裕と深雪の章
背後からうなり声と共に黒い影が追いかけてくる。逃げるためにはお世辞にもいいとはいえない古びた床。所々にある穴や落ちている板に気をつけないと転んでしまいそうだ。
聞こえてくるのは、自分の荒い息と足音、そして追ってきている何かの声だけ。そんな中で走り続けている。
かなり長い距離を逃げているはずだが、なかなか終わりは見えてこない。見えてしまっても困るが。
先は暗く闇に閉ざされていて、ライトで照らしてもほとんど見えない。
そして、暗闇は足にまとわりつくようで、一歩一歩が重い。
走り回ったせいで息が苦しくなってきている。いつまで逃げればいいのか、終わりの見えない廊下で思う。
捕まったらどうなってしまうのだろうか。考えたくもない。
うなり声が近くなってきた気がする。怖い。ここから出たい。早くほかの三人と合流してこの洋館を出なければ。
ただ友達と肝試しに来ただけなのに、どうしてこんなことになったんだろう……。
×
夏祭り。学生なら誰しもテンションがあがるだろう。意中のあの子に告白しよう、と考える奴もいるに違いない。
少なくとも俺の隣にいる奴はそんな奴だった。なぜ過去形なのかというと、去年告白して現在彼女持ちだからだ。このリア充め。
「ん? どうした、裕。ほしいのか? やるよ」
恨めしそうに睨んでいると、何を勘違いしたのか、腕にあふれるほどの屋台の食べ物の中から、器用に焼きそばのパックだけを取り出して差し出してきた。
周りからは、わいわいと祭り特有の騒がしさと熱気が伝わってくる。差し出された焼きそばからはいい匂いが漂ってくる。のどが鳴った。
くー、いつか俺もリア充になってやる
「腹が減ってんだろ? だからこっちを見た。どうだ、この名推理」
こっちを見て得意げな笑みを浮かべる。
「いや、残念ながら全くこれっぽっちもあってねえから」
とか言いつつ、焼きそばはもらっておく。
「つーか、どんだけ金があるんだよ。そんなに買ってたら万単位いってんじゃねえの?」
実際、万まではいかなくともそれに近い額か、少なくとも一高校生としてはあり得ない量を買っていそうだ。
「いやいや、普通だよ。なあ?」
そうやって振り返った先には、これもまた抱えるほど屋台の食べ物を持った奴がいた。名をヒヨリという。隣のリアじゅ……四郎の彼女だ。
「私もいっぱい買ったし、普通じゃないかな?」
きょとんと首を傾げるヒヨリの手にも四郎と同じぐらいの食べ物がある。いったいどこから金が出てくるのか。
しかし、二人にとっては普通でも、端から見れば異常だ。
さっきから、道行く人のほとんどが驚きと呆れの混じった目で四郎達を見ているのがわかる。
「いや、普通じゃないから。な、深雪?」
ちらりと後ろを見ると、今日の祭りに俺たちを呼んだ深雪がリンゴ飴をかじっていた。
「ひや~、はふはにほほいほほもふひょ」
口をもごもごさせながら喋る。
「いや、なにいってっかわかんねえから。口の中のものをだして喋りな」
深雪はリンゴ飴を口からはなす。
「いや~、さすがに多いと思うよって言ったの~」
言ってすぐにリンゴ飴をほおばり、口をもごもごさせる。そんなに気に入ったのだろうか。
「だよな。やっぱり多いって、その量」
ま、もらえるかもしれないことを考えれば……、良いぞもっと買え。
「ところで、次はどこに行く?」
焼きそばに手をつけながら尋ねる。
「やっぱ射的でしょ」
四郎が指をぴんと伸ばしてこちらに向けて、
「はいはーい、綿飴を買いに行こう」
ヒヨリに連れて行かれた。
「深雪も一緒に買いにいこ?」
「うん」
深雪も一緒に行ってしまったのでついて行く。女子って甘いもの好きだよなぁ。
女子は砂糖で出来ているって言葉を聞いたことがあるけど、あながち間違ってないのかもしれない。
「いやぁ、たくさん食ったし満足満足」
四郎が腹をさすりながらつぶやく。
「そりゃあ、あんだけ食えば腹も膨れるだろう。むしろ、膨れない方がおかしい」
結局、綿飴の後も焼きそばを買いに行き、お好み焼きや唐揚げなどの食べ物を何度も買いに行っては食べていた。だが、外見上は変化がない。
感覚的にしか膨れていないなんて、いったい食べた物が体のどこに収納されているのか不思議でならない。異次元にでも繋がってるんじゃないだろうか。
(ほら、深雪。がんばって誘いなよ)
(う、うん)
向こうで深雪たちが何か話している。小声で話しているのでうまく聞きとれない。屋台巡りをしているときも何度か有った。
「なあ、何話してんだ?」
「「なんでもないよ」」
声を合わせてこちらに向く。なに、コントなの?
「そうか。じゃあ、そろそろ祭りも終わりにして帰るか? もう遅くなってるし」
気付けば夜の十時半を過ぎていた。
明日は学校があるからいつまでも起きているわけにはいかない。
この祭りは夜中も休まずに続くのだ。これって珍しいことなんじゃないだろうか。
「ね、ねぇ、裕」
さあ帰ろう、と歩き出したときに、深雪に声をかけられた。
「なんだ、深雪?」
振り向いて応える。
「き、肝試しに行こう!」
ゾワリと背筋が寒くなった。振り向いたことを後悔した。
「……き、肝試し!? 何でまた急に!? い、いやだ、俺は行きたくな――」
「「いいねぇ、行こう行こう!!」」
隣からリア充が獲物を見つけたとばかりに入ってくる。
「ちょ、四郎、ヒヨリ。待てよ、おい!」
なぜか異様にテンションの高い二人に腕を引かれ、強引に連れて行かる。必死に抵抗するが二人分の力に抗うことはできず、少しずつ祭り会場が離れていった。
「うおー、はなせー。いや、自分で歩くからさ、マジで放してよ。逃げないから」
地味に抵抗しながら説得を試みる。引っ張られている腕が痛い。早めに手を離してもらわないと。
「よし、着いたぞ」
「え、もう?」
説得を始めたところで到着って、早すぎね?
