鬼の舞う夜3
彼の出した決断は諦めることだった。
犬もどきはアスファルトを蹴り上げて容赦なく靖道に飛びかかる。
これでいいんだ、と思った。
運がよければ怪我で済むかもしれないし、逆に死んでしまったとしてもそれでいい。自分が消えたところで世界はなにも変わらないことを知っている。
それはなぜか。
自分が『普通』だからだ。特殊な能力も、天才的な脳味噌も持っていない。そんな影のような自分に物語なんて大層なものはは始まらない。
――そう思っていた。
化け物の歯が首筋に触れる。
骨と肉が裂ける音がして靖道は「ひぎっ!」と叫び声を出した。
ただし叫んだのは靖道だが裂けたのは彼ではない。
靖道の目の前で日本刀のような刃物が化け物の首筋を貫ぬいていた。
日本刀と断定しないのは、貫いた右端には血に濡れた刃が、もう一方には木製の長い柄が見えたからである。化け物の歯は後一コンマでも遅かったら確実に靖道の肉を食いちぎっていただろう。
まさに間一髪。けれどこの状況を素直に喜べるほど靖道は図太くなかった。
「え、あ、あああ!? うわぁあああ!」
驚愕で一歩下がると靖道はアスファルトにへたりこんだ。一体何が起こっているのか理解できなかった。誰がこんなことをしたのだろうか。
左の路地から、その答えといえる人の影が現れる。
その人物は、先ほどの木の部分を左手で持つとあっさりと簡単に引き抜いた。 そしてぐるりと回転させ、その先端の刃で化け物を真っ二つに切った。血飛沫すら、飛ばなかった。
化け物の身体が霧のように分散して夜闇に消えていく。完全に無くなる直前、オレンジに光る小さな欠片を垂直に飛ばした。その人影は手慣れた様子でそれを右手で掴み取った。
そのときやっとその日本刀のような武器が薙刀であることに靖道は気がついた。
月明かりが照らす。
そいつは全てを終えて靖道の方へ振り返った。太腿まで短く裾が切られた鮮やかな朱色の着物が目に映る。
月光のおかげで暗くても顔が分かる。
頭に二本の角。
目は赤というより紅と呼ぶにふさわしい色。
口元にはこれまた二本、尖った牙が。……今度こそ牙だった。
その様子を一言で表すならこれだ。
「…………鬼……」
けどその顔の面影を靖道は別のところで見たことがあった。それも今日。しかも数時間前に。
靖道は恐る恐る、乾いた声で相手に訊いた。
「――――…木武?」
そこには無残に化け物を殺した鬼――――靖道のクラスメイトの木武紗夜花がいた。