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003 エボケーション・惨

「では次、出席番号七番……加賀瀬善嗣君」


 返事はなかった。加賀瀬はホールの壁際に寄りかかり、腕を組んだままアンティキティラを一瞥もしない。まるで、この茶番には付き合いきれないとでも言うように。


「……加賀瀬君?」


「…………」


「おい加賀瀬、呼ばれてんだぞ」


「無視してんじゃねえよ、空気読めよな」


 クラスメイトから非難の声が上がる。だが、加賀瀬はフンと鼻を鳴らし、視線を逸らすだけだ。その態度は、この異常事態においてはあまりに不協和音だった。場の空気が悪くなりかけた、その時。楼門がパタンと手を合わせた。


「なるほど、心の準備が必要なようですね。構いませんよ」


 楼門は嫌な顔一つせず、むしろ面白がるような笑みを浮かべた。


「では、彼の測定は一番最後に回しましょう。他の皆さんから先に進めます」


 その一言で、停滞しかけた流れが再び動き出した。

 加賀瀬という「異物」は放置され、熱狂の宴が再開される。


「次は私!」


「俺も早く!」


 アンティキティラのハッチが開閉を繰り返すたび、ホールには歓声と電子音が響き渡った。 ある者はBランクの超能力を得て「俺これなら喧嘩絶対負けねぇわ!」と豪語し、他の生徒たちも多種多様な能力を――漫画やゲームで憧れた力を手に入れ、興奮の坩堝と化していく。


 Cランクで落胆する者もいたが、それでも「能力がある」という事実は彼らの自尊心を守った。


 誰一人としてFランク――即ち底辺の力は出ない。自分たちは選ばれた勇者であり、ここには輝かしい未来しかない。そんな万能感が、麻薬のようにクラス全体を支配していった。


 ――そして数十分後。


 三七名の測定がすべて終了した。ホールは、覚醒したばかりの若き能力者たちの熱気でムンムンとしている。誰もが自分の異能を友人と見せ合いはしゃいでいる。


 そんな中、楼門がパン、パン、と手を叩いて注目を集めた。


「素晴らしい。実に素晴らしい結果です。これほど粒ぞろいの『豊作』は、過去の召喚例を見ても稀ですよ」


 楼門は満面の笑みで生徒たちを称えた後、くるりと踵を返した。その視線の先には――壁際でただ一人、沈黙を守り続けていた加賀瀬善嗣がいる。


「さて。お待たせしましたね、トリの加賀瀬君」


 シン、とホールが静まり返る。

 三七人の視線が、一斉に加賀瀬へと突き刺さる。そこに含まれているのは、心配や期待ではない。「自分たちはもう能力者だが、お前はどうなんだ?」という、優越感と好奇心が混ざった冷ややかな視線だ。


「さあ、君の番だ。君の中にどんな力が眠っているのか……見せてくれませんか?」


 楼門が、逃げ場を塞ぐように恭しく手招きをした。


 楼門に促され、三七人の視線に刺されながら、加賀瀬善嗣は舌打ちを一つ落とした。

 拒否し続けることもできるが、この武装集団に囲まれた状況で孤立を深めるのは得策ではない。加賀瀬はポケットに手を突っ込んだまま、気怠げに歩き出した。


「……めんどくせえ」


 アンティキティラの前に立つ。間近で見ると、その黒と緑の巨体は生物的な圧迫感を放っていた。プシューッという排気音と共にハッチが開く。


 加賀瀬は誰に言うでもなく「はいはい」と吐き捨て、その漆黒の口内へと足を踏み入れた。


 背後で重厚な金属音が響き、ハッチが閉ざされる。完全な密室。外部の喧騒が遮断され、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。内部は淡いグリーンの照明だけが頼りの狭い空間だ。


 無機質な電子音声と共に、赤いレーザーが加賀瀬の身体を頭から爪先まで舐めるように走った。不快な感覚に眉をひそめていると、正面の内部モニターに変化が現れた。それまでの生徒たちの時は、かわいらしい顔文字と共に優しく気遣う声が発せられていた。だが、加賀瀬の時だけは違った。


