不憫キャラに捧ぐ詩
特に意味はない文章です。
意味のない文章を読む気分の方は、一瞥くれてやって下さると作者が狂喜いたします。
自分の作る物語の登場人物に対して、申し訳なく思うことがある。
たまに。
可哀そうな目に合わせてしまって、つらい思いをさせてしまって、
ごめん。
ごめん、でも、君がどこへ行きたいのか、私には分からないんだ。
最後には幸せにしてあげたい、してあげよう、そう決めてるのに、
なぜか。
君を思うとき、私はいたくなる、すごくいたい、いろんな意味で。
私は瞑想する、君が迷走する、一人でいいって、つっぱねている、
どうか。
協力してくれ、私は、君をその孤独から救い出してみせたいんだ。
私は知っている、本当の君は、明るい人、まっすぐで、嘘が下手、
だけど。
ひねくれたやつ、淋しいやつ、いつの間に、そんなやつになった。
親の顔が見たい、とか言ったら怒られてしまうね、だれのせいだ、
だれの。
ごめん。
ゆるせ。
時々、本当にかわいそうなキャラクターを作ってしまう。脇役に多い。根が親切だし、気が利くし、控えめなのがどうもいけないらしい。まあ、どこにでも一人はいる、不憫キャラというかなんというか、そういうやつだ。そういうやつに限って、幸せにしてやろうと思ったら、全力で抵抗してくる。あくまで不憫キャラでいこうとする。そこにアイデンティティを見出すらしい。そして、そういうやつは、普段があまり不憫だらけで、たまに良い思いをしたくらいで満足してしまうのだ。最終的に、収拾がつかなくなる。もう、こいつは一生不憫なままの方が、話がまとまりやすいや、とまでなってくるともう駄目だ。
自分の頭の中で生まれた、我が子とも自分の分身ともいえる存在である。愛がないわけではない。ただ、幸せにできない。
親は私だっつー、ね。
ほんとごめん。