祭りの音がまだ聞こえている。
連れて行かれた場所は、祭りの会場からも見える、近くにある森の中の洋館だった。
周りがうっそうと茂った木々に囲まれていて、日が照っていても暗いんじゃないかって思える。
「ま、マジで行くのかよ……」
洋館を見上げ呟く。生ぬるい風が首元を撫で、背筋が泡立つのが分かる。
周りからはザワザワと木々が擦れ合う音が聞こえてくる。
「行くよ? 夏だし当たり前じゃん」
ヒヨリが楽しそうに歩いていく。その姿は、まるで散歩に出かけるような足取りだった。
「いや、その理屈はおかしい」
怖いのは好きじゃないんだけどなぁ。
しかし、なんだかんだでついて行く。少なくとも、ここに一人で残る方が怖い。
(いい、深雪。中でしっかり告白するんだよ?)
(う、うん。頑張る)
「何をこそこそしゃべってんだ?」
「「なんでもないよ」」
……何を話してんだろうか。しっかし、声を合わせるあたりコント臭がする。
「さあ行こう裕。お化けなんかでやしねぇんだからさ」
袖を掴まれる。
「おい、おま、四郎、引っ張るなよ!」
四郎に引っ張られて近寄ってみると、いっそう不気味さが引き立つ。そして、思っていたよりも大きかった。
壁につたが這っているのを見るに、しばらく手入れされていないんじゃないだろうか。
「や、やめておこうぜ、な。ほら、明日も学校があるし」
ここでも説得を試みる。
「いまさら三十分帰るのが遅くなったところでほとんどかわらねぇよ。ほら、怖がってないでいこうぜ?」
三十分もここにいるつもりなのかよ。
「そうだねぇ~、とにかく入ってみようよ」
「ひ、ヒヨリまで!? あ、こら、離せ~!」
二人のリア充に腕を引かれ、後ろから付いてきた深雪と一緒に俺は屋敷の中に入っていった。
「く、暗いな」
洋館の中に入ると、外見以上にひどい状態だった。
携帯を取り出し、ライトをつける。そして、端から端まで照らしてみる。
所々床は抜け、天井から梁が落ちているのが見て取れた。今にも何か出ますよ、という雰囲気だ。
やっべー、怖ぇー。この中をどうしようってんだ。
「よし、結構雰囲気でるな。とりあえず一周して帰ろうぜ」
一周ってことは上から下までって事だろうか。
「まじかよー。やめようぜ、帰ろうぜ?」
中に入っても必死で説得を試みる。
「おいおい、ビビっちゃってるのかよ、裕君。ヒヨリたちだって乗り気なのに」
「まぢで?」
ヒヨリはともかく、深雪も大丈夫だとは思わなかった。
「と、いうわけで、とにかくいってみよう、裕が先頭で」
サラッと無茶を言ってくれる。
「は!? 何言ってんだよ!怖ぇだろ」
「なら女子を先に行かせるのか?ここで男を見せようぜ?」
むぅ……
「な、なら四郎が先に行けばいいじゃん!」
「俺はヒヨリと一緒に歩くから。裕は深雪と歩きな。ちゃんとナイト様を演じろよ?」
「むぐぅ」
そうして、俺達は騒ぎながら屋敷の中へと歩き出した。
屋敷内は暗いのと、穴が開いていたりするのとで歩きにくい。
たまに深雪が足を取られて転びそうになるので、何時からか手を取っている。そのとき後ろからはやし立てるような声が聞こえたが気にしない。
十字路のようになったところを右に曲がり、しばらく歩いたときだった。
「ちょいと深雪こっち来て」
「あ、うん」
ヒヨリが深雪を呼んで何か話している。一緒に四郎もこそこそ喋っているので疎外感が半端ない。
その時、
グラッ、ガタガタガタッ!!
突然建物全体が揺れ出した。
「きゃぁあ!」
「な、何だ!?」
ガンガンガン、ダンッ!
