二
玄関のチャイムの音で目が覚めた。
昨日の夜は思いのほか緊張して寝付けなかった。絶対遅刻しないようにと、念の為セットしておいた三台の目覚し時計も、全く役に立たなかった。
「やべ、寝坊した」
おろしたばかりの制服に着替えて階段を駆け下りた。昨日のうちに準備しておいたのは正解だった。
朝食を食べている時間はないし、用意してあるはずもないので、まっすぐ玄関に直行した。階段を降りる音に気づいたのか、チャイムの音は止んでいた。
「行ってきます」
いつも通り返事は無い。母親は早番で、父親はまだ帰って来てはいないのだろう。そんな朝がもう何年も続いていた。だけど家を出る時には声を掛けると決めていた。そうする理由は忘れたけれど、その習慣は何故だか今も続いている。
「遅いよジュン。入学式初日から遅刻するつもり?」
玄関で待っていたのは佐友里だった。卸し立ての制服はおそろいのデザインだ。背は彼女の方が少し高いが、同世代にしては低いと思う。佐友里は隣に住む遠い親戚で、幼馴染だ。物心ついた頃には一緒にいたから、友達と言うより姉弟のような関係である。名字が同じ伊勢だから、初めて会う人は姉弟だと勘違いする事も良くあった。遠縁だからあまり似てはいないけど、姉弟だと言われればそう見えない事もないらしい。三ヶ月ほど佐友里の方が年上だから、姉のように慕っていた。
「朝からうるさいなあ」
「ねえ、もしかして今起きたの?」
ワンシャツのボタンはまだ全部止めてないし、制服のネクタイもポケットに突っ込んだままだった。髪の毛がぼさぼさなのは、佐友里のあきれた表情から想像できた。
「そんなにひどいか?」
「ひどいってもんじゃないわよ」
佐友里は櫛を取り出して、寝癖を直そうとしてくれた。
「ダメね。全然ダメ」
どうやら直らないほどひどいらしい。
「仕方ないからそのまま行くわよ。でも、ボタンとネクタイは今ここで着けること」
身だしなみを整えてから佐友里を追う。
見慣れた彼女の後姿が、今日はいつもと違って見えた。その理由はスカートだった。
スカートは動きづらいから嫌いだと、いつもズボンを穿いていたのだ。でも、制服は似合っていたし、昨日までと違って大人っぽく見えた。
「どうしたの?」
制服姿に見とれていたら、佐友里が突然振り向いた。
「いや、べ、べつに」
「なによ、変な奴」
「いや、スカートだなと思ってさ」
「悪かったわね。仕方ないじゃない、今日から中学生なんだから」
さすがに「似合っているよ」とは言えなかった。
中学校は、公園を通り、商店街を迂回してから駅の跨線橋を渡るとすぐだった。迂回ルートはかなり時間的なロスだけど、その商店街は危険地帯に指定され、子供の立ち入りが禁止されているから仕方がなかった。
「ねえ、こっちから行ってみない?」
佐友里が商店街を指差した。もちろんそこを通り抜ければ、予定より早く学校に着くのは分かっている。
「そっちは危険だって」
「もしかして、怖いとか」
「いや、そうじゃないけど」
佐友里はいつも無茶な行動をしては、人に迷惑をかけてきた。彼女にとって危険と言う言葉はとても魅力的に感じるらしい。
「もう中学生なのよ。電車もバスも大人料金になったんだから」
それとこれとは関係ない。言い出したら止まらないのはいつもの事だ。
「でもさ、そこはやっぱりやばいって。君子危うきに近寄らずって言うじゃないか」
「そう。分かった。じゃあ、あんたは遠回りして、記念すべき入学式に遅刻しなさい。私は一人でこっちを行くから」
今日は中学校の入学式だ。それでテンションが高いのだろう。こうなったら佐友里を止めるのは絶対に無理だった。
「それじゃあね」
佐友里はスキップしながら商店街に入って行った。引き止めても無駄だけど、一人で行かすわけにも行かなかった。
「おいちょっと、まてよ」
仕方なく跡を追って、その危険な商店街に踏み込んだ。