第5話 少女の切望
それからそばらくして僕は急に恥ずかしくなり、君から慌てて一歩身を引いた。
「ご、ごめん!!......なんか......その、嫌......だったよね?」
ひたすらに謝る僕。
顔が熱い。
今顔がゆでだこのように真っ赤だと言うことが自分でも分かるほどだった。
彼女はこんな僕のことを見て軽く笑いこう言った。
「ふふっ。大丈夫。ちょっと驚いちゃったけど、嫌ではなかったから。」
そう言ってくれる君を見て僕は安心した。
いつもと何も変わらないいつも通りの君だと思ったから。
こんな会話をしながら2人はいつものベンチに腰掛ける。
「僕、君の歌を聴いたときすごく怖くなったんだ。君が居なくなってしまうんじゃないかって。僕の前から忽然と消えてしまいそうだと思って。」
「......。」
「でも君は居なくなったりしないよね......?」
「......。」
なぜか彼女から返事がかえってこない。
僕は不思議に思い彼女の方を向く。嫌な予感がする。
すると彼女は唐突に立ち上がり、僕にこう言った。
「ごめんなさい。私、きっとあなたにはもう会えない。」
その言葉を聞いたとたん僕の頭の中は真っ白になった。
何をどう言っていいか分からない。
そんな中で僕がやっと搾り出せた言葉はなんで?と言う一言だけだった。
「私ね。今日死のうと思ってるの。もうこんな世界で生きて行くなんて耐えられない。だから......最後にあなたにお願いしたいことがあるの。あなたにしか頼めないことだから。」
そう言った君の声は今にも泣き出してしまいそうなものだったが、瞳には揺るぎない決心がみえて僕は止めることが出来なかった。
黙って聞いていることしか出来なかった。
彼女の僕へのお願いは『私のことをあなたの手で殺してほしい』というものだった。
でも、君を殺すことなんて......。
「僕にはそんなこと出来ないよ。人殺しなんて。ましてや、君をこの手で殺すなんて......。」
「......そう。ごめんね。最後くらい自分で終わらせなきゃだよね。」
彼女はどこからかナイフを取り出す。
それは彼女が持つにはとても違和感があるほどものものしい物体で、恐怖を覚える。
ナイフは彼女の手により彼女の胸元にゆっくりと移動していく。
それを握る君の手は小刻みに震えていた。
君は手の震えを止めようと一つ深呼吸をした。
そしてナイフを持つ手に力を入れ、しかっりと握り直した。
次の瞬間、君は自らの胸元にナイフを突き刺した。
大量の血を吐き倒れこむ君。
どくどくと流れ出す鮮やかな鮮血。
辺りに広がる血の臭いの中に、微かに君の香りがして吐き気がする。
僕は君に一歩また一歩と近づいていく。
彼女の唇が微かに動いた。
そんな君を抱き起こすように支える。
「く、苦しいな......。おねがい早く......早く私を殺して......!!あなたの手で私を楽にして......。」
声を発するたびに君は苦しげに咳きこむ。
僕はそんな彼女の姿を見て覚悟を決めた。
「わかった......。僕が君を苦しみから解放してあげる。だからもう無理して喋らないで......。」
僕の言葉に君は軽く微笑み眼を閉じた。
彼女のことをやさしく仰向けで寝かせ、胸元に刺さったままのナイフを握る。
ナイフごしに彼女の鼓動が伝わってくる。
僕の心臓がかつてないほどにうるさく鳴り響く。
冷や汗が酷い。
ゆっくりナイフに力を込め引き抜く。......グチャ。
嫌な音がする。
傷口から新しく血が流れ出し、君の血で僕の服が深紅に染まる。
血に濡れたナイフが手から滑り落ちた。
それを自分の服で拭って握りなおす。
それから、数回深呼吸をし君の胸元に向かってナイフを振り下ろした。
「ありがとう。」
......ザシュッ......。
ナイフが突き刺さる瞬間そう聞こえたような気がした。
肉を切る感覚がナイフから生々しく僕の手に伝わってくる。
たしかに手応えがあった。
彼女の心臓は1、2回脈打ってから静かに止まった。
君は今この瞬間たしかに死んでしまった。
僕が......。僕が確かにこの手で......。
そう思うと手の震えが止まらない。
胸の激しい動悸もいつまでも治まらないかった。
次第に熱を失う君の肌。
血に濡れた青白い君の頬にやさしく触れる。
それはとても冷たく彼女がもうこの世にいないことを実感させられた。
「あぁ......。うわあぁぁっぁぁあぁ。ごめん。ごめんね。」
溢れ出す涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を拭うこともせず僕は君の屍に謝り続けた。
その後、僕はどうやって帰ったのか覚えていない。
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少年が去った後の公園に響く誰かの嘲笑。
それは......。