強い揺れの後に崩落音。そして立ち上る埃。
気づくと俺と深雪たちとの間には二階の梁や廊下の木材が堆く積まれていた。
「ゲホッ、ガハッ。そ、そっちは大丈夫か四郎!?」
「あ、ああ。大丈夫だ。深雪も大丈夫だぞ」
「おいおい、お前はまず自分の彼女の心配をしろよ」
大丈夫そうで安心したのか、軽口がでた。
「それについては問題ない。なんせ、上から物が落ちてきたときに二人とも抱き寄せていたからな」
「うわー、かっこいー、ほれちゃいそー」
ヒロインのピンチにかっこよく活躍! どこのヒーローだ。
「こっちからはどうにもできないが、こっちに来れそうか?」
高く積まれた木材はしっかりと道を塞いでいた。
「いや、無理そうだ。とりあえず、迂回路を探してみるよ」
「ああ、わかった! こっちからも探してみる」
そして軽口を叩きつつ、俺たちは二手に分かれて洋館の中を歩き始めた。
一人になると、途端に心細くなった。とにかく、合流するためには上の階を経由すればいけるだろう。
俺はまず、階段を探すことにした。
屋敷がこんなに広い以上、階段がホールだけにあるとは考えにくい。きっと先の方にあるだろう。
二階から落ちてきたのか、それとも揺れのせいか、埃が大量に舞っていてせき込みそうになった。
足下を携帯のライトで照らしつつ、まっすぐ進む。やはり床に穴が開いていたりして歩きにくい。
途中に扉があり、何か無いかな、と覗こうとするが扉は開かなかった。
窓から外をのぞくと、暗い中にうっそうと茂った木々が続いている。
しばらく歩くと遠くに階段が見えた。少しずつ近づいていくと、近くに人が倒れているのに気づいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
転ばないように気をつけながら急いで駆け寄る。
その人は、黒い服を着てうずくまっていた。
「どうしたんですか!?」
ゆっくりと抱き起こす。すると、
ゴトンッ、ゴチャ……。
起こした瞬間、その人の首が取れて手元から落ちていった。
「ひっ!」
思わず腕を放す。
どしん……。
地面に強く身体を打ち付けても何の反応もない。当然だ、首が取れているのだから。
ライトで照らしよく見てみると、その人は腐りかけている男性だった。
「うっ……」
気づいたとたん、すえた匂いが漂い始める。思わず口元を押さえた。今まで極度の恐怖と緊張、そして自分たち以外にも人がいる、という安堵感で気づかなかった。
辺りにはすえたにおいが充満し、大量のハエが飛びかっている。
ぬるりとした感覚に、そっと手を見てみると、てらてらと光る人の体液や、腐った肉の中に白くうごめくものが見えた。
「うっ、げぇ、ごふっ……」
こらえきれず、壁にむかって吐いてしまう。動いていたものは、どう見てもハエの幼虫だった。そして、先ほど口を押さえたときに付着したらしい蛆が、頬をはいずっている。
「うわああ!」
気持ち悪い感覚に思わず飛びさすりながら、服の袖を使って必死にぬぐう。簡単に蛆は取れたが、頬に張り付いたぬらぬらとした感覚は簡単には消えてくれなかった。
「ど、どうなってんだよここ」
周りを見渡すとまだ乾ききっていない血が飛び散っているのが見えた。ここの洋館には人がいなくなってかなりの時間が経っているはずだ。だが、この近所で人が行方不明になったはなしなんて聞いたことがない。
「と、とにかく階段があったんだ。早く深雪たちと合流しよう」
恐怖からか思ったことを口に出してしまう。
階段の真下に来ると、そこに書かれた異様な文字が目に入った。
「……タ……ス……ケ……テ……?」
そう、真っ赤な字で「タスケテ」と書いてあったのだ。
「この字……血文字か!?」
この倒れている人が書いたのだろうか。やはり血は乾いていない。
気味が悪くなった俺は、足早に階段を駆け上った。
階段を上がりきると、目の前には一階よりも小綺麗な廊下が続いていた。
「なんだ? 汚れていないんだが、空気がよどんでる……?」
下の階よりも息苦しく、いっそう暗く見えた。そして、その感覚は先に進むほど強くなっていった。
ライトで照らしても全く先が見えない。照らしている範囲が小刻みに揺れる。それで自分の手が震えているのに気がついた。手に力を入れ、震えを止めて歩く。
「ここ、か」
しばらく歩くと、さっき落ちてきた廊下のところまで来た。
三階まであるようだが、さっきの階段は二階までしか無かったので、どうにかしてここを乗り越えるしかないようだ。
「どこかに橋になりそうな物はないかな」
周りを見渡すと、少し開いている扉を見つけた。
「……この扉、さっきは開いてたっけ?」
開いてなかったはずだ、たぶん。如何にも何かがおきそうだ。
「ほかの扉はどうだろう」
このままこの扉を開くのは危険すぎる。ちょっと前に何個か扉があったはずだ。まずそっちを調べてみよう。
「おかしいな、どんなに力を入れてもあかないぞ」
戻ってすぐに扉をひとつ見つけ、俺は開けようとした。だが、どんなに力を入れようと扉は開かなかった。
他の扉を探し、試しても結果は同じだった
「……どうしてもあの扉を開けさせたいのか」
俺は先ほどの扉に戻ってくると、じっと見つめた。
よく見てみると他の扉と違い、装飾が凝っている。どうやらこの部屋は少々特別らしい。
