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名人  作者: らんこ
1/1

名人

第一章

1 


 この形式はよくある恋人同士のドライブなのだろう。でも、実際今助手席に同乗する女性は俺の彼女ではない。

「そろそろ休まない?一服したいし」

 とお隣さんは言った。煙草を吸わない俺にはそんな理由は要らないのだが、そろそろ二時間経つ。休憩どきではある。

「よし、どこかで休憩しよう」

 と、決めたのだが、なかなか休憩施設は見当たらなかった。高速でもないのでサービスエリアは期待できない。今走る道は国道だ。それならいずれドライブインや道の駅でもあるだろう。

 程なく山間の少し開けたところに出た。ドライブイン蘭子と看板が出ていた。駐車場も広く、店構えも真新しい。

「見つけた」とつぶやくと俺は車をドライブインに滑りこませる。

「ねえねえ日高」

 停車させるなり、隣の女性は俺の名を呼ぶ。

「なに?松宮」

 今横にいる女性の名前だ。

「煙草無いんだけど…」

 松宮はいつも持ち歩いている大きめの黒かばん。多分どこかのブランド物だろうそれの中を覗き込んでいた。

「知らないよ。店に売ってるんじゃないか?」

「もしなかったら?」

「…。わ、わかったよ。店を変えればいいんだろ」

 俺は少し怒り気味で運転席から出てドアを閉めた。松宮のわがままにはあまり相手にしないほうが良いということはこれまでの経験上勉強済みなのだ。俺はスタスタと車の鍵も掛けないまま店の入口に入る。風除室の隅にちゃんと煙草の自販機がある。心配の種はすぐに消えた。


 冷房が程よく効いた店内と高地という場所柄が相まって休息の場所にはもってこいであり、窓からは樹海が望める。ベストビューを眺めれるテーブル席を選び景色に見とれる。なんか壮大ですごい。

しばらくして煙草を手に松宮がやってきて、さらに店員が注文をとりに来た。松宮はさっそく煙草に火をつけてからメニューをチラ見してサンドイッチとコーヒーを、俺はコーヒーだけを頼んだ。一時の沈黙のあと煙草を揉み消すと松宮は喋りだした。

「あのさ、今日、あんたを誘ったのは深〜いわけがあるのよ」

 相変わらずの松宮節が炸裂していた。今回も言いように付き合わされるのだろう。

「でさあー、あんた『名人』って聞いて何か思い浮かぶものってある?」

「『名人』ねえー、急にどうしたの?今回はそれがタイトルかい?」

「いいえ、まだ決めてはいないんだけどさ、ちょっとした前振りかなあ」

「ふーん。『名人』か、たしか、左官名人てのがいたような。テレビで前に観たよ」

「他には?」

「書道の名人!」

「他は?」

「推理の名人とか?…なんだよ。さっきから」

「まあいいわ、何事にも名人っていうのはさ、なにか物事を極めた人物を指すのよ。モノマネ名人、「コロッケ」将棋の名人「羽生善治」手術の名人「ブラックジャック」、収納名人、ビリヤードの名人なんてのもいたっけ。まあーとどのつまり、ある分野の最高の一人を指すんだと思うわけ」




       名 人

                 らんこ




2 

 

「日高の言うそれも私の予想してたとおりの答えよね。ちょっと満足かな」

「なんだよ俺を試すみたいな感じ」

「まあー。そんでね、今回は殺人の名人が出てくるサスペンスを書こうかなっておもうわけ」

「サスペンスを書くの?なんか松宮のイメージとは違うよね」

「そう?確かにサスペンス書くのは初めてよ。でもなんていうか新境地?それを開くっていうのが今私には必要なわけよ。だからサスペンスに決めたの」

「うーん。サスペンスってなんかありきたりだと思うぞ」

「ありきたり!そんなふうに思うのはあんたがサスペンスおたくだからよ」

「おたくまでいってないとおもうけど」

「まあ、あんたはおたくって柄じゃないわね。なんていうか、おたくにもなりきれてない一番たちの悪い部類…」

「まてよ。今はそんな話関係ないだろう」

「まーあ」

 松宮はまた煙草を一本取り出して火をつける。この店にきてもうすでに二本目。へビースモーカーの松宮はうまそうに一口思いっきり吸い込むと満足げな顔をして煙を一気に吐き出した。物書きには愛煙家が多いというが目の前の松宮も例外ではないのだ。その点、サラリーマンである俺はまったくタバコは吸わない。

「でもあんたを誘ったのは…。わかるでしょう?」

「…」

「腐ってもあんたはサスペンスに強いわ。だから、ちょっと助言してほしいわけよ」

 そういうことか。毎回俺を誘っては「この本どう?」と書き上げたシナリオを俺に見せて意見を求めてきた。松宮にとって俺は下読みをしてくれる便利な友人でしかない。今回はとうとうシナリオを書くに当たっての助言まで求めてきた。うーん。なんか松宮と俺の関係が狂ってきているように思えた。

「ちょっと聴いてる?あんたまたボーっとしてるじゃない。ほんと、あんたよくそれでここまで運転してきたわね:」

「おいおい、そんな俺を君は誘ってドライブ行こうとか言ったんだろう?」

「あらあら認めちゃった」

 もう、この松宮の言動には手がつけられん。

 

     *


 一年前の秋だった。俺は待ちに待った某大御所人気作家の書き下ろし発売日だあ!。と朝からそわそわしながら営業まわりをしていた。そして十時になると書店に駆け込み平積みされた新刊を手取ったのだった。俺はすぐにでも読みたい欲求を抑えながら近くの公園へ駆け込み、ベンチに座り読み出したのだった。

 至福の時が俺に訪れた。なんとも天気も良く爽快な読書日和だったろう。そして、物語も終盤になるころ日が暮れてきたのだった。仕方なく一旦会社に戻り、仕事の後始末をしてさっさと自宅に帰ろう。俺は公園を出た。

そのとき、声を掛けられたのだ。

「日高君」

 声がした方を向くと取引先の会社の名は忘れたが顔は良く知る部長がいた。そしてその横に立っていたのが、彼女だった。

「おお、こんなところで会うなんて奇遇だね」

「はっ。ご苦労様です」

「はっはっ。相変わらず固いねぇ。ところで今から暇かい?一杯どう?」

「一杯ですか?」

 正直酒は好きなのだが、今晩はあの新刊を読みたい気分だった。どうしようかと迷っていると、隣の彼女が声を掛ける。

「日高さんでしたっけ?これからどうですか?少しは仕事のこと忘れて飲み明かしたり?」

「はあ」

 茶髪のショートカット、白の長袖のワイシャツにジーンズ。顔立ちは美人の部類に入るのだろうが、まったく色気の無い女性だなあ、と第一印象であった。

「まだ仕事?」

「いいえ、もう終わりですけど…」

 そう言ってしまうともう決まったようにどこそかの部長は言う。

「じゃあ決まりだな。それでは日高君行きましょう」

 仕方あるまい。読書は先送りとしよう。

3 


 その頃とまったくと言っていいほど変わらない風貌の松宮。煙草をぷかぷかとふかし、煙の輪っかを次々と作り出す。と、松宮と目が合ってしまう。うわー怖い顔になってる。

「日高君。ちょっと、怒ってる?」

 はあ?怒ってるのは松宮の方だろう。

「怒ってないけどさ。松宮、そのー、本題に行かないか?」

「おっ、やる気になった?」

「やる気になるもならないも、そのシナリオの話をしないと帰らないだろ」

「勘がいいじゃない。じゃあ言うわ」

 ちょうど、間を持たすように店員のおばちゃんがサンドイッチとコーヒーを運んできた。

 松宮は煙草を力強く揉み消す。二本の吸殻が並んだ。

「サンドイッチ食べていいわよ」

「ああ、有り難う」

 そうして俺は一片のサンドイッチを口に放り込む。ドライブインの喫茶店にしてはバターが効いていて美味しい。

「それでね、あんたには私の考えてるあらすじを聞いて欲しいのよ」

「あらすじ?」

「そう。書いてもいないんだから仕方ないわよね」

「それじゃあーちょっとそれは俺の出る幕じゃないような気がするけど」

「書く暇がなかったのよ。それより、ちょちょっと聞いてあれこれアドバイスしてくれればいいのよ」

「そんなのでいいのか?」

 なんか今までの松宮とは一味違うようだ。形にもなっていない時点でアドバイスを求めるなんて今までに一度もない。

「いいのよ。まずね。私の考えてるシナリオの題名。『煙草殺人事件』」

「…」

「あのね、なんか言うことないの?」

「言うこと?そんなもん題名でなにを判断できるんだよ」

「あら、言うわね。でも大概サスペンスって題名で内容がある程度わからないと駄目じゃない?」

「そんなことないと…」

 言いかけて松宮の言うことも判らないでもないと思い至る。うん。確かにそうだ。今まで考えたこともなかった。

「煙草ってつくんだから煙草が殺人事件に大きく影響しているわけ。あらすじはこうよ。

あるヘビースモーカーの男がいるのよ。何十年と煙草を愛する愛煙家。でも隣に住んでいる人は煙草が大嫌い。伏流煙が怖くてしょうがいないの。そして殺人を犯してしまう」

「まっ待ってくれよ。伏流煙が怖いだって?ちょっと無理があるような」

「死体は押入れに隠すんだけど、数日後友人が死体を発見。それから刑事が出てくるのよ」

 松宮は俺を無視して喋り続ける。多分なにかあるのだろう。いくらなんでも殺人の動機が煙草の伏流煙じゃ三文ミステリもいいところだ。

「刑事はとびっきりの二枚目俳優でエリートの警視庁勤務。腰巾着は対照的な三枚目?まあー、居ても、居なくてもいいけどね。それで、死体を検分して、刑事たちが聞き込みにまわるわけ、もちろん隣人にもね。それで目撃者は居ないか?って訊くけど、やっぱり犯人は白を切るの」

 なるほど。なんか松宮の意図が見えてきたように思う。つまり、伏流煙なんかで殺人を起こさないという常識が捜査を混乱させるということ。

「で、捜査会議では被害者の身元、身辺を洗うけどいたって目ぼしい報告は上がってこない。で、捜査会議の終わりに凶器が判明するわ。珍しいアーミーナイフがね。それから捜査はとんとん拍子に進み、購入者がわかるわけ。隣人の犯人がね。そしてめでたく逮捕。犯人を追い詰める刑事。追い詰められた犯人は淡々と自白して自殺を図ろうとするんだけど、阻止するエリート刑事。そして刑事は言うのよ。『煙草はやめたほうがいいなあ』ってね」

「まさか終わり?」

「そうよ」

「これで終わりか?」

「なによ」

 俺は呆れていた。松宮はほんとにミステリというのを知らんらしい。こんなので観客は喜ぶか?

