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君の誓い、僕の不安




 (今日も収穫はなさそうだ)


 猟師たちから少し離れたところで、ヴィラは彼らが森から出ていくのを見届けようとしていた。夜の森は危険だと分かっているのか、彼らはいつも日が完全に落ちる前に森から出て行く。それを見届けてから、ヴィラも帰るのが日課になっていた。


 ふと、ヴィラの人間より遥かに優れた耳が、こちらに向かって走ってくる音を拾う。やけに軽い二足の音なので子どもだということが分かるのだが、この森の中を躊躇いもせず走ることができる人物を、ヴィラは一人しか知らない。


 嫌な予感がして、音を立てることなくそちらへ向かえば、思った通りの人がいた。


 (レベッカ……)


 しかし彼女の様相は、少年の記憶にあるものとは大きく違っていた。


 血色のいい顔は蒼白で、弾けるような笑顔は見る影もない。温かな光を宿す瞳は忙しなく動き、何かを必死で探しているようだった。長い時間走っていたのかふらふらで、今にも倒れてしまいそうなのに、彼女はそのことに気が付いていないようだ。


 はっと気付けば、猟師たちが大分近づいてきていた。まだ向こうからこちらを見ることは出来ないだろうが、それも時間の問題だ。


 ヴィラは木々の間から出ると、レベッカの細い腰を掴み反対側の木々の間に滑り込む。恐らく早すぎて何が起きたか理解できなかったであろうレベッカが、木の根元に座りこんだ瞬間大声を上げそうになったので、片手で彼女の口を塞いだ。しかし「ん~~~~」とくぐもった声が指の間から洩れてしまうので、彼女の耳元で「シー」と息をかけると、レベッカが顔を上げる。目が合うと、レベッカの大きな目が見開かれ、体から力が抜けていくのが分かった。手を口から離せば、彼女は「ヴィ、」と名前を呼ぼうとするので、人差し指を彼女の唇に押し当てて止めた。


 ガサリ、と足音が聞こえて、レベッカの体が硬直する。向こうから彼女が見えないように腕の中に納めれば、彼女の手が縋り付くようにヴィラの服を掴む。その動作が愛おしくて、ヴィラは彼女が苦しくない程度に抱きしめる腕に力を入れた。こんな時だというのに、腕の中の温もりや匂いに酔ってしまいそうだ。


 二人が息を潜める場所から十歩と離れていない獣道を、猟師たちが通っていく。緊張のあまりレベッカは小刻みに震えていて、息がひどく浅くなっていた。レベッカが心配で、ヴィラは(早く行け)と心の中で猟師たちに訴えるが、そんな時に限って近くの茂みがガサ、と揺れる。


 瞬間、訓練された男たちは一斉に猟銃を構える。体が覚えている動作なのだろう。それは拍手を送りたくなるほど素早く、無駄のない動きだった。


 (軍の精鋭部隊、というところかな)


 冷静に彼らを観察するヴィラであったが、足音が近づいてくることに気付いたレベッカはますます縮こまり、ヴィラに縋りつく。レベッカのような幼い少女なら、銃を持った大人に追い詰められているこの状況に怯えて当然である。むしろ、取り乱して叫んだり、飛び出したりしないだけで十分立派であった。そんなレベッカには大変申し訳ないと思いつつも、ヴィラは頬が緩むのを止められない。可愛らしい女の子にこんな風に頼られて、嬉しく思わない男などいないだろう、と自分に言い訳をしているヴィラだった。


 ヴィラがこれほどまでに余裕なのは、いざ戦闘になったとしても十分に勝算があるからだ。武器は変装の為、あの猟銃とナイフ位であろうし、そもそも精鋭部隊員であろうと、敵はたがだが四人である。ヴィラの戦闘能力を考えれば瞬殺できる相手だった。


 (もし見つかったら、その場で全員殺す。問題はレベッカか……殺害現場を見られたくはないな……このまま気絶してくれることがベストなんだが、そう上手くはいかないだろうし……やりたくはないけど、痛くないように意識を落とすしかないか……)


 彼らを消せば、この森に自分がいることが敵に知られるだろうが、自分一人であればどうにでもなる、とヴィラは思った。彼が今避けなければならないことは、レベッカという少女がヴィラと繋がっていることを知られることである。


 ヴィラはその時に備え、さりげなく右手をレベッカの首筋に移動させる。痛みはないだろうが、彼女の体を傷つけてしまうことに抵抗はあった。しかし殺害の現場を見て、レベッカが今までのように自分と接してくれるとは到底思えない。


 レベッカに拒絶されることが、ヴィラは何よりも恐ろしかった。


 ピンと糸が張るような緊張感の中、男たちが二人の潜む木の後ろまで近付いてきていた。ガサガサと草を踏む音がする度、レベッカの小さな背が跳ねる。いっそのこと失神してしまったほうが楽だろうに、レベッカは唇を噛むことで必死に意識を保っているようだった。どうして、とヴィラは不思議に思ったが、今はそんなことを考えている時ではない。


 ガサ、と一際近くで足音が聞こえ、そちらに目をやれば男の黒いブーツの先端が見えた。重心を移動させるだけで、男から二人が見えるだろう。ヴィラはいつでもレベッカの意識を落とせるように右手に力を入れ、左手の動力脈に緩やかに動力を流す。目が合った瞬間に動こうと、腰を浮かせた時だった。