扉の前に立ちライトを握り締める。扉に体を密着させ、勢いよく開いて中を照らす。高鳴る心臓を抑えながら中を確認するが、何もいなかった。
中に入ってみると、壁一面に敷き詰められた本棚、ベッドとぬいぐるみ、そして、しっかりとした机とその上に日記があった。
「何か乗っても大丈夫そうな物は無いかな」
椅子は乗っても壊れなさそうだが、橋にできるほどの大きさはない。ベッド下や本棚、さらには床まで、外して橋として使えそうな板を探したが見つからなかった。
「なんか無ぇかなー……。机の天板は外せないかな」
天板を持ってみると、案外はずれそうだった。外そうと力を入れたとき、開きっ放しの日記の文字に目がいった。
『二月十五日。外に出られなくなって一年と一日目。一年もたったのだから外に出してとお父様に頼んだけれどダメだった。友達の手紙を読むと胸が苦しくなる』
机を持つ手を離し、日記に手を伸ばす。筆跡や口調から、女の子らしい。
『二月二十二日。外に出してくれないお父様なんか知らない。入ったらだめと言われた地下の書斎で面白そうな本を見つけた。魔法か……、使えたらいいのに』
『三月七日。書斎から持ってきた本をやっと全部読み終えた。明日から試してみようと思う。今から楽しみだ』
『三月十日。お父様が庭にでる許可をくれた。だから、魔法の本に書いてあったことを試してみた。まず、庭に来ていた黒猫を捕まえた。ナイフは持っていなかったから包丁で代用した。そして、本に書いてあるとおりに猫のお腹を裂いた。使わないところは庭に埋めた』
『三月十四日。もう一度書斎に行ってみた。前に来たときより奥深くを探してみると、もっと詳しく書いてある本を見つけた。今までの本では効果がなかったから、次からはこれを試してみよう』
次からの文章は、ひどく筆跡が乱れていて読みにくかった。
『三月二十一日。本に書いてある通りにお家の周りに動物の血をたらしていった。また黒猫がいたから、それを使った。この後二日間おいて、次のページへ進むらしい。次は何をやるんだろう』
『三月二十三日。次は人の魂を血の範囲の中におけといわれた。きっと一人殺せって事だと思ったから、お家の中にいる使用人を一人、階段から突き落とした。首がねじれ、頭からはいっぱい血が出ているから、大丈夫だと思う』
『三月二十四日。夢の中で自分が死んじゃう夢を見た。びっくりして起き上がると、お外の空は曇っていて、屋敷の中には、昨日の使用人以外誰もいなくなっていた。本に書いてある通り、血の範囲内が別の世界になったみたい。そのとき屋敷の中にいた私以外の人間は、みんな悪魔に連れて行かれ、いなくなったらしい。やったぁ、これでこのお家は私のものだ!』
「どうゆうことだ、これは!?」
日記を読み進め、思わず声が漏れる。書いてある内容がすべて真実なら、今俺たちは、いつもとは違う世界にいることになる。そんな現実離れしたことが本当に実在するのか!?
「戻る方法は無いのか?」
日記をめくるが、さっきのページを最後に残りは何も書かれていなかった。
「っ! ここの本棚にその魔法の本とやらは無いのか?」
壁一面の本棚を漁る。すると、案外簡単に見つかった。
「これだ!」
埃をかぶり、多少変色した表紙を持つ本だった。
紙を破ってしまわないように注意して本を開くと、中にはしっかりとこの空間を壊し、元の世界に戻る方法が書いてあった。
「この世界の制作者が消滅したとき、その作られた世界も消滅し、元の世界と繋がる。注意されたし」
制作者は、きっとこの日記を書いていた少女のことだ。その子をどうにかすればいいのだろう。
「よし、早く四郎たちと合流してこのことを伝えないと!」
日記と魔法の本を持ちながら、机の天板を持ち上げ、崩落している廊下に架ける。足で踏みしめ、簡単に壊れそうにないことを確認した俺は、即席の橋を渡り四郎たちと合流すべく先を急いだ。
×
暗い中、携帯のライトを頼りにひたすらまっすぐ歩き続けると、光が漏れている部屋を見つけた。LEDの人工的な光だ。きっと四郎達の誰かの携帯の光だろう。
「おーい、しろ……う……?」
様子がおかしい。暴れているような騒がしい音がする。時々うなり声なんかも聞こえてくる。どうやら中には一人しかいないようだ。
「四郎達じゃ無いのか?」
そうつぶやいたときだった。
「う゛……、ヴァァァアアアア!」
ドガンッ!
一際大きな音と共にうなり声が聞こえ、目の前の扉が勢いよく開いた。
×
危なかった。ヒヨリに手招きされていなかったら落ちてきた物の下敷きになっていたかもしれない。
「ゲホッ、ガハッ。そ、そっちは大丈夫か四郎!?」
「あ、ああ。大丈夫だ。深雪も大丈夫だぞ」
「おいおい、お前はまず自分の彼女の心配をしろよ」
「それについては問題ない。なんせ、上から落ちてきたときに二人とも抱き寄せていたからな」
「うわー、かっこいー、ほれちゃいそー」
「こっちからはどうにもできないが、こっちに来れそうか?」
「いや、無理そうだ。とりあえず、迂回路を探してみるよ」
「ああ、わかった! こっちからも探してみる」
裕が離れていくのが気配で分かる。四郎君が私たちを抱き寄せていた腕を離す。
「こっちからも階段を探しに行こう。その方が早いだろうからな」
