三
入口に「仲通」と書かれた大きなアーケードを抜けると、そこは薄暗い通路だった。
屋根のガラス部分から、わずかに太陽の光が差し込んではいたけれど、全体的に暗かった。店はまだ閉まっていて、店先には無造作にごみ袋が積んである。店の看板にカラスが止まって、ごみの中に混じっているえさにありつこうと、様子をうかがっていた。
「なあ、戻ったほうがよくないか?」
「大丈夫よ。大丈夫。それに、今戻ったら確実に遅刻だって。入学式から遅刻なんかしてごらん。きっと遅刻マンなんてあだ名を付けられてしまうから」
何度も自分に大丈夫だと言い聞かせている佐友里の手は震えていた。多分意地を張っているのだ。彼女は意外に怖がりだった。
具体的な恐怖は感じないけど、何となく不気味な空気に包まれていた。
一刻も早く通り抜けようと早足になって、気づいた時には走っていた。
「なんか言った?」
商店街に響く足音と、自分の呼吸がうるさくて、佐友里の言葉が聞こえなかった。もう一度何かを言おうと、走ったまま振り返った佐友里は、突然わき道から出てきた男たちとぶつかった。
相手は熊のような男だった。
かなりのスピードで走っていたのに、ぶつかった方が、跳ね返されて転がった。
「佐友里!」
相手の男は三人いた。
「いてえな」
一人は佐友里がぶつかった熊男だ。身長は二メートル、体重だって百キログラムは超しているに違いない。その堂々たる体格は、単純に太っているのではなく、かなり鍛えてある肉付きだった。
まさに熊だ。
「ごめんなさい」
佐友里はとっさに謝った。
「何だ、中坊か」
痩せた男がその後ろから顔を出した。細長い切れ目は狐にそっくりである。
「骨、折れたかもな」
三人目は、背の低い小太りの男だった。座ったままの佐友里に詰め寄った姿は、狸を連想させる体型だった。
「お嬢ちゃんのかわいさに免じて、治療費だけで勘弁してしあげよう」
彼は佐友里に息がかかるほど近づいた。
「分かりました。い、幾らですか」
恐怖の為にどもりながら、佐友里は少し後ずさった。
狐男が右手を開く。
「五千円ですか。分かりました」
佐友里から財布を取り上げて、狸男はさらに迫った。
「悪いなおじょうちゃん。生憎と桁が違うんだよ」
「え?」
「五十万円」
「五十万って、冗談はやめてください」
胸倉を掴んで、ゆっくりと佐友里の体を持ち上げた。苦しそうにもがいている佐友里の足が、地面からわずかに浮いた。狸男は決して軽くはない佐友里の体を片手で持上げながら笑っていた。
「放してください。そんなにありません」
佐友里は苦しげな声で抗議をした。
「なんか言ったか?」
助けなきゃ。そう何度も頭の中で叫んでいるのに動けなかった。足が震えて仕方が無かった。自分の体が思い通りに動かない。一番小さな男でさえ、佐友里を片手で持上げてしまうほどの怪力なのだ。どうしたって敵わない。助けを呼ぼうとしたけれど、周りには誰もいなかった。
商店街に入った事を今更のように後悔していた。
「女子中学生は高く売れるんだよね。しかも取れたてじゃん」
「冗談ですよね」
「冗談じゃないよ」
「そんな、ちょっとぶつかっただけじゃないですか」
必死になって抵抗したが無駄だった。
助けなきゃという思いは、いつしか助けてくださいという祈りに変わった。神様なんか信じてないけど、あとは神頼みしか残って無かった。
「きゃあ」
佐友里が叫んだ。
「お前らやめろ!」
信じられないほど大きな声だった。
自分を含めた全員が驚いていた。
「さ、佐友里に手を出すな」
最後の方は聞き取れないほど小さな声になっていた。
無意識に叫んだため、その後の事は考えていなかった。佐友里を助けて逃げるしかないのは分かっている。でも、助ける方法を見つける事が出来なかった。頭の中が真っ白になり、もはや何も考えられなくなっていた。
「何か言ったか中坊」
狐男が下品に笑いながらやって来た。
佐友里を見捨てて逃げ出したい衝動に駆られたが、足がすくんで動けなかった。叫ぶ前に逃げ出して、助けを呼ぶべきだったと後悔していた。
「彼女の前だからって、格好つけることはないんだぜ、坊主」
男は大声で笑いながら、右のこぶしを振り上げた。
きっと顔面を殴られる。
すぐに痛みは来ないだろう。
運がよければ気絶して、気づいた時には病院のベットで眠っているに違いない。
目をつぶったまま俯いて、そんな事を想像しながら、こぶしを待った。
「大人しく――」
男の声が途中で途切れて、何かが壊れる大きな音が聞こえてきた。店のシャッターが壊れて落ちる音だった。
目の前にいるはずの男がいない。ほかの二人はあっけに取られた顔をしている。
崩れ落ちたシャッターから誰かがふらりと立ち上がった。
狐男だ。
彼は自分の上に落ちてきたシャッターを投げ飛ばし、一歩前に踏み出したが、自分の体を支えられずにそのまま倒れた。