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004 エボケーション・死

「さあ皆さん、興奮する気持ちは分かりますが、まずは長旅の疲れを癒してください」


 楼門がパンと手を叩くと、ホールの扉が開放された。そこには、ホテルのボーイのような制服を着た職員たちが恭しく待機していた。


「我々アルカディアが誇る、最高級の居住区画へご案内します。食事、風呂、娯楽……あらゆる『おもてなし』を用意しておりますので、どうぞごゆるりと」


「マジで!? ホテルじゃん!」


「やったー! お腹ペコペコだったんだよね!」


 不安と緊張から解放された生徒たちは、修学旅行のようなノリでぞろぞろと出口に向かう。


 その去り際、彼らは一様に加賀瀬へ視線を投げかけていった。もはやクラスメイトを見る目ではない。道端の石ころを見るような目だ。


「おいおい、ドンマイだな加賀瀬」


 すれ違いざま、笠井がわざとらしく加賀瀬の肩にぶつかってきた。異能の力が無意識に漏れているのか、その衝撃は岩のように重い。


「五十年に一度の逸材なんだろ? ある意味伝説じゃん」


「……触んな」


「ハハッ、怖い怖い。まあ安心しろよ。無能でも雑用くらいはできるだろ? これからは俺の荷物持ちとして可愛がってやるからさ」


 笠井は下卑た笑みを浮かべ、取り巻きの杉山たちとハイタッチを交わしながら去っていった。強者になった万能感。それが彼らのタガを外している。


 加賀瀬が鬱陶しそうに肩を払った、その時だった。ふわり、と甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「――ねえ」


 目の前に、美しい顔があった。

 相藤愛だ。彼女は足を止め、至近距離から加賀瀬の顔を覗き込んでいた。SSSランクの美少女。クラスの誰もが憧れるアイドル。彼女は、潤んだ瞳で加賀瀬を見つめ、心配そうに眉を下げてみせた。


「大丈夫?」


 脳が蕩けそうなほどに甘く、可憐な声音。だが、至近距離で対峙した加賀瀬には分かってしまった。彼女の瞳孔は、ピクリとも動いていない。そこに「心配」や「同情」といった感情の色は一切なかった。ただ、壊れた玩具のパーツを確認するような、無機質な観察眼があるだけ。


 彼女は加賀瀬の返事など待っていなかった。「心配してあげる優しい私」を演じ終えると、加賀瀬が口を開くよりも早く、興味を失ったように視線を切った。


「無理しないでね」


 言うだけ言って、愛は軽やかな足取りで去っていく。その背中は、自分が吐いた言葉のことなど、次の瞬間にはもう忘れているようだった。


「……クソ」


 残された加賀瀬は、吐き捨てるように呟いた。



***



 生徒たちが案内された先は、まさに王侯貴族の離宮だった。深紅の絨毯が敷かれた回廊、壁に飾られた名画、そして柔らかな光を放つシャンデリア。あてがわれた個室は、高級ホテルのスイートルームもかくやという豪華さだ。キングサイズのベッドに、最新鋭の家電、そして窓に見立てた擬似映像スクリーンからは美しいネオの風景が一望できる。


「すげえ……俺、一生ここに住みてえかも」


「帰りたくないって言ったら怒られるかな?」


 小林や笠井たちが歓声を上げ、ふかふかのベッドにダイブする。自分たちは選ばれた。ここは楽園だ。その甘い蜜の味に、彼らは完全に骨抜きにされていた。


 ――一方で。


「加賀瀬様、恐れ入りますがこちらへ」


 最後尾を歩いていた加賀瀬の元へ、一人の職員が音もなく近づいてきた。


 その態度は極めて礼儀正しく、柔らかな物腰だ。


 だが、案内された先は、煌びやかな居住区とは真逆の方向だった。

 華やかな絨毯は途切れ、剥き出しの鉄板の床が続く。湿っぽい空気と、油の匂いが鼻をつく薄暗い通路。


「……随分と雰囲気が違うな」


「静粛な環境をご用意いたしました」


 職員は表情一つ変えず、淡々と答える。やがて、重厚な鉄扉の前で足が止まった。職員がIDカードをかざし、厳重なロックを解除する。


「どうぞ。こちらがお部屋になります」


 促されて中を見た加賀瀬は、鼻で笑うしかなかった。そこは「部屋」と呼ぶにはあまりに無機質だった。  広さは三畳ほど。窓はない。あるのは、古びた木製の机と、パイプ椅子が一つだけ。ベッドすらなく、コンクリートの床が冷気を放っている。