「最後のセリフがマズった?そしたら…」

「いいや。いいんだ。そこじゃないんだ。俺が気になったのはね。煙草の煙が嫌いで人を殺すのかってこと。そんな犯人いるかぁ?」

「そう?私はよくわかんないけど、吸わない人は嫌いでしょ」

「でも、嫌いで人は殺さないだろう。そしたら、松宮はもう何回も殺されているよ」

「ああ。そうよねあんたに八つ裂きにされてそう」

「…。はあーなんかミステリを冒涜してるようなあらすじだったよ。俺が指摘しなきゃ書いてた?」

「書きはしないけど、だって話に山が無いし。まあ、話しの種があと二、三個あればいい話しになってたかもね」

「松宮、とにかくだ、今のあらすじでシナリオは書くな。これは俺のお願い」

「没ってことー。そっか。まあ、いいわ。次のあらすじもあるから」

「えっ?」

「そう、まだ案があるのよ。ちょっと思考を凝らしているやつがね。今はやりの少年の犯罪」

 まだ考えていた話があったとは。というか、さっきの煙草殺人事件は松宮風のジョークだったのか。多分このドライブインに入る前にでも思いついたんだろう。まったく、松宮は俺をからかって遊んでいる。それが俺にはわかった。

「まず、舞台設定だけど、ある小学校が舞台なの、登場人物は六年生の男の子と同じクラスの女の子、それに先生ね。あと幼馴染の女の子。タイトルはその名も『紙飛行機殺人事件』ちょっとよくない?」

「よくないとか言われてもなあ」

 タイトルはなんかちょっと子供向けでいいかもしれない。松宮っぽいといえば松宮っぽいのだ。そう。松宮は子供みたいに身勝手で天真爛漫な女性なのだ。


     *


 青色の蛍光色が光る今流行の居酒屋に連れてこられた俺は戸惑いながらもどこそかの部長の後をついていった。予約をちゃんとしていたのだろう。客の入りは多い居酒屋の奥座敷でもいうのだろうか、仕切り壁に囲われたテーブル席がちゃんと空いていた。

「うわーすごいわ」

「ここはな。私が接待に使う得等席なんだ。おしゃれな雰囲気でいいだろう?」

「ほんと」

 彼女はまるで子供みたいに喜んでいる。確かに、御影の大きなテーブルに紅色のソファー。壁にはモダン的な絵が掛けてある。一見居酒屋には見えない。というかソファーで飯が食べれるのかという不安が出てくる。

「日高君、面食らってるねえ。無理も無いかな。さあ座りなさいよ」

「はあー」

 俺は部長に上座を勧め、彼女を部長の対面に勧め、下座に座った。となると隣は彼女だった。女性のいい香りがほのかにする。そろりと横顔を見た。笑顔だった。

「あのーいいんですかこんなお店に俺なんかが」

「いいんだって、田所さんが誘ったんだし、おごりなんだし。日高さんも遠慮することないよ」

 彼女がこう突っ走った。部長はうんうんと笑顔。ああ、田所さんだったか。今になって俺は田所氏のことについて思い出す。

 六本木の一等地にオフィスを構えている企画制作会社アートサンの部長だ!コンサートやら、イベント、はたまたテレビ関係の仕事まで幅広く手を出している。ここ数年は仕事も多く上り調子。

「さあ、頼みなさいよ。私はビールから。松宮さんは?」

「私も」

「日高君は?」

「同じもので」

 と、皆と同調したところで俺は隣の松宮という名の人物について推理し始めていた。とはいっても、初歩的なことでどんな職業の人なのかを考えていただけだ。

田所氏の多分下請け会社の一つだろうというのは田所氏の軽い口調で予想できるのだが、俺の推理力は乏しく当初はそこまでだった。

 ビールが運ばれて、有無を言わさず田所氏が乾杯と言い。三人ともぐいっと飲む。そして俺は丁寧に切り出した。

「田所さん。いつもお世話になっております。これからも宜しくお願いします」

「おいおい、そんな堅苦しいのいらんよ。まあ、日高君のところは対応が早いしこれからも頼むよ」

「有り難うございます」

「日高君、ここは松宮さんもおられるし、柔らかくな。それに俺が強引に誘ったんだ。別に畏まんなくたっていいよ」

「いいえそんな滅相もありませんよ。で、松宮さん。お初にお目にかかります。私こういうものでして…」

 俺は中腰になり名刺を松宮さんに渡した。目を見ると彼女は今にも噴出しそうだった。

「ちょ、ちょっと。たまんない。なにそれ。はっはは…」

 思わず俺は田所氏に顔を向けたが、田所氏も笑っていた。俺は何か失態でもしてしまったのかと寒気がした。

「日高さん。なにその礼儀、誰に習った?考えた?はっはは、信じられないわ。今時こんな挨拶なんて」

「そうだな。ちょっと日高君は固いね」

「おもしろーい。日高君。それとー、会社さぼって公園にいたでしょ?」

「あっ!」

「なに『あっ』って。当たってたのね。適当に言ったのに」

「そ、そんな」

「おいおい、松宮さんそんなに日高君をいじめるなよな」

「いじめてなんて…。田所さんも私が悪女だとでも?」

「そうじゃないか。裏表のある女性だからね」

「もう、何を言って。あ、日高君もそんな風に見てる?失礼ね」

「そ、そんなことありません。決して…」

「はっはっははっは」

 まさしく俺はいいようにもてあそばれていた。中腰のまま俺は動かないでどれだけいたろうか。

「座りなさいな。日高君」

 田所氏のその言葉が無ければ俺はヘルニアをそのとき貰っただろう。

「さあ、日高君飲みなさいな。今日は単なる飲み会だと思ってね」

「有り難うございます」

「うむ。それでね、松宮さんはな、これから私のところの稼ぎ頭になってもらう貴重な人材なんだ」

「と、いうと社員の方?」

「いいえ。違うわ。日高君。私はシナリオライターなの。って自分で言うのなんかこっ恥ずかしいんだけどね。たいしたシナリオライターじゃないし」

「そんなことありません。シナリオ書くんですか?すごいですね」

「すごくも無いけど」

「いいや、松宮さん謙遜しているなあ。私が思うに松宮さんは才能を持っているよ。あのね、日高君、彼女は今まで劇団のシナリオを書いていたんだ。映画の脚本も書いている」

「自主制作映画の脚本を手伝っただけですよ」

「いいや、あれはほとんど松宮さんの世界観じゃないか。だから入賞できたんだ」

「褒め過ぎです」

「で、日高君。彼女に目をつけた私がだね、彼女とタッグを組むわけだ」

「コラボレーションですね」

「うん、それだ。今度の舞台の本を彼女に頼んだ。その前祝がこの飲み会というわけだ」

「それはおめでとうございます」

「いいえ、別におめでとうだなんてね。まだ成功したわけじゃないし」

「いいや松宮さんならいいもの書くよ」

「もう、田所さんて持ち上げるの得意ですねえ。それでいい気になる私も私だけど。でも、田所さん。今度の舞台は今までの規模のとは違うし、失敗は許されないし気合入っちゃう。よし、がんばろう!」

「うん。その心意気、期待してるよ」

 とそんな具合に俺はようやく松宮の職業を知りえたわけだ。まさかシナリオライターなんて職業の人に知り合う俺がここにいるとはそのときは信じられなかった。が現実なのだ。生粋の読書家の俺がうれしくないわけがなかった。

「松宮さんはどんな舞台のシナリオを書いているんですか?」

「へえー日高くんは興味あるの舞台とか?」

 煙草を取り出しながら松宮は言った。

「そんなに興味はあるわけじゃないですけど、観た事も数えるほどしか…」

「あら、そしたら今度の舞台を観に来れば?ねえ田所さん」

「はは。そうだな。しかし、まだ何も書いてない君がそんなこと言っていいのかね」

「任せてくださいよ。多分私の代表作が生まれるわ」

「『雲の切れ間』みたいなのかい?」

「まーあ。コンセプトは『雲の切れ間』をもっと大きくしたようなのを書こうかと…」

 松宮は煙草に火をつけてスーっと音が鳴るくらいニコチンを吸い込んでいた。結構な喫煙者だとわかる。

「それが松宮さんの代表作ですか?」

 煙草を嗜んでいる最中で間が悪かったのか、口は動かさず、目配せで俺に答えている松宮。それを見かねて田所氏が答えてくれた。

「そうなんだよ。日高君。先も話した自主映画のタイトルなんだがね」

「どんな話なんですか?」

「うーんとね。松宮さんが説明したらどうだ?私が言ってもねえ。書いた本人の本分でないことをいいそうだ」

「あら。私が説明を?簡単に言えば高校生の恋愛物語よ。映画観た方が早いわ。今度ビデオ貸してあげる」

「あー。それはどうも」

 初対面の女性と早くもビデオの貸し出しの約束?その状況が俺には唐突過ぎて面食らった。

 

      

4 


 後日観たその自主制作映画は良く創られた青春映画だった。主人公の女子学生が親の離婚騒動にも負けず、活発な学校生活を送るという、感動も、恋愛もある映画。

 そう。松宮の書くシナリオの多くは恋愛物語に感動をプラスしたような話がほとんどだ。

「紙飛行機の折り方を教わる小学六年生の男の子から物語は始まるわ」

「へえー」

「教えるのは幼馴染の女の子。夕暮れの放課後の教室で幼馴染は言うの。『負けちゃいけない』ってね」

「うん」

「実は冒頭のそのシーンは時間的には後半のくだりなのよ。それから男の子の話が始まる。いじめられる男の子の話がね。いじめられ方ははじめ軽いものなんだけどどんどんエスカレートしていく。目も当てられないくらい辛いものもね。でも精神的に強い男の子は耐えるわ。そして片想いもする。同じクラスメイトの女の子に」

 なんか松宮らしい話だと素直に思った。これが彼女のシナリオ!

