日常編、プロローグ
二人の中学生が出てくる感じです。推理シーンはありますが、普通の中学生の推理なので、ミステリーとかじゃないです。
ジリリリン。ジリリリン。ジリリ…
ゴン。プッツン。シーン。
先程からけたたましく鳴っていた目覚まし時計を止めた。壊れてないことを願うが、それはさておき。
眠い。
昨夜夜更かしし過ぎたせいか、中学校最後の夏休みが終わりを告げた日…始業式の朝七時に、私、宇田川珠希はまだベッドの中に居た。
本当は
六時に目覚ましをセットしていたのだが…まあ、夏休み中は毎朝十時起きだったので、大金星といってもいいだろう。本当に勉強漬けの毎日だった。さらば、通信教材夏休み特別号。
なんにしろ、母にどやされる前に起きなくては。
と、ベッドから起き上がった瞬間、家の中が静寂に包まれていることに気づく。…蝉の声以外は。
ミーンミンミンミン、ミィ〜ッ…
一番近くで聞こえていた声が途絶える。多分、死んだな。
「あれ、今日って何曜日だっけ…」
のそのそと階段を下る。
「お母さーん、起きてる?」
両親の寝室に呼びかけても反応はない。
ドアを開く。案の定いなかった。
「…」
なんにせよ、学校に行く準備をしなくては。待ち合わせに遅れてしまう。
炊飯器の中に入った米を茶碗に入れ、電子レンジで温めつつ、味噌汁の鍋を火にかける。
流石にそれだけでは物足りないので、出してあったフライパンでハムを炒める。
それらを食卓に置いたら完成だ。
いただきます、と手を合わせ、食べながらカレンダーを見る。
始業式!と大きく赤い丸で囲まれた日は、9月1日 月曜日。
母の仕事では月曜日は休みで、さらに仕事が入るようなら母の書き置き(私はスマホを持っていないので、母からの連絡は電話か書き置きになる)が残っているだろうから、今日は仕事ではないのだろう。
まあ、どうせすぐに帰ってくる。
皿を洗い、用意をしてから家を出た。クーラーは、帰ってきたときのためにつけておく。腕時計は、7時45分を指していた。
車は…あるのか。ここはちょっとした田舎だ。車を使っていないのであれば、そう遠くには行っていないのだろう。たぶん。
待ち合わせ場所はすぐそこだ。だが、待ち合わせ場所に向かう途中、家を出て最初の角を曲がったところに、あいつは居た。
「よっ、タマ」
待ち合わせの相手_来栖夏凛は夏休み前と変わらず軽い調子で呼びかけてきた。
「遅れてごめん…タマはやめろって言ってるでしょ」
「や、ごめんごめん、珠希」
夏凛と私は小学校の頃からの同級生だ。その頃から、毎朝学校に行くときは待ち合わせをしている。なんとも強欲な人間だが、何だかんだでいい奴だ。
「寝坊かなんか?」
「そんなとこ。ま、歩きながら話そ。」
そんなこんなで、私は夏凛に母がいなくなったことを話した。話している途中、夏凛は何か考えこんでいるようだった。
「…なあ、珠希のお母さんって、どんな人だったっけ?」
「ん?まあ、うまく言い表せないけど、この前なんかは車のクーラーの効きが悪かったらしくて、いかに夏場の車の中が熱くなるかについて長々と語ってた」
ただ疲れているだけかもしれないが。うちには愚痴を聞ける人間が私ぐらいしか居ないので、それも自分の役割だと思っている。
「ふーん…」
また何か考えているようだ。夏凛はこれでも頭が回る。以前、親の仕事の手伝いをするからだと言っていた。私立探偵か何かなのかもしれない。
いや、それは問題ではなく。
「…なんのための質問?」
「いやあ、珠希の母さんがいなくなった理由を考えてて…」
何かわかるのかと聞くと
「いや、わかんない!わかんないけど、ちょっと予想してみようぜ!」
…なんか怪しい。まあ、大して深刻な問題でもないし、学校に行くまでの暇つぶしだと思って付き合うことにしよう。
「ついでにもし当たってたらジュース一本おごれよ」
「はあ!?なんで私が!?」
「いいだろ、どうせ当たるはずもないし」
…まあそれもそうか。
「うん、いいよ。その代わり、当たらなかったらなんかおごって」
「えー、いいよ」
いいんだ。
「じゃあ、学校に着いたときの夏凛の結論が正しかったら、私が缶ジュース一本おごる。それで答えがでなかったり、間違ってたりしていた場合は夏凛がチョコを私におごる。これでいい?」
