ラミ、母親にはまだ敵わない。
太陽が西の地平線に沈み、空は月が姿を現して完全なる夜が世界を支配する。
宿屋"風月庵"では夕食時。バイキング形式での食堂には宿泊客達が足を運び、各々が自分達の席を確保すると、取皿を持って食べたい物を取りに席を立つ。
ーーローフェンとプリセラが騒がしく部屋に戻ってから間もなくして、食料の買い出しに出掛けていた両親が帰って来た。ロビーで店番をしていたラミは、帰って来たばかりの父親と交代して買い込んで来た食材を受け取ると、母親と共に食堂へと向かう。
子供の頃から家業を手伝った来たラミにとって、母親と二人で宿泊客用の料理を作る事は既に馴れた事だった。
買い込んで来た食材を台所へ運ぶと、標準よりも大きなまな板を台の上に置く。野菜を袋から取り出すと素早く水洗いを済ませて皮がある野菜を剥いて並べる。一通り水洗いと皮剥きが終わると、用意したまな板の上に並んだ野菜達を包丁で素早く切り分けて行く。
トントントントン………
切れ味の良い包丁は一定のリズムで野菜を切り、輪切り千切りにと野菜達は次々と形を変える。
現在宿泊している客の数は三十人程度。バイキング形式で並べる料理の材料を、熱した大きなフライパンに放ると、油の敷かれたフライパンの表面がジュワーっと音を立てて水分を弾く。
「ラミ、そこの塩コショウ取って〜」
大きなフライパンの柄を片手で握り、前後に振りながら野菜に満遍なく火を通していると、後ろの調理台でミンチにされた肉と細切りにされた玉葱を大きなボールの中に入れて丹念に練り込む母親のミリアが言う。ラミはフライパンを振るう手に意識を集中しながら、左手で傍に置いてあった塩コショウを取る。
「適当に振るから、ストップって言ってね」
野菜が焦げ付かない様にフライパンを振るいながら身体を横に反らし、左手に持つ塩コショウの入った容器の蓋を左手の親指でパカッと開ける。そして、ミリアが練り込んでいるボールの上から容器を傾けて塩コショウを振るい出す。
「ん、ストップ」
「ほ〜い」
ボールの上から降りかかる塩コショウを均等に混ぜ合わせると、ミリアが声をかけて素早く容器を上に向ける。ラミは身体をフライパンの正面に向けて、火の通り始めた野菜に向かって同じ様に塩コショウを振りかける。
ジュワー、ガシャンガシャン
塩コショウで適度に味付けをした野菜炒めに十分に火が通ると、次は左手で傍に用意していた大皿を取り、フライパンに乗る野菜炒めを移す。
「あぁ、そう言えば、今日はローフェンさん達も夕飯食べると思うよ〜」
作り終えた野菜炒めの皿を調理台の前にあるカウンターに置くと、次は昼の内に仕込みをしていた鶏の胸肉を大型冷蔵庫から取り出す。十分に昇温させた油の入った揚げ物用の大型フライヤーに鶏の胸肉を放り込みながら、ラミは思い出した様に口を開いた。
「あら、最近は毎日帰ってくるのね」
ミリアは練り終えたミンチの入ったボールを調理台の横に置き、ラミと横並びになってフライパンに油を垂らして答える。
「まだ、見付からないんだって」
「ふ〜ん」
お互いに調理に集中しながらテキパキと手を動かし、ミリアは熱したフライパンを使ってハンバーグを作り上げ、ラミも次々と揚げ上がる唐揚げをフライヤーから取り出して傍に備えていた空の大皿に移して行く。
揚げ物は油を大量に含んでいる為、皿の上には油切り用のステンレスの網を敷いており、揚げ上がる唐揚げはどんどん積み上がって山になって行く。
「あの子達、何を探してるんだっけ?」
「さぁ?」
未期限で部屋を借りているローフェン達の目的が"探し物"である事は両親も知っているが、やはり彼らは詳しく話してはくれない。最近彼らと仲良くしているらしいラミならば、もしかしたら聞いていたりするのかとミリアは思ったが、どうやら聞かされてはいない様だ。
ミリアの問にラミが首を傾げると、彼女は「そう……」と言葉を返した。