「クラスでいじめられる男の子に唯一何も思わないのがその娘なのよ。その娘の目に強句惹かれる男の子。ある意味好きなその娘がクラスにいるから耐えているといってもいいくらい。

男の子は強いわ。いじめに耐え続けることが恋を叶えられると信じているように…。で、ある日、男の子は告白をするの。ラブレターを下足箱に置いてね」

「結果は?」

「返事は当日の放課後に言われるの『好きじゃない』ってね。ラブレターをつき返されて呆然とする男の子。そこに幼馴染が彼を見つける。幼馴染には失恋で呆然となっている風には見えなくて、いじめでもう泣きそうになっているのかと思う。一瞬躊躇して、男の子に近づいて励ます。『いじめに負けないでね』って。でも片手に持っているラブレターを見た幼馴染は悟るわ。でもね一環して『いじめには負けないでね』と言う。それから幼馴染は男の子に紙飛行機の折り方を教え窓から飛ばす」

「それが冒頭の?」

「そうよ。で、男の子は決意するわ。いじめっ子を殺してやろうと。

 殺し方はこうよ。朝早くに登校して紙飛行機を折っておく。そしていじめっ子が登校してきたら三階の教室から紙飛行機を飛ばすの。紙飛行機がいじめっ子に当たって死んじゃう」

「…」

「もちろん紙飛行機の先には針でもくっつけておくわ」

「…。それ本気?」

「ああ、忘れてた。針の先には毒が塗ってあるの相当強いやつがね」

 俺は呆れた。というか松宮の目が結構本気だったのにも驚いてたんだが。

「そもそも、紙飛行機を凶器ってのは新しいよな」

「でしょう!」

冷やかしのつもりで言ったのにこれだ。

「しかしだね、松宮女史。そのミステリは成立しないだろうね」

「ミステリ?ああ、サスペンスのこと」

「そうだ。そうなんだよ。松宮の目標とするサスペンスは、紙飛行機が凶器になりうるという。それも三階から飛ばせばちゃんと人に当たるんだ。そんなご都合主義が通るサスペンスなんてない!俺は言い切るよ」

「なによ!それ!当たんない?当たる場合もあるでしょう?テレパシーで人殺すとかじゃないんだけど」

「また、『テレパシー』って。確かにテレパシーよりか確立はあるだろうがね。現実に沿って考えてくれよ」

「なによ、フィクションの世界に現実的なことばかり考えていたら面白くないわよ」

 松宮の言うことももっともである。言葉が詰まった俺だが、今言いたいのはそれじゃあない。そもそも松宮にはミステリのいろはを根本から教える必要があるようだった。

「ぐうの音も出ないようね」

 松宮め。だが、ここで俺がくじけては松宮のためにはならないだろう。

「『紙飛行機殺人事件』動機という面では申し分ないと思うよ松宮。煙草のやつよりか何倍も人を殺す動機になりえる。でもね、凶器が問題なんだ。わざわざタイトルを凶器に使う必要もないし、もっと別のやり方を考えた方がいい」

「あんたが言いたいのは、紙飛行機じゃ駄目ってこと?さっきも言ったけど、いじめっ子に当たる確立はあるわ一パーセントでも確立があればそれは起こりうるんだから」

「おいおい、確立じゃだめだよ。じゃあ一回目が当たらなかったら二回目もあるということか?」

「そうよ。というかもともと一回目で当たるのよ、まさかってのが本当に起こるのがこの世の常よね」

 松宮はすぐにそう答えた。そこまで言い切られるとこちらも困る。うーん。とりあえず全部聞き出す必要がありそうだ。

「当たるとしようか。ああ。当たるとするよ。するとさあ。凶器は紙飛行機だ。それは男の子が折った紙飛行機なんだろう?」

「そうよ。他に誰がいるのよ」

「はあー。もう犯人は判って御用だね。でも小学生だから罪には問われない。でも世論が黙っちゃいない」

「ふふ。ちょっと日高の読み、違うわ。彼は捕まらないのよ」

「捕まらない?男の子が折ったんだろう?」

「紙飛行機に指紋が付いてなかったら?」

「手袋でもして折ったとでもいうのか?」

「そういうことにしといて。それよりもっと重要なことがあるの。男の子は他の子の机から抜き取った紙で飛行機を作るの。その子は幼馴染の娘ね」

「えー」

「なにが『えー』よ」

 松宮は口をあんぐりと開けて多分俺の真似をしたらしい。そんな馬鹿みないな顔してたのか俺?

「だから警察は幼馴染の娘に事情を訊くけど、幼馴染は認めちゃうのよ」

「な、なんか嫌だな」

「男の子がやったのに幼馴染が認めるものだから、男の子は自分を責める。周りのクラスメイトも薄々感づいている。いじめはさらにエグくなる」

「…」

「男の子は罰を求めるわ。いじめられ続ける。幼馴染は不登校。そしてイケメン探偵」

「…」

「あら何も言わないの?」

「ここでもイケメンってのに呆れてるんだよ」

「でも、日高。事件は解決しないといけないでしょう?このままじゃいじめが続いて終わりよ。話が重過ぎるわ」

「ああ、そうか。わかったぞ。この話もまた松宮が適当に考えたんだろう?」

「ばれた?っていうか。またって。煙草のやつもばれてた?あんた勘いいわ」

 どうも松宮はこうふざけるのか。いらいらしてくる。

「じゃあ次だけど」

「待て!もういい加減にしてくれよ!」

 どうも今回は勝手が違うようだ。どうも松宮はシナリオの話より何か別の話をしたがっているのではないかと思えてきた。いつもは本題をズバリと言ったり訊いたりするのが松宮なのだから。今日のようにふらふらと筋がないような話をする彼女は本当の松宮ではない。

 そう、しいていえば俺と松宮がテーブルで向かいあっている状況、これは松宮が書いてきたシナリオを『ドン!』と置いて「読んでみて」と言う。これが通例なのだ。


     *


「どう?」

「はあ、どうと言われましてもよく書けてるなあとしか言いようが…」

「日高君は本が好きなんでしょう?もっと具体的な感想はないのかしら?」

「…」

正直俺は今この状況に慣れていなかった。

例のビデオを貸してもらってから。いいや、一方的に郵送で送りつけられたビデオを観て数日後。ビデオを返そうと昼時を狙って喫茶店で松宮さんと待ち合わせしたのに松宮さんは俺に会うなり「ちょっとこれ、読んでみて欲しいんだけど」と俺に書きかけの冊子を突き出したのだった。思わず返事をしたのだが「今ここで読んでよ」というのが松宮さんの希望らしく俺は飯を食べる間もなく読んだのだった。

で、読み終わると午後一時を回っていた。俺は二時に得意先とのアポを取っていたのを思い出す。せっかく松宮さんと二人での食事だったのに、時間が無駄に経ったように感じていたそのとき。松宮さんは俺が読み終わったのに気付いたのだろう。すでに吸殻で一杯にした灰皿に吸いかけの煙草をねじ込みながら声を一時間ぶりに発したのがそれだった。


「日高君がかなりの本好きだと自負していたからこそ私は今日ここにそのシナリオを持ってきたわけ。昨日は徹夜で寝てないんだから」

「そ、それは大変で…」

「だからさ、もっとためになることを言ってくれないと私の努力が報われないわけよ」

 なんという言い種だろう。確かに俺が本好きだというのはあの初対面の居酒屋で酔っ払った勢いで言ったかもしれない。それに脚本家のシナリオというのにも興味はある。が、俺は素人だ。今現在プロである松宮さんがそんな要求を俺に求めるのは酷というもの。まして昨日徹夜だったから?身勝手極まりない!そんなのはそちらの都合だ。それに今ここで俺と松宮さんが待ち合わせした本題はビデオを返すということ。

「あのー。私が松宮さんのシナリオを手直し?ということですか?」

「それ以外になにがあるっていうのよ」

 松宮は怒っているみたいだ。俺を睨み付けている。だがなんか可愛げがある。

「わかりました。松宮さんがそこまで言うならね、俺にも意地があるってもんですから」

「何の意地よ。わけわかんないけど」

「本好きの意地ですよ!」

 そうして俺はシナリオの冒頭から終わり隅々に至るまで自分の意見を言った。登場人物の設定がおかしいとか、ここの表現はつじつまが合っていないとか。それを松宮は素直に聞いていた。ちょっと言いすぎたかなと俺も思わずにはいられなかったのだが、俺のプライドにも関っていたし、さらに言えば、松宮に一度ぎゃふんと言わせたいという気持ちがあったから。そう!言い切ったのだ。

 そして時間は二時を回っていた。ああ、得意先から怒られるんだろうな。

「ありがと、あんたに見せて正解だったわ」

 松宮は素直だった。と思ったのはこの一瞬だけだ。

「指摘したところのほとんどは使えないのばっかりだけどさあ、最もな部分も幾つかあったわ。ちょっと参考にさせてもらう」

 一言多いのが松宮という人物なのだろう。よほど懐が広くないと対応できないと肝に銘じた俺がいた。

「使えないところばかりでした?」

「そうよ」

「…でもね、松宮さん。一番私が言いたかったところですけど、チョイ役で出る子供たちってのがね。ほんとにチョイ役で話の本筋にも絡まないのが、気にかかって…」

「ああ、あれ。なんか田所さんのお客さんの子供を出さしてあげてくれってね。まあ、よくある話よ。気にしてちゃなんにもなんないしさ」

「ああ、そんな話本当にあるんですね」

「そうよ」

 そういったところはちゃんと譲る松宮。違う一面を見た気がした。

「それよりさ、日高君。主役の釣り師なんだけどさ。どう思った?」

「はい、結構いい奴ですよね。なんか考え方が前向きで」

「そうよ、好い人なのよね。イケメンだし、気が利くし」

「…イケメンなんですか」

「そう。顔合わせのときに会ったんだけど、いい男なの」

「ふーん」

「あれは相当もてるわね。うん、そうに違いないわ。さすがに今売り出し中の俳優だけあるわ」

 どうやら松宮はその俳優がお気に入りらしい。というか好きなんだろう。明らかにそんな口ぶりだった。俺は複雑だった。

「舞台成功するといいですね。観に行っていいですか?」

「了解!初日に来てよね」

「はい。じゃあ俺そろそろ行きます。ビデオ有り難うございました」

「もう行くの?そうだ、日高君またあんたに意見求めることあると思うわそのときはよろしくね」

「本当ですか。じゃあ次回会いましょう」

 『また』という言葉がうれしくもあったのだが、内心は複雑極まりない。松宮には好きな人がいるという時点で俺の恋心は砕けたからだ。それでも松宮という女性との縁は切りたくないというのが俺の本音でもあった。脚本家という職業しかり、天真爛漫な性格の女性という今まで俺には関りあったことのない次元の人だから。



5    


 松宮は泣いていた。

 いかんせん松宮の泣く姿を始めて見たのだから俺は混乱して当然。もしかして俺、変なことを言っただろうか?と思案しても何も出てこない。『もういい加減にしてくれよ!』?それだけで松宮が泣く?考えられない。でも乙女心は繊細と訊く。やっぱり俺のせい?