「よっしゃあ!」
引くほどやる気満々だな。
歩きながら夏凛が私に質問する。
「まず、おまえは朝七時に起きた。そしてその時にはもう母さんは家にはいなかった。ここまではあってるか?」
「うん。ちゃんと枕もとの時計見たし。起きてから玄関のドアが開く音なんてしなかった」
「おまえから隠れてた…とか」
「ないんじゃない?あの人、テンションは高いけどそういう本当に無駄なことはしないから」
「そういえば、朝食ってどうだったんだ? 作ったのか?」
「いや、お米とみそ汁はできてた。冷めてたけど。おかずはなかった」
「母さんはいつも何時くらいにご飯を作ってた?」
「んー、 六時とかじゃない?たまに起きてから準備手伝うことあるし」
なんか警察の取り調べみたいだな。
「六時とかか…わかった。つまり、珠希の母さんは六時半ぐらいにどっか行ったということになるな!」
まあ、それは今の話を聞けばわかることだ。米は冷めていたので、炊飯が完了してからしてから保温ボタンを切った、ということになる。六時に早炊きで炊飯を開始すれば炊き上がるのは六時半前あたりだろう。
そして、そこら辺の時間に何かが起きた。そのせいで、母は料理を中断し家を出ていく羽目になり、私は何も知らず、一人家に取り残されたと…
「誰かに呼び出された、とかなんだろうけど、誰に呼び出されたかなんだよなー」
それが簡単にわかれば苦労はしない。
「ま、大体の見当はつくけどね~」
思わず耳を疑った。速すぎじゃない?
「本当に?缶ジュース欲しさのそれっぽいウソとかやめてよね」
「やんねーよバカ!お前、私を何だと思ってんだ!?」
…正直なところ、夏凛のイメージは「金の亡者」とか「乞食」とかだが、黙っていよう。
「まあいいや。とにかく、お前の母さんがいなくなった理由はわかった。推測も入ってるがな」
腕時計の秒針は8時につくかつかないかというところまで来ていた。夏凛の言う理由とやらがいくら長くとも、学校に充分間に合う時間だ。
「そこで最後の質問なんだが…」
汗が垂れる。
「お前が家を出るとき、車はあったか?」
「…あった」
私がそう答えると、夏凛はそうか、と言い、不敵な笑みを浮かべた。
「それなら話は簡単だ。料理途中で家を出ていることから、おまえの母さんはとても急いでいたとわかる。
にもかかららず、なぜか車を使っていない」
「この場合、考えられる理由は2つある。故障などで最初から車が使えなかった場合と、何か他の交通機関を利用したほうが都合がいい場合。今回は…一応後者だ」
「一応ってなによ」
「車のクーラーの効き、悪かったんだろ? このごろは六時半とかでも熱中症になることもあるから、クソ熱くなる車を使いたくはなかったんだろう。水筒を用意する時間も惜しかったのかもな」
「じゃあ使ったのは…」
「おそらくバスだ。バスなら冷房も効いてる。お前になにも伝えずに行ったのは、この辺のバスの本数が少ないせいだ。一本逃したら次は二十分後、とかいうのもザラだしな」
お母さんがなぜ私に何も言わなかったのかは一応わかった。が…
「だったら、お母さんを呼び出した人って誰?なんでそんな急ぐ必要があったの?」
そこまで答えられないとジュースはあげられない。
「まあ落ち着けって。筋道立てて話してやるから」
夏凛が、ふー、やれやれといった感じで肩をすくめる。
うわ。こいつ完全に調子に乗ってる。
「まず、お前の母さんは六時半位に誰かに呼び出された。そして急いでバスを利用してどこかへ行ってしまった。」
「なぜ急ぐ必要があったのか。もし臨時で仕事に来て欲しいと言われたのならば、まずお前に伝えるはずだ。お前自身は起きていなくとも、書き置きとか残してな。お前の母さんに非はなかったわけだろうから、きっと向こうも多少遅れても文句は言えないだろうし、多少の時間はあった。」
夏凛は話を続ける。
「でも母さんはお前に何も言わずに行ってしまった。つまり…」
「それほどまでに時間がなかった。例えば、朝にいつも時間がない人たちって、どんな人たちだと思う?」
朝に時間がない…? それは…
なるほど、つまり。
私の答えを待たずに、夏凛は言った。
