ラミ、取り残されました。
「ーーーはぁ〜、スッキリしたわぁ〜♪」
愛らしい様相の小さな妖精プリセラは、大義を成し遂げたかのような満足げな表情を浮かべながらパタパタと飛びながらカウンターの上に降り立った。
「えっと…………毎度の事ながら、激しいですね」
木製ハンマーを何処へ仕舞ったのか、プリセラは手ぶらな様子でスカートのポケットから自分のサイズに合ったハンカチを取り出すと額に流れた汗を拭う。ひと仕事終えた彼女を、ラミはどう言葉をかけて良いのか迷いながらも、営業スマイルからは程遠い表情の苦笑いを浮かべて口を開く。
「ん〜、そうかいな?」
「やり過ぎの様な気が………」
「あぁ、ええねんええねん。昔はもうちょい軽かったんやけど、最近のローは無駄にしぶとくてな〜、下手に優しくすると直ぐに回復すんねん」
「えぇ………あれ、普通なら死んでますよね?」
「気にせんでええよ。今のローにはあれくらいが丁度ええんやから♪」
「そ、そうなんだ………」
物語冒頭からいきなり荒ぶった事もしている二人。ラミは、流石にやり過ぎではないかと思ってプリセラに問いかけるが、彼女は「これくらいは当たり前」と言った様子でケラケラと笑う。
人間からしたら切屑の様な小さなハンカチで汗を拭き取るプリセラを前に、ラミは視線だけを横に向ける。
ラミが向ける視線のその先には、ロビーの片隅に彼女の木製ハンマーによってかなり残虐的に叩きのめされた青年がボロ雑巾の様になって横たわっている。僅かに痙攣しているのか、伸ばした手足がピクピクと動いていた。
彼の倒れる床周りには、どう見ても致死量じゃないか?と思う量の生々しい血の海が広がっており、"アレ"を掃除するのは一体誰だと思っているのかと思いつつ、不満を漏らす訳にも行かず、静かに僅かに口元を引き攣らせる。
いや、流石にロビーの片隅を血の海で汚したら、文句の一つも言って良いのだが………
プリセラのお仕置きによってボロ雑巾と化している青年の名はローフェン。相方らしい妖精のプリセラと共にこの"風月庵"に訪れたのは、今から丁度ニヶ月前だった。
いつもと変わらない平日の午後、二人はこの宿屋に訪れると、ただの宿泊では無く、期間未定としての部屋を一室を借りたいと言って来たのだ。賃貸契約を結んだ彼らは、この宿屋を拠点として日々何処かへ出掛けていた。彼らは、毎日帰って来る日もあれば、数日帰って来ない時もある。
契約主であるローフェンは、契約書を見る限りでは年齢は二十三歳で、台帳を見ても出身国や必要事項の部分は殆ど未記入だった。
彼自身には言葉の訛りを感じない。緑色の髪に緑色の瞳ではあるが、特別怪しい雰囲気も無い事から、最初は契約に難色を示したものの、素性が不自然な程に不明ではあるが両親が割りとアッサリ契約を承諾した。その理由は、契約時に彼が前金兼保証金として提示した金額が高額であった為、金払いの良さと、そこまでの金額を払うのだから何か事情があるのだと察した両親は、それ以上は何も言わなかったのだ。
本来であれば、街の治安維持を担う騎士団や商業組合との取り決めで、出身国や素性の分からない客を受け入れる事は無い。大陸の中心都市であるこのゼスフィリアシティは、他国間の紛争に加担しない中立の立場に有り、言うなれば大陸唯一の"自由貿易都市"と言う立ち位置にある。だからこそ、怪しい人物に宿を提供し、仮に対立国家間の情勢に影響を及ぼすような事件が起これば、中立の立場に有りながら対立する片方の国に暗に加担する事になるからだ。
この辺りの管理については特に厳しく取り決めが成されており、宿泊施設では素性をある程度把握する事や、製造業に置いては大量生産の仕事を受ける時には用途や依頼に至る経緯等を明確にし、中立を崩さない理由かどうかを騎士団を運営するゼスフィリアシティ直轄の評議会が審査する事になっている。
