始まりの空
暴力表現があります。
苦手な方はご注意ください。
リシュヒーヤ大陸でもっとも広大な領土を持つ、ウィンダル帝国。軍事力に秀で、〝戦狂〟と恐れられる十四代皇帝スガーディン・ウィンダルが即位してからは、その勢いは留まることがなく、もはや大陸全体を飲み込むのも時間の問題、といわれていた。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの帝国内にあっても、田舎というものは存在する。ウィンダル帝国最東部、国境沿いの深い森『フローレイン』近くのヒュート村。人口わずか三百人という小さな村は、戦を頻繁に仕掛ける帝国にあって、平穏なだけが取り柄の静かな村だ。電気は通っているが、都市部とは異なり夜半に楽しめる娯楽のない村の夜は当然早く、陽が落ちて二時間経てば全ての家の明かりが落とされる。犯罪も起こらず、夜に出歩く人もいない村には街灯がなく、夜は月明りだけが光源となっていた。
しかしその日、漆黒の壁を思わせる分厚い雲が空を覆い、村を完全な闇が支配していた。その暗闇に不穏なものを感じとったのか、森に住む動物や虫の鳴き声すら止んだ静寂の世界。人々も早々にベッドにもぐり、次の太陽が昇るのを待っていた。だから、誰も気づかなかっただろう。分厚い雲の中、時折何かが光輝くのを。その光の下で、命が散っていっていることを――
フローレイン上空の分厚い雲の中。空気を震わせる低い唸り声をあげながら、ゆっくりと飛行する巨大な影。左右に長く伸びる薄い板を付けた長細い胴体の尾にあたる部分には、百合と剣の紋章。それで、この巨大な輸送機が帝国軍のものであることが知れる。しかし、帝国軍屈指の輸送機の胴体部分からは数多の煙が上がり、時折悲鳴のように爆発音が響く。明らかに、異常をきたしていた。
その機体内部――パンパンと乾いた音が止むことなく響き、硝煙と錆びた鉄のような臭いの充満する中を疾走する複数の影があった。
「その扉の向こうだ!」
そう叫んだ男の右足を鉄の弾が穿ち、血が噴き出す。男が倒れると、前を走っていた男たちが振りかえり足を止める。その姿に、倒れた男が怒鳴った。
「馬鹿野郎!行け!」
倒れた男は腰から拳銃を抜き、後ろからやってきた敵に向かって発砲する。そんな物では数秒の足止めにしかならないと男にも分かっていたが、やらないよりはマシだった。
「務めを果たせ!」
倒れた男が彼らのリーダーだったのであろう。唇を噛みながら、男達は足を再び前へと進める。後ろで上がったうめき声が微かに耳に届いたが、彼らが振りかえることはなかった。
扉に取り付くと、一人が振りかえりマシンガンを構え発砲する。鍵を開けるこの瞬間は、無防備にならざるを得ないためだろう。しかし、マシンガンはすでに使用した後だったのかすぐに弾切れを起こした。それが分かっていたように、男はためらうことなくマシンガンを投げ捨てると扉の前に立ちふさがった。敵にとっては、ただの的だ。
ここぞとばかりに浴びせられる集中砲火。まるでボロ雑巾のようにちぎれ飛ぶ肉片。しかし、その僅かの間に残りの男たちは扉をくぐることに成功した。
男たちが転がり込んだのは、輸送機の最後尾にある貨物室。戦地に物資を運ぶ輸送船の貨物室は一般家庭のリビングほどの広さがあるが、今その室内には黒光りする長方形の箱が一つ置かれているだけだった。丁度、人一人がすっぽりと入ってしまうような箱は、ベルトでしっかりと床に固定されていた。男たちは各々ナイフを取り出すと、力任せにベルトを切断していく。全てのベルトを切断した終えたのと、扉が激しい音と共に開かれたのは同時だった。
鼓膜を直に叩かれているような激しい銃声が室内を満たし、男たちの体に穴を空けていく。次々と倒れていく男たちの中、一つの小さな影――恐らくは、まだ少年と呼ばれる歳であろう――が箱に上手く身を隠しながら、搬入ハッチへと箱を引きずっていく。それに気が付いた敵が室内に入り少年を排除しようとしたが、まだ息のある男が身を盾にしてその侵入を阻むと、溢れだす血を飛ばしながら、少年に叫ぶ。
「飛べっ!!」
瞬間、搬入ハッチの近くで倒れていた男が咆哮を上げながら起き上り、ハッチを開けるレバーを引く。
バゴン!という腹に響く音と共に、ハッチが開いた。外気が一気に機内へと流れ込み、強風が吹き荒れる。誰もが動きを止めた一瞬を狙って、少年は箱と共にその小さな体を夜の空へと投げ出した。
外は、闇だった。
景色などなかった。光のない世界は輪郭すら判別できず、それが空なのか地上なのか少年には分からなかった。ただ、全てを飲み込んでしまいそうな闇が広がっているだけだった。
輸送機から飛んだのだから地面に向かって落下しているはずなのに、なぜか上昇しているような感覚に陥り、現実逃避だな、と少年は自分のことながら呆れてしまう。ゴーゴーと耳元で風をきる音がする。火照った体が急激に冷やされる。あと数秒もせずに、少年の体は地面に叩きつけられるだろう。万が一にも、助かる見込みはない。しかし、不思議と恐怖はなかった。ただ、務めを果たした達成感が少年の体を満たしていた。
その時ふと、空を覆っていた分厚い雲が切れ、月が世界を照らす。輪郭を取り戻した世界で、少年は少し離れたところで自分と同じように落下する物体を見つけた。少年と、少年の仲間が命をかけて奪取した箱。黒光りする箱は月の光を受け、一瞬輝いたように見えた。それが「よくやった」とまるで少年のことを誉めているようで、自然と少年の口元には笑みが浮かぶ。
(やっと、解放される……先に行ってるよ、キキ)
少年は目を閉じて、まるで眠るように穏やかな顔で、その時を迎えたのだった。
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