「当然、朝一で働きに出なくてはならない方々だ。職場には遅れられないからな。
ここまで来たら簡単だ。社会人で、お前の母さんをすぐに呼び出すことができる人間。
お前の母さんを呼び出したのは、おそらくだが」
答えは、聞かずともわかっている。
「お前の父さんだ。」
「たぶん必要な書類を家に忘れたとかなんだろうな。それで、お前の母さんに駅かどこかまで届けでもしてもらったんだろう。少なくとも、そう頼んだことは間違いないと思う。」
「もし知り合いの容体がヤバイとか、本当に急がなくちゃならないときは迷わず車使うだろうしな。だから答えを絞り込むのは結構簡単だったぜ」
私は、妙に感動していた。ただの暇つぶしのつもりだったが、この女の意外な才能の片鱗を見せつけられた気がする。
まあ、そんな感情も…
この腹立つ顔のせいであっさりと消え去ってしまうのだが。
「ま、私にかかればこんな事件なんてちょちょいのちょーいだ!ハハッ!んで、約束通り、缶ジュース…」
「ハイハイ、わかったわよ。その代わり、家に帰って事実確認ができてからね」
「えー、マジー?今くれよいま。のど渇いてんだよ。すっごい渇いてる。あ~今すぐ缶ジュース飲まないと死ぬ」
お願いしますよぉ~、と懇願してくる夏凛。
…まあほぼほぼの確率であっているとは思うし、仕方がないか…
そう思った瞬間。
心の中で芽生える、ちょっとした違和感。
「…ねえ夏凛。なんでそんな今にこだわるの?」
一瞬、夏凛の表情が強張ったかのように見えた。
しかしすぐに笑顔に戻り、
「だからさっきから言ってるだろ?死ぬほど喉渇いてんの。あ~死にそう」
なおもふざけた返答を続ける夏凛。
そも、私たちの通っている市立中学校では、校内への飲み物持ち込みは禁止されていない(夏場はむしろ推奨されている)。
そのため、夏場は多くの生徒が水筒やら、保冷剤付きタオルを巻いたペットボトルやらを持参する。
夏凛もその一人だったと思うが。
…さっきから気になっていたが、やはり怪しい。こいつ、なんか隠してないか?
普通に夏凛の頼みを一蹴し、母に事実確認をすればいいだけの話なのだが…
ちょっと遊んでみるか。
「今何分だ?20分か。ちょっとゆっくり歩きすぎたか?」
気づけば私たちはすでに校門の前に着いていた。さりげに学校の敷地内に入ろうとする夏凛の首根っこを掴んで引き戻し、木の陰に引きずり込む。
「いってえな!なにすんだこの野郎!」
「ねえ夏凛。聞くの忘れてたんだけど、校門の前でも学校に着いたことになるの?」
「あー、それは…」
「ねえ、どっち?」
「なるんじゃね?」
「じゃあ今の時点でのあなたの結論が間違っているのならば、私はチョコをおごってもらえると」
夏凛の表情がみるみるうちに険しくなる。ポーカーフェイスが下手な女だ。
そして、絞り出すように。
「…そうだな」
言ったな?
「じゃあ言うけど、あなたの結論は間違ってると思う」
夏凛は黙っているが、ぐっ、とのどの音が聞こえた。
思えば、初めから違和感はあったのだ。
「一つ目は、ジュース奢れって言われた時。間違ってたら私にチョコ奢らなくちゃいけないのに、妙に上機嫌だった。」
「二つ目は、答えを出したとき。問答をしてから結論を出すのが1分もなかった。いくらなんでも速すぎる」
「そして最後は、さっき。本当に答えがあっていると確信があるんなら、あんなに今もらうことにこだわらないんじゃない?」
「…あなたは、」
「朝、お母さんに会ってたんじゃないの?」
こいつは何か隠している。いや、ほぼほぼ勘だが。こじつけだということはわかっているが、今こいつが隠すことといえば、これくらいしか見当たらない。
「その時に、お母さんに言われたんじゃないの?私が待ち合わせに来なかったら、家のチャイムを押してくれ、とか」
そして、夏凛もその通りに行動しようとした。
だが、待ち合わせ場所から私の家に向かう途中に、私がいた。
「だからあんな中途半端なところにいたんだよね?」
「…」
どうだ…?
「そして考えた。このままうまいこと私との賭けに持ち込めれば、ジュース一本ぐらいもらっちゃえるんじゃないの?と」
「で、うまいこと賭けに持ち込めたくせに、最後の最後で失敗しちゃって今に至る…?」
合ってるか…?