製造業においては特に厳しく管理されているが、宿泊施設の場合は店のオーナーが後で書類の未記入部分を適当な内容に書き換える事で誤魔化しが効き易かったりする。
閑話休題
素性の分からないローフェンとプリセラではあるが、二人の人柄を見た両親は、今では特に怪しむ事も無く、普通の冒険者として受け入れていた。
ちなみに、ローフェンはラミと顔を合わせる度に傍へと近寄って来てナンパして来るが、毎回プリセラにお仕置きされて撃沈している。彼がロビーの片隅でボロ雑巾になる姿も、実を言うと若干見慣れ始めていた。
「所で、探し物は見付かりました?」
未だにピクピクと痙攣したまま動かないローフェンへとチラチラと視線を配りながら、ラミは彼の相方らしいプリセラへと問いかけた。
彼らがこのゼスフィリア大陸に訪れたのは"とある物"を探しての事らしい。昼間の店番をしているラミは、何度も顔を合わせる二人からそう聞いてはいるが、実際は"何を探しているのか"までは聞いていない。いや、一度は問いかけた事があったが、二人から"簡単に説明出来るものでは無い"と言葉を濁されたのだ。
隠されると逆に興味が湧いてしまうものだが、流石に宿屋の娘なだけあり、長く客商売に携わって来たラミは、話したがらない客に対してしつこく聞くような、所謂プライバシーを侵害してまでは、聞こうとは思わなかった。
「ん〜………なかなかどうして、手掛かりすら掴めへんな〜。今日も坊主やわ〜」
「………そうですか。この街なら大抵の情報や探し物は、簡単に獲られると思うんですけどね」
プリセラが片手の人差し指を顎の下に当てて首を傾げて答えると、ラミは彼女の可愛い仕草に口元を綻ばせた。すると、プリセラは傍に置いてあった部屋鍵を両手に持ち上げると、背中に生えた蝶の羽にも似た羽をパタパタとはためかせ、宙に浮く。
ちなみに、プリセラの言う"坊主"とは、釣りに用いる用語である。何も釣れなかった場合に使われるのだが、彼女はその言葉を使って"何も情報が得られなかった"と言う意味の比喩として使ったのだ。
「まぁ、この大陸のどっかにあるんは気配で分かってるからな。焦る旅でもあらへんし、気長に探すわ」
「気配?」
部屋鍵を抱えて飛ぶプリセラが言うと、"気配"という言葉の意味が理解出来なかったラミが問いかける。人を探しているならまだ理解出来るが、彼らは"物"を探しているのではなかったのか?と疑問が生まれる。
「あぁ……コッチの話や、気にせんといて〜♪」
しかし、プリセラはラミの問いかけに対してケラケラと笑って誤魔化すと、パタパタと羽音を立ててローフェンの方へと飛んで行く。丁度そのタイミングで、ローフェンが意識を取り戻したらしく、頭を左右に振って意識をハッキリさせてからゆっくりと起き上がった。そして、彼は徐に、壁際に備え付けていた掃除用具の戸棚へと向かい、モップを取り出す。
「ローフェンさん、掃除ならアタシがやるんで………」
自分の店の掃除を何故かローフェンがやり始めた事に驚いたラミは、慌ててカウンターから出て彼の方へと駆け寄る。それは、パタパタと飛んでいたプリセラが彼の傍に着くのとほぼ同時であった。
「いや、あははっ……まぁ、流石に毎回ラミちゃんにお願いするのも悪いんで」
「そら当然やな!」
ローフェンは自分が倒れていた場所の周りをモップでゴシゴシと拭きながら笑って答えると、プリセラが当たり前だと言わんばかりの様子で頷く。
だったら初めから汚さないでほしい。とは、いくら親しくなりつつあるからと言っても、流石に相手は客なので絶対に口が裂けても言えないラミ。
「でも…………」
「こっちは良いからさ、ぼちぼちお客さんが戻って来るっしょ?自分の仕事してきなよ!」
「はぁ………」