 こういう状況の対処の仕方で小心者であるか否かがわかるというもの。俺はそう思っていても、

「だ、だいじょうぶ?」

としか言えない。

「大丈夫じゃないわよ。女性が泣いてるのよ」

 と松宮口調は微塵も変わっていなかった。ほっとした。けど当人が言うとおり女性が泣いているのだ。

「…。…。次のやつ聞かせてもらえる?」

 結局こんなことしかいえないのが俺だったということ。松宮は俺の手にあまり余るほどの女性で俺がなんとかできる相手ではなかった。

「わかったわ。次ね。次」

 とても嫌々な言い方だ。だけれども、何が理由かわからないが吐き出すものを吐き出して少しは気が晴れればいいと俺は願った。俺には聞き役しかできないのだから。

 松宮は自分自身を落ち着かせているようにゆっくりと煙草を取り出して火をつけた。葉っぱの燃える音が微かに聴こえた。

「タイトルはね、『うぐいすが鳴く』」

「『うぐいすが鳴く』ですかなんか絶妙ですね。殺人事件ってついてないのがいい」

「でしょう。舞台は東京。主人公はデザイン会社に勤めるОLよ」

 調子が戻ってきたのか松宮は続けて喋りだした。

「まあー、始めはあまりパッとはしない仕事ぶりなんだけど野心は十分にあるの。徐々に仕事運も上向きかなと思い始めたころ、プロジェクトを任されるわ。大口顧客相手で主人公もびびっちゃうんだけど、そこは持ち前の気の強さで乗り切って仕事仲間と共に成功を勝ち取るわ。顧客も大喜び。そこで彼女は恋をするのよ。顧客の中の一人の男性にね」

 お得意の恋の展開がきた。どこからミステリになるのかという喉まで出てきた質問を俺は押さえこんだ。今は松宮に喋らせておくのがいい。まして、この話も今考えながら話しているのだろうからミステリ的要素を期待してはだめなのだ。ここは完全な聞き役に回ったほうが良いと俺は思う。

「男性は仕事も出来て優秀な二枚目。もちろんライバルも多いわ。でも主人公は仕掛けていくの。さて、恋の行方はいずこへ?」

 松宮は俺を見つめてきた。一瞬どきっとしたのだが気を落ち着かせる俺。時々ある。諦めてはいても松宮の一つ一つのしぐさに心が揺らぐときが。

「主人公の仕事は順調で後は恋が実れば言うことなし!ってくらい。当然燃えるわね。ある日仕事の用事として男性の会社に顔を出しに行くの。訪問先の応接室に通されて待つ間胸がどきどきする主人公。まもなくドアが開いて男性が入ってくる」


     *


 舞台初日の開演前、舞台ホールの応接室に入ってきた男性。そう、松宮が恋焦がれる俳優は俺と同じくらいか二、三歳くらい下だろう。外見はいわずもがなで二枚目俳優を地でゆく容姿だった。

「今日からがんばってくださいよ」

 松宮は彼に会うなり激励した。

「はい、がんばりますよ!松宮さんに言われなくても自分の初主演ですし自分の役者生命かけてますから」

「うん、その意気!」

「で、そちらは?」

 俺のことを彼は言っているのだろう。

「私の助手ね」

 助手!ということになっているようだ。

「はじめまして。渡貫耕介と申します。以後宜しくお願いします」

 俳優は手を差し出してきて握手を求めてきた。俺も気のない返事をしながら手を差し出した。

「なにその気の抜けた感じ。あんたちゃんと挨拶しなさいよ」

「はじめまして日高です」

「どうぞ宜しく。いい本ありがとうございます」

「あああーあれは松宮さんがね、書いた」

「あんたも手伝ってくれたじゃない。何言ってんの。ごめんね渡貫くん。いい奴何だけと人見知りがすごくって」

「僕は何も…。それより、舞台終わったら松宮さんに台詞のチェックおねがいしたいのですが」

「私が?監督に訊けば?」

「いいえ、僕は光栄にも天下の松宮さんが書いた本の役を演じているんです。主人公になりきらないといけないですし、台詞の言い方とか松宮さんが思っているニュアンスがいろいろあるとおもいますし」

「渡貫くんはすごいわ。ほれ、あんたもぼけっとしてないでそのくらい仕事に身入れないといけないんじゃない?」

 俺をいいようにいじっている松宮。職業まで変えられたらもうどうでもいい。

「まあまあ、松宮さん。それより最終リハーサルのとき松宮さん欠席されてましたけど?」

「ああ、あの日はちょっと体調が良くなくてね病院で検査をね」

「あれ、大丈夫ですか?それ、多分僕が思うにタバコの吸いすぎですよ」

「あー渡貫くんそれ言っちゃう!」

「ははは、すいません。でもね吸わない僕からしたら松宮さんって相当なヘビーズモーカーですもん」

「ちゃんと私も自覚してるわよ。でもね、辞めようとは思わないのよねー」

「そこがヘビースモーカー所以ですよ。日高さんも吸われるですか?」

「え、俺?吸わないよ」

「そう、こいつも吸わないのよねー。煙をいやーな目で見てるもの」

「そ、そんなことないでしょう」

「あんたはそう思っててもね、体が無意識に反応してるの。ちゃんと私見てるんだから」

「はーそう、そうなのか」

「いやいや、日高さん。そんな厳粛しないでください。吸わない者は堂々と吸ってる奴に言ってやっていいんですから。ね、松宮さん」

「わ、私に振る?もう」

 松宮がふくれっ面をしたところで俺の緊張がやっと解け笑うことが出来た。


 その後に開演した舞台『水平線』を俺と松宮は見た。舞台設定は海岸。幕が上がれば海の水平線の場面から始まる。

主人公の青年が毎日海へ釣りに出かける。毎日餌も付けずに釣りをするのだから収穫はほとんどなかった。それでも主人公は繰り返す。ある日親父がやってきて言うのだ。「俺はお前にとって重要なものをこの海に捨てた。それをおまえが釣りあげてみろ」とそして海岸で起こる様々な人と出会い。もちろん近所の子供役が出てきたがそれはご愛嬌だ。

 ある日主人公が海岸で佇む女性に一目ぼれをする。彼女はまた時々この海岸へやってきていた。そしてその恋は実りそうですれ違っていくというお話。

 俺が松宮に指摘したところが幾つか反映されていた。正直にうれしかった。



   6


「男性はこう言うわ『あたなみたいな方とまた仕事ができるなんて光栄です』って。はっきり言って社交辞令もいいところなんだけど間に受けちゃったりする主人公もいるわけ」

「…」

「それから男性と主人公の付き合いは仕事上だけど続くわ。ドラマに良くありがちだけどくっつきそうでくっつかないってやつが繰り返される」

 もう俺は何も言えないでいた。明らかに松宮の今喋っている話の主人公は松宮だ。男性はあの舞台『水平線』に出ていた渡貫。何と松宮に言えばよいのか正直俺は迷っていた。少なくとも松宮は今もまだ渡貫という役者が好きなんだろう。が、当の渡貫はいかんせん二枚目俳優だ。

「次のプロジェクトの打ち合わせがあると称して男性を呼んでみたりと忙しい毎日ね。それに電話しても仕事半分みたいなところあるわけ。恋にはまった主人公はとうとう決意するわ。告白しようとね」

 告白をするという決意がその主人公にあるということは知っていた。その結末も知っている。だがそれをあえてシナリオの案として松宮は記憶を思い起こして喋っている…。あえて全てを吐き出そうとしているのだ。

 そうか、失恋からくる松宮のもやもやが今日の松宮の調子を狂わしていたのか。

「でもね、予想外の電話が主人公の今後を狂わせるのよ」

 そこで松宮は間をわざととるかのように喋りを止めた。


     *


 電話で呼び出されて、前回と同じ喫茶店へと赴いた俺を待っていたのは予想どおりとでもいうのだろうか、テーブルの上に分厚い冊子が置いてある状況。

「これ読んでみてよ」

 挨拶も無しにまたそんな言い方もないだろうが!と言いたい気持ちは抑えつつ俺は早速読み出したのだった。シナリオの書き方からすると今回も舞台のシナリオのようだった。今度は家族の絆に重点をおいたような松宮らしいシナリオだ。

「意見聞かせて」

「うん、いいけど松宮さん。今日はね、五時から会社の同僚と飲みがあるから…。今夕方だしー。」

「あら、そう。それならちょっとくらい遅れてもいいわね。で。どうだった?」

 と返すのが松宮なんだ。俺は半笑いになっていた。

「なによ、可笑しいところでもあった?」

「いいや、そうじゃないんだ。シナリオはすごい良いよ。面白いし感動的だしさ。ただ何箇所か言わしてもらえれば…」

 俺はまた前回のように細かく自分の思ったことを言う。そして黙って聴く松宮がいた。


「でさあ、一つ質問なんだけど、主人公の息子ってやっぱり渡貫さんをイメージしてる?」

「おっ!気付きましたか日高君。やっぱりイメージが合ってたでしょう?」

「まあ、その…。そうだと思ったんだよ」

 もう松宮の頭の中から渡貫君が離れないのだろう。それも仕方ないかと思い始めてきた負けた負けたとは思っていたが、もう俺は完全に敗北宣言である。

「やっぱり舞台には華が必要だしね。適役はやっぱ渡貫君でしょう。あんたもそう思うでしょう?」

「うん、確かに彼ならいい演技するしね。人気もあるし」

「そう!今回は彼のスケジュール抑えるの苦労したみたいなのよ。田所さんがんばってくれて助かったわ」

「そうなんだ。もう人気役者か。テレビドラマとか出始めるんじゃない?」

「なればすごいわよね。まあー彼なら主役張れるわ」

 渡貫君の話になると松宮は生き生きとしている。そんな彼女を目の前にして俺はもう嫉妬という感情は生まれてこなかった。むしろ応援をしたくなってくる。

「松宮は渡貫君に会って今度の役について話し合ったかい?」

「いいえまだよ。まだ本が仕上がってないもの」

「ああ、でもさ、渡貫君が多分本を読んだら自分の役がいい役回り過ぎて喜ぶんじゃないか」

「喜んでくれればいいけど」

「大丈夫さ。ついでに告白しちゃえば」

「はぁ?」

「告白だよ。松宮は渡貫君のこと好きなんだろう?」

「そ、それは…あんた勘がいいわ」

「ふふふ、伊達に年は喰ってないさ。応援するよ俺は」

「あんたに応援してもらってもねえー」

「えっ、俺じゃあ」

「そう、あんたじゃ役不足。あら、うまいこと言ったわ自分で自画自賛」

「なんだよそれ」

 こんな会話をして松宮はうきうきと浮かれているのがよくわかった。是非がんばってものにしてもらいたいものだ。


 そして、ひと月くらい経ってからまた松宮から連絡があって呼び出された。渡貫君との恋の行方が気にはなっていたが、あくまで俺は松宮のシナリオ下読みという役割を持っている。いつものようにシナリオを読み終わる。今回は前回のシナリオの完成版だ。はっきりいって良い出来だと思う。