『 (・_・) 』


 モニターに表示されたのは、簡素な顔文字だった。きょとんとした、戸惑っているような表情。


「……は? なんだこれ」


 加賀瀬が訝しげに呟くと、顔文字は数秒間フリーズしたように静止し――やがて、パッと愛らしい笑顔へと変化した。


『 (^-^) 』


 そして、無機質とは言い難い――とても柔らかな、女の子の声が響いた。


「――がんばってね 」


「がんば……って?」


 機械音声ではない。まるで誰かが耳元で囁いたかのような、有機的なニュアンスを含んだ声。加賀瀬がその意図を問いただそうと口を開きかけた瞬間、ブツン、と唐突にモニターが暗転した。


 直後、スキャン終了を告げるブザーが鳴り響き、背後のハッチが開放された。


 外の光が差し込む。加賀瀬は狐につままれたような顔で外へ出た。眩しさに目を細めると、そこには奇妙な沈黙が広がっていた。


 楼門が、クラスメイトたちが、アンティキティラの外部モニターを見上げて固まっている。


 加賀瀬もつられて振り返った


 そこに表示されていたのは、SでもFでもない。残酷なまでの「無」だった。


『 測定結果:NULL(ヌル) 』 『 能力名:なし 』


 エラー音すら鳴らない。ただ冷徹な事実として、彼には何も無いことが示されていた。


「……ほう」


 沈黙を破ったのは楼門だった。彼はモニターの表示をまじまじと見つめ、記憶の糸を手繰り寄せるように顎に手を当てた。


「いやはや、これは驚いた。実に稀なケースですね」


「稀だ?」


「ええ。私の記憶が正しければ、管理部の記録簿で最後に『NULL』判定が出たのは……およそ五十年前になりますか」


 五十年前。その言葉に、生徒たちがどよめく。


「ご、五十年ぶり!?」


「SSSよりレアじゃん……悪い意味で」


 楼門は困ったような笑みを浮かべて、加賀瀬に向き直った。


「NULLとは、文字通り『無』。残念ながら君の体内からは、魔那反応が一切検出されませんでした。アンティキティラが君を『戦力外』と判断したということです」


 半世紀ぶりの戦力外通告。


 その事実は、加賀瀬を「ただの落ちこぼれ」から「歴史的な欠陥品」へと貶めるのに十分すぎる威力を持っていた。


「うわ、マジかよ。全員能力持ちの中で一人だけナシ?」


「だっせー。あんなにスカしてたのに」


「五十年ぶりのハズレくじ引いたってこと? ある意味すげえな」


「やっぱただのヤンキー気取りの勘違いバカじゃん。異世界来ても役立たずかよ」


 安堵と優越感を含んだ嘲笑。


 自分たちより圧倒的に「下」がいることへの安心感が、遠慮のない言葉となって加賀瀬に降り注ぐ。

 加賀瀬は何も言い返さず、ただ冷ややかな目でその光景を見ていた。


 さっきの『がんばってね』というメッセージは、こういうことか。これからの理不尽な境遇への、悪趣味な激励だったわけだ。


「まあまあ、皆さん静かに。彼を笑ってはいけませんよ」


 楼門がわざとらしく手を挙げて生徒たちを制した。


 彼は加賀瀬に歩み寄ると、同情するように肩に手を置いた。


「加賀瀬君、落ち込むことはありません。能力がなくとも、君も我々と同じ人間だ。……そう、戦う力はなくとも、別の形で貢献できる場所がきっとありますよ。例えば、後方での雑用とか、ね」


 優しい声色。だが、その瞳の奥には、壊れた部品を見るような無関心さが透けていた。フォローに見せかけた、決定的な「格付け」。この瞬間、加賀瀬善嗣はこの集団における最底辺――アンタッチャブルとして確定したのだった。

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