そうして、私たちも迂回路を探し始めた。
それにしても暗い。携帯を取り出しライトをつける。
「いやー、すっごい暗いね」
どうやらヒヨリも思ったらしい。
「そうだね。月明かりが出てたはずなのに」
なんとなく曲がり角を曲がったとき、おかしな感触が足を通して伝わってきた。
ぐにゅ……。
「え?」
空気の抜けたボールのようなやわらかい感触を足元に受け、手元のライトを下に向ける。
「……ひっ、きゃぁあ!」
私が踏んづけたもの、それは体のあちこちが切り刻まれ、全身に血がこびりついている黒い猫の死体だった。
あまりにも唐突で、思わずしりもちをつく。
「うわー。深雪、やっちゃったねぇ」
「な、何でこんなものがこんなところにあるのよ!」
猫を指さし叫ぶ。
「どうした、今悲鳴を上げなかったか?」
先を進んでいた四郎君が悲鳴を聞いて戻ってくる。
「あー、深雪が猫の死体を踏んじゃったのよ」
「猫の死体?俺が通ったときには無かった気がするんだが」
「気づかなかっただけじゃないの? ほら、深雪立てる?」
ヒヨリが手を差し伸べてくれる。
「ありがとう」
ヒヨリの手をしっかり握って立ち上がり、服に付いた埃を払う。
「じゃあ、行こうか。愛しの裕君と早く合流しないとね?」
ヒヨリが茶化してくる。
「ぶっ!ちょ、そういうのは良いから!」
「そんなに照れなさんな。ほら、行くよ?」
ヒヨリのおかげで恐怖心が薄れた。踏んづけた猫の死体の事は考えず、先に進もう。
「よし、じゃあ入り口のホールに階段があったはずだから、そっちに行こう」
そうだった。ヒヨリは本当に頼りになる。
「そういえばそうだったな。何となく曲がったが、ホールはこっちだったな」
四郎君は忘れていたみたいだ。私も忘れていたけど。
「階段のある場所が解ったなら、次はどうやって合流するか、だな」
四郎君がつぶやきながら先頭を進む。
「裕ならきっと、穴に橋を架けようと……痛ッ!」
ホールに差し掛かったときだった。急に四郎君が右足を押さえてうずくまった。
「なんだこれ?」
持ち上げた腕には緑色をした細長い物が握られていた。
「これは……、植物の蔓か?」
それは、よく見ると確かに植物のようだった。
「こんな植物、見たことな痛った!」
四郎君がもう片方の足を押さえて引っ張る。けど、いつまで経っても引っ張っている。
「なんだよ、何で離れねぇんだよ!」
さっきとは別の蔓が左足に噛みついていた。そう、噛みついていたのだ。
「うわっ!」
足を引っ張られたように、四郎君が急に転んだ。そして、そのまま前の方に引きずられていく。
「ぐう……!」
しゅるしゅると音がなった後、四郎君の苦しそうな声があがる。手元のライトで照らすと、四郎君のお腹や首回り、そして両手足に植物の蔓が絡み付いていた。
「きゃぁああああ!」
あまりの驚きに悲鳴が漏れる。
「し、四郎!」
ヒヨリが駆け出す。
「ちょっと待ってね! 今外すから!」
ヒヨリが首もとの蔓に手を伸ばした。
「だ……めだ、ヒヨリ。さっきから……かまれた左足が何回も噛み千切られ……て。こいつらのこれは、きっと……捕食だ。逃げ……ろ!」
そういい終わるかどうかぐらいだった。ホールに開いていた床や壁の穴という穴から、大量の蔓が飛び出してきた。そして、一直線に四郎君に絡み付いた。
「ぐぁぁああ!」
四郎君が一際大きな声を上げる。そして、くちゃくちゃとした咀嚼音が聞こえてきた。
人が何かに食べられている。その事実に漠然とした恐怖を抱く。
ふと、蔓の一本がゆっくりとヒヨリに近づいてきた。離れていた私はともかく、呆然としていたヒヨリは蔓の接近に気付いていない。
「ッ! ヒヨリに近づくなあああ!」
四郎君が口を大きく広げて、のびていた蔓に噛みついた。
「キシャァァアアア!」
蔓の先端が裂け、鋭い歯が覗く。そこからは聞いたことのない声が聞こえていた。あんなに鋭い歯が大量に噛みついているなんて、気絶していてもおかしくない。
「うぅらぁ!」
四郎君が蔓を噛み千切った。
「深雪! ヒヨリを連れて逃げろ! ぐずぐずすんな、早く!」
その声に突き動かされた私は、ヒヨリの手を取ると一目散に走り出す。
「四郎……、四郎っ!」
ヒヨリが後ろを向いて戻ろうとする。
「いいか、ヒヨリ! 何があっても深雪を守ってやれよ! 俺もどうにか後を追うから! 約束だぞ!」
ホールの方から四郎君の声が聞こえてきた。その声に背中を押されたのか、ヒヨリの歩みが速まる。気づけば、私がヒヨリに引っ張られる形になっていた。
×
ヒヨリ達は……、行ったか。さっき噛み千切った蔓は引っ込み、代わりに首回りの蔓が増えた気がする。
さっきから、噛まれている左足の感覚が無くなっている。足首が動くから、溶けたり折れているわけではなさそうだ。
「ぐぅ……」
少し息が苦しい。首もとの蔓が締まってきていた。蔓と皮膚がこすれあっていて痛くなっている。
しかし、ヒヨリ達を逃がすときに蔓が噛み切れたのだから、うまくすれば隙を作って逃げれるかもしれない。
「お……?」
急に息がしやすくなった。行動に移すなら今だろう。
警戒されないようにゆっくりと口を広げる。目だけで見回すと、足に集中的に巻き付いていた。
「ぐえっ」
腕に巻き付いていた蔓が外れ、足だけで宙吊りにされた。ひっくり返った衝撃で声が出る。
