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サードフレーム・五月(2006)  作者: 瑞城弥生
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三十一

 目が覚めた時、まだ夜の九時だった。

 五月に導かれて仲通を出たところまでは覚えていた。そこからは一人で帰ってきたのはたしかだろう。そしてそのまま眠ってしまったようだった。制服は着たままだった。

 せっかく佐友里に会えたというのに、肝心なことを聞きそびれた。連絡先を聞いてあるから、そのうち聞けばいいだろう。

 夕飯は西条のところで食べたけれど、何となく小腹が空いたから、ズボンとワイシャツを脱ぎ捨てて、パンツとシャツという格好のまま台所のドアを開けた。


「きゃ!」


 包丁を片手に立っていたのは、佐友里だった。


「何でおまえがうちに居るんだよ」

「だっておばさんに頼まれてたんだもん。それより、なんか着てきなさいよ」


 部屋に戻り、服を着てから台所に引き返した。


「冷蔵庫のなま物を整理しに来たのよ。明日は燃えるごみの日でしょ。ジュンに任せておいから何時までたっても綺麗にならないからって、さっきうちに電話がきたのよ」


 留守がちな母親は、佐友里によく家の用事を頼むことがあった。佐友里の母親が仕事仲間だった関係で、小さい頃はよくどちらかの家に預けられた。今でもお互い、相手の家の鍵は持っている。


「ケーキ買ってきたんだけど、食べる?」


 突然の来訪者に驚いて、台所に来た理由をすっかり忘れてしまっていた。何か食べようと思っていたからちょうど良かった。


「ケーキなんて、随分と気が利いているじゃないか」

「実穂おばさんにバイト代をもらうから、どうせならジュンと食べようと思ってさ」


 実穂というのは母親の名前である。話の途中でどっちの母親か分からなくなるものだから、二人の時は名前を付けて呼んでいた。


「紅茶入れるから、待てるよね」


 佐友里はスーパーの袋からどこかで見た事のある紅茶の缶を取り出した。

 それはストロベリーティーだった。


「どうしたんだ、この紅茶」

「それね、いま学校で流行っているの。隣のクラスの女の子が好きなんだって。図書室にもにたまに来る女の子だけど、名前何て言ったけかな」

「もしかして柏崎さん?」

「そうそう柏崎さん。あれ、前に彼女の話をしたっけ」


 佐友里に五月の事を話すべきかどうか迷っていた。いつかはばれる事だから、黙っていればあとで余計に怒られるだろう。でも、やっぱり佐友里には言えなかった。


「有名だよ。柏崎さん」

「そうなの? あの人綺麗だしね、男の子が放って置く訳ないか」


 佐友里はイチゴの香りが漂う紅茶を二人分入れ始めた。ケーキの入っている箱を開けるとイチゴのミルフィーユが入っていた。その隣にあるベイクトチーズケーキは佐友里の大好物だった。


「ところでさ、今日図書室で手紙を渡されなかった」


 黙っといてあげると笑っていた図書委員の顔が浮かんだ。やっぱり年頃の女の子が黙っていられるはずなど無い。直接佐友里に話したわけではないにしろ、結果として彼女の耳には入ったのだ。言い逃れするつもりも無かったから、悪戯だったと説明した。正直に話すことの出来ないところもあったけど、無理なく説明したつもりでいた。

 佐友里はそれほど関心なさそうに、休み無くチーズケーキを口に運んでいく。次々とケーキが消えていく彼女の唇が目にはいりどきりとした。


「佐友里はさ、キスした事ある?」


 そう言った後で後悔した。でも取り消す事など出来きはしない。佐友里は、飲んでいた紅茶をチーズケーキごと噴出した。


「何よ突然」

「聞いてみただけ。ごめん、忘れてくれ」


 佐友里はしばらく難しい顔をして考えていたけれど、さすがにピンと来た様だった。やっぱり佐友里も女の子である。


「ふーん、なるほど。で、相手は誰よ」

「何のことだよ」

「したんでしょう。キス」


 直接的に聞かれたから、思わず大きく頷いてしまった。


「で、どうだった? ご感想は」

「あのさ、女の子の唇って冷たいもの?」

「なによそれ」

「雪みたいに冷たかった」


 残りの紅茶を飲み干してから、佐友里は隣りにやってきた。


「試してみる?」

「何を」

「女の子の唇がどのくらいの温度なのか、ジュンはそれを知りたいんでしょう」


 佐友里の声は震えていた。


「どうしたんだよ」

「幼馴染ってのはサ、こういう展開がお約束だと思わない? わたしね、ジュンのこと嫌いじゃないんだ」


 嫌いじゃないと言う言葉が、たとえ好きだと言う意味でも、佐友里の気持ちにこたえることは出来なかった。

 容赦なく佐友里の顔が近づいてくる。


「実はね、ジュンの事好きなんだ。ずっと前から」

「ごめん」


 それしか言えなかった。

 佐友里はその言葉を聞いて動きを止めた。

 彼女の暖かい息が顔にかかる。

 かすかにチーズケーキの匂いがした。


「そうだよね。ジュンには好きな人いるんだもんね」


 体を離して背を向けると、佐友里は、居間のソファーに飛び込んだ。


「ジュンの好きな人って、もしかして柏崎さん?」

「うん」

「キスしたんだ」

「したって言うか、された」

「そっか、じゃあ、私なんか全然相手にならないよね」

「そういうわけじゃ……」

「いいんだよ。気を使わなくて」


 本当の姉のように思っているから、佐友里を特別好きになったり出来なかった。そう説明してはみたけれど、納得してくれたか怪しかった。


「でも、あの人本当に綺麗だよね。まるで人形みたい。ジュンにはもったいないよ。あんたには、あんな人、似合わないよ……」


 最後の方は涙声でかすれていた。

 黙って紅茶を飲みながら、佐友里が落ち着くのを待つことにした。


 しばらくすると佐友里は台所を片付け始めた。何の話をしたら良いのか分からなかったし、かといって勝手に部屋に戻るのも悪い気がしたから、手際よく片付けを済ます佐友里の後ろ姿をずっと見ていた。

 五月も皿洗いなんかするんだろうかと考えたが、その意味の無さに気付いて止めた。


「じゃあ、また明日ね。お休み」


 扉の閉まる音がして部屋の中が静まり返った。さっきまで目の前にいた佐友里とは、もう幼馴染には戻れないのだろうか。

 ストロベリーティーの缶がテーブルに置いてあった。

 何気無く手にとって缶の蓋を開けてみた。

 強烈なイチゴの香りが漂ってきた。

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