ラミ、宿屋の娘やってます。
ゼスフィリアシティ。それは、ゼスフィリア大陸の中心に位置する中心都の事である。この大陸は他大陸に比べて一際大きく、東西南北を端から端まで進もうものなら、直線距離でおよそ五万キロもある。
大陸の中心都であるだけに、街の商業を担う商人達を始め、東西南北の国家からの物流も数え切れない程取り扱っている。街の治安維持の為に結成された住民達から成る騎士団は、腕に自信のある若者や体格相応の者達ばかりで、街の外を徘徊する肉食獣達から力の無い市民を守っている。そして更には、この街を基点として数多くの冒険家達が、街を出て周辺を探検しながら獣達を退治して行く為、街は常に安全が維持されていた。
ゼスフィリアシティ周辺が安全であればこそ、旅の行商人も、他の街から出稼ぎに来た商人も交通が行える訳で、必然的にこの都市に人は集まり、活気盛んな賑わいを持っているのである。
時は夕刻。晴天の空は昼と夜の一瞬の隙間を茜色に染めて、昼間の騒がしさから夜の静けさへと世界を誘おうとしていた。
都市の西側、冒険者や旅の商人達が中央広場や北の露店街で出店を出して一稼ぎしたり、果ては街の外で肉食獣の討伐をして今日一日の疲れを癒す為、殆どの者達が療養地域がある"ここ"へ足を運ぶ。そして、西大通り沿いに並ぶ店の一つに、行商人や冒険者達が一夜を過ごす拠点として使用する事の多い、そこそこ大きな宿屋"風月庵"がある。そこには一人の人物が、店内から夕日が射し込む窓の外へと憂鬱そうに顔を向けている。
宿屋の一階にあるロビー、そこの受付カウンターに身体を預け、両手を前に出して凭れかかって突っ伏する女性の姿があった。
栗色の髪を後頭部で一本のポニーテール風に結んでいる女性。髪と同じ色の瞳は、今は力なさそうに半目になっており、赤いフレームで囲った眼鏡は今にもずれ落ちそうだ。服は上下共に店の制服として支給されており、白のブラウスを着ており、黄色に程近い肌色のキュロットスカートを履いている。後は、首から紐を下げた薄緑のロングエプロンを身に着けているのだから、誰か見ても正しく働いている"普通の街娘"の格好だった。
「………はぁ~、今日も、退屈で素敵な一日ね~…」
太陽が西へ徐々に沈み始めて空を茜色に染めていると、どこか名残惜しそうな表情を浮かべて、誰に向ける言葉でも無く詰まらなそうに「はぁ〜」と大きく溜め息を吐いてから呟いた。
「…………本日も、平和なり〜……」
再び呟く女性。何度も言うが、彼女は誰かに聞いて欲しい訳では無い。心の内にある不満を吐き出さねばやってられないのだ。身体的にでは無く精神的に疲れた、そんな表情を浮かべながら溜息を漏らす女性の名はラミ。この風月庵を営む両親の娘で、今年で二十歳になる。
物心ついた時からこの宿屋で手伝いをしていたラミは、思春期の歳頃に義務教育で通う学校を卒業すると、家業の手伝いとして宿屋の看板娘をしていた。
赤黒く染まる空は徐々に夕暮れから夜へと変わり、どんどんと空を暗くなって行った。窓から見える外の世界は、少しづつ街灯に光が灯り始める。
そろそろ宿屋に宿泊していた冒険家や観光客達が外から帰ってくる頃だ。客達に貸出している部屋の鍵は、外出する時にはロビーで預かる事になっている。出先から戻った客達が部屋に戻る為には、必ずロビーに足を運んで部屋鍵を受け取らなければならない。そのシステム上、朝と夕方から夜にかけては必然的に忙しくなるのだ。
宿屋の娘として働くラミは、常々このシステムを改善したいと思っていた。何故なら、鍵の受渡しの為、昼夜関係無く従業員の誰かがロビーに居ないといけないのだ。機械文明もそこそこ発達している現代ならば、パスワードや認証カード等を使って宿泊客自身で施錠の管理をすれば良いと思っていた。勿論、管理側にはマスターキー等を用意して、開閉は自由にすれば問題も無い筈である。しかし、両親は自分達の親の代から受け継がれているこの宿屋にそう言った近代文明を取り入れる事はせず、未だに昔ながらのシステムで運営されていたのだ。そのくせ、厨房だけは母親の意向もあって新しい調理機材が揃えられ、食堂に並べる料理だけは結構な力の入れようである。
基本的に料理をするのが母親と娘の自分だけなので、最新の調理器材のお陰で大人数分の料理を作るにはいくらか楽にはなったが、ラミとしては運営方法等も含めてまだまだ改善の余地は山程にあると考えていた。
――カランコロン…
「…………んっ?」
不意に、店の入口の扉に備え付けてあった大きな鈴が、年期を思わせる鈍い音を立てる。テーブルに突っ伏して顔を横にして窓から外を眺めていたラミは、その鈴の音に気付いて慌てて身体を起こした。