ミリアは手慣れた手付きで次々と料理を完成させると、食堂の一角に出来上がった皿を並べて行く。その動きはラミよりも速く、数で言えば倍の量は作り上げていた。
この仕事をそれなりに長くやっているラミではあるが、やはり母親にはまだまだ遠く及ばないな…と内心で思いながら、自分が作り上げた料理を母親と同じ様に並べ始めて行く。
「ーー女将さん、こんばんわっす!」
「まいど〜」
一通りの料理を並べ終えたラミとミリアへと、食堂の入り口から聞き覚えのある声がかかる。二人が振り返ると、そこにはローフェンと、彼の右肩に腰を降ろすプリセラの姿があった。
「あらあら、ローフェンちゃんにプリセラちゃん。こんばんわ」
落ち着いた物腰で客である二人に返事を返す。ラミはミリアの隣に立って二人に軽く頭を下げた。
「沢山作ったから、しっかり食べてね〜。冒険者は身体が資本よ」
「おおっ!今日も美味しそうっす!プリセラ、がっつり食べまくるぞっ!」
「ウチサイズに切り分けてや〜?」
「ほいほい、ナイフとフォークが入るな………」
ミリアが並べた料理を勧めると、ローフェンは感嘆して料理群の前へと駆け寄る。肩に乗るプリセラの言葉に、しっかりと切り分け用の器材を手に取った。そして、ローフェンが料理を皿に移している間にプリセラは彼の肩から飛び立ち、パタパタと羽音を立ててミリアの傍に寄った。彼女は、自分に用があるのかと思い顔を向ける。
「なぁなぁ、女将はん。ちぃと聞いてもええか?」
「あらあら、どうしたの?」
「ウチらな〜、ちぃと南の方に行きたいねんな。アガレス共和国っちゅ〜国なんやけど…………女将はん、行き方知っとるか?」
プリセラは可愛らしく首を傾げてアガレス共和国への行き方を聞いた。
異国から来たらしいローフェンとプリセラは、こうして他国や近辺の情報をミリアや父親に聞く事が多い。ラミに聞く事がないのは、年齢が若いと言う事もあり、年長者である両親の方が詳しいと思っているからだろう。
「アガレス共和国なら、食材の仕入れでたまに行くわよ〜」
プリセラの読みは正しく、ミリアは頷く。すると、彼女はパァッと表情を明るくしてミリアの眼前に近付いた。
「ほんまかっ?!ウチら、この大陸の事をあんま知らへんねん。行き方、教えて〜な!」
「あらあら………」
ミリアがアガレス共和国への行き方を知っている様子に歓喜するプリセラを前に、ミリアは片手を頬に当てて、やや困った表情を浮かべる。
彼女が困るのも無理は無い。アガレス共和国は前途で述べた様に、十年前に内乱があり、最近ではようやく統制が整って来た所である。統制が取れ始めて落ち着きを持ち始めたと言っても、誰彼構わず入国させる程に自由化した訳では無い。入国出来るのは、身分証明が出来る者で、商業や観光を目的にした者なら問題無いが、ローフェンやプリセラの様に、宿屋の手続きですらまともに身分証明が出来ない者は、残念ながら入国出来ないだろう。
「それは困ったわね〜………」
「ほぇ?なんでなん?」
アガレス共和国の事情を知らないプリセラは、ミリアの様子に首を傾げる。すると、ミリアは隣に立つラミの方へと顔を向けた。
「ラミ、二人に共和国の事を説明してあげなさいな。その間に、お父さんに相談して来るわ〜」
「えっ?」
「なんや、ラミはんも詳しいんかいな?」
「まぁ………一応、この大陸の事は多少は………」
「ほ〜ん。せやったんか。ほんなら、教えて〜な!」
プリセラは年若いラミが大陸の国々や情勢に詳しいとは思って居らず、だからこそミリアに聞いたのだが、説明を任されたラミがちょっと照れくさそうに頬を掻く。プリセラが素直に"教えて欲しい"と頼んでいると、
「お〜い、プリセラ。ご飯食べようぜ〜」
取皿に料理を乗せて、近くのテーブルに運んだローフェンが彼女を呼びに来る。
ミリアはラミへと顔を向けると、彼女はそれに頷き、プリセラと共に彼が取皿を並べたテーブルへと向かうのであった。