「このシナリオよく出来てるというか出来すぎなんじゃないか」

「へへん。どうよ」

 いつもと変わらないラフな服装の松宮が煙草をふかしながら胸を張って自慢げに言う。

「あんたの訂正も今回は不要かもね」

「そうかもね、でも一応幾つか言っておくよ、使うか使わないかはいつもみたいに松宮が決めればいいんだから」

「まーあ。そりゃそうだけど」

 そして俺は本当に幾つかだけの指摘をし、本題へと移った。

「で、渡貫君とはうまくいっているの?」

「はっ?」

 といって固まった松宮。よし!今回こそ松宮にぎゃふんと言わせられるような気がする。が、松宮は冷めた感じで返してきた。

「ああ、その話。その話をきみはしたいの」

 なんか松宮が半ギレ状態だ。嫌な予感はすぐに当たった。

「食事を誘ったらすぐに断られました!渡貫君いわく、仕事絡みじゃないと彼女に申し訳経たないってさ。そう、彼女いるんだって。そりゃそうよねあんな二枚目を誰がほっとくのよ。私の出る幕はほんとになかったってこと。今までどおり渡貫君との夢だけ見させていただいているわ。終わり」

「あ、・・・」

「何よあんぐりと口開けちゃってさ。笑いたきゃ笑えば」

「そうっすか」

「…。さあ、帰った帰った。もうあんたに用はないんだから。今日もこれから用事があるんでしょう。早く終わってよかったわね」

 残念ながら今日はまったくのフリーであった。でも予定があったことにしよう。

 俺は席を立ってそそくさと喫茶店の出口に向かうとき気になって振り返った。煙草をふかしながら外を見てる松宮。強い女性だと思った。


それからしばらく音沙汰もなかったが三ヶ月後、今日のドライブの誘いに至るのだった。



   7


 俺には何分もの間があったように思えてならない。それだけ重苦しい雰囲気が支配していたからだ。でも実際は松宮が続けて喋りだすまで一分も満たなかったのかもしれない。

「病院からの電話が掛かってくるのよ」

 病院だって?今まで一度でもそんなシーンがあったか?

「検査結果が出たから病院に来てくれないか?っていう電話ね」

 検査結果?

「主人公は翌日に病院に言って検査結果を聞きにいくわ。診断は白血病だってねすぐにでも入院を勧めるという医師からの宣告よ」

 白血病!松宮が!俺は何かを言おうと松宮を見つめる。松宮は俺を見つめ返してくる。は松宮の目は堪えていると思った。今にも泣き出しそうな目だ。でも口調は変わらない。

「もちろん主人公はショックを受ける。でも恐る恐る訊くの白血病って治るんですよねって。医師はでもこういうの、もうかなり程度が進行している。ドナーが見つからなければもう半年と生きていないでしょうとね。つまり余命半年って宣告されるのよ」

「ちょっと待てよ。松宮!話が次から次へと変わりすぎさ!もう少し経過を細かく聞きたい、んだが」

「細かく?ちょっとあんた私の頭の回転についてこれてないの?」

 嫌に冷静に松宮は言い返してきた。

「俺は…。そんなことないんだが。無理さ!そんな急展開。観客がついて来られない」

「あっそう」

 そっけなく答えた松宮は再び煙草を取り出して火をつけた。しばしの間を俺は逃さない。

「松宮。どうして主人公が病気にならなくちゃならない?」

 多分、松宮も俺の本心が何を考えているかくらいわかっている。わかっているんだがこういう質問しか俺は言えないでいる。松宮の表情は煙でうっすらと白く染まっていた。

「話の流れ、悪かったかしら?まあ、あんたがそう言うんだからそうなんでしょう。ああ、うん。いいこと思いついたわ。主人公はもともと病弱だったっていう設定にしておけばいいでしょう?」

「そんな適当に決めないでくれよ。そもそも、病人の設定が要らないんじゃないか?」

「要らない?要るわよ。これから話が盛り上がるのにあんたはしばらく黙ってて」

 松宮の目がきつく俺を見つめている。思わず目を逸らす俺は俯いて空のカップの底をのぞくしかなかった。

「あのね、主人公はそれから死を覚悟するわ。余命まで宣告されれば誰だってそうなっちゃう。そして死を覚悟した主人公は強いの。憧れの男性。そう、仕事付き合いの男性にアタックするわけ。それはもう捨て身もいいところ…。

思わず自分に余命があまり無いことまで告白するわ。よく考えれば卑怯なのかもね。それでもその告白は功を制する。一夜限りだけれどもベットを共にする仲。主人公は当夜男性と別れるときに泣くのもうこれ以上ないくらいに泣く。止まらない涙。ちょうど雨が降り出し主人公の心境を物語っている場面ね」

 痛々しかった。俺は松宮に何て声を掛けるべきか。この場で真意を確かめる術は思いつかない。

「もう一歩で主人公は死を選ぶような心境。罪悪感が頭をよぎる。そして数日後。仕事上でまた彼と会うの。とても気まずい空気の中プロジェクトは進んでいく。そうこうしているうちに主人公は顧客に呼び出されるわ。

はじめは今回の仕事ぶりを褒めてくれるんだけど、次回も、その次も仕事がある。もし君でよければやってもらいたい。ただ。こちらも数多あるデザイン会社のうちのあなたのところばかりひいきにはしていけない。それなりの物をもらわないと。つまり、顧客の男性は賄賂下さいっていってくるの」

俺はもう話を聞きたくは無かった。「松宮。判ったから今回のミステリのシナリオを書くという本題は忘れてしまおう」と言いたいのだ。でも、今喋っている内容はもうすでに過去の出来事だろう。話を辞めたところで何も変わりはしないのは明白だ。じゃあ黙って松宮のそれを聞いていればいいのか?

「『賄賂』っていっても一概に金っていうわけじゃないのよね。物だったり名声だったり体だったり。主人公は本来そんな賄賂要求に応じるような人間じゃないんだけど、何かがそうさせたのね。体を売ってしまうわ」

 思わず俺は口を挟んだ。

「松宮の世界観じゃないな」

「いいえ、今喋っているのは私なんだから、それは私の世界観なの」

 喋っている内容は真実です。ともとれる発言を松宮はし、短くなった煙草を揉み消した。また灰皿に吸殻が並んだ。

「松宮の言い分はわかったよ。けど…」

「けど。なによ」

 俺はここで松宮のそれを否定してしまうといけないと想い始めた。たとえそれがミステリではなくても今はミステリの話をしているのだ。いや、サスペンスか。

「なんでもない」

「ふーん。まああんたの意見は後々聞くわよ。まだ話終わってないから続けるわよ。

主人公は体を売ることによってまた仕事を貰うことができたわ。今度はさらに一回り大きい仕事。もちろん成功すれば自分の名が有名になるくらいのやつ。意気込む主人公だけど、それも一時的で何もかも捨てたい気持ちが大きくなる。たくさん書いたデザイン画をくしゃくしゃにしたり、取材と称して出かけてもどこか別のところに行っちゃったり。さして仕事が進まないまま時は流れていくわ。

 このまま白血病で死んでいくのを待とうかと無気力状態が主人公を襲う。でも最後の力を振り絞って電話するのよ仕事仲間に」

 ここで松宮の言葉は止まった。

その間に合せるように俺は言った。

「出ようか」

 あまりに気のない言葉だろう。そう自分でわかっていても俺はこんなことしか言えない。

 無言のまま立ちあがる俺と松宮。その気まずい空気をそのままにしてドライブインを出た。

帰路中何か松宮のために出来ることはないのか?そればかり俺は考えるようになり、助手席の松宮は流れる風景をただみつめている。

市街地に戻ってくるといやがおうにも聴こえる街の喧騒がうらやましく思えた。


 松宮と待ち合わせした駅前に舞い戻った。俺は車を止める。

「今日は私のわがままに付き合ってくれてありがと」

 長い沈黙を彼女は自ら破る。俺には出来ない。

「あ、ああ」

「結末考えとくわ」

「うん」

「じゃあね、日高」

 助手席から降りて遠ざかっていく松宮の後ろ姿が小さく見えた。このまま松宮が俺の視界から消えればもう二度と目にすることはないだろう。そんな気がしてならないのにもかかわらず俺は運転席に座ったままだ。俺のふがいなさが爆発しそうだった。




第二章

   1


 こんな形式ならば誰がどう見たって答えは一緒だと思う。不謹慎にもそんなことを考えながら俺は隣に座る入江とか言う刑事に時間を訊いた。

「もう六時だな。日が落ちるのも早くなったもんだ」

 誰もが十一月ごろに言うセリフを吐き出した刑事。俺も同意しておいた。

 俺は警察に任意同行されている。容疑はおそらく殺人だろう。今自宅から警察署までの道のりをパトカーが日の落ちて間もない繁華街に入っていく。

こういう結果が出たということは、どうやら俺の計画にはどこかに落ち度があったらしい。まあそんな犯罪のセンスなんてもともと無かったのかもしれない。俺はミステリを読んでて粋がっていただけだ。