バサ!と茶色い物体が茂みの中から飛び出してくる。


 男の銃口が茶色い物体を追うが、銃声が続くことはなかった。それだけ男の目が良い証拠だろう。

はぁ、と男のため息が二人にまで聞こえる。


 「脅かすなよなぁ」


 男の銃口の先には、丸々とした体躯をふさふさの毛皮で包んだ獣が一匹。くるくる黒目が愛らしい野兎だった。


 「どうした?」と問いかける仲間に、男は「ただの兎です」と答え仲間の下へ向かう。遠ざかっていく足音に、レベッカの肩から力が抜けていくのが分かった。






 足音が完全に聞こえなくなっても、ヴィラは腕を解くことができずにいた。腕の中の温もりを手放すのが惜しくて、もう少しだけ、と何度も自分に言い訳をしていると、「ヴィ、ヴィラ?」と戸惑った声が腕の中からあがる。それでどうにか腕の力を緩めると、彼女が顔を上げた。


 血の気が引いて青白い頬には涙の跡が幾筋も通り、噛んでいた唇は赤く腫れていた。その様が痛々しくて、ヴィラは親指で優しく涙の跡を拭う。痛いかもしれないと思いながらも腫れた唇に触れると、レベッカがその唇を震わせた。


 「ヴィラ、大丈夫?」


 この問いの意味を、ヴィラは正確には理解できなかった。今一緒にいたのだから、何もなかったことはレベッカにだって分かっているだろうし、かといって、他にどんな解釈をしていいか分からなかった。しかし、目の前で再び涙を溜める少女を安心させるために、取り合えず頷くことは決して間違ってはいないだろう。ヴィラは精一杯の笑顔を作ると、大きく頷いてみせる。


 レベッカは感極まったように双眸を崩し、ヴィラの首に向かって飛びつく。レベッカの体重程度で体勢を崩すヴィラではなかったが、その目は驚きに見開かれていた。


 (どうしたの?)


 そう聞きたい。それができない己の体と、出てくる時に紙とペンを持って来なかった数時間前の自分が恨めしかった。


 レベッカはぎゅっとヴィラの首にまわした腕に力を入れる。まるで何かにヴィラを取られまいとしているようで、ヴィラは心配になった。


 レベッカの背を数回軽く叩く。それでやっとレベッカは腕を解いたが、俯き顔を合わせようとはしない。それがもどかしくて、ヴィラは冷たくなった彼女の顔を両手で包み、目を合わせた。


 エメラルドの瞳は涙に濡れ、どこか落ち着きがない。ヴィラが首を傾げれば、何だかレベッカは慌てたように視線を彷徨わせる。


 「え、えと、あの、その、そ、そう!ヴィラの帰りが遅いから、迎えに来たの!いつも、この時間は森の中にいるでしょう?」


 言ってることはまともだが、態度で嘘だと分かる反応に、ヴィラは小さくため息をつく。何かあったのと、君が心配なんだと、伝えられない自分がもどかしい。


 とにかく、紙もない今の状況ではこれ以上何も聞けないだろうと思って、ヴィラはレベッカの手を取り立ち上がる。森の夜は寒い。もう陽が沈み、辺りは暗くなり始めている。ヴィラは平気だが、レベッカには辛いだろう。


 手を繋いだまま道に出て、そのまま帰路につく。しばらくは無言で大人しくヴィラに付いてきたレベッカは、しかし急に立ち止まった。不審に思いヴィラが振り向くと、レベッカは先程までの狼狽ぶりが嘘のように、真っ直ぐにヴィラを見つめる。エメラルドの瞳には強い決意だけが爛々と輝き、その輝きに、ヴィラは目を奪われる。


 「あのね、ヴィラ」


 無邪気さも戸惑いも、全てを脱ぎ去ったその厳かな声は、ヴィラの心に直接響く。




 「私が、守るわ」




 その言葉は、静かだったヴィラの心に波紋を広げた。ザワザワと、ヴィラへ寄ってくる小さなさざ波たち。言い様のない不安に、ヴィラは繋いだ手を握る力を強めた。しかし、レベッカはそれに気付かない。




 「私が、貴方を守るわ」




 彼女の言葉は、誓いだった。愛のような甘く優しいものではなく、幼く拙い覚悟の誓い。それが、どれほど傲慢な誓いであるかなど、彼女には分からなかった。彼女はヴィラのことを知らなかったから。ヴィラが何者で、何のために存在するのかを。彼がどれほど強く、どれほど孤独な存在であるかを。レベッカ程度に守れるような、そんな存在でないことを、彼女は知らないのだ。


 ヴィラに怒りはない。しかし同時に、喜びもない。


 あるのは、恐怖だった。


 レベッカのことだ。きっと本当にヴィラを守ろうとするだろう。それがどんなに強大な敵であろうと、脆弱な体を意思の力で動かして、ヴィラを守ろうとするのだろう。それが怖かった。


 なぜかは分からない。分からないが、とにかくヴィラはレベッカにそんなことをしてほしくなかった。守る必要はないと、その意思を伝えようとヴィラが首を横に振るより前に、レベッカがヴィラの手を引いて歩きだしてしまう。少しでも大きく見せようとするかのように、ピンと伸ばされたその背に、ヴィラは拒否の意思を伝えることが出来なかった。









読んでいただきありがとうございました。



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