結局、自分の流した血の海を綺麗に拭き取って、モップも洗い流す所までの全部をローフェンが行う事になった。付け加えるならば、彼のその手際はかなり良く、二ヶ月やそこらで身に付いたものでは無さそうだ。恐らくはこの宿屋に訪れる前から、あの様なやり取りが日常的に行われており、掃除も自分でやっているのだろう。自業自得とは言え、何とも哀しい話である。
彼が掃除をしている間の数十分の間、ラミは店に帰って来た他の客達の応対をする事になる。時間的にもそろそろ戻って来る頃だったので、このタイミングで旅行者や冒険者である客達がぞろぞろと戻って来たのだ。
他の客達は冒険者風の格好をしたローフェンが、何故ロビーの片隅でモップかけをしているのか?と不思議そうな視線を送っていたが、彼自身は気にした様子も無く、むしろプリセラに「ちゃっちゃとやらんかい!」と監視されながら怒られ、「ちくしょ〜………手を握る位、別にいいじゃんか〜……」と、ブツブツと愚痴をおかしいな方向に漏らしていた。
「ーーあ〜……疲れた。部屋に戻ってシャワーでも浴びるか〜」
「ほ〜ん、ご苦労さ〜ん」
程良いタイミングで客も掃け、ラミがカウンターの前で台帳を広げて、出掛けていた宿泊客が一通り戻って来たのを確認していると、掃除を終えたローフェンが溜息を溢しながら近付いてくる。恐らく、掃除が終わった事を伝えに来ようとしているのだろう。
「あっ、すみませんでした。結局ローフェンさんにやって頂いちゃいましたね」
「いやいや、自分で汚したんだし。ぜ〜んぜん気にしないでいいよ」
「せやせや。当然の事をしたまでや」
早足で傍へと駆け寄り、ラミがペコリと頭を下げると、ローフェンは頬を掻きながら苦笑する。彼の左肩に降り立ったプリセラは、当然と言った様子で彼の言葉に頷いた。
「プリセラ…………もとはと言えばさ、君がハンマーで折檻なんてしなければ、掃除しなくて済んだんだからな?」
「もとはと言えば、ローがラミはんにセクハラせぇへんかったらこんな事にはならへんかったんやからな?」
「うぐっ………」
まるで自分が掃除しました!と言わんばかりに胸を張るプリセラ。ローフェンが疲れた表情で彼女を責めようとするが、素早く事の原因を突き付けて黙らせた。ローフェンは返す言葉もなく息を飲み込んだ。
「えっと…………そ、それじゃ、もうすぐ夕食の時間ですんで、シャワーを浴びられたら食堂に来て下さいね」
「そうだねっ!じゃ、ラミちゃんも御一緒に!」
「えっ?あれっ?!」
頭を下げていたラミが顔を上げて夕食の時間を説明すると、ローフェンは満面の笑みを浮かべて近付く。一瞬で彼女の隣に移動すると、余りの早業にラミが困惑する。彼はその隙を逃さず、彼女の腰に手を回してそのまま強引に連れて行こうとした。しかし、彼の肩に乗るプリセラが素早く彼の左頬を抓って待ったをかけた。
「あん?今なんて?」
「さて、部屋に戻るかっ!!全力でっ!」
「おいコラ、今のは聞き捨てならんで〜!!ちょいと待たんかいワレッ!」
「脱兎の如く、逃げ〜るっ!」
「逃げるな〜っ!全然懲りとらへんやないかぁ〜っ!」
ダダダダダダダダダッ!!
ラミを強引に連れて行こうとした動きから、瞬時に数歩離れた先に瞬間移動したローフェンは、その場に残像を残して本体は元気な声を上げて二階へと駆け上がって行った。
プリセラは急に走り出した彼の動きに思わずバランスを崩して肩からずれ落ちると、地面に落ちない様に素早く羽をはためかせて宙に舞う。そして、颯爽と駆け出して行く彼の後を、再び何処から取り出したのか分からない木製ハンマーを振り回しながら怒鳴り散らして追いかけ始めた。
「…………………………ご……ごゆっくりどうぞ〜………」
息の合った二人のやり取りは風月庵に来てから何度も見ている。いや、どちらかと言うと見させられていると言った方が良いだろう。
毎度の事ではあるが、あの二人に関わるといつもの調子が見事に狂ってしまうと感じたラミは、溜息混じりの苦笑いを浮かべて、二人の姿が見えなくなるまで見送ったのだった。