三十
再び奥の部屋が開いて、ジャージの五月が顔を出した。彼女には少し小さくて、体の線がやけにはっきり見えている。人に見せても恥ずかしくない、すばらしい体型だった。
「西条さん。お茶を入れてください。伊勢さんもこっちに上がっていただけますか」
部屋にはちゃぶ台があり、その脇には検品途中のパーツが転がっていた。テレビの脇に年代物の汎用機が置いてある。何処かで見たような気がすると思ったら、部室にある静香のマシンと同じ型式のようだった。正面に雪の結晶が付いているから間違いない。
「久しぶりですね。お元気でしたか」
路地での出来事なんか無かったかのような笑顔だった。
「うん。ずっと君に逢いたかったんだ。手紙をもらったときは嬉しかったよ」
「手紙ですか?」
図書室で渡された手紙を取り出し、五月に渡した。
「なんですか、これ」
「柏崎さんがくれたんでしょ」
五月は、くすりと笑ってそれを返した。
「これは私じゃないですよ。きっと誰かの悪戯でしょう」
「でも……」
「私は西条くんとは呼びません」
たしかにそう書いてある。西条くんと呼んでいたのは瑞希だから、これは彼女の仕業のようだ。五月が書いた手紙でなくて、少しがっかりしたけれど、こうして五月と逢う事が出来たから嬉しかった。
「連絡先を教えてくれないかな」
「いいですよ」
五月は血まみれの制服から携帯電話を取り出した。
「あんまり電話とかかけないので、持っているだけなんですけど」
「メールとかは?」
「一応設定はしてあります。でも、そういう友達とかいませんから」
携帯電話の呼び出し音が一回鳴り、続いてメールが着信した。着信履歴とメールの受信を確認すると、覚えの無い相手だったが、すぐに誰だか分かってしまった。
五月の指示どおりに返信すると。すぐに彼女の携帯電話が音楽を奏で始めた。それは十五年前に流行ったアイドル歌手の曲だった。
「おまえまだその曲使っているのか」
西条がティーカップの載ったお盆と共に戻ってきた。テーカップからはすごく甘い香りがした。
「なんですか、これ」
目の前に置かれたティーカップの中身は一見すれば紅茶だった。しかしその匂いは強烈で、普通の紅茶とは違っていた。
「ストロベリーティーですよ。ちょっと香りがきついですけど、おいしいんです」
そう言われて見ると、確かにイチゴの香りだった。
「で、どうしてお前がここに居るんだ」
西条が掛け声を掛けて隣に座った。
「呼び出されたんですよ」
今度は手紙を西条に見せた。彼は読み終えた手紙を乱暴に放り投げた。
「こんなもの、何処で受け取ったんだ」
「学校の図書室です。図書委員が預かっていてくれたんですよ」
「五月」
「私がそんな事をするはずないじゅないですか。用事があれば直接会いに行きますよ。それに、私は西条さんのこと、くん付けでなんて呼んだことはありません」
「瑞希か」
「でしょうね」
「あいつ何のつもりでこんな事」
「結果として伊勢さんに会えたましから、私としては嬉しいです」
その言葉が何よりも嬉しかった。
そして瑞希にも感謝した。
「もしかして瑞希のやつ、お前にさっきの様子を見せたかったんじゃないか」
人を殺す所を見れば、さすがに目が覚めると思ったらしい。以前も同じような方法で、解決した事があると西条は話してくれた。
シスカで聞いた瑞希の言葉が、現実味を帯びてきた。
けれど五月の美しさに惚れ直してしまったのは、想定外だったのだろう。
「その程度で私たちの仲を引き裂こうだなんて、瑞希さんもまだまだですね」
五月は楽しそうに笑っていた。
その後夕方まで五月とゲームをしながら過ごし、西条お手製のカレーライスまでご馳走になってしまった。
「ねえ伊勢さん」
真っ暗な路地を歩きながら、五月が腕に手を回した。
「ジュンでいいよ。みんなそう呼んでいるから」
「ジュンさん」
「はい」
「大好きです」
「はい」
彼女が急に立ち止まる。
「ジュンさんは?」
「もちろん」
「もちろん?」
「もちろん大好きだよ」
月明かりに照らされた五月の顔は、いつも以上に白く見えた。
誰よりも綺麗に見えた。
頬に彼女の手が触れた。
一瞬、彼女の瞳が緑色に輝いた。
「え?」
それは一瞬の事だった。
だから、何が起こったのが、すぐに理解できなかった。
五月の唇が重なったと気づいたのは、その行為が終わってから、しばらくたってのことだった。
「あなたはもう私の物です。他の誰にも渡しませんから」
五月の唇は雪のように冷たかった。
女の子の唇がそんなに冷たいものだとは思わなかった。