驚きもしないで、洋服ダンスの扉を開けた。


「彼女?」

「どうかな」

「それで、その子の体型は?」

「身長は僕と同じくらい。胸はかなりあると思うよ」

「そう。じゃあ、これがいいわね」


 母親から受け取った量販店の袋を洗面所にもって行った。ガラス一枚隔てた向こう側で五月がシャワーを浴びている。


「ジュンさん?」

「うん。着替えここにおいて置くから」

「ありがとうございます。あの、よかったら一緒にどうですか」

「いや、遠慮するよ」


 五月の誘いを断って、食堂へ向かった。

 食堂では母親がタバコを吸っていた。火のついたガスコンロにはやかんがあり、テーブルにはテーポットと三人分のティーカップ、それに佐友里が忘れていったストロベリーティーが並べてあった。


「そういえばあんた、佐友里ちゃんと喧嘩でもしたの?」

「べつに。どうして」

「さっき電話したんだけど、何か様子が少しおかしかったから」


 佐友里もやっぱり、この前のことを気にしているに違いない。今晩電話を掛けるのを忘れないよう冷蔵庫にメモを残した。

 紅茶が入ると同時にやってきた、五月の着ている服を見て、飛び上がるほど驚いた。

 非常に優秀で質が高く、本当のお嬢様だけが通える学校が、この街には存在する。五月が着ているのはキサチュウと呼ばれている如月女学院中等部の制服だった。ほとんど下着同然の姿で足を組みながらタバコをくわえ、しきりに頷いている自分の母親が、そんなお嬢様学校の制服を持っているということが信じられなかった。


「これって、母さんの?」

「そうよ」


 母親はそう答えたけれど、絶対に信じられなかった。


「誰にもらったんだよ」

「失礼ね。こう見えてもキサチュウの出身なんだから」

「信じられない」

「殴るよ。サイズはどう?」

「はい、ぴったりです。ありがとうございました」


 五月は丁寧にお礼を言ってから、母親に勧められて椅子に座った。


「でも、こんな素敵な制服を貸して頂いても良かったんですか」

「いいのよ。私にはもう着れないし、子供はこいつだけだから、欲しければあげる」

「本当ですか」


 ずいぶん喜んでいたけれど、本当はどう思っているのだろう。その制服もすぐに血まみれになってしまうと思うと惜しい気がした。


「でも、まさかね」


 その姿をじっくり見ていた母親は、やがてそう呟いた。


「あなたのお母さん、もしかしてわたしと同じくらいの年じゃないかな」


 五月は母親の年齢を聞きもしないで、首を振った。


「そっか、よく似てるんだよね。中学の時のクラスメートにさ。マジでそっくり。その子柏崎五月って言うんだけど、知らないかな。親戚とかに居なかった?」


 母親が口にしたその名前に、自分の耳を疑った。


「ちょっと、今なんて」

「柏崎五月よ。この子にそっくりで、とっても綺麗だったんだよね。中学卒業してからは逢ってないんだけど、どうしているかな、彼女」


 聞き間違いではなかったようだ。同姓同名という考えはそのときまったく浮かば無かった。五月は楽しそうに微笑んでいた。


「で、あなた名前は?」

「柏崎五月ですよ。おかあさま」

「なによ、冗談うまいのね。それとも単なる偶然かしら」


 引きつった顔で助けを求めてきた母親に、大きく首を振って返事をした。


「じゃあ同姓同名なんだ。でも、本当にそっくり」

「何言ってるんですか。わたしですって、笹森実穂さん」


 母親の口からタバコが落ちて、テーブルの上の灰皿に着地した。母親は寝癖の付いた髪を思いっきりかきむしった。


「あんた五月なの」


 その聞き方はちょっとおかしかった。五月が母親の友人でなかったとしても、あるいは単なる同姓同名だとしても、五月は五月なのだから。

 でも、母親の言いたいことはちゃんと五月に伝わっていた。


「本当に久しぶりですね。あれから二十年経つんですよ。もう逢う事もないと思っていましたけど、元気そうで何よりです」


 五月が二十年前にも中学生であったとしたら、彼女の年齢はゆうに三十五歳を超えているはずである。でも、どう見ても五月は中学生にしか見えなかった。

 その時またもや瑞希の言葉を思い出した。


「私は生まれた時から十二歳よ」


 突然笑い声が部屋中に響き渡った。大声で笑う母親を初めて見た。


「いや、傑作だわ。疲れているのねきっと。五月ちゃんはゆっくりしていってね。わたしは少し休ませてもらうから」


 母親はまたもや頭をかきながら、自分の部屋に戻っていった。

 五月の言っている事はたぶん嘘じゃないと思う。初めてあった相手の名前を旧姓で呼びかけることができるなんて、誰にでもできる事じゃない。自分でさえ、母親の旧姓などすっかり忘れていたほどだ。

 五月は昔、母親と同じ時を過ごしていた。瑞希と同じく、五月は生まれた時から十三歳のままなのだろう。

 だけど、そんな事はどうでも良かった。


「ストロベリーティーですね、これ」

「うん。佐友里が持ってきてくれたんだ。学校で流行っているんだろ。五月さんの影響だって言ってたよ」


 五月が紅茶の缶の蓋を開けた。強烈なイチゴの香りが漂った。


「晴美が好きで良く飲んでいたんですよ」

「晴美って、柏崎晴美さんの事?」


「はい。私の母親、あるいは私自身かも知れません。どう言うわけか自分でも良くわからないんですよね。それが自分の記憶なのか、誰かから与えられた記憶なのか」


 柏崎晴美は、西条の店で見つけた写真の一人だ。やっぱり関係があったのだ。


「では、行きましょうか」


 小さな音を立てて五月は飲み終えたティーカップをテーブルに置いた。


「何処に?」

「朝に言いましたよね、付き合って欲しい所があるんです。大分時間を無駄にしてしまいましたから、急ぎましょう」


 五月にせかされ外出の準備を始めた。五月が制服を着ているから、結局制服のまま着替えて表に出た。キサチュウの制服を着ている五月はいつも以上に綺麗に思えて、並んで歩くのも緊張した。

 自分が五月にふさわしい男だと、正直なところ自信がなかった。

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