再度口を広げ、腹筋を使って足に巻き付いた蔓を噛み千切ろうとする。
その時だった。
「うぐぅ!」
今までこちらに見向きもしていなかった蔓が、一斉に口の中に入ってきた。後頭部は別の蔓で固定され、頭がずれないようにされている。
「ん~~~! んん~~~!」
蔓が食道を通る気持ち悪さに、胃の中のものを戻してしまう。だが、それが口からあふれ出ることは無かった。
感覚として、体の中で蔓が吐瀉物を食べているのがわかる。思えば、先ほどのお祭りで俺は大量の食べ物を食べていた。きっとこの蔓にとってはご馳走に見えるのだろう。
「うぐっ、げぇ……」
胃の中に大量の蔓が入ってきた。胃の中身を食べながら、蔓がどんどん数を増やしていく。そして、胃の中に納まりきらなくなった蔓が腸のほうへ動いていったのがわかった。
どんどんと蔓が口に入り、腹が膨れていく。気付くと、手足を縛っている蔓はほとんど無くなり、体の中の蔓だけで支えられているような状態だった。腹の中を食い千切ったり、うごめく感触に意識が遠のきそうになる。
もしかして、この蔓は口の中に入るためにわざと隙を見せたのかなぁ、と腹が内側から裂けそうな激痛と腹の中で蔓が蠢く感触の中で思い至り、俺は意識の手綱を手放した。
ズシャアアァァァ……!ボタ……、ボチャ……。
×
ホールから一直線に逃げ出した私たちがたどり着いたのは、この屋敷の食堂のようだった。
「こ、ここまでくれば……」
途中、曲がり角が二つあったのを思い出しながら座り込む。ひとつは二階が落ちてきた道で、もうひとつはまだわからない。ここが食堂で行き止まりだったから、次はそこに行くしかない。
「四郎……、四郎……」
ヒヨリが座り込んで泣いている。目の前であんなことがおきたのだから仕方が無い。
少し外の空気が吸いたくなって近くにあった窓を開けようとした。だが、どんなに力を入れても窓は一ミリも動かない。
立て付けが悪くなっているだけだと思い、隣の窓にも手をかけるが結果は同じだった。
「……どうやったらここから出られるのかな」
きっと、ここの窓だけじゃなく全ての窓が同じように開かないんだろう。私たちは閉じ込められてしまったのだ。
四郎君は必ず追いかけてくる、そう言い聞かせて私たちは食堂で待ち続けた。どこにいるかわからないかもしれないと、こちらから探しに行こうかとも思った。
だけど、ヒヨリはうずくまったまま動かないし、わたしはあの蔓のことを考えると動き回りたくなかった。なにより、四郎君の変わり果てた姿を見てしまうかもしれないと思うと、探しに行くだけの気力は湧かなかった。
四郎君を待って二十分くらい経っただろうか。ふいに、ヒヨリが立ち上がった。
「深雪、必ずここを生きて出よう。そしてこのことをちゃんと大人に報告しよう。そのためにも早く出口を探さないと」
ヒヨリが手を差し伸べてくる。どうやら、ヒヨリは四郎君のことを強引に吹っ切ったようだった。手を握り立ち上がる。
そして、周りの食器棚が揺れ始めた。
「きゃあ!」
突然の揺れに二人でバランスを崩す。
「! 深雪、危ない!」
ヒヨリに突き飛ばされ、私は部屋の入り口の方に飛ばされる。そして、私に向かって倒れてきていた食器棚がヒヨリにのしかかった。
「ああああああああああ! ああああああ!」
食器棚が倒れた瞬間、ヒヨリを中心に赤い水たまりが辺りに飛び散った。ヒヨリが苦痛の声を上げている。
「ヒヨリ!」
駆け寄って食器棚に手をかける。……重い。どんなに力を入れても持ち上がらない。食器棚と床の隙間を見ると、大量の割れたガラスや食器がヒヨリの腿や背中に突き刺さっていた。床に広がる血だまりの源はそこだった。
「血が……、こんなに出てたら……」
素人から見ても、この出血量は危険だと分かる。もう一度食器棚にかけたとき、
「キャハァ、あれー、おかしいな。何で狙った人が無事で、予定じゃない人が下敷きになってるのぉ?」
頭上から、倒れている棚の上から、小学校高学年くらいの声が聞こえた。
「ま、いっか。どっちでもよかったしねぇ。キャハハハハ」
ふわりと女の子が降りてくる。声のイメージどおりその姿は中学生になるかどうかぐらいだった。着ている白いワンピースには、赤黒い染みが大きく広がっている。
女の子が食器棚の上に乗った。そのとたん、急に手元が重くなる。
「ぐぅ……、うぁ……」
食器棚が重くなったということは、当然下敷きになっているヒヨリも辛くなるに決まっている。
「クフ、キャハハ、つ、ぶ、れ、ちゃ、えー!」
女の子が食器棚の上で何度も飛び跳ねる。その度に手元の食器棚が重くなる。
「あっ……!」
血と重さで食器棚から手を滑らしてしまう。
「う゛……」
ヒヨリがくぐもった声を上げる。
「キャハハ、そーれ!」
女の子がひときわ高く飛び跳ねたとき、
「ぐぅ……、う゛ぁ……、あああああああああ!」
ヒヨリの悲鳴と、
ビチャ、ブシャッ!
何かが裂けて中身がこぼれる音。そして、いっそう広がった血だまり。それ以降、ヒヨリが動かなくなる。
「次はぁ、くふふ、お姉ちゃんの番だねぇ?」
「ひ、ひゅ、きゃあああああ!」
恐怖にかられて駆け出す。曲がり角まで行き、最後に残った道へ走る。
早く裕に会いたい。その思いだけが私を動かしていた。
ドンッ!