「…うるせえ!あ~ミスった!もう少しだったのにな~」
…よし。合ってた。
夏凛の誤算は二つ。
一つは、思ったより私の勘が鋭かったこと。
そしてもう一つは、
「自分の金の亡者っぷりを、隠せないところかな」
「ここぞとばかりに煽ってくるなお前!?」
キーンコーンカーンコーン。
「あ、」
「やっべ」
かくして。
記念すべき2学期最初の授業に遅刻した私たちは、熱意のある教師陣にガチトーンで説教され、
挙句に家にも連絡が行き、朝の外出の話を聞ける雰囲気ではなくなった。
しかし、よく合ってたなあんな雑な理論…
まあ本人も認めたことだし、正しかったことは確かなんだろうが…
諸々のことを確かめることも面倒くさいし、大人しくジュース一本ぐらいあげとけばよかったかな。
まあ、夏凛からは高級そうなチョコクッキーを3枚ももらえたので良しとするか。
ほとぼり冷めたら、母に聞いてみるかな、はあ…
たかがジュースのためにひどい目にあったな…
結局あいつは何一つ気づいてなかったし。笑いこらえるのも大変だったし。
それにしても…
あいつ一体何だったんだ?いきなり「間違ってる」とか言ってきて。
一瞬ビビったけど、アイツの指摘のほうが変な方向に間違ってたな。
あの感じじゃジュースももらえそうになかったし、なんか面白そうだから乗ってやったけど、遅刻するんじゃ割に会わなかったか。
そもそも、6時半とかまだ寝てるしな。
だいたい、今日は久しぶりの学校だったから、水筒を忘れてのどが渇いていたわけだし…。
ヤバくなる前に水飲めたからいいけど。
ていうか、あいつ自信満々の割には結構言ってることかなり雑だったな。
でも、まあ。
こういう想定外のことが起こるから、あいつといるのは面白い。
…案の定。やられた。
いや、別に損はしてないし、むしろチョコクッキー分得したと言ってもいいのだけれど。
そもそも、間違っていたのは私だ。
早とちりで間違いを指摘するとか、かっこ悪いにもほどがある。
ほとぼりが冷めたあと、なんの気もなしに母に聞いてみたところ、大筋は合っていたが
「夏凛ちゃんって、誰だっけ…」
と、こんな答えが返ってきた。
翌朝、登校中、夏凛に聞いてみたところ、
「なんだお前、まだ気づいてなかったの?」
…まあ間違えたのは自分なのだが、なんか釈然としない。というか、間違ってたならそう言えや。
「いやー、どうせあの調子じゃジュースはもらえないなと思って。あとなんか面白かったし」
…まあいいか。
それにしても、こいつはノーヒントであの問題を解いたのか。 こんな間抜けそうな頭の、どこにそんな能力が眠っているのだろう。
親の仕事のことといい、付き合い長いのに、私は夏凛のこと、知らないことだらけだな…
ふと、寂しさに似た感情を覚える。
このまま卒業してしまって、連絡を取らなくなってしまって、道端ですれ違っても知らないフリをする
…
いずれは、こいつともそんな関係になってしまうのだろうか。
「そういえば…」
不意に、夏凛が口を開く。
「よく考えたら、
おまえ、私にジュース奢るべきなんじゃない?」
は?
「いやだってさ、結果的に私の結論間違ってなかったわけじゃん?」
「昨日はお前にイチャモンつけられたせいで、うちの菓子三個もやる羽目になっちまったけど、もともとの約束的に私がジュースもらうべきだよな?」
…。
「なんとか言ってくださいよ珠希さーん」
そうだ。こいつはこういう奴だった。人との貸し借りを決して忘れない取り立て屋のような奴だった。
まあこっちはクッキー三個も貰っているのだ。
WIN-WINというところじゃなかろうか。
「いや、違うな。私は正しかったのにクッキーをあげたんだ。お前はクッキー分と正しかった分、二本のジュースを奢るべきだ」
「あんた、がめつっ」
「うるせえ!貰えるときに貰っておかないと、いつ何が起こるかわかんねえだろ!…ていうか、普通のことだよな?」
「…」
「なんとか言えよ…」
…なんかちょっとしんみりしてたのに、一気にどうでもよくなっちゃったな…
それはそれとして、何か忘れているような…。
まあいいか。
ふう…危なかったな。
こいつがジュースの話を蒸し返してきたときはどうなるかと思ったが、なんとかごまかせたか。
まあ、もうこれ以上何か言ってくることはないだろうから、とりあえず安心かな…
1時間後、学校。
私は授業を、ぼーっと聞いていた。ちなみに夏凛とは別のクラスだ。
もう三年生も半ば、大体の生徒にとって初めての受験を5ヶ月後に控えた大事な授業を聞き流しているのには、もちろん意味があった。
やっぱり何か引っかかる。
何か大事な何かを見落としてるっていうか…、夏凛に感じた違和感とか…。
うん、勉強に集中できない。気は乗らないが、一から考え直してみよう。
夏凛と話していて、あの日感じた違和感は確か…
(答えを出すのが早すぎたこと)と、
(滅茶苦茶ジュースを求めてきたこと)と、
(解けなかったらチョコをおごらなくてはならないのに、やけに上機嫌だったこと)
の三つか。
一つ目は、夏凛の頭が想像以上に良かったせい。
二つ目は、単純にのどが渇いていたせい。
三つ目は…なんだ?