「日高。たばこでも吸うか?」

 入江は俺に煙草を勧めてきた。ケースから一本飛び出ている煙草を見て田所の顔が浮かぶ。煙草=松宮というイメージを持っていたはずなのに俺は田所の顔を思い出したということはよほど印象深かったのだ。当然か、殺した相手の顔はしばらくは頭から離れないものなのだ。無意識の感情は俺思いと裏腹に動く。

そう。大概自分の思い通りにことは進まないものだのだ。ミステリの犯人だって最後は名探偵に捕まる…。このしょぼくれた中年刑事が?俺は笑わずにはいられなかった。


     *


 六本木のオフィスビルからの夜景、それはもう綺麗だ。その景色に一筋の白い煙が立った。

 夜景をバックにして煙草を思いっきり吹かす田所が目の前にいる。俺の追言に豹変し、急に煙草を吹かす。俺の問い詰めたことが本当だという確証得た。

「君には関係がないだろう。何をどうしようと私の勝手じゃないかね?それにむしろ彼女の方から望んできたんだ。何を躊躇することがあるかね」

 そう言って田所は少しだけ笑い。応接テーブルに足をかけた。今すぐにでも殺してやりたい衝動が体を駆け抜けた。だが俺は抑えて言う。

「松宮さんが望んで?それは無いでしょう。脅したのでしょう。仕事をやるからって」

「脅すだって?私はそんなことした覚えは全くないがね」

「ちゃんと松宮さんから聞いているんですよ」

「どうせ嘘じゃないのか?ああいう輩は気に入らないとすぐ変な事を言い始めるからな」

 田所は一歩も引かなかった。もう何を言っても駄目だと確信した。そもそも期待なんかしていなかったが。

「で、日高くんよ。部外者の君がそんなことに口を出してもいいのかね」

「…」

「いい知らせがあると待ってればこんな話かね。はー何か善処してくれるかね。これからも取引したいんだろう?」

 俺はスーツの右袖の中に忍び込ませておいた文鎮を握り締めた。

「…。こちらから取引の方は遠慮させていただきます」

 俺は手の感触だけを頼りにして文鎮のベストの握り位置を確かめた。

「言うね。日高君も言うようになったねえ。まあ君がそういうのならかまわんが」

 俺は右手を大きく振り上げた。俺の右手を見上げている煙草をくわえた田所の顔がみるみる変化していくのがわかる。と、俺の眼と合った。

ドン!と鈍い音が室内に響く。文鎮の先は田所の額を直撃したのだ。ちょうど額の真ん中だった。俺の運動神経もまんざらじゃないと思う。口をパクパクとさせた田所がソファーと共に後方に倒れていった。

 テーブルをゆっくりと廻りこむ俺はどこかの殺人鬼と同じだろう。大きなガラスの裏に映える夜景が俺を迎え入れてくれている気がした。

 呻く田所に向かって俺は二回目、三回目と文鎮を頭めがけて振り下ろす。まだ息があったので四回目、五回目と降り降ろし、完全に動かなくなった田所を確認した。

微かな異臭で吸いかけの煙草が絨毯の上でくすぶっている。俺は立ち上がると夜景を望みながら煙草を靴で揉み消した。それから俺は大きなため息が自然と出た。



   2


 警察署に到着すると門衛の警官が興味深そうに俺を見ていた。受付付近は繁華街の警察署だけにたくさんの人がたむろっている。こいつらも犯罪者なんだろうか?

「おーい。原田!」

 俺を引っ張る入江が署内の奥に向かって叫んだ。

「はい」

 人の壁から抜けるように出てきたのは若い刑事だろう。

「一番に連れてってくれ。調書取るぞ」

「はい」

「日高。また後でな」

 そう言うと入江は入れ替わりに壁に吸い込まれていく。と同時に俺のつながれた両手が引っ張られた。若い刑事は動物の手綱でも引くようにして俺を先導するのだった。

 程なく廊下に並ぶうちの一つのドアを開ける刑事に入れと合図され俺は中に入った。ドラマで見たような本当に簡素な取調室だった。

「コーヒーでも飲むか?」

 意外にも俺に飲み物を勧める刑事。

「あ、ありがとうございます」

「そこに座って待ってろ」

 ひんやりとしたパイプ椅子の無機質な感じが、俺はさらに世間からずれたのだと実感させられた。すぐに刑事は二つのカップを手に持って入ってきた。

 無言で立ったままの刑事。コーヒーで見えないカップの底を覗き込む俺。長い沈黙が続いた。

「おお、悪いなあ、遅くなって」

 入江が大きな段ボール箱を抱えて入ってきた。すかさず若い刑事が箱を受け室内の隅にある机に置く。

「じゃあ、はじめるか。日高。これから調書を取るがー。自白してくれるんだろう?」

 今、嫌といえばどうなるのか興味があったが、俺は頷く。もう俺の気力自体が失せている。

「よし。まず、被害者との関係だが…」

 被害者、田所の顔を思い出す。性格や人柄を思い出す。俺は田所を殺した。文鎮で額を割って、頭を割って…。あの感触が甦ってくるからこぶしに力を入れた。

けれどそんなことより、俺が田所を殺したこと。それが数時間前まで正しいと疑いもしなかった俺に腹立たしくてしょうがない。田所を殺す前にあのイケメン俳優にまで会いに行き事の詳細を確認しに行ったのだ。なのに俺の行動は不正解だったと審判が下ってしまった。


     *

 一般客のように舞台を観賞していちファンのように俺はイケメン俳優を待ち伏せていた。楽屋に入っていく渡貫を遠くから確認して俺は楽屋のドアを開ける。

 帰り支度でメイクを落としている渡貫がこちらを向く。

「ああ、お世話になってます。日高さん」

 会うのは二回目だというのにちゃんと名前を覚えているとは本当にすごい奴だと思った。

「どうも、今日、来ちゃいました」

「やっと来てくれましたね。松宮さんに二人で観に来てくださいって言っておいたのになあ。別々に来るなんて仲悪いんですか?」

「…」

「ははは、冗談ですよ。で、日高さんどうおもいます?いい舞台でしょう?母親の、って役の母親の方ですけど毎回演技じゃなくて本気で泣いているんですよ。知ってました?」

「い、いや」

「本当なんですから。松宮さんと日高さんの成果ってやつです。前回のより評判いいんじゃないかな」

「それなら何よりだけど」

「毎回お客さんの…そうだなあ半分くらい泣いてるんじゃないかな。泣ける舞台って巷じゃ専らの評判です。うん」

「渡貫さんの演技がいいからですよ」

「もう、日高さん何を言うんですか。僕なんてまだまだです」

「あの、渡貫さん」

「なんです?」

「これからちょっと時間作れます?」

「あー。ちょっと約束がありまして。また今度誘っていただけるでしょうか」

「そう。それは残念」

「すいません」

 謝る渡貫が席を立ち着替えるのだろう。服を脱ぎ始めた。俺がいるのに勝ち構わず。

ああそうか。彼もうすうす気付いているのだろうと思った。多分自分のやってしまったことも自覚している。だからそわそわしている。

「あの渡貫さん」

「はい」

「松宮と会いましたね」

「それは会いますけど」

「彼女何か言いませんでしたか?病気にかかっているとか」

 着替えている渡貫はこちらに振り向かない。

「あなたが好きだとか」

 まだ手を休めない渡貫。回りくどいのは駄目なのだ。俺は直球で訊く。

「もう長くないから一度でいいから抱いてくれないかとか」

 ちょうどジャケットに手がかかったところで止まり振り向いた渡貫。

「日高さんのご想像どおりだと思います。松宮さんには一度僕に彼女がいるからと断ったのですが、それでもいいとせがまれ。さらに余命半年ということまで告げられて…。僕にかなえられることをしようと一度だけ松宮さんと寝ました。

 もしそのことが松宮さんの仕事や私生活に悪影響を与えてしまったのなら。謝ります。すいませんでした」

 深々と頭を下げる渡貫。彼は彼なりに松宮のことを想って行動を起こしたのだということを知らされて俺は何も言えない。むしろ「ありがとう」といいたいくらいだったが、俺にもそのときはプライドがあった。だから返した言葉は、

「もう会わないでくれ」

 だった。


 その後、俺は頭の隅にあった計画を中心に移し変えた。俺のやるべき行動が決まったのだ。念入りに練った計画ポイントは凶器と現場に集約される。機会があれば明日にでも実行が移せる。



   3


 入江の質問に頷き、警察の捜査力というものを実感していた。よくもまあ俺のことをここまで調べていると驚いた。殺人を犯してから二週間しか経っていないのにだ。いつから俺をマークし始めたというのか。そんな疑問が当然出てくる。

「凶器の文鎮はどこにある?会社にもなかったが自宅からも出てきていない」

凶器は判明しても発見はしていないらしい。それが唯一俺に残された砦か。しかし凶器がなければどうして俺が犯人だと警察に判ったのか。確かに会社の陳列棚にある大きめの文鎮を拝借した。だけれどもそこに急にたどり着くことはできないだろう。いくらなんでも早すぎる。

「知りません」

「知らない?」

 入江は俺が急に素直でなくなったので強い口調に変わり始めた。

「知らないわけがないだろう。お前がやったんだ。礼状も出てる。おまえに見せたよな。言い逃れはできんぞ」

 礼状は見た。確かに見せ付けられた。だから俺はもう捕まったと思った。けれども凶器は無いという。それはそうだ。俺は名も知らないようなありきたりのよう用水路に投げ込んだのだ。簡単に見つかるわけが無い。では礼状は何を根拠に?