何か重みを持ったものにぶつかった。慌てていたのでそのまま前に転んでしまう。うつ伏せになった体を起こし、ぶつかったものを確認する。
それは天井からつるされているように見えた。ぽたりぽたりと滴が垂れて床ではねる。いやな予感を無視して近寄って見る。
それは、どう見てもヒヨリだった。
「きゃあああああ! な、何で? 何でヒヨリがここにいるの? 何で走っている私に前からぶつかってきたのよぉ!」
ヒヨリの体は首の部分を荒い縄で天井につるされていた。ぶつかった衝撃でゆらりと揺れている。
自分の体を見ると、前面が血だらけになって汚れていた。
ビッ、ブチッ!ドシャ……。
私が見ている前でヒヨリの首が千切れ、身体が湿っぽい音と一緒に床へ落ちる。その衝撃で顔に血がはねる。
ガタン、ゴロゴロ……。
ヒヨリの頭が縄から外れて転がってくる。膝立ちになって持ち上げた顔は苦痛にゆがんでいた。
「ひっ……!」
声も出ず、情けない音がのどから漏れる。気づくと腿のあたりを暖かい物が流れていた。自分でも気がつかないうちに失禁していた。
腕が震えてヒヨリの頭を落とす。転がった頭は身体の近くまで行くとこちらに顔を向けて止まった。
「う……、ひっく……。裕ぅ……」
ゆっくりと立ち上がり、血で汚れた手で携帯を取り出しライトをつける。
奥の方に二階に続く階段が見えた。ゆっくりと進んで二階に上がる。あがってすぐのところにあった扉を開け、中で膝を抱えてうずくまる。
「裕ぅ……。ヒヨリが死んじゃったよぉ。四郎君も来ないし、どうすればいいのぉ……」
膝を抱え、声を上げて泣く。
「私が肝試しなんか企画しなければよかった……」
短い時間にいろいろありすぎて疲れた。膝に額をうずめて息を吐く。眠くなってきた。そして、私はゆっくりと意識を手放した。意識の端に女の子の笑い声を聞きながら。
×
静かなのは嫌い。苦しいのも嫌い。思い通りにならないのもいや。
お父様はお家から出してくれないし。理由を尋ねても教えてくれない。思い出そうとすると、頭が痛くなる。
だから、必死に調べて私の世界を作った。
なのに、この世界は静かだ。そして、ずっと苦しい。何も思い通りにできない。外には出れない。お人形もない。友達もいない。
そんな悩んでいるときにきたの、あなた達が。私だけ苦しんでいるのはイヤだから、あなた達にも分けてあげる。それが終わったら……、このお家を賑やかにしてね?
ほら、君のお友達が来たよ? ちゃんと捕まえなくちゃ。
あ、逃げ出しちゃった。ほら、早く捕まえてあげて? 一緒に居たいんでしょ。捕まえたら離さないようにしなくちゃねぇ? くふふ、きゃはは、あははははははは!
×
扉が勢いよく開いて出てきたのは、全身を黒く染めた人の形をした何かだった。それがうなり声をあげながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
じりじりと後ずさりしながらそれがなんなのか見極めようとする。全身の黒色にはムラがあった。そして、そのムラがゆらゆらと揺れている。まるで影に包まれているような印象を受けた。
「なんだ、お前は」
言葉は返ってこない。ただゆらりと体を揺らしながら近寄ってきただけだった。
「う゛う゛う゛」
影が手を伸ばしてきた。本能的に恐怖を感じて後退する。影は動きを止めると、先ほどよりも速い動きでこちらに迫ってきた。
影に背を向けて走る。低いうなり声が遠ざかることなく付いて来る。転ばないように気をつけながら廊下を走る。床が抜けないかが不安だ。それにしても、先が見えない。暗いからってのも理由の一つ何だろうけど、どうもおかしなほど廊下が長くなっているような気がする。
×
さっきから視界が暗くなっていて足下が見にくい。後ろから迫ってくる声は遠ざかることなくついて来ている。それがまるで、わざと同じくらいの速さで走っている気がして恐怖を煽る。
自分が登ってきた階段に向かって走っているはずなのに、一向に見えてこない。体感している距離では、とうに着いていてもおかしくないのに。
まさか本当に廊下が延びているのだろうか。……此処は異空間だ。何が起こっても不思議じゃない。
困惑した頭で考えていると、ふと右手側に階段があった。
そこは一階のホールの上で、この洋館に入ったときに階段を確認していたはずなのに、二階を歩いているときには気づかなかった。だが、ここで見つけたのは運がいい。下に降りて深雪たちと合流し、この洋館から出よう。
そう考えて体を階段に向けたときだった。
「ぐあっ!?」
後ろからすごい力で引き倒される。
手に持っていた本が飛んでいく。
強く背中を打ち、咳き込む。痛みでまともに動けない。俺を引き倒した影が馬乗りになり、首に手を伸ばしてきた。
抵抗できないままに首を絞められる。ぶつぶつと影がつぶやき続けている。声がこもっていて聞き取りにくい。
抵抗しようと相手を見たとき、急に影がはれ言葉がしっかりと聞こえてきた。それと同時に首を絞めていた人間の姿が視界に入った。深雪だった。深雪が涙を流しながら焦点の合わない目でこちらを見つめている。
「どうして……、どうして逃げるの……!」
言葉と一緒に手に掛かる力が大きくなっていく。
「ぐ……っ!」
「寂しいよ。独りぼっちになって。四郎君は変な植物に捕まっちゃって。ヒヨリは食器棚の下敷きになって。会いたかったんだよ裕ぅ……」
朦朧としだした頭で理解する。今深雪が果てしなく衝撃的なことを口にしたのを。四郎達が死んだ? そんな馬鹿な!
「なのに何でッ!」
手にかかる力が一気に強くなる。
苦しさよりも痛みで顔が歪む。首から何かが軋む音が聞こえてきた。息ができなくて視界が黒く染まっていく。
「何で逃げるのよおぉぉ!」
どんどんと強くなっていく手の力を受ける中、俺は抵抗することもなく深雪に右手を伸ばしていた。
涙が伝う深雪の頬に手を添える。首にかかる力は変わらない。
ごめんな、深雪。
息もまともにできない中、言葉になっていたか分からなかったがそう口に出した。
そして、首に一際強い衝撃を受けて、視界が真っ暗になった。
×
トサリ。
「えっ?」
膝に何かが落ちてきた衝撃で気がつく。眠ったからだろうか、何かを吐露したように心が軽くなっている気がする。
そういえば何が膝に落ちてきたんだろう、と思い目を向ける。視線の先には腕があった。裕の服だった。下を向くと、裕にまたがって馬乗りになっていた。
「!」
顔を赤くしながら視線をあげていく。裕の顔を見る。苦しそうな顔をして目を閉じている。首には手が巻き付いていた。手から腕へと視線をずらしていくと、自分の肩につながっていた。そこですべてを思い出す。
「ああ!あああああああああ!」
頭の中を今したことが駆け巡っていく。
裕を追いかけたこと。引き倒して馬乗りになったこと。そのまま首に手をかけたこと。力を入れたこと。圧迫して圧迫して、何かを折ったこと。手に耳にまざまざと浮かんでくる。首の骨が折れた感触、音!