 それは客室ではなく、明らかに「独房」か「取調室」の類だった。


「……くつろぐ場所もないな」


「食事は後ほどお持ちいたします。それまで、こちらでお待ちください」


 職員は加賀瀬の皮肉には答えず、マニュアル通りの美しいお辞儀をした。まるで、最高級のスイートルームに案内したかのような、完璧な接客態度で。


「それでは、ごゆっくり」


 ガチャン、と重い金属音が響き、外から鍵がかけられた。完全なる隔離。


「……なにがごゆっくりだ」


 加賀瀬はパイプ椅子を引き、乱暴に腰を下ろした。あの職員の、貼り付けたような笑顔が脳裏に焼き付いている。罵倒もされず、暴力も振るわれず、ただ事務的にこの監獄へ放り込まれた。その事実が雄弁に物語っていた。彼らにとって自分は、感情を向ける対象ですらない――単なる「処理待ちの不良在庫」なのだと。


 遠くから微かに聞こえるクラスメイトたちの笑い声だけが、ここではやけに冷たく響いていた。



***



 生徒たちが去った後、楼門はホールの奥にあるエレベーターに乗り込み、上層階にある「管理課司令室」へと足を踏み入れた。薄暗い室内には無数のモニターが並び、青白い電子光が明滅している。まるでスパイ映画に出てくる諜報機関の指令室のような空間。そこで楼門は、中央の巨大モニターを見上げていた。


 映し出されているのは、コンクリートの独房で椅子に座る加賀瀬善嗣の姿だ。


「……随分と楽しそうですね、楼門部長」


 不意に、背後から冷ややかな声がかかった。

 楼門が振り返ると、パンツスーツに身を包んだ、切れ長の目をした美女が立っていた。その佇まいは鋭利な刃物のようで、周囲の空気をピリつかせる。


「おや、絢風(あやかぜ)さん」


「あれが例のNULLですか」


 絢風は挨拶もそこそこに、モニターの中の少年を一瞥した。


「加賀瀬善嗣。可哀そうな、惨めな子です」


「召喚した張本人が言う台詞ではないですね」


 絢風は呆れたように鼻を鳴らす。彼女の所属は「監察室(かんさつしつ)」。組織内部の不正や不祥事を監査し、必要であれば「掃除」を行う実行部隊だ。


「監察室も人手が足りないと聞いていましたが、まさか貴女のようなエースが来てくれるとは驚きましたよ」


「室長が土下座しようが普段はお断りなんですがね。ターゲットが世にも珍しい『NULL判定』の転移者と聞いたので、興味が湧いたんですよ」


 彼女はモニターに映る加賀瀬の顔――無気力だが、どこか野生動物のような眼光――を値踏みするように目を細めた。


「それで? 例のごとく処分するんでしょう? 何十年か前に出たNULLも、この世界にきて僅か二時間後には干からびたミイラになっていたと、報告書か何かで読んだ記憶があります」


