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サードフレーム・五月(2006)  作者: 瑞城弥生
23/39

二十三

 店番は簡単な仕事だった。学校が終わってから二時間、店のカウンターにすわり、時々訪れる客から代金を受け取って、梱包したた商品を彼らに渡すだけだ。スマイルさえ必要の無い仕事だった。

 こんな店に来る客だから、その道ではかなりの知識をもっているようで、買っていくマニアックな商品についても、値段以外の質問をしてくる事はめったに無かった。

 それ以前に、店に客が来る事などほとんど無く、時間中は入荷した商品を綺麗に磨いて箱に詰める作業ばかりしていた。店に居る間西条は出かけている訳だから、五月の情報を仕入れようとしも不可能だった。瑞希もあれから来ていない。

 五月と会うのが、絶望的に思えてきた。


 その日は、いつものように客待ちをしながら、山積になっているダンボールから古いパーツを取り出して、それを奇麗に磨いてから箱に詰める作業を黙々と続けていた。毎回結構な量を箱詰めしているはずなのに、次の週にはほとんど店から消えていた。大口の客がいるのだろう。だから客が来なくても、この店はやっていけるに違いない。

 二箱目のダンボールから最初に取り出したのは、珍しい増設カードだった。トーカが初期に開発したネットワークカードで、暗号率の高い特殊な信号を使う製品だった。市販されず特別なシステム関係の組織にだけ卸された幻のカードである。一般人が持っていても全く価値は無いけれど、現在でも政府の基幹システムで使われているから、ハッカーやクラッカーにとっては、ある意味人気の商品だった。でもそれは、その中でも特別な種類のものだった。


「これ、試作品だな」


 基盤に刻まれた型番の最後にYの文字が連なっている。それはトーカでは試作品を意味する文字だった。

 基盤についた汚れを取ると、端の方にマークのようなものが現れた。


「雪の結晶?」


 それはトーカのマークではなく、静香のマシンについていたのと同じだった。

 エッチングにより書き出されていたそのマークは、磨くと光った。

 そんなパーツは初めてだった。それに、これは特別高価なものだから。他のパーツと一緒にしておいて良いか迷っていると、久しぶりにお客が来た。


「いらっしゃいませ」


 西条は出かけたばかりで、帰ってくるまで時間がある。いつもの客だと思ったから、誰だか確認することなく挨拶をした。


「ごきげんよう」


 若い女の声がした。バイト中に女の客が来たのは初めてだから、最初は静香が来たのかと思った、次に瑞希かも知れないと考えた。だけど話し方が違っていた。

 その客の顔を見た瞬間、持っていたパーツを落としてしまった。


「西条さんはお出かけですか」

「あ、はい」


 五月がいた。


「西条さん、じゃ無くて、店長は後一時間ほどしたら戻って来るはずですけど。どうしましょうか?」

「待たせてもらっても構いませんか」

「はい、もちろんです」


 折りたたみ椅子を勝手に持ち出して、五月はレジカウンターの横に座った。

 パニックだった。何から話すべきなのか分からなかった。話しかける事も出来ないほど緊張して苦しかった。

 五月は座ったまま、文庫本を取り出して読み始めた。裏表紙に中学校の名前がある。

 落としたパーツを拾ってから、もう一度五月を見た。美しい顔は、助けてもらった時と変わらなかった。

 夢ではない。

 ずっと捜し求めていた少女――柏崎五月がいま目の前に座っている。

 しかも二人きりだった。


「この前はありがとう」


 考えて居るだけでは始まらないから、勇気を出して声をかけた。その一言を言うまでに随分と時間がかかった。


「えっと……」

「入学式の朝にそこの仲通でさ、不良から助けてもらったんだけど。覚えてないよね。もう随分前の事だから」


 自分には一大事の出来事だけど、五月にとってはたいした事ではないのだろう。彼女の印象に残るような事は何一つしてないし、彼女もついでに助けてくれたのだろうから、覚えていないのも無理は無い。


「ああ、山杉さんに掴まった女の子と一緒にいらした方ですね」

「そう! それ」


 佐友里の付属品みたいな言われ方は悔しいけれど、覚えていてくれた事に感動し、話す切っ掛けがつかめた事を喜んだ。


「覚えていてくれたんだ」

「もちろん覚えてますよ、伊勢純也さん」


 名前を呼ばれたのは、とてもうれしい事だけど、まだ名乗ってはいないはずだ。


「ど、どうして名前を知っているの?」

「そうですね」


 五月は読んでいた文庫本を閉じた。


「この町の事でしたら、何だって知っているんですよ。勿論あなたの事も例外ではありません。例えば……、あなたの血液型はAB型ですね」

「……はい」


 それから五月は、他人であれば知るはずも無い沢山の個人情報を言い当てた。次から次へと言い当てられ、だんだんと恐ろしくなっていった。それはプロのハッカーやストーカーを確実に凌ぐデータ量である。


「あの……」

「一番仲の良い幼馴染は、隣りに住んでいる伊勢佐友里さんですね」

「正解」

「あなたの……」

「もういいです。やめてください」


 これ以上は頭がおかしくなりそうだった。

 でも五月はもう一言だけ付け加えた。


「あなたは柏崎五月に恋をしています」


 五月は笑っていたに違いない。でもその時には、もう五月の顔をまともに見る事が出来なかった。

 五月の事が怖かった。

 静香の言葉が頭の中を駆け巡った。


「……正解」


 本当にそうだろうか。

 返事をしてから考えた。

 柏崎五月に恋をしている。

 そう思った事は一度も無かった。

 彼女の事は好きだと思う。だけどそれ以上何も望んでいなかった。それなのに今、最後の質問に答える事で束縛された。五月に恋をしている事は、その瞬間事実となった。


「わたしもあなたの事が好きですよ」


 本当なら喜ぶべきその言葉さえも呪いに聞こえた。


「あ、ありがとう」


 だけどそう答えた。

 それが自分の意志なのか、それとも彼女の力なのか。それさえ確信できなかった。

 怖くて下を向いてた。

 五月の足だけを見つめていた。

 顔を上げることが出来なかった。


「今日はもう帰ります。また会いましょう」


 唯一視界に入っていた彼女の足がふっと消えた。出て行ったのではなく、文字通り姿を消した。少なくともそう感じた。

 五月がいなくなってからも、下唇をかみ締めながらうなだれていた。本当は嬉しいはずなのに、とてつもなく気が重い。次第に気分が悪くなり、軽いめまいが襲ってきた。

 そして意識を失った。

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