鬼が舞う夜 2
「……いつまでついてくる気だよ!」
少なくとも十分以上は走っただろう。足を止めて休みたかった。それなのに後ろの犬もどきの怪物のせいでそうすることはできない。
こうなったら、
「殺られる前に殺ってやろうじゃねぇか!」
靖道はそう息巻くと、たまたま右隣にある工事現場から積まれていた鉄パイプを構えた。
一瞬、影は怯んだ様子を見せたがすぐにまた唸り声をあげる。
「グぁラグゲぉアぁアあア!!」
今までで一番高く、そして大きく鳴いてぬちゃりと口を開けた。
銀の唾が糸を引き、ぬるぬるとした桃色の肉に白い歯が見えた。
牙ではない。歯だ。
人間とそっくりの歯。おまけに歯並びもいい。歯科検診で満点もらえそう。
「……ってこいつやっぱ犬じゃねぇえええええぇええええええええ!」
わぁわぁと情けない悲鳴を上げて靖道はさっさと試合放棄した。あんな地球外生命体らしき化け物と戦う勇気は生憎持ち合わせていない。
もう早く家に帰りたい。テレビ見て漫画読んで寝たい。というかなんなんだあれは。鳴き声からして異常だ。いや、もう見た目からしておかしいのは分かっていたけれども。
そしてなんで俺を狙ってくるんだ。
俺はごくごく普通の男子高校生だぜ?
「もしかして! これはラノベ主人公フラグ!」
そう叫んだ靖道の考えを打ち消すかのように「ゴギャア!」と化け物が吠えた。馬鹿なことを言っている暇はない。とにかく追いつかれないようにと必死に路地や裏道を走り回る。夜だからかすれ違う人はいない。よって助けてくれる人もいない。嫌なシチュエーションだった。
だいたい「ゴギャア!」ってなんだよ。動物でそんな鳴き声のやつ聞いたことないぞ、と靖道はまた文句をつけた。
あぁ。もしこれが何かのフラグだとしたら、とんでもなく最悪だと思う。どうせ立てられるなら他のライトノベルや漫画みたいに、空から女の子が降ってくるだとか、白い悪魔に勧誘されるだとか、いっそ神の啓示を受け取るだとかがよかった。そっちの方がずっとカッコいいし、夢がある。
いや、やっぱりフラグなんて立てないでいい。俺は普通の高校生というポジションで十分満足してるんだ。だからもう解放させてくれ。頼むよ、神様。
次第に脛の筋肉に痛みが走るようになった。呼吸も吸っているのか吐いているのかさえ分からない。肉体的にも精神的にも辛かった。
――――――決めた。
靖道は足を前に出すのをやめた。そしてもう一度さっきのように犬もどきの化け物に正面を向けた。