諸葛瞻編 第2話 「嫌な予感は夕日色」
「秘密だぞって…今の話、なんの意味があったんですか?」
聞きたくもないことを延々と聞かされ、しかも伝えたいことがよく分からない。
相変わらず、劉備さんは聞き上手だけど話下手だ。
「瞻。まだ終わっていないんだぞ。
話はこれから儂と孔明の、現在まで続く強いきずなが生まれるまでの…」
「過程?いりませんよ。現在の二人の仲良しさを見てればわかりますもん、だいたい。」
「儂が毎日まいにち孔明の部屋に行ってうっとおしがられても諦めずに行って、
孔明をムリヤリ折れさせた?」
「ちがうんですか?」
「いや、合ってはいるんだが」
「じゃあいいでしょ。おじゃましましたー」
ただでさえあの人に関係することなんて求めてないのに、よりによって過去の話とか。
いちばん僕とあの人が似ていた時期の話とか。
劉備さんは、僕にあの人の暗いところ、恥ずかしいところ、ダメなところを全部話して、
僕の中にあるあの人への嫌悪を消そうとしている。でもそれは無駄だと思う。
僕があの人を嫌っているのは、仕事ばっかりで家族を顧みないことに腹を立てていることもそうだが、もっと大きくて、私的すぎる理由がある。
かんたんなことだ。
ただ単に、似ているから。
似ているのに、あの人は周りに称賛されている。
それに比べ僕は、表ばかりが素晴らしい父とは違い、期待されるだけで誰も褒めてはくれない。
わかっている。自分は父みたいになれないことを。
本当は、あの人を逆恨みしているだけなのだと。
つとめて明るく、逃げるようにして「くわのき」から出て行こうとしたが、
劉備さんは僕の服の袖をつかんで、阻んだ。
「哀しいくらいに似てるな。おまえたちは。
おまえの父さんも、自分に都合の悪い話になるとこんな風に逃げようとした。
それを儂は、やはりこんな風にして止めた。何故だと思う?」
「どうしても聞かせたいことからでしょう」
「わかっているなら逃げるな。どうせ、おまえたちは逃げられないのだから」
「小4には難しくってなにがなんだか」
「だから逃げるな。向き合わなきゃ、打ち勝つ方法も見つけられないだろうが」
「あの、ほんとに帰してください。小学生の門限は5時なんですよ」
と言ってはいるが、僕は門限を守った日なんてない。
5時半くらいに兄が迎えに来るまで、ずっと居座っている。
今日みたいにあの人の話題になった日以外は。
「今日はお兄ちゃんサークルのなんだかで帰ってくるの遅いんですよー」
「儂が送ってやる」
「店は?」
「どうせ客なんて来ない」
「最近は和室がない家もありますからねぇ。畳の需要も減る。
成都商店街も一部はシャッター街だし、 不況の波には逆らえない」
「話をそらすな!!いいからもど―」
劉備さんの言葉をさえぎるナイスタイミングで、裏口のチャイムが鳴った。
「……?」
たすかった、と思ったが、同時に疑問がわいた。
誰?
お客なら店の方から入ろうとするし、個人的な来訪者でも、この時間帯はみんなまだ仕事中だ。
玄関から、劉備さんの声と、聞き覚えのありすぎる低い声がする。
ものすごく、嫌な予感。
ゆっくりとドアを開け、玄関をのぞいてみた。
すると、例の声の持ち主と目が合ってしまった。
思わず、二人して顔をそらす。
なんということだ。
予感が的中してしまった。
「お父さん、なんでこんなところに?!!」
時計をみれば現在4時44分44秒。
これを偶然というのなら世の中すべての現象が偶然で済まされると思いませんか?
「近くを通ったのと劉備さんに用があったのを思い出したので。
それより、そろそろ帰らないと5時を過ぎてしまいますよ。瞻。
どんなに小さな約束事、規則にもちゃんとした訳があるのです。
規則は例外中の例外を除いて破るのは禁物。
また、周りの人間はそれを守らせるのも役目。
聞けば父さ…劉備さんは、喬がここに来るまで瞻をそのまま帰らせずにいたとか。
5時だろうが5時1秒だろうが変わらないのは事実ですが、
そこが問題じゃないのです。
規律は守る、守らせる。それは大人子どもに関係なく、
人間としてやるべき当然のことではないのですか?
というわけで瞻。早く帰りなさい。
説教が長いだの意味がわからないだのいう文句は受け付けませんよ」
ちなみに、喬っていうのは僕の兄の名前です。
「自覚あるくせに!!!ていうか絶対今ので1分は無駄になった!!!」
「親の言うことは聞くんだぞー、瞻。」
「さっきまで帰るなって言ってたくせにッ!!!」
と、わめいても意味のないことはわかっている。
これ以上の説教も嫌だし、帰ってしっかり耳を清めよう。
裏の玄関へと向かう僕とすれ違うように、あの人は中に入っていった。
その姿を見て、劉備さんは不思議そうな表情をしながらあの人に言った。
「ん、孔明、瞻を迎えに来たんじゃないのだな」
「ええ。あなたに用があってきたのですよ」
「劉備さんに?こんな時間で、暇じゃないのに?」
「早く帰りなさいと言ったはずです、瞻。なんですか、私に送ってもらいたいんですか」
「なッ、誰が!!」
「そうですか。…でも、ひとりで帰らすわけにもいきませんから、ちょっと待っていなさい。
すぐ終わらせます」
「聞いてました?!送ってくれなくて結構です!!」
「…喬には喜んでついていくのに」
怒っているような、寂しくてすねているような、そんな複雑な表情だった。
でもたぶん演技だ。この人は自分の感情を他人には見せない。
「わかりましたよ…わかりましたから、早く済ませてくださいね!!!」
「くわのき」の表に出た僕は、することもないから、ずっと空を見上げていた。
このあたりはまだ明るいけど、西の空は赤黒く不気味な夕日色に染まっている。
「気持ち悪くていやな色だなぁ。明日は晴れるのかな?」
それから、4,5分は経っていたと思う。
それほど遠くはないところから、救急車のサイレン。何気なく聞き流していると、だんだんと近づいてくるのがわかった。
救急車は、僕の目の前で止まった。
無言で中に入ってゆく隊員の姿には、なんとうなく、現実味がなかった。