「俺はやっていませんよ」

「何言っているんだ!」

 入江は俺の胸倉を掴んで引き寄せる。机の上に伏せられた俺。ありきたりだがこれもよくあるシーンだなと思う。

「やめてください入江さん」

それを見かねて若い刑事は口では言うが何も行動はとらない。

「お前が被害者を殺した。もう判ってるんだ!」

 入江の言うとおりだ。けれども証拠がなければ捕まることもない。俺はこの刑事達にいいようにやられてはいけないと思い始めた。

「ちゃんと目撃者がいるんだよ!現場のビルでな!」

「入江さん」

「お前はしてやったりだと思っているかもしれないがな。ちょうどお前がビルから出てくるのを出勤直前の警備員が目撃しているんだよ!」

「入江さん!」

 今まで壁に寄りかかって見守っていた若い刑事は入江と俺とを引き離した。そして入江を睨んだ。

 なるほど。これは言ってはいけない警察情報か。そうなれば俺の逮捕は現場のビルに居合わせただけのことと凶器に関連していたことそれだけだ。完全な状況証拠のみで俺を引っ張ったということになる。

「俺はやっていません」

 また俺は言った。刑事たちが困った顔になった。

「おい日高。凶器はどこにあるんだ?俺はそれを知りたい。捜させてくれ」

 今度は若い刑事が俺に訊いてきた。

「知らない」

「あのな、こちらはお前が犯人だと判ってる。くだらない意地を張らないでくれ」

「意地ではありません。不条理なことが嫌いなだけですよ」

「何をふざけたこと言ってるんだ。この!」

「まあ、入江さん抑えて。俺には日高こそ不条理なことしているとしか思えないんだが。どうして今更犯行を否定する?」

「一度でも肯定しました?」

「肯定はしていなくてもほぼ認めていたんだろう?自宅で」

「そうだったかもしれませんけどね。言わせて貰いますけど、どうして俺が犯人だと?まずその根拠が知りたいです。凶器が会社の物だとか、現場のビルに居たとかそんな証拠のほかに」

「…。わかった。こちらとしては君の知り合いではないかとは推測しているが。ある人物から君の名が出た。つまり被害者の関係者からだ。君はアートサンに出入りしていたのだから被害者の部下たちは君を知ってはいたけれど、聴取をしても当初は名も出てこなかった。だが、テレビ関係、舞台関係とでも言うんだろうかね。プロデューサーというのはその辺の人脈が多い。一人一人話しを聞いていくとある人物が君の名を出したのさ」

 なんということだ。それはもしかして。

「関係者は君のことを調べたほうがよいと強く要望したよ。こちらも半信半疑だったが、試しに警備員に写真を見せたら君の顔を覚えていた。ちょうどビルの前ですれ違ったそうじゃないか。いつも出入りしている業者の方だと証言した。もうこちらはあんたを徹底的にマークしたさ。あんたの勤め先のことを隅々調べると文鎮が無いという。それを受けて死因の打撲痕は凶器が文鎮という可能性もあると鑑識の報告も取った」

「わかりました刑事さん。ただ、一つ訊きたいことがあります。その関係者って誰ですか?」

「それを言うわけにはいけない」

「男性でしたか?それとも女性?」

 俺は刑事たちの表情を読み取ろうと必死だった。教えてくれないのは判っていたが何かの確証が俺には欲しかった。

「私は直接聞いてないですから知りませんね」

 若い刑事はそういって突っぱねた。入江も無表情だ。だが何かを訴えているのが目でわかる。

「俺はやっていません」

 三回目を使うことになるとは思わなかったが仕方なった。だがそれを待っていたかのように入江は言う。

「女性だったかな?記憶が曖昧でね」

「有り難うございます。凶器ですが、近くの用水路に捨てました」

 

     *


 六本木のオフィスビルから離れるときはさすがに胸が張り裂けんばかりだった。必死に

 人を殺した後の動揺を消すのに苦労した。松宮のためなのだという強い決心があったにも関らず揺らぐ。けれども俺は人を殺したのだ。

 駅を降りいつもの帰り道は一層遠く重々しい雰囲気がし、孤独感を感じながら俺は早く家に帰りたかった。

途中袖口にある文鎮を用水路に投げ込んで家に駆け込んだ。玄関ドアに鍵をかけてもう誰にも会いたくない気分。衣服を脱ぎ捨ててきれいに処分すると俺は大好きな読書へと逃げる。なんてよい世界なんだろうと登場人物になりきっていた。


翌日の昼。会社で同僚と食事を取っているとテレビでニュースをやっていた。六本木のアートサン株式会社勤務の田所氏が遺体で発見されたというもので、殺人事件として捜査が開始されたというもの。

「おい、アートサンって日高の担当の会社じゃないのか」

「そ、そうだな、俺も驚いてる」

「すげえ世の中になったもんだ」

「ああ、明日にでも顔出してくるかな」

 そうは言っても俺はアートサンには近づかなくなった。しゃしゃり出てボロを出すのを恐れていたというのもあるけれど、所詮アートサンに出入りする文具営業者に過ぎないのだ。わざわざ出向く必要もなかった。それより気になるのはやっぱり警察の動きであった。毎日欠かさず新聞は隅から隅までチェックしていた。事件の展開をつぶさに知る必要がある。犯人なのだから当然だろう?俺は田所を殺したんだ。ミステリに出てくる犯人じみた行動をとる自分自身に言い訳をせずにはいられない。


 そして日々が過ぎていったある日。俺は会社から帰ると駅で買っておいた夕刊を早速チェックし始めた。政治面や社会面すべてに目を通す。ここ毎日やっている作業はやはり慣れてくるものだと楽観的な気になっていたとき目が止まる。文化欄に小さい写真だが松宮が載っていたのだった。煙草を手に持ち満面な笑顔で微笑む松宮。

「松宮…」

 自然と名がこぼれてきた。俺は詳しく記事を読む。簡単で短い内容だ。

“今注目のシナリオライターがいる。先日クリエイトホール終演となった「白身、零パーセント。君、百パーセント」前回の「水平線」ともにシナリオを担当した松宮さおりさん。ホールにほのぼのとした雰囲気をかもしだし、さらに泣けると評判の舞台を書き綴る女性だ。特に今回終演を迎えた「白身〜」は再演の問い合わせが殺到中らしく製作サイドも検討中のとの事。新作も待ち遠しい限りなのだが松宮さんはしばらく舞台の仕事は休み。これからはテレビ界に進出する。深夜のドラマ枠での活躍が期待される。”

 俺は何か頭から鉄槌を落とされたようにしか思えなかった。松宮があのドライブインで喋っていたことは嘘だったということか?真実だとしても、現にテレビの仕事をするという松宮は成功を勝ち取っているのだ。俺は松宮に嘘をつかれ勝手に思い込んだ俺は人を殺した。実際は松宮は悩んではおらず好んで田所に体を売ったという事実が俺には見えてくる。それならばあの余命の話も嘘かもしれない。嘘もありえるのだ。どうしてそこに考えが及ばなかったのだろうか?俺はほんとうに馬鹿な人間だ。

「ピンポーン」

 呼び鈴が鳴った。

 ドアを開けると見慣れない中年の男性、その後ろには制服を着た警官がいる。先頭に立つ中年男性は上着から黒い手帳を出して言う。

「六本木警察署 入江と申しますが…」

 俺はこの世のありようを呪いたかった。




第三章

   1


 三月の陽気をほのかに感じ始めたのは鉄の檻の中。ここにいても少なくともまだ人間であると感じることができた。一時間前に面会に訪れた弁護士は今日がいい日になるように願うと、今日の裁判の希望的観測を俺に喋っていた。もっと現実的に喋って欲しい。どうも弁護士とは馬が合わなかったように思う。今までに続いた一回目、二回目の公判は俺の主張の言い分の一つも出てこなかった。所詮国選だけに期待はしていないのだが、これでは犯罪者も更正意欲がなくなるんじゃないかと思えるほどだ。

 今日の裁判で全てが決まる。懲役が何年かということだ。凶器を用意したということで計画的犯行に落ち着いている。当然そのとおりなのだから仕方がないがどうやら死刑までは免れているようだ。

 死刑を免れたからといって嬉しいわけではない。「そうなんだ」としか思わない。ただ、松宮にまた会うことになるのだろうか。会えるのだろうかというこれこそ根拠の無い期待が俺の糧になっている。警察にある意味密告されたにも関らず俺は彼女を好きなままでいるのだった。あの独特の喋り方と女性らしからぬ仕草と服装。正月過ぎに一度俺に面会に来た松宮の姿を想い浮かべる。当初顔を見たときには驚き怒りが込上げてきた。それなのに今は違う。会いたいのだ。会って話をしたい。


     *

 面会だというから俺はてっきりあの好かない国選が来るのかと思っていた。だから面会室に入ってきたあの顔を見ると思わず立ち上がった。

アクリル板を境に面会室に入ってきた松宮は俺をチラ見すると

「座れば?」

といった。固まって立っている俺をほったらかしにしてさっさと椅子に座る松宮。俺は立ったまま松宮の表情を読み取ろうとするのだが、飄々とした見慣れた松宮がいる。

「どうして松宮が俺に会いに来るんだ?」

「仕事仲間だからでしょう?馬鹿じゃないあんた豚箱に入っている間に頭の回転がスローになったわね」

「ふざけるな!」

 俺は怒鳴った。俺をからかいに松宮はこの拘置所まで来たのだ。

「怒ること無いでしょう。それより座れば?」

 俺は座った。座ったのだが頭に血が上り興奮状態が続く。どうしてだ?どうして松宮がここに来る。俺をうまく出し抜いて、利用して。邪魔者を排除させておいて、今はテレビドラマの脚本という仕事をこなしているはずだ。松宮にとって俺はもう使用済みの廃棄物となっているはずなんだ。顔も見たくないはずだろう。

「はい、これ読んでみてよ」

 松宮はアクリル板の隙間から冊子を突き出してきた。まだこんなことをしようとするのか松宮。

「もういらん」

 俺は突き返すと続けて。

「松宮は立派なシナリオライターだよ。だから助言なんていらない。思いのままに書けばいいんだ」

「お褒めの言葉ありがとね。けど、これはあんたに読んで欲しかったんだけどな。『鶯が泣く』」

 ああ、あのドライブインで喋っていた話。俺は松宮を見る。松宮も俺を見返して、

「結末、読んでみてほしいのよ」

 それを聴いて俺は手を伸ばそうとした。けれどその手は止まった。

「いや、俺はもういいよ。さっきも言ったけど松宮の考える結末は完璧さ。もうシナリオの『名人』だからな」

「…あんたうまいこというわね」

 松宮節につい俺は笑った。いつもの松宮が俺の目の前にいる。俺は丁寧に切り出した。

「もう俺に会いに来ないでくれ。連絡も取ろうとしないでくれ。俺はもう必要ないだろ」

「あんたがそう言うのなら仕方ないわね。でも一つ言っておくわ。もう私シナリオ書くの辞めるわ。はっきり言ってこれが最後のシナリオになるわけ。もともと日高に会う必要もなくなるわね」