「ああ、確かそうでしたね。当時の監察室室長の並舞(なみまい)さんが直々に手を下したんですよ」


「今回は私が撃ち殺せばいいんですか? それとも焼き殺す?」


 絢風の指先から黒い火花が僅かに散ったのを、楼門は見逃さなかった。


「いえいえ、絢風さんは念のため、というやつです」


「念のため?」


「ええ。ですから、シンプルに――毒殺しようと思いまして」


 楼門はまるで明日の天気を語るような口調で言った。


「見てくれがああなので、暴力沙汰になると後始末が面倒になりそうですからね。教育課の華矢(かや)という子に任せてあります」


「教育課? 荒事には向かない部署じゃないですか」


「だから良いのです。彼女の仕事は、ただ料理を配膳するだけ」


「はあ……」


 絢風は不服そうな顔を示す。


「不良高校生といえ、空腹には勝てませんよ」


 楼門は残忍な笑みを浮かべ、モニターの中の獲物を指でなぞった。



***



 一方、隔離独房。

 加賀瀬が空腹と退屈に毒づき始めた頃、重厚な鉄扉のロックが解除された。


「失礼しまーす!」


 入ってきたのは、場違いなほど明るい声の女性職員だった。


 教育課の華矢(かや)。愛嬌のある丸顔に、親しみやすそうな笑顔を貼り付けている。手には湯気を立てるトレイを持っていた。


「こんにちは。私は教育課の華矢といいます。早速ですがお腹が空いたでしょう! アルカディア自慢の料理を持ってきました!」


「……どうも」


 加賀瀬は警戒心を隠さずに彼女を見た。だが、華矢はそんな視線には気づかないふりをして、トレイを机の上に置こうとする。


「はいどうぞ。濃厚なクリームシチューと、ふわっふわのパン、それから採れたての海鮮素材を使ったシーフードサラダですよー」


 メニューは豪華だ。香りも良い。だが、そのシチューの中には、致死性の猛毒がたっぷりと仕込まれている。加賀瀬はおろか華矢自身もそれを知らない。華矢がトレイを置こうとした、その時だった。


 ――ブブブブ! ブブブブブ!


 華矢のポケットで、端末が狂ったように震え続けている。


 しきりに続く通知を訝しんだ彼女は、「料理が冷める前に食べてくださいね!」とマニュアル通りの言葉を放ちつつ、我慢できずに自身の端末を取り出した。


「…………っえ!?」


 彼女が画面を覗き込んだ、その瞬間、華矢の表情が凍りついた。


 そこに表示されていたのは、恋人からのメッセージ。だが、甘い愛の言葉ではない。絶対にバレるはずがないと高を括っていた、彼女自身の「裏切り」を糾弾する言葉と――言い逃れのできない、決定的な証拠写真だった。


「は……え、うそ……なんでバレて……」


 血の気が引く音が聞こえるようだった。彼氏に知られた。終わった。いや、まだ誤魔化せるか? いつ撮られた? 思考が真っ白に染まり、指先から力が抜ける。


 端末が、スローモーションのように手から滑り落ちた。


 落下地点は――あろうことか、机に置いたばかりのシチューの皿の上。


 バシャン!!


 派手な音と共に、熱々のシチューが飛び散る。皿はひっくり返り、濃厚なホワイトソースが机の上はおろか、床にまでぶちまけられた。パンもサラダも、全てがシチューの海に沈没した。


「あ、あああ!」


 華矢はシチューまみれになった端末を素手で拾い上げ、悲鳴を上げた。任務の失敗? そんなものは今の彼女にとって、宇宙の果ての出来事よりもどうでもよかった。


「タァ君! なんで!? なんで!? 電話! 電話しなきゃ!」


 狼狽える華矢は、ソースを拭うのも忘れて出口へと走った。首から提げたIDカードを、スキャナーに叩きつけるように乱暴に押し付ける。


「ごめんなさい! ゆっくり食べてて!」


 ガコン、とロックが外れると同時に、彼女は風のように廊下へと駆け抜けていった。わけのわからない絶叫を残し、彼女の姿は消えた。


 後には、無残に散った料理と、呆然とする加賀瀬だけが残された。

 その鉄扉は、彼女の混乱を表すように、半開きのまま止まっていた。



***



「……使えない奴ですね」


 管理課司令室。モニター越しにその失態を見ていた絢風が、心底呆れたように吐き捨てた。


「ふふ、一体全体何が何だか……」


 楼門もまた、怒るどころか乾いた笑い声を上げている。

 彼にとって、華矢の失敗もまた余興の一つに過ぎないようだった。楼門は隣に立つ「掃除屋」を見上げた。


「さて、念のため、というやつです。絢風さん、お願いできますか?」


「最初からそうすれば良かったんですよ」


 絢風は冷たく言い放つと、鋭いヒールの音を響かせて部屋を出て行った。

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