夏凛は、自分が不利益を被ることを極端に嫌うタイプだ。そんな彼女が、実際にはそうならなかったわけだが、自分のモノを失う可能性のあるような賭けに手を出すだろうか。
いや、普段の彼女だったらそんな賭け、持ちかけられた瞬間に
「あ、じゃあいいや」
とドライな対応をするにきまっている。
そこまでのどが乾いていたのだろうか。いや、もしそうでも、彼女ならば絶対に多少は渋る。本当に強欲な女だから。
(そうしなければならない理由があった…?いや)
夏凛のことだ。賭けに勝っても負けても、自分が得をするようにしていた可能性のほうが高い。
つまり、渡されたあの高級そうなクッキー。
がめつい夏凛がなぜあんなものを渡すのか気になったが、多分、湿気たか、賞味期限切れか。
…いずれにせよ。
あいつには、ちょっと痛い目見てもらわないと。
私と珠希は、下校時も待ち合わせをしてから帰っている。
いつもなら、仲良く談笑しながら帰るのだが、今日はなんか様子が違った。
まず、約束の時間に来ない。
さらに、5分後にきた珠希は、ごめん、と口では言っていたが、無表情。
そして、さっきから何回も執拗に足をぶつけてくる。地味に痛い。体育の疲れも相成って、わりと辛い。
…これは、もしかして。
「…あのー、珠希さん?」
「…」 なおも蹴ってくる。
「えーっと、もしかして、」
「…」 さっきから勢いを増してる気がする。気のせいか?
「チョコの、ことですか…?」
「…」 お、やんだ。
ゴン。
「痛って!」 フィナーレとばかりに、一番きついのをおみまいしてきた珠希は、しかしこれ以上蹴るつもりはないようだった。
「…やっぱり、あのチョコ…」
珠希がつぶやく。
「賞味期限切れ、だったの?」
「いや、違う、」
「じゃあ、湿気てたんでしょ?」
…はい。その通りです。
「…この」う。これは。
「このバカ!」やっぱり。
「はー、ほんとにアンタってそういうとこ直したほうがいい」
そもそもあんたは、とここぞとばかりに私の悪い点を指摘し始める珠希。
こうなると珠希はなかなか収まらない。むしろよっぽどなことがないと珠希はこうはならないので、
…10対0でこっちが悪いな。大人しく説教を聞くことにしよう。
ぺちゃくちゃペチャクチャぺちゃくちゃペチャクチャガミガミガミ…
…10分は、経っただろうか。気づけば私たちは珠希の家の前にいた。
「まあ、ちょっと言い過ぎたかも、ごめん」珠希はすっかりいつも通りだ。
「いや、悪かったのはこっちなんで、いいよ」とはいえ、自分の悪い点を10分も聞かされるというのは、やはり疲れる。早く家帰って寝よう。
「じゃ、私帰るわ、じゃーねー」
「あ、ちょっと待ってて」そういうと珠希は家の中に駆け込んでいった。
1分もしないうちに出てきた珠希は、何か袋を持っていた。
「これ、自分で食べてね。じゃ」そういうと、さっさと家に入る珠希。
「…なんだこりゃ」中を見てみる。
案の定、この前渡した湿気クッキー、三枚セット。
ですよねー。
…マジで疲れたな。早く家に帰ろう。
道を一人歩きながら、湿気たクッキーをほおばる。
…まじー。
向こうが悪いとはいえ、ちょっとやりすぎたかな…。 でも、こうやってお灸をすえないと、あいつまたいらんことするからな…。
それに、明日も、明後日も、あいつとは会えるのだ。多少もつれた関係を修復するには、十分すぎる時間がある。
多分、明日になったらどっちも大して気にしてないだろう。
…この時の私にとって夏凛はただの「仲の良い友人」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だから、夏凛の置かれている状況を、私は知らなかった。いや、知ろうとはしなかった。そこに、踏み込んではいけない領域がある気がして。