「いらっしゃ~い」
今の時間は両親が揃って夕食の買い出しに出かけている為、現在の店番はラミ一人である。彼女は来客かと思い入口の方へと顔を向けた。
夕日を眺めていた時の様な半目でやる気の無い表情から一変して、素早く手櫛で髪を整えると仕事モードに気持ちを切り替える。そして、馴れた様子で店に入って来た客を見やる。すると、見慣れない顔の客が店内をキョロキョロと見回しながら、ゆっくりとロビーへと歩いて来た。
「…………新規のお客さんですか~?」
営業スマイルでニッコリと笑顔を浮かべるラミは、馴れた手付きで来客対応する為に客をカウンターへ誘う。
客らしき人物が一人でカウンター前まで歩いて来ると、肩に担いでいた荷物を床に降ろしてラミへと顔を向ける。
初めて店に訪れた客であろう独特の佇まいに、ラミは新規のお客さんだと気付いて向かい合うと、客は「部屋は空いているか」と問いかけて来た。ラミは、客の姿を一瞬眺めると、どうやら連れは居らず、一人でここに訪れたのだろうと思いながらも、一応宿泊人数を伺う。
客が「一人だ」と答えると、彼女は直ぐに空き部屋状況の確認を始める。台帳には数部屋の空きがあり、空きがある事を伝えると、客の予算や宿泊期間や要望を聞いた上で、それに合う部屋を紹介しようと部屋毎のカタログを開いて見せた。
「今の空き状況ですと、こちらの部屋が宿泊出来ますよ」
空き部屋の種類は幾つか種類がある。安価なタイプから豪華に過ごすタイプ等、予算に合わせてサービスも異なり、客は部屋が空いている事を聞くと安堵した表情を浮かべて、二つ返事で安価なタイプを選ぶ。
ラミは宿泊手続きの為に記入が必要な書類を出すと、客は言われるままに書類を手に取ると、備え付けのペンを取り、名前や記入事項を書き始める。
客が書類に必要事項を記入している間、ラミは静かにその様子を眺める。客の様相からして行商人や旅行者の類いではなく、旅の冒険者だろうと思った。その理由は、軽装な服装ながら背中に矢筒と大きな弓を背負っているのが目に付いたからだ。
「お客さん、旅の方ですか?」
武器を持って宿屋に来るのだからいくら何でも行商人ではあるまいし、ましてや旅行者と呼ぶには手荷物が少ないと感じた。彼女は長年の勘で、興味深そうに武器であろう弓矢に視線を向けて問いかける。すると、客は「冒険者だ」と答えて、この宿屋に来た経緯を簡単に説明する。どうやらこの客は、他国から出国して来た旅の冒険者らしい。客はラミと軽く言葉を交わしながらも書類の記入を終えると、それを渡して来た。
「料金は前払いになりま〜す。食事は、朝昼晩と時間が決まってまして、後ろの扉の方にある食堂で御用意していますので、食事が要らない場合は事前に連絡下さいね」
書類を受取り、記載漏れが無い事を確認したラミは前払いとなる宿泊料金貰う為、傍に置いていた電卓を叩いて数字が表示された電卓の画面を客に見せる。客は電卓に表示された宿泊料金を確認して、財布の中からお金を取り出し始める。その間にラミが身振り手振りで食事について説明して、相槌を打つ客から代金を受け取ると、カウンターの上にお釣りと部屋鍵を置いた。
「お部屋は、二階に上がって右手側の通路にあります。ごゆっくりどうぞ〜」
部屋鍵を手に取った客へと部屋の場所を伝えると二階に上がる階段へと手を伸ばしてその場で軽く案内をする。客は彼女の説明に頷いてから、床に降ろしていた手荷物を肩にかけ、階段の方へと歩き出した。
客が二階へと上がり姿が見えなくなるのを見届けたラミは、ひと仕事終えて「ふうっ……」と溜息を溢してから、客が記入した書類を手に取った。
「…………アガレス共和国………南の方ね……」
書類に書かれている客の住所に目をやり、徐に呟く。
この風月庵には、大陸の中心都にして商業盛んな大都市だけあって、世界各地から様々な種族や職業の客が訪れる。幼くから冒険者というものに興味あったラミは、訪れた客達と話をして行く中で世界や他大陸の事を自然と詳しくなっていた。当然ながら、訪れる客からの情報と言う事もある為、局所的な知識になってしまっている部分は否めない。それでも、自分が生まれた大地であるこのゼスフィリア大陸においてならばほぼ全ての国の名前や位置、特徴を把握している。
書類に書かれた客の出身地を見て、彼女は"アガレス共和国"についてを思い出す。