「辞める?辞める?なぜ」

「なぜって。あんたに言ったじゃない」

「はあ?聴いてない」

 松宮は俺を見返している。少しの間のあとに

「まあーいいわ。あんたにわけを言ってもどうにかなるわけじゃないし」

「…。どういうことだよ」

 多分。そう多分。あの松宮が白血病で余命がないからか?もし本当にそれが真実ならば松宮に掛ける声もないだろう。でも、今日も変わらない松宮が目の前にいるのだ。

嘘をついている。

「松宮。また俺を騙そうって腹なんだろう?でも最後くらい俺にかっこつけさせてもらってもいいだろう。正直に真実を言ってくれ。『私はまだ死なない』って」

「あんた本当に勘が鈍くなったわね。まあいいわ『私はまだ死んだりなんかしない』死んでたまるかって感じよ」

 笑みを俺に振りまいて最後に松宮は、

「もう会うことはないかもしれないけど日高、ちゃんと元気にしてろよ」

 と言い立ち上がった。



   2


 松宮の辞める宣言に妥当な解釈がもてないまま俺は今に至る。何とかして松宮を説得してでも書き続けさせたい。俺が勝手に殺人を犯したことを悔いているのならそれを何とかして解いてやりたい。だからもう一度でいい。松宮が俺の前に現われてくれたなら俺は役割を果たしてやる。

「トントン」

 スッと開かずの扉のほうに目が行く。もしかして誰かが面会?そう思ったのも束の間で

「もうそろそろ出発する。準備しろ」

 という声が聞こえた。裁判所に行く時間らしい。今日ここを出ると裁判所で判決が出て刑務所に送られるだろう。東京から遠い刑務所なら松宮に会える可能性がさらに薄れていく。

 

 警察官は俺に手錠を掛けて犬のように俺を連れていく。出入り口で待っているパトカーに乗せられると運転手がこちらを向いた。見たことのある顔だ。

「久しぶり日高。六本木署の原田です」

「ああ、どうも」

「落ち込んでいると思いきや、意外とすがすがしい顔してるな」

「まあ。私のやったことは許されないことですから罰は受け入れます」

「そうか」

 原田は言い。パトカーを走らせて拘置所を出た。

 それにしても刑事ってのはこんな仕事もあるのかと意外だった。さらにいえば原田は運転中ちらちらとミラーで俺の表情を盗み見ているのがわかる。何かあると俺は思った。

 程なくそれは的中し、原田は、

「裁判までは若干の時間がある。日高。ちょっと署の方に寄るぞ」

 と言う。なんだって?そんなことが許されるのか?

「ちゃんと弁護士には言ってある。むしろその方がよいとさえ言ってるからな」

 俺の心理を先読みし、原田は答えてくれた。けれども、納得はできない。

「何があるんですか?」

 弁護士を通しているから裁判で不利になるようなことはさせられないにしても、どうしてわざわざ警察署に行く?

「日高に会って話をしたいという人物が来てるんだ」

 もしかして松宮が?

「異例だが弁護士も同意したし、検察も同意してる。俺もだ」

「どうしてあなたまで?」

「なんとなくだ」

 それだけ言うと原田は警察署まで一言も喋らなかった。


 警察署へは裏口から入った。物々しい雰囲気だと思いきや、しばらく廊下を進むと婦人警官の立ち話が響いてきた。

「おい!仕事」

 遠くから入江の罵声が聞こえた。曲がり角を折れると入江が会議室の札の真下でしかめ顔をして立っている。

「入江さん。連れてきました」

「おー来たか。お待ちかねだよ先方は」

 そういいながら入江はドアを開けて入れと促す。俺はゆっくりと歩を進め部屋に入った。

 顔を上げると渡貫がいた。

「日高さんお久しぶりです」

 思いっきり正装な彼はどこからどうみてもイケメン俳優だった。俺は頭をゆっくりと下げて礼をすると、

「日高さんそんなこともう辞めましょう。僕が日高さんに会いたかったのはね」

 何が会いたいだ。松宮の仕事仲間だと嘯いたことでも責めるつもりか。はたまた、松宮に多大な迷惑をかけた俺を責めているのか。

「松宮さんのねドラマ、収録終わったし放送前のビデオを観せたかったからです」

「!松宮のドラマですか」

「松宮さんの希望です」

「…。『鶯が泣く』ですか」

「そうですよ。日高さんと一緒に考えたって言ってました」

「あれは、松宮の考えた…。いいや。あれは、松宮の人生そのものがねトレースされているんだ」

「知ってます。松宮さんも僕にそう言ってくれました」

「松宮が?」

「はい。公表はしてないですけど、僕にだけ。それにね。僕も出てるんですから」

「はあ?」

「僕は僕役ですけどね」

 唐突なことが多い。俺が拘置所にいる間、松宮のシナリオが放送されているらしい。松宮が喋っていた内容がそのまま放送されているのか?

「となると…。どういうことか…」

「まあ、観たほうが早いでしょうさあ、そこ座ってください」

 渡貫は俺を丁寧に扱うようにして椅子に座らせる。俺はまだ状況が飲み込めていないが、なんとなくわかる気もしていた。ビデオが廻り映像が流れ始めた。

「さあ、はじまりますよ」

「渡貫君」

「なんです?日高さん」

「松宮は、松宮は、どうなった?」

「それはドラマの話ですか?」

「いいや、今だ。ここには来ていないのだろう?」

「はい。ちょっと具合が悪くて」

「病気、本当なのか?」

 渡貫は目を見開いて俺を見つめ返してきた。

「本当ですよ。やっぱり、日高さん信じていなかったんですか。松宮さんが言ってました。日高さんがまだよくわかってないって」

 病気は本当。それならば俺は今まで何を考えて生きていたのだ!松宮は死ぬんだ。松宮が死ぬんだ。だから書くのを辞めると言い。だから松宮は泣きながら告白し、だから手術の名人ブラックジャックを持ち出した。すると、余命半年。あれから半年が経過している。松宮はもういないのか?

「渡貫君。その、白血病の余命はいつまでなんだ!俺が聞いたときは半年と…それならばもう…」

「日高さん。白血病で松宮さんが死んじゃうと?どこでそんな勘違いしてるんですか。本当の病名は肺癌なんですよ。今はもう、病院に入院してるんです」

 肺癌だって?松宮は一言も言っていない。確かにあの時に松宮は白血病だと言っていた。

「肺癌。なのか松宮は」

「はい、残念ながらそれももう手遅れなんです…」

 俺は自分を責めた。要するにあのドライブインではじめに語った話『煙草殺人事件』がもう松宮の心境を写していた。それに気付きもしない俺。あの時から俺の振舞う行動は間違いだらけだった。

 ちょうど流れているドラマは主人公の女性と一人の男がドライブインにさしかかったところだった。当時の一言一句忘れてはいない。

「煙草無いんだけど…」

「知らないよ。店に売ってるんじゃないか?」

「もしなかったら?」

「…。わ、わかったよ」

 何か不思議な気分だった。撮影場所まで一緒だったからだ。

そして二人はドライブインに入っていく。


渡貫は突然立ち上がり入江に向かって言う。

「刑事さん。もう一度日高さんを松宮さんに会わせてあげて頂けないでしょうか?」

 深々と頭を下げる渡貫に入江は戸惑うがすぐにこう言った。

「残念ながらできん。もう裁判は始まる。寄り道で病院に行くことなどできないよ。なんなら日高。手紙でも書けばいいんじゃないか?」

 入江も事の詳細を知っているんだろう。その提案はシナリオライター松宮に対する最良の手段なのかもしれないと俺も思う。そうだ、最後に俺の手紙を松宮に下読みさせるのも悪くない。

「そうですね。そうします」

 俺は返事をした。渡貫は納得していないようだが俺はこれでよいと思う。松宮に何もできなかった俺。松宮に会う資格など元からないのだから。

 ドラマの最終話が流れている。主人公の言うセリフが耳に残る。

「そして刑事は言うのよ。『煙草はやめたほうがいいなあ』ってね」

 身にしみる言葉だ。そのセリフを聞いたとたんに涙が出た。


 ドラマの内容はまさしくあのドライブインの会話が再現されていた。ただ違うところがある。それが松宮の考える結末だったのだろう。

 本当ならば最後に俺が店を出ようかと促しているはずだが。松宮は俺にこう言った

「このまま白血病で死んでいくのを待とうかと無気力状態が主人公を襲う。でも最後の力を振り絞って電話するのよ仕事仲間にすべてを告白した後主人公は言うわ『私はまだ死んだりなんかしない。死んでたまるかって感じよ』」

 そして強がる松宮はまた煙草をくわえた。



3 


 もうすでに一年の刑務所暮らしが続く。それでも松宮のことを忘れた日はない。これからも忘れることはないだろう。

 判決後、すぐに俺がしたためた手紙がある。


―松宮へ― 

 この手紙を受け取って驚くだろう。むしろ宛名の段階で、今この行を読んでいる段階で捨ててもらってもかまわない。けれど最後の俺のお願いだ。松宮が俺に散々書きかけのシナリオを読ませたかのように、俺もこの手紙を松宮に読ませたい。どうか最後まで読んで欲しい。

 まず、数々の無礼があったことをお詫びする。松宮のことを思っての俺の行動が裏目に働いて多大な迷惑を今もかけていると思うと俺はいたたまれない。すいません。

それと松宮がこの手紙を読んでいるときにはもう俺は遠くの刑務所にいるだろう。どこの刑務所にいるかどうかは今これを書いている俺も知らない。こちらからは連絡をとることもないだろうから会うことはもうない。


 さて、松宮に初めて会ったとき、俺は振り回されてばかりだったが楽しかった。その後にシナリオを見せてもらうまでの仲になるとは思いもよらないから俺はさらにうれしかったんだ。

 松宮は俺をどう思っていたかは知らないが、俺は松宮が好きだった。

 こっ恥ずかしいとか言いそうな松宮が目に浮かぶ。

暫くしてイケメン俳優に夢中になる松宮も俺は好きだった。失恋した松宮はそれでも強くすばらしい人だと思ったよ。松宮は俺の持っていないものを全て持っている最高の友だ。

 けれども、俺は松宮の力にはなりきれなかった。松宮の言うとおり俺が馬鹿だからだ。

 ほんとうにすまん。

 そして最後に望むのは松宮が肺癌であろうとあきらめないでシナリオを書き続けて欲しい。結末は『死んでたまるか』だろ?

 松宮ならもう次のシナリオ書いているかもな。野暮なことかもしれないがシナリオの下読みはもうしないよ。

 松宮さんがんばってください。

                               ―日高―


 この手紙は松宮の余命には間に合っていない。


     了


   


 くどいようですが「了」です。


 一話完結の形としております。


 ご感想承ります。

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