「ああああ!あぁ……」
耳を塞ぎ、塞いでいる手が裕を殺したことを思い出し、手をこすり掻きむしる。血が出ても、手元で骨が折れた感触は、命が消えた感触は消えてくれない。
「ううぅ!あああああああああ!」
なりふり構わず叫ぶ。
「あああああああああ!あああ……」
叫び疲れて体から力が抜ける。そのまま倒れて裕の肩に手を回す。
「ごめんね……、ごめんね……」
動かなくなった胸に顔を埋め、謝り続ける。優しく慰めてくれた声も、落ち着くまでなでてくれた手も、もう感じることはできない。
ひとしきり泣いた後、ゆっくりと立ち上がる。おぼつかない足取りのまま、近くの階段を上っていく。最上階には小さな部屋とテラスに続く扉だけがあった。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。びゅぅ、と風が吹きすさび、髪が後ろに引かれる。
そのまま進み、手すりに手をかける。見渡すと、暗い森が遠くまで続いている。眼下には洋館の玄関が暗がりの中に見える。
「ごめんね、裕」
私がこの手で殺してしまった。何でやったのか自分でも分からない。でも、殺してしまった事実は変わらない。
「……ごめんね」
手すりを乗り越え空中に身を踊らせる。地面がぐんぐん迫ってくる。その時に、
「……え?」
体が急に止まった。落下の勢いが体を引っ張り、関節が悲鳴をあげる。
「うぐっ!」
のどの奥から何かがせり上がってきて、手で押さえるけど吐き出してしまう。
「おぅえぇぇ……」
手のひらにかかったそれは、暗い中でも赤く見えた。
違和感を覚えてお腹の方へ目をやる。緑色の細長い物がつながっていた。体は緑色の大きく広がった物に支えられていた。それは植物の蔓で。それは植物の葉で。認識したとたん、痛みが全身をおそった。
「ああ、ああああ! いだい、痛いよお!」
体の中に入っている部分からもっと細い何かが出て、体の中を動き回っているのが分かる。何本もの蔓か根っこが同時に動き回る感触は想像を絶するほど痛かった。
「ぐぅ、げぇぇぇ」
痛みに身をよじったら、傷口から血がのどを通ってまた吐いてしまった。
だんだんと体の位置が上昇していく。横を見ればさっきのテラスと同じだけの高さまで来ていた。それでもまだ止まらずに上がっていく。
だいたいテラスの屋根ぐらいの高さになったときだろうか。今まで体を支えていた蔓が傾いて、体から抜けた。
「えっ?」
そのまま頭を下にして落ちていく。テラスよりも高い位置から。
「いやああああああああぁぁぁ!」
次々と流れていく視界の中、空に向かって手を伸ばし、醜く足掻いた私は、近づいてきた地面に頭と首を強く打って、此の世と決別した。
×
後頭部と腹部から血を流している死体の隣に少女が立っている。しゃがんで死体の腕をつかみ引っ張りだす。自分の体より一回り以上大きいにも関わらず、軽々と洋館の扉まで引きずる。
扉の前に立つと、何もしなくても扉が内側に開いていく。少女は、そのまま死体を引きずってホールに入っていった。
ホールの中心あたりで死体を置く。そこにはほかに三つの死体があった。
身体は何かに食い尽くされ、手と足しか残っていない死体。
まだ血が滴り、身体全身を赤く濡らしている首のない死体。
首の骨が折れ、まるで赤子のように首が曲がっている死体。
そして、最後に今引きずってきた死体が加わる。
それら四つの死体の前に立つと、少女はニタリと笑みを浮かべた。
「くふっ、くすくす。四つもお人形が手に入った。いつの間にかお庭にも出られるようになってたし、どうやって遊ぼうかな?」
死体を順番に眺め、触り、動かして考え始める。
「お家の中も賑やかになったし、もっとお人形が欲しいなぁ」
少女が視線をあげると、その先には体が内側からちぎれ飛んでいく男の姿があった。少し離れたところからは、何か棚が倒れる音と女性の悲鳴、ホール二階からはまともに息ができない事によるうめき声。そして外からは、いやがる悲鳴と重く湿ったものが落ちる、ドチャッという音。
「くふっ、くふふふふ、キャハハハハ! もっと、もっとお人形が欲しい! もっと、もっとよ! キャハハハハ!」
人が死ぬ瞬間の音を心地いいと感じながら、少女は洋館に笑い声を響かせていた。
モニターに電源が入り、ニュースを流し出す。
「昨晩未明、○県I市に住む高校生男女四人が行方不明になる事件が起きました。四人は、同日行われていた祭りに出かけていたとのことで、警察は、祭りの帰りに何らかの事件に巻き込まれたと見て調査を進めています。なお、森の中に入っていったのを見た人がいるとのことで、警察は森の中を捜索。洋館を発見し中を捜索しましたが見つからなかったとのことです」