彼女の記憶では、十年程前までは"アガレス帝国"と言う名の武力国家として代々が王族により統治された国だった。膨大な鉄資源から作り出される機械兵器は強力で、周辺国からは武力大国とその名を馳せた国だったが、ある時、国の政治に不平不満を募らせた市民が反乱を起こした。十年余りの長い内乱の末に反乱組織達により国王が討ち取られると、王権を失った国は新たな統率者として大統領を設け、市民投票制の共和国として生まれ変わったのである。
元々は大陸でも有数の鉱石採掘国で、その国の鋼材は世界中に流通しており、武器や機械に使われる部品の製造を大きく担っている。内乱中は一時期流通も減少し、大陸中で鉄不足を引き起こしていた。共和国になってからは流通も回復し、今までの不足を補う様に鉄鋼材の輸出が行われていた。
近年では内乱後の混乱も落ち着いて、共和国としてようやく他国への外交を積極的に行い始めていた。恐らく今先程の部屋を借りに来た冒険者は、その一環で国外を出る事が出来た口だろう。
ーーカランコロンカラン……
客の書いた書類を再び確認してから台帳に"それ"を仕舞っていると、店の扉を開く鈴の音が鳴った。
「いらっしゃ………あっ、おかえりなさい」
ラミは来客かと思い、振り返りながら口を開く。すると、入って来たのは既に宿泊している客だった。彼女は客の顔を見て直ぐにカウンターの内側にある部屋鍵の並んだ棚から客が宿泊している部屋の鍵を手に取ると、カウンターの上に置いた。
「たっだいま〜っ!ラミちゃん、今日も素敵なお出迎えありがっとぉ〜う!」
髪の深緑色で、伸びた髪を馬の尻尾の様に首の後ろで縛ったやや背の低い青年。服装は軽装ではあるものの、先程の新規の客とは違い、後ろ腰には二本の短剣を交差させ、左腰には革製の鞭をロープの様に円状に巻いて携えていた。背中にリュックサックを背負っていた青年はラミの顔を見るなり笑顔で明るい声を上げて手を振ると、早足でカウンターの方へと寄ってくる。
「はぁ………どうも……」
普通に"おかえりなさい"と言っただけなのに、素敵だと言われる要素なんてあるのかな?とラミは内心で疑問に思いながらも、取り敢えずそこは一応宿屋の娘、怪訝な顔など一切見せずに長年宿屋の娘として培った営業スマイルという名の笑顔で出迎える。
「ローッ!ラミはんが困っとるやないか。セクハラはあかんでっ!」
カウンターに身を乗り出し、ラミの右手を両手で握り始める青年。するとその直後、彼が背負うリュックサックの中から小さな妖精が飛び出して来て青年に注意を飛ばす。
人の頭一個分程度の背丈をした妖精。青髪短髪で大きな瞳は可愛らしく、髪の色に似せたタンクトップとフリフリのミニスカートが更にその可愛さを際立てていた。唯一見た目とのギャップがあるとしたら、聞き慣れないイントネーションで話すその言葉使いだ。今まで様々な国の種族や冒険者と言った客が訪れたが、彼女の様な変わった喋り方をした人物はラミにとって初めてだったのだ。
「わぁっ!?プ、プリセラ………ま、まだ何もしてないっ…………って言うか、やっと起きたのかよっ!?」
「"まだ"ってなんやっ!てか、とっくに起きとったわっ!」
「マジかよっ!?だったらリュックから早く出て来てよっ!只でさえ荷物が重いんだからさ、プリセラの分も増して、結構大変だったんだからなっ!」
「折角やから中でのんびりさしてもろたわ…………って、アホォッ!ウチが重いって言いたいんかっ!?」
「うん、割りと」
「こんな幼気なプリチー妖精のプリセラちゃんに対して、なんて事言うねんっ?!しばくでっ!!」
「じょ、冗談だから………お願いだから、そのハンマーを仕舞って………」
「許さんっ!今ここで、メコるっ!」
「ぎゃぁぁぁっ!?悪かったってば、勘弁してぇぇっ!」
「こんのアホンダラッ!そのデリカシーの無さを叩き直したるっ!」
「ひえぇぇっ!?」
「………………………あ、あのぉ………」
ラミの手をがっちりと握っていた深緑色の髪をした青年が、プリセラと呼ばれた可愛らしい妖精の言葉に驚いてその手を素早く離す。二人は仲が良いのか悪いのか分からない言葉を交わしていると、青年の一言が余計だったのか、プリセラは何処から取り出したのか分からない自分の身の丈よりも大きな木製ハンマーを両手に握り、鋭い殺気を放ってハンマーを軽々しく振るい始める。
青年はカウンターから瞬時に飛び退くと、逃げる為に走り出す。そんな彼を、プリセラは鬼の形相でブンブンとハンマーを振り回しながら追いかけ始める。
「て、店内では走り回らないで下さ〜い……」
ラミはそんな二人のやり取りに完全に取り残されて、呆然と立ち尽くし、店内を走り回る